ミトロプーロスのプロコフィエフ/バレエ《ロメオとジュリエット》

sv0127a.jpgプロコフィエフ/バレエ《ロメオとジュリエット》作品64
ディミトリ・ミトロプーロス指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
Recording: 1957.11.11
Location: St.George Hotel, Brooklyn, New York
Producer: Howard H.Scott (SONY)
Disc: SICC-2082 (2016年9月)
Length: 44:29 (Stereo)
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“ギリシアの哲人”の異名をとるミトロプーロスは“1949~58年にニューヨークフィルの常任をつとめ、とりわけ現代音楽の演奏に定評があった。この《ロメジュリ》は、明快率直な表現でオーケストラを自在に操るミトロプーロスの真価を発揮した決定盤といってよく、ダイナミックな迫力と抜群のリズム感覚が聴く者を魅了する。

肉感のあるヴィブラートで揺さぶりをかけるテナー・サックスのパフォーマンスがこの盤の大きな聴きもので、ヨーロッパ的な上質のサウンドによってロマンティックな気分を横溢させるニューヨークフィルの名技も冠絶している。

「このレコードはミトロプーロスの晩年に録音されたものだが、音質は良く、演奏もまことに美しい。演奏のすみずみにまで〈音楽〉が満ち溢れた佳演である。鋭く冴えた感覚を基盤としながらも、機械的な冷たさはどこにも無く、常に豊かな心を感じさせ、時にはロマンティックでさえある。ニューヨーク・フィルの各奏者もミトロプーロスと一体となった名演を示している。」 宇野功芳氏による月評、13AC85、『レコード芸術』通巻第315号、音楽之友社、1976年)



モンタギュー家とキャピュレット家-アンダンテ-アレグロ・ペザンテ
sv0127b.jpg〈大公の宣言〉の厳粛な和音がガッシリと打ち込まれる音場は鮮烈で、ステレオ初期の録音とは思えぬ生々しさ。

このバレエのテーマ音楽ともいえる〈騎士の踊り〉は、弦楽器のシルキーな分散和音が冴え冴えと躍動し、テューバとトロンボーンが「バリバリ」と打ち放つ〈反目の主題〉〈騎士の踊り〉が同時進行する場面(練習番号5)がじつにシンフォニックで、感興を大きく高めている。
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弦が高域へ跳躍し、トランペットが〈反目の主題〉を受け継ぐ決めどころの鮮やかさや、スネア・ドラムの歯切れ良さなど、冴えたオーケストラ・サウンドを堪能させてくれる。中間部のねばっこいヴィオラのグリッサンドや再現部のヴィブラートをたっぷりかけたテナー・サックスの肉付きの良い音にも仰天してしまう。


少女ジュリエット-ヴィヴァーチェ
sv0127c.jpgお茶目なジュリエットの軽妙で跳躍的な主題は小股の切れ上がった精妙なアンサンブルを展開。クラリネットのとろけるような〈ジュリエットの主題〉(練習番号14)の高貴な気分もバレエ音楽の次元を超越したものだ。

聴きどころは中間部の清楚な〈憧憬の主題〉で、チェロとクラリネットがしっとりと対話を重ねて詩的な情緒を紡ぎ出す情景の美しさといったら! ヴァイオリンのソリとやわらかなテナー・サックスが溶け合う芳醇なサウンドをお聴きあれ。


フォークダンス-アレグロ・ジョコーソ
sv0127i.jpg鮮烈な和音打撃で開始するタランテラ舞曲(第1主題)は切れ味がするどい。

目の覚めるようなギャロップの総奏(第2主題)、華麗な名人芸を楽しませる中間部のコルネット(第3主題)、シコを踏むような痛快な打楽器の連打(第4主題)など、楽想の変転を巧みにさばく哲人指揮者の変幻自在のタクトには驚くばかり。

最大の聴きものはテナー・サックス、ファゴット、チェロによって、主題の合間を縫うように飛び出す低音部の〈タランテラ主題〉。肉感のある音が「ぶりぶり」と抜群の臨場感で迫ってくるところが美味しいご馳走で、サックスのヴィブラートの酔いが覚めやらぬうちに、間断なく和音打撃を打ち込む鮮烈な終止に大拍手!
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仮面-アンダンテ・マルチアーレ
マキューシオがロメオ、ベンヴォーリオとキャピュレット家の舞踏会に忍び込む戯けた行進曲はリズムに一分の隙もない。中間部で飛び出すジンタ風のコルネット、皮肉たっぷりのクラリネット、「ケッ」と嗤うトランペットといった個性ゆたかな管楽器の表情付けが心憎く、バス・クラリネットが低回するコーダのトボけた風情は、“ずっこけトリオ”だ。

「この人の指揮は曲を大づかみに把えて持ってゆく、その形の作り上げ方がなかなか面白いものがあった。(略)オーケストラの音が冴えて艶のあるのと、テンポのもってゆき方が無理がなくて何処か独自のものがあり、非常に新鮮にきこえた。指揮の格好は、ものすごく変っている。棒はもたないのだが、両手をタコみたいにぶるぶるふるわせながら、肩を上げ下げしたりして指揮する。」 吉田秀和著『音楽紀行』より、中央公論社、1993年)



ロメオとジュリエット(バルコニーの情景)-ラルゲット
sv0127d.jpg夜の静寂の中で弱音器をつけた独奏ヴァイオリンがしっとりと寄り添いながら、とろけるような甘い香りでささやく〈ロメオの主題〉がたまらない。澄みきった高音が透明なハーモニーの綾を紡いでゆくところ(練習番号52)は愛の物語の精髄を極めたものといえる。

〈愛の踊り〉(練習番号56)の頂点で至福と歓喜に満ちたパ・ドゥ・ドゥを踊る〈愛の抱擁の主題〉(練習番号57の7小節目)が最高の聴きどころだ!
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「待ってました」とばかりに、テナー・サックスが濃密なブィヴラートでよろめくところ(3:28)はまるで場末のライヴ・ハウスを思わせるが、その甘美な歌に酔ってしまいそうになる。ちょっとヤバめの風貌で、生涯を独身で通したクールな哲人ミトロプーロスが、じつは、純粋無垢な乙女との純愛を夢想してやまぬロマンティストであることを聴き手につよく印象づけている。


タイボルトの死-プレシピタード
sv0127e.jpgオーケストラの名人芸とゴージャスな管弦楽を堪能させてくれるのが〈タイボルトの死〉だ。死を予感させる不協和音、豪壮な低音弦、バチバチと音をたてるコル・レーニョ、目の覚めるようなシロホンの打ち込みといった闘いの生々しさが凄まじい迫力で展開する。

決闘のプレスト(練習番号77)では荒ワザを仕掛けることなく、各セクションが一糸乱れず整然と進行、「スパっ」と刃を交わすグリッサンドの跳躍(練習番号74)が抜群の切れ味で決まっている。
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圧巻は、討ち倒されたタイボルトの死を弔うアダージォ・ドラマティコ(練習番号80)。慟哭の葬送をなみなみと吹き上げるホルン、金切り声をあげるようにつんざくトランペット、慟哭の中でコルネットが号泣する阿鼻叫喚の重奏が凄まじい緊迫感で迫ってくる。


別れの前のロメオとジュリエット-レント
sv0127f.jpg〈別れの抱擁の主題〉の緩急をたっぷりつけた歌わせぶりや、果肉のみっちりと詰まったテナー・サックスがぬめるように歌い継ぐ甘酸っぱくも切ない香りはロマンティックの極みで、音符ひとつひとつに血の通った感覚を植え付けるところは超人ミトロプーロスの独壇場。

アダージョの〈間奏曲〉(練習番号46)はまるでジークフリートがブリュンヒルデに別れを告げ、ラインへと旅立つ情景(ワーグナー楽劇《神々の黄昏》)を彷彿とさせるではないか。
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修道士ロレンス-アンダンテ・エスプレッシーヴォ
sv0127g.jpg巡礼の合唱を思わせるファゴットとテューバの重奏は、ローレンス僧の庵室でジュリエットがロメオと永遠の愛を誓う厳粛な音楽だ。

高音域で歌うチェロのメロディー(練習番号22)は2人の結婚を許し、反目していた両家の和解を願って止まない“音楽の修道僧”ミトロプーロスの慈愛に満ちた歌心に溢れんばかり。  amazon


ジュリエットの墓の前のロメオ-アダージョ・フネーブレ
sv0127h.jpgロメオの悲痛な〈死の主題〉がぴんと張りつめた弦楽の強奏によって抜群の緊迫感で迫ってくる。目の覚めるようなコルネットのグリッサンド、〈死の主題〉を吹き抜くホルンとトロンボーンがロメオの慟哭をあますところなく描いてゆく。

最後のクライマックスで哲人は濃密なテナー・サックスによって愛の思い出を生々しく演出、〈死の総奏〉(練習番号64)の身悶えするような慟哭と恐ろしい結末を予感させる悲劇によってアルバムを締め括っている。
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音楽の修道僧ミトロプーロスが、鋭敏な感覚と冴えたオーケストラ・サウンドで、愛の物語をロマンティックに歌い上げた極上の一枚だ。


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[ 2018/11/30 ] 音楽 プロコフィエフ | TB(-) | CM(-)

クレンペラーのモーツァルト/アダージョとフーガ ハ短調 K546

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モーツァルト/アダージョとフーガ ハ短調 K546
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団
Recording:1956.3.27 Abbey Road No.1 Studio, London
Producer: Walter Legge (EMI)
Balance Engineer: Christopher Parker
Length: 8:37 (Stereo)
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《アダージョとフーガ》は、モーツァルトの中でも筆者が好んで聴く作品で、交響曲第39番の少しあとに書かれている。この作品は作曲者自身の手による《2台のクラヴィーアのためのフーガ》K426を弦楽合奏用に編曲し、新たに52小節のアダージョの序奏を書き加えたもので、モーツァルトの円熟期にふさわしい深遠な楽想と対位技法の粋を凝らした名作中の名作だ。

sv0126b.jpg筆者がこの曲をはじめて聴いたのは、『幸福』(Le Bonneur)というフランス映画。アニエス・ヴァルダ(Agnes Varda)という女流監督による1965年の作品で、テーマ音楽として使われたのが《アダージョとフーガ》である。木管アンサンブルのメイン・タイトルと弦楽合奏によるエンディングでは4声のフーガがじつに効果的に使われている。  HDマスター [DVD]

建具屋で仕事をする主人公フランソワは真面目を絵に描いたような人物で、従順な妻テレーズとの間に2人の幼い子どもがいる。ある日、町の郵便局で働く若い女性エミリーと愛し合うようになり、テレーズにエミリーのことを打ち明けてしまう。

妻と愛人を林檎の木にたとえ、その花のいずれも美しいと説く。フランソワがうたた寝から目が覚めると、テレーズの姿はなく・・・池の畔に溺死体となっていた。深まりゆく秋、テレーズになりかわって家族の一員となったエミリーは、お揃いのセーターを身に纏い、子どもを連れて、仲睦まじく手を取り合って森の中へ入ってゆく。

テレーズという女性など、はじめからこの世に存在しなかったかのように、弦楽合奏のフーガにのせてカメラは家族の姿を追い続けてゆく。音楽のみのラストシーンがどこか残酷で、身勝手な男の論理を糾弾しているかのようでもある・・・


sv0126c.jpgこの映画のラストシーンを思い起こさせ、聴き手を「ゾクッ」とさせる指揮者といえば、クレンペラーしかいない。音楽はしかめ面をしたように重苦しく、どこか取っつきにくい印象が付き纏う。

脳腫瘍による手足の麻痺、転倒による要骨複雑骨折、寝煙草による全身火傷によって幾度も再起が危ぶまれ、晩年には下半身不随にまでなったが不屈の精神によって楽壇に蘇ってきた。

「クレンペラーは、とんでもない奇人らしいですね。背も2メートルくらいあって馬鹿でかいし、腕力は強いし。若い頃のクレンペラーは速いテンポで、すかすかやっていた。もともと冷たい演奏が好きなんだよ。それが、パイプをくわえたまま眠って全身大やけどしたり、飛行機のタラップから落ちて骨折したり、最後には脳卒中になってしまって、今度は右手も利かなくなるし、口は動かないし、だんだん体が利かなくなってきてからが良くなった。速いテンポがとれなくなって、本来のすごいものが出てきたんじゃないか。最後の最後、半身付随で、座って指揮するようになってからが一番いい。」 『宇野功芳の白熱のCD談義ウィーンフィルハーモニー』より、ブックマン社、2002年)



sv0126a.jpgここで聴く《アダージョとフーガ》は、優雅な雰囲気など微塵もない。重腰の引きずるようなスタイルによって、深い闇の中へ有無を言わさず聴き手を引きずり込んでゆく。

苦悶、慟哭、嗚咽といった「死の淵」に立たたずむ人間の、ありとあらゆる苦悩をひとりで背負い込んだような絶望が迫り来る。見てはならないものを見てしまったときの、あの言葉にならない衝撃の刃を、老師は聴き手の胸に「ぐさり」と突き立てる。  amazon

sv0126d.jpgクレンペラーの対極にあるのがカラヤンで、豊かな低音弦の土台の上にバランスよく音を構築する。ぶっきら棒なクレンペラーと違って、上滑りする弦の柔らかさと滑らかさは耳あたりが良く、聴き手に媚びるようなレガートで均してゆく手練れた音楽運びは“カラヤン美学”の極地といえる。

しかし、そこから漂ってくるものは“空やん”にほかならず、「カラヤンは真実より美を優先する」(オットー・クレンペラー)  amazon

「“遅さ”や“重さ”で語られることが多いクレンペラーのモーツァルトだが、それは鈍重さや風通しの悪さとイコールではない。彼の傷ついた肉体が物理的な遅さを必要としたとしても、ここに収められた序曲や管弦楽曲に停滞はない。ゆったりとした呼吸の中で音楽は躍動し、管楽器を強調した独特なバランス構築が内在するドラマをむき出しにする。アルノンクールのような確信犯的ノイズの混入とも異なる、ぶっきらぼうな響きは好悪を分かつだろうが、いまも十分に刺激的なモーツァルト。」 矢澤孝樹氏による月評より、TOCE13204、『レコード芸術』通巻第664号、音楽之友社、2006年)


「容易に生理にオチてこない、のたりとしたテンポ、優美とは対局にある即物的なゴツゴツしたオーケストラの響かせ方、ほとんど仏頂面ともいっていい、けっして微笑まない音楽の表情。およそ人を楽しませようなどという“思いやり”とは無縁のモーツァルトで、これを聴いて心が浮き立つ人が一人でもいるのか、と思わせるほどだが、それでもどこか耳に引っかかって結局聴かされてしまう。何ともはや怪演である。では、その耳に引っかかるものの正体とは何だろうか。」 中野和雄氏による月評より、TOCE1574、『レコード芸術』通巻第533号、音楽之友社、1995年)



「アダージョ」 ハ短調 4分の3拍子
sv0118i.jpg付点音符と複付点音符の連続する荘重な序奏(ショスタコの第5番はこれを真似た)は、「ぐい」と弓を入れるところからただならぬ緊迫感に満ちている。低音弦の弓を深く入れ、引きずるように、なみなみと音を盛っているところに、のっけから満腹になってしまう。

引き裂くような弦の和音、おどろおどろしい伴奏刻みなど、「いったい何事がはじまるのか」といった風体である。
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ネットショップにコメントされていた「大きな岩を引きずっているような演奏」とはじつに上手く言ったもので、このアダージョは、まさしく「苦行」にほかならない。

悠揚とした足取りと引きずるような重いリズムの中からも、30小節では高弦の澄み切った響きを際立たせるあたりは、この老巨匠、只者ではあるまい。「シャッキリ」と響きわたる左右に振り分けたヴァイオリンも耳に新鮮で、滋味深い温もりが仄かに漂ってくるではないか。


「フーガ」 アレグロ ハ短調 4分の4拍子
sv0118j.jpg低音弦のものものしい足取り(弓をひっかく音すら聴こえる)で開始するフーガは太い筆致によって、巨象のごとく「のっしのっし」と歩んでゆく。

大股でつづく根太いヴィオラ、弓をべったりと寝かせて弾くヴァイオリンが重ね合わされていくところは、重厚な弦楽合奏の醍醐味を堪能させてくれる。老巨匠は小賢しく音量を加減したりせず、低音を礎にしたコクのある豊かな響きをどっしりと腰を据えて捌いてゆく。

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「クレンペラーは“全部の音を平等に聴こえるように”出してくる。で、それぞれの音に主張させます。彼の構成力や展開の雄大さは、音を全部正しく鳴らすための“手立て”で、“音そのものの素材”で聴かせる。だから媚びないんですよね。」 「我らクレンペラー党!」より喜多尾道冬氏による~『レコード芸術』通巻第655号、音楽之友社、2005年)


大きな聴きどころは、メロディーが展開する69小節から。ヴィオラ以下が「ガリガリ」とすさまじい音量で主張しているところが圧巻で、弓をたっぷり入れて深々と打ち込む低音弦がここでも大きくものをいう。

フィナーレに向かって「これでもか」と分厚い弦を重ね、次第に劇性を孕んで凄みを増してくるところはまぎれもなくクレンペラーの音楽だ。ここにはあざとい演出など微塵もない。最大のクライマックスは、159小節からはじまる16分音符のヴァイオリン群の分散和音。

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左右に分かれた弦がすさまじい勢いで「ギシギシ」鳴っているところに仰天するが、分散和音が中低弦に拡大し、ヴァイオリンがフーガ主題を「ぐいぐい」勇渾に上り詰める力強さは比類がない。とどめの重和音の打ち込みも凄絶で、老巨匠の棒さばきや“恐るべし”! 
底知れぬ深さと重みを感じさせる傾聴すべきモーツァルトだ。


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