ブルックナー/交響曲第9番ニ短調(その2)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ハンブルク国立フィルハーモニー
1956年10月31日、ハンブルク、オスター通スタジオ(ステレオ録音)
Bruckner Symphonie Nr.9 d-moll [56:31]
1.Satz: Feierich, Misterioso [23:16]
2.Satz: Scherzo. Bewegt, lebhaft [10:53]
3.Satz: Adagio. Langzam, feierlich [22:22]
Joseph Keilberth, conductor
Hamburg State Philharmonic Orchestra
Recording: 1956.10.31, Osterstrasse studio, Hamburg (Stereo)
演奏★★★★★ 録音★★★★★ [評価★が2点、☆が1点の10点満点]
お気に入りのCDや海外のライブ録音を気ままに紹介する Musikfreund(ムジークフロイント)。 本日は、前回に引き続き、ブルックナー交響曲第9番ニ短調をカイルベルト指揮、ハンブルク国立フィルの演奏で第2楽章以下を聴く。

第2楽章 「スケルツォ」、軽く快活に、ニ短調、4分の3拍子
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「巨人の輪舞」にたとえられるスケルツォは、いかにもドイツの親爺らしく、重厚な響きを軸にした骨太な音楽の運びを堪能させてくれる。シャッキリとした弦の音階的な打撃も痛快きわまりなく、リズムの躍動感も抜群である! オーボエが歌う民謡風の第2主題も決して田舎臭くならず、弦の緻密でみずみずしいアンサンブルと相まって、爽やかな快感を誘っている。
第1主題を反復する161小節から男性的な力強さを増し、親爺は確信をもって管弦の豪打を打ち込んでゆく。203小節と214小節の目の覚めるようなトロンボーンの一撃に仰天するが、圧巻はトランペットとトロンボーンが壮絶な打ち合いを繰り広げて乱舞となる終結部。
「オレについてこい!」と楽員をひっぱる腕っぷしの強さと、はったりのないスケール感は無類のもので、いかにも頼りがいのある親方といった逞しさがある。

トリオの「妖精の踊り」は、緻密なスタッカートによって、田舎風の素朴な舞曲をエレガントに料理する。親爺のロマンを感じさせる情感を込めた第2主題(エレジー)も聴きどころで、フルートの16分音符装飾がくわわった中間部は名人芸といえる。
トリオで第1主題が回帰する86〜98小節について、238小節以下と同じようにトランペットの合いの手をくわえているのに驚かされるが、この改変は「カイルベルト版」 (宇野功芳氏)とされる。
「ここで聴くブルックナーの音楽の質は、きわめて高い。第1楽章冒頭の処理からすでに、カイルベルトの個性の刻印は明らかだろう。さらにスケルツォ楽章の音楽の密度も特筆に値するものだ。とりたててゆっくりとしたテンポをとって思わせぶりな音楽を目指すわけでもなく、むしろ速めのかっちりとした歩みを基調としている。とはいうものの、例えば、トリオの部分の表情などに典型的なように、押さえるところは押さえ、歌うところは歌わせる、という意味では、よく勘所を押さえた演奏である。」 (
岡部真一郎氏による月評より、WPCS6053、『レコード芸術』通巻第577号、音楽之友社、1998年)
第3楽章、「アダージョ」おそく、荘重に、ホ長調、4分の4拍子
うるおいのある弦がたっぷり上昇する第1楽句(上昇動機)の高揚感と、トランペットが〈信号動機〉を力強く打ち込む第2楽句の壮麗な響きはブルックナー音楽の神髄を堪能させてくれる。ことに胸のすくように吹きぬく4本のホルンの「9度の響き」(運命動機)には恍惚となってしまう。


ここで作曲者は、ワーグナー・テューバによるコラール風のエピソードを第3楽句(29小節)として挿入する。 「生との訣別」とよばれる下降する4重奏の崇高な響きが次第に沈鬱さを増し、哀しみを刻印してゆく。

大きな聴きどころは変イ長調で歌う歌謡風の第2主題(44小節)。さりげなく歌われるゆるやかな主題の中に、憧れと哀しみをないまぜにして、鄙びた木管と儚げなホルンと応答を繰り返すところは何ら虚飾のない心の音楽だ。

細やかな対位で揺れる変ト長調の副主題(57小節)もことのほか美しく、第2主題の滔々と流れるチェロの歌(65小節)と清らかなヴァイオリンの調べは澄み切った美感に溢れんばかり。フルートの孤独な分散和音も心にしみる。
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展開部(77小節)は弦が冒頭動機を祈りを込めように奏で、静謐な気分をさらに高めるが、親爺は「ここぞ」という場面で金管を突出させて半音高い頂点をドマチックに再現する。フォルティシモのストレッタ・カノンとなる145小節よりぐいぐいテンポを速め、「どすこい!」とトロンボーンをめいっぱい咆哮させるあたりは、気骨溢れる親爺の力感が漲っている!

無骨な親爺は細やかな心遣いも忘れない。弦にうるおいのあるポルタメントをかけて儚く揺れる副主題(129小節)は耽美を極め、下降する弦楽合奏によるコラール(155小節)はきっぱりとしたフレージング中にも温もりを感じさせてくれるところに耳をそば立てたい。
不安げなオーボエのリズム打ち、冒頭動機を問いかけるようなフルート、やるせない気持ちを込めた弦が、神秘の中から暗い影を引きずるようして展開部を終える。

不安な気分とそこはかとない哀感は、第2主題の変奏となる再現部(173小節)になっても決して取り払われることはない。
32分音符の揺動伴奏をともなった主題は音価は2倍に拡大されて救いようのない気持ちが強調されるが、木管による『ミサ曲ニ短調』の〈ミゼレーレ動機〉(181小節)、トロンボーンが厳粛に打ち込む第2主題(187小節)、ワーグナー・テューバによる『ミサ曲ヘ短調』の〈ベネディクトゥス動機〉(191小節)といった変奏と引用が次々とくわわると、崇高な気分が高まってくる。

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フォルティッシモのクライマックス(199小節)の骨太で重厚なオーケストラ・サウンドは洗練されたものとは言い難いが、〈上昇動機〉を憤怒の勢いによって吹きぬくブラス・セクションの力のこもった壮麗な響きによって、親爺は悲劇性をあますところなく表出する。さすがにトランペットがもはや力果てたかように、音程がふらつき、腰砕けになってしまうのが唯一惜しまれるところであろう。
オーボエの詠嘆ではじまる天国的なコーダ(207小節)は冒頭の上昇気分がじわじわと再現するが、もはや〈運命動機〉の三現はあらわれない。ここでは、 〈信号動機〉の名残りを感じさせる弦のトレモロにのって、〈上昇動機〉と〈ミゼレーレ動機〉の断片が「パルジファルのこだま」(225小節)を挟んでしみじみと回想される。フルートとオーボエはついに光明を見出したかのように、これを締め括る。


ワーグナー・テューバが第8交響曲のアダージョを、ホルンが第7交響曲の冒頭主題を息長く回想する中を、弦の分散和音がレガートによって2つの主題を慈しみながら浄福を奏で、たゆたうように天国への扉をやさしく開いて全曲の幕を閉じるのである。


「そして、アダージョの第3楽章、抑制の効いた彼の音楽創りのポリシーは、その美質を遺憾なく発揮するところとなっている。ブルックナーのスコアにどっしりとした重みと、同時に、ときに華やかさともとれる輝きを見い出しながら、それらの諸要素をバランスよく配していく力量の程は、やはり、同世代の多くの才能の中でも卓越したものと言えるだろう。」 (
岡部真一郎氏による月評より、WPCS6053、『レコード芸術』通巻第577号、音楽之友社、1998年)
「カイルベルトのスタイルは、ドイツ的な重厚さを第一の特徴とするが、決して、ドロドロしたものではなく、むしろ、明快さをも持っている。これは、同じドイツ系の音楽でもオーストリア的な明朗さを持っているブルックナーには相応しいスタイルであった。このディスクでは、北ドイツのハンブルク国立フイルを振っているが、曖昧さのない明快な響きでブルックナー特有の力感のある構築性を良く出している。この交響曲の第3楽章がロンドになっているのに象徴されるように、大きく寄せる波と引く波が交互にクライマックスを形成するのを見事なドラマトゥルギーで聴かせてくれる。」 (
小林宗生氏によるライナーノートより、ワーナーミュージック・ジャパン、2009年)
「感傷的な高揚による表現の誇張や衒いなどは微塵も感じられず、いたって腰の据わった硬派な造形意識が隅々まで行き渡っているところに彼の演奏の醍醐味がある。特に第3楽章など、重厚な音響と聴き手を圧倒する音楽的な流れや勢いなど、このオーケストラ自体が体験したことがないほどの潜在的な力を出し切って表現しているような空気と熱気が漂ってくる。これこそカイルベルトの力量の最たるところではなかろうか。」 (
『クラシック不滅の巨匠100』より、斎藤弘美氏による、音楽之友社、2008年)
これは、ドイツの巨匠カイルベルトが残した究極のブルックナー演奏ともいうべき遺産で、劇的な構築性と内面的な叙情性をあますところなく表出した味わいの深い感動の一枚である。
吉田秀和著『私の好きな曲』より、筑摩書房、2007年)
岡部真一郎氏による月評より、WPCS6053、『レコード芸術』通巻第577号、音楽之友社、1998年)





