ワルター=ウィーンフィルのマーラー/交響曲第9番

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マーラー/交響曲第9番ニ長調
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1938.1.16 Musikvereinsaal, Wien
Producer: Fred Gaisberg (HMV)
Engineer: Charles Gregory
Disc: Dutton CDBP9708 (69:43/Mono Live)
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当演奏は、マーラーの直弟子で、交響曲第9番の初演者でもあるワルターが、ナチスの台頭によってウィーンを脱出する直前の1938年1月に録音されたSPからの復刻盤で、ワルターのウィーン黄金時代の最後を飾る記念碑的な録音。同時に、ナチスの足音が間近に迫っていた当時の緊迫した雰囲気を伝える“歴史的ドキュメント”でもある。

sv0081b.jpg1938年1月15日と16日、ワルターはウィーンフィルを指揮して《プラハ》とマーラー〈第9番〉を指揮、2月19日と20日には《真夏の夜の夢》序曲とブルックナー《ロマンティック》ほかを指揮し、これがワルターの戦前のウィーンでの最後の演奏会となった。

ブルーノ・ワルターの芸術ウィーン・フィル編 TOCE7761/74 [1992年]

当録音は1月16日(日曜日)の午前中に楽友協会で行われたコンサートを収録したもので、当時HMVのプロデューサーであったフレッド・ガイスバーグの提案で行われた。ガイスバーグの回想録によれば、ライヴ録音は資金面の都合よるもので、マイクロフォンの調整のために5回のリハーサルが組まれた。

sv0081c.jpgコンサート当日は2台のカッティング・マシーンが会場に持ち込まれ、ティンパニの横に陣取ったガイスバーグからの合図によって、エンジニアが機械を交互に動かして針を下したとされる。  TOCE7827 [1992年]

エンジニアのチャールズ・グレゴリーは傍らでスコアを追う音楽家から打楽器の強打やピアニシモの箇所を示してもらい、演奏終了後は拍手が入る前に操作を止めるタイミングをはかった(拍手はわずかに入っている)という。

原盤は英国に直送されて10枚組のSPアルバムとして世界各国で発売されたが、ワルターはこの録音について「すこぶる不満足な結果」と書き記し、後年「このレコードだけは破棄したい」ともらしていたらしい。

「マーラーの〈第9〉をヨーロッパで最後に演奏したのは、ヒトラーのウィーン進入直前でした。レコード録音は当時の演奏会その場でなされて、破局を迎える間に幸いにも私は契約していたオランダへ移動していました。当時はロッテ(長女)のことでたいへん心配していて必要な注意を録音に向けられず、それゆえ、これはすこぶる不満足な結果になったのです。」 『ブルーノ・ワルターの手紙』土田修代訳より一部筆者改訳、白水社)


しかし、亡命先のパリでガイスバーグが録音を聴かせた時、ふだんは思慮深いワルターが顔を輝かせて喜んだ、という話も残されている。

「このレコードのマーラー〈第9〉は、1936年以来、ワルターがウィーン国立オペラの監督として果たしてき生涯でもっとも実りの豊かだった一連の仕事が、とつぜん理不尽な理由で断ち切られる直前の記録なのである。その一連の掉尾に、ワルターが親しく師事し、敬愛してやまなかったマーラーの最後の交響曲がとり上げられ、しかもライヴ録音が残されたということに、たんなる偶然以上のものを感じるのである。60歳に達し円熟の絶頂にあった、また良き時代の最後の段階である1938年のこの〈第9〉にこそ、純粋にマーラー=ヴィーン・フィルのまじり気のない熱い血の噴出が見られると思う。歌という主役のいない〈第9〉で、ワルターがより想う存分マーラーの世界に浸って独自のマーラー観を描き切っていることはいうまでもない。」 柴田南雄著『レコードつれづれぐさ』より、音楽之友社、1976年)


sv0081d.jpg当コンサートの2ヶ月後、ナチスはオーストリアを併合し、アムステルダムでリハーサルを行っていたワルターは辛くも暗殺を企てたナチスの手を逃れたが、ウィーンでの地位、国籍、財産のすべてを没収され、長女ロッテは逮捕、8月には次女グレーテルがチューリヒで夫に射殺されるというショッキングな出来事が続いた。  TOCE9097 [1996年]

10月31日、妻エルザと救出された長女を伴い、失意と傷心のなかでワルターは米国へ亡命していった・・・

ConductorOrch.DateLevelTotal
WalterVPO1938.1.16(L)EMI24:4715:3511:1318:0869:43
KlempererVPO1968.6.9(L) Testament27:2517:2714:1124:4683:49
BernsteinVPO1971.3(L) DVDDG28:1616:1711:4326:4382:59
MaazelVPO1984.4.13,14,16SONY29:4716:0413:0325:2184:15
AbbadoVPO1987.5(L) DG27:2215:2712:3924:3380:01
RattleVPO1993.12.4,5(L) EMI27:4715:2712:5524:4380:52


「モノラル録音で音も決して万全とは言えないが、この演奏には切迫した時代の雰囲気とともにワルター自身の万感の想いが込められており、第1楽章から濃厚なテンポ・ルバートの嵐が吹き荒れる。極端に激しい喜怒哀楽の落差はマーラーの指揮もかくやと思わせるほど。甘美な歌の中にも刺々しい苛立ちが混じり、この焦燥感が聴き手をフィナーレの終わりまで一気呵成に引っ張ってゆく。時代の貴重な記録でもあるこの演奏は、作曲者直伝の解釈を色濃くにじませた壮絶な至演である。」 文藝別冊『マーラー』没後100年記念より吉村渓氏による、河出書房新社、2011年)


「ワルターの亡命直前の異様な雰囲気が刻み込まれている《第9》は冒頭からとても美しい。第2主題でかなりテンポを速め、展開部の頂点で大見得を切ったり、中間楽章のコーダで加速したりするところは後年のワルターにない若々しい迫真の表現である。しかしなんといっても終楽章が独特の美しさをたたえている。じっくりと歌う主題も内声もよく聴こえてくる。録音の古さがまったく気にならない。ウィーンとの訣別の想いだろうか、ある種の思い入れが演奏からひしひしと伝わってくる。聴き終わったあとに重くどっしりとしたもの心に残る。不朽の名演である。」 横原千史氏による月評より、TOCE9097、『レコード芸術』通巻552号、音楽之友社、1996年)



第1楽章 アンダンテ・コモド
sv0081e.jpg冒頭から緊迫した異様な雰囲気が漂っているが、〈告別の動機〉に思いをたっぷり込めて奏する第2ヴァイオリンの密度の濃いフレージングからして尋常ではない。

まるで1938年のウィーンへタイムスリップし、会場に居合わせた錯覚すら聴き手に抱かせてしまう不思議な魅力がこの盤にあり、聴き進めるにつれて我を忘れて音楽の中に引き込まれてしまう。
TOCE3556 [2001年]

コンサートはナチスの妨害の中で敢行され、会場の一部に陣取ったナチス兵隊の足音とともに始まったとされるが、これは1曲目の《プラハ》のことと推察され、マーラーでは形振り構わぬワルターと楽員の没入ぶりがナチスの存在など消し去ってしまったように思われる。思い躊躇うようなリタルダンド、粘っこく、嫋々と奏でる耽美的な弦など、当時のウィーンフィルが備えていた音の魅力が、モノラル録音からもたっぷりと伝わってくる。

sv0081f.jpg音楽が動き出すのは、第2主題がにわかに悲劇的様相を帯びる80小節から。

速いテンポで荒れ狂うようにファンファーレをぶつけるところや、展開部に入ると、ドカドカ叩き込むティンパニの強打、異常に強いリズムを刻むトランペット、重々しく奏する沈鬱なチェロの悲歌、忍び寄る魔の手におののくような第2ヴァイオリンの呻き・・・
TOCE15003 [2005年]

「オーストリアでは国家に敵意を抱くナチズムがますます遠慮なく頭をもたげ、ドイツからの威嚇の響きが伝わって来た」とワルターが書いているように、迫り来るナチスの影に怯え、その恐怖をワルターは描き出す。J.シュトラウスのワルツ《人生を楽しく》の引用もどこか落ち着きがなく、ウィンナ・オーボエが悲しげに奏しているのが象徴的だろう。

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情熱的に第2主題を変形する錯綜とした内声進行(211小節)もすさまじい。身をよじるように楽節をうねり回し、生の感情をぶつけてワルターは混沌の中でもがき、苦しみ、のたうちまわる。

sv0081o.jpg断末魔のような金管のあえぎと、告別を告げるホルンが聞こえると、〈おお、過ぎ去りし若き日々よ、消え去りし愛よ〉のロマンティックな一節が独奏ヴァイオリンで奏される。

結尾の独奏とともに、ポルタメントをかけて、したたるような音色を聴かせるウィーンフィルの甘美な弦に酔わされてしまうのは筆者だけではないだろう。独奏をつとめるのは、コンサート・マスターのアルノルト・ロゼ(1881~1938年在籍)。

ロゼもまた数名の楽員と共に演奏会の後にウィーンを脱出したが、その娘アルマ・ロゼ(母はマーラーの妹ユスティーネで名前はアルマ・マーラーに由来)はアウシュビッツ収容所に送られた。大作曲家の姪で、ヴァイオリニストだったことから収容所では女性オーケストラを結成して演奏していたが、病に倒れてその生涯を終える。

sv0081g.jpg「最大のゲヴァルトで」と記されるペザンテ(308小節)の頂点も聴きどころだ。

ここでは管弦の爆発的な強奏がすさまじく、トロンボーンの絶叫、地を揺るがすティンパニの最強打、えぐるような金管のリズムの中を、死神が進軍ラッパを轟かす。

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肉を切り裂くような弦の呼応も悪魔的で、ナチス軍の虐殺の恐怖におののきながらもワルターは勇気を振り絞り、強い意志を込めて主題再現を歌い上げるところが感動的である。熱っぽく演奏する器楽的カデンツァも表現主義の塊といってよく、巨木のような歩みに激情をまじえ、ワルターとオーケストラが一丸となって演奏するさまは圧巻である。


第2楽章 ゆったりとしたレントラーのテンポで
sv0081h.jpg第1レントラーは遅いテンポではじまるが、弓の根本から喰らい付く奏法や、低音をガンガン響かせて武骨に歌うのがワルター流。一転して第2レントラーは速いテンポで走り出す。  TOCE16294 [2013年]

リズムは切れ、金管も雄弁でゾクゾクするような疾走感に加え、狂気性もアグレッシヴに打ち出している。ウィーンの典雅な気分を湛える第3レントラーも聴き逃せない。木管のエレガントなトリルやニュアンスを込めたリタルダンドが心憎く、ワルター=ウィーンフィルの妙諦を開陳したものといえる。

sv0081i.jpgクライマックスの〈死の舞踏〉(423小節)は気違いじみたテンポで荒れ狂う。

土俗的なリズムを叩き込み、アンサンブルの乱れもなんのその、狂ったように歌い、踊り、叫ぶさまは驚異的で、皮肉どころかナチスを軽蔑し、唾を吐いてあざ笑う。

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ガイスバーグによると録音時、ワルターはあまり自信がないように見えたし、演奏が終わった後、ウィーンフィルの弦楽器奏者のひとりがやって来て「ワルターはダメだ。レントラーのところで彼は何も出来ず、ただオーケストラについてきただけだ」と言ったという。オーケストラがここまで指揮者のケツを叩いて暴れさせたのなら大したものだ。


第3楽章 ロンド=ブルレスケ、アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に
sv0081j.jpg道化的なスケルツォは気魄に充ち満ちている。つんざくようなピッコロの軋み、調子っぱずれのクラリネット、目まぐるしく狂奔する〈メリー・ウィドウ〉など、前のめりになって突進する切迫感は、ヨーロッパの崩壊という地獄へまっしぐらに向かってゆくかのようだ。

突撃隊のような2重フゲッタや急迫的な〈パンの動機〉もテンポが落ち着かずアンサンブルが半ば崩壊しているが、6度跳躍動機(311小節)で炸裂するウィンナ・ホルンの野太い音が大きくものをいう。  amazon  HMVicon [Naxos 8.110852]

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sv0081k.jpg強烈なシンバルの一撃によって悪魔を蹴散らす〈天上のエピソード〉も殺気だっており、キリリと引き締まったカンタービレでドラマチックに歌い上げている。

コーダはワルターが「ここぞ」とばかりに荒ワザを仕掛けて、猛烈にオーケストラを駆り立てる。ピウ・ストレットからプレストへアクセルを踏み込む“決めどころ”はいきり立つように指揮者の熱き血が噴出。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [オーパス蔵 OPK2060]

「いかにも若き日のワルターらしく、実演のせいもあって、フルトヴェングラーも顔負けといえよう」(宇野功芳氏)。惜しむらくは、テンポ・プリモ・スビトの538小節からアッテネータがかかり音量レベルが突然下がるためにオーケストラが遠くなり、実在感が薄れてしまうことである(東芝盤はこの落差が少ない)。


第4楽章 アダージョ
sv0081l.jpgこの演奏のキモは間違いなく終楽章にあろう。18分という極めて速いテンポで奏者全員が心の底から祈りにも似た歌を弦楽を主体に耽美的に、しかも力強く歌い上げてゆく。

特筆すべきは全盛期のウィーンフィルのもつ弦の美しさで、とろっとした厚みのある豊饒な音が録音を通り越して聴き手の耳を捉えて離さない。

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アインザッツのずれや、コクのあるフレージングの妙味はもとより、弓に圧力をかけ、前のめりになって「ぐいぐい」弾き進めるところは、切羽詰まった緊迫感が生々しく伝わってくる。もってりと、甘い香りを漂わせるロゼの独奏ヴァイオリン(40小節)は、崩壊が間近に迫った世紀末的な脆さすら感じさせるではないか。
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「ワルターはあくまで耽美的に、嫋々と旋律を歌い上げる。旋律の段落におけるいわゆる“absetzen”(瞬間的に音をとめ、間をつくること)の絶妙さはため息がでるほどで、それはワルターといえどもこの時期のヴィーン・フィルとの協演においてのみ、かくも成功のうちになしとげることのできた演出法ではあるまいか。オーケストラはほとんど1人の声楽家のように息を吸い、止め、静かにあるいは強く吐く。このような指揮法がもはや今日の感覚ではないけれども、ワルターがこういうスタイルの奥義をきわめた人であることはたしかで、とくに〈第9〉と〈第5〉のアダージェットにその典型が聞かれる想いがする。」 柴田南雄著『レコードつれづれぐさ』より、音楽之友社、1976年)


sv0081n.jpg原調にもどるモルト・アダージオ・スビト(49小節)もコクのある弦楽の重量感に揺るぎはなく、旧時代的な「こてこて」の表現主義のもと、ワルターは浪漫の香りに強固な意志を込めながら、“奇跡の熱演”が繰り広げられてゆく。  TOWER RECORDS  HMVicon

“惜別の涙”ともいうべきオーボエと独奏ヴァイオリンのデュエット、ホルンの寂しげなエコー、感傷的なエピソードの味わいも格別で、「そこに一種のあきらめに似た感情、絶望的とかペシミズムといっては消極的に過ぎるとしても、どこか悲しげで淋しげな感情が底に流れている。」(柴田南雄氏)


sv0081m.jpg最後のクライマックスはロンド主題の再現部にやってくる。第1と第2ヴァイオリンが高いユニゾンでぶつけるシンコペーションの決めどころ(122小節)は生への希求を刻印した“魂の叫び”といえるもので、シンバルを力の限り叩き込み、強烈なグリッサンドを付けて綿々と歌い上げるさまはバーンスタイン顔負けの激情が迸る。

TOWER RECORDS  HMVicon [KSHKO-52]

ホルンを抑え気味に、トランペットを突出させて高揚するところや、「死に絶えるように」のエンディングをppではなくpで奏するあたりも、諦念の境地というよりは、生への痛切な願いが込められている。「彼はこの世に訣別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けいる白雲のようである。」(ブルーノ・ワルター)

ワルター黄金時代の記念碑で「惜別の歌」ともいうべき、いつまでも大切に聴きたい永遠の一枚だ。

《付記》 音盤について
SPはかつて日蓄(ニッチク)から戦時中に発売(1943年7月)されたが、この日本プレスは原材料の不足による粗末な盤質で、しかも外盤のSPからのダビングだったという。1973年にGRの復刻LP(GR2255/6)が東芝から発売されるに至って高い評価を得たことは、柴田南雄氏や「ワルターが遺したすべてのレコードに冠絶する名盤中の名盤」「第9のすべてのディスクの中でも飛び抜けてすぐれた傑作で、これさえあれば他の盤は要らない」とまで言わしめた宇野功芳氏の著作によって知ることが出来る。

筆者は復刻CDをいくつか買い漁ってみたところ、リマスターの違いによって音が微妙に違うことがわかったが、オーパス蔵盤、ナクソス盤、ダットン盤など、本家以外からも復刻CDが発売されるに及んで、どの盤をチョイスすべきか、愛好家にとって悩ましいところだろう。筆者が一番聴きやすいと思ったのが巷の評判が高いダットン盤。ノイズがほとんどなく音に自然な拡がりと伸びがあり、しかも生々しく次元の異なる音である。

アメリカ・プレスのSP盤から復刻したオーパス蔵盤も捨てがたく、針音はあるがヴェールが取れたように鮮明で生々しい音に驚かされる。1943年発売のニッチクSP(未通針)から起こされたKSHKO-52はノイズがほとんどなく盤質がきわめて良好。掘り出し物は東芝盤のTOCE7828で、音が太くしっかり聴き取れて残響も自然で心地よく聴ける。ワーナー盤(新着マスターによるart処理)は音が丸くなって高音の粗さがあまり気にならない。また、TOCE番号の東芝盤は第3楽章終わりの音量レベルの低下が顕著に感じられない。


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[ 2016/12/10 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)

ショルティ=シカゴ響1977年来日公演のマーラー交響曲第5番

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マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調
ゲオルク・ショルティ指揮
シカゴ交響楽団
Sir Georg Solti, conductor
Chicago Symphony Orchestra
Date: 1977.6.20 19:00
Concert Venue: 0saka Festival Hall
Seat : Floor-1 Row-Z3 No-62


筆者がもっとも強い衝撃を受けたコンサートといえば、1977年のシカゴ交響楽団の初来日公演での演奏だ。忘れもしない6月20日、大阪フェスティバルホールで聴いた演目は、前半にモーツァルト《ジュピター》、後半にマーラーの交響曲の中でも難曲として知られる交響曲第5番だった。マーラー交響曲第5番は、ショルティがシカゴ響の音楽監督に就任した最初のシーズン(1969年11月)の定期公演プログラムに取り上げた作品で、このコンビのいわば看板曲。

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レコーディングはこの直後に行われたが、その真価を問うニューヨーク公演(1970年1月)でも《第5番》が取り上げられ、ニューヨーカーの度肝を抜かしたという。この時の演奏は後生の語りぐさになるほど衝撃的で、定期演奏会を社交儀礼の場から音楽的体験の場に変えた一大事件であったことが伝えられている。終演後は聴衆全員が起立して喝采を送り続けたという。

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「始めてツアーをおこなったとき、ニューヨークのカーネギーホールで演奏したのもこの作品だった。私たちはまだ未知数の存在だったから、ニューヨーカーがどう反応するかいささか不安だった。終楽章を演奏し終えたとき、聴衆は総立ちになり、まるでロック・コンサートのような叫び声があがった。喝采は果てしなくつづいた。私たちの演奏が彼らを虜にしたのだ。あれほどの熱狂ぶりはそれまで経験したことがなかったし、今後もないだろう。」 ゲオルク・ショルティ著『ショルティ自伝』、木村博江訳、草思社、1998年)


「シカゴ交響楽団はすばらしいオーケストラである。暖かく輝くばかりの音を持ち、信じがたいほど柔軟で、しかもバランスがよい。フィラデルフィア管弦楽団の逸楽的なほどの豊麗さとクリーヴランド管弦楽団のぜい肉のとれた効率との中間をゆく音だ。低弦の豊かさがアンサンブルをよく支え、金管部門も最高である。この伝統ある楽団がふたたび実力を発揮したのも、すべてショルティの功績にほかならない。ショルティは今や世界第一級の指揮者の1人にのし上がろうとしている。わたしは、なぜ最近シカゴの批評家がニコニコしているか、その理由が今わかった。」 『ミュージカル・アメリカ』誌、P.J.スミス氏の評)


「バーンスタインやブーレーズの下での、いわばヨーロッパふうの柔軟なNYフィルをきき慣れているニューヨーカーの耳に、堅固な鉄壁のようなシカゴ響とショルティはさぞすばらしくきこえたであろう。たしかに聴こえ栄えのする奏法であり、そのことが、ショルティをレコードの賞をもっとも多く取得している指揮者にさせてもいるのだと思う。急速の楽章のみごとさは言わずもがなだが、むしろ、〈アダージェット〉の弦のフレージング、その大きな息づかいに、ワルター以来のマーラー像を見る思いがした。」 柴田南雄著 『名演奏家のディスコロジー曲がりかどの音楽家』より、音楽之友社、1978年)


sv0027e.jpg大阪での演奏は単に「すごい」といえる次元のものとは異なり、およそ信じられないような驚異的ともいうべきシカゴ交響楽団の圧倒的なサウンドに、「これがオーケストラというものか!」と筆者は驚嘆した。会場に居合わせた3千人足らずの聴衆は固唾を呑んで演奏を聴き、筆者も五感を総動員して、この想像を絶する音楽体験を逃すまいと身を乗り出して、舞台にむしゃぶりつくように聴き入った。

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看板奏者の発するトランペットのファンファーレからロンド・フィナーレまでの65分というもの、筆者は体中に電流が走ったように震え続けていた。威厳に充ち、壮麗なブラスと大砲の砲撃のような打楽器が轟く第1楽章の葬送行進曲、肉厚の弦がうねるように躍動する第2楽章、透明な弦の響きとオバケのようなホルンの音に腰を抜かした第3楽章を経て、「ずしり」と重量感のあるアダージェットが纏綿と奏でられると筆者の興奮と感動は頂点に達した。


sv0027f.jpgそして終楽章のロンド・フィナーレ。肉体的な興奮を喚起するようなショルティの活力のある指揮ぶりは圧巻で、筋肉質で強靱な音塊が襲い掛かってくるような急迫的な結びの一撃のあとに、静寂を突きやぶる「お~~~~~」という歓声が瞬時にフェスティバルホールにあがった時は信じられなかった。一瞬、何事かと思ったほどで、同じ年に聴いたベルリンフィルやレニングラードフィルでは見られなかった異常な光景だった。聴衆の誰もが完璧すぎる演奏と音響の凄まじさに絶句し、放心状態で会場をあとにしたことだろう。

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何よりも驚いたのは、会場で聴いたマーラーの音楽は、レコードと寸分違わぬ音で鳴っていたことだった。セッションで仕上げた録音と同じに聴こえるはずはないのだが、各声部がレコードのように、明瞭に浮き立って聴こえてくる歯ごたえのある音楽は、まるでスコアを克明に音化したような輝かしい機能美にあふれていた。

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後に、コンサートもレコーディングも基本的なコンセプトに変わりはないとするショルティの言に“わが意を得たり”と膝を打ったものだった。これまで、レコードでしか聴けなかったシカゴ交響楽団がヴェールを脱いだまさにその瞬間に居わせることが出来たことは、筆者にとって貴重な体験だった。

「マーラーこそままさに青天の霹靂であり、全曲演奏が終わった時、拍手と歓声以前に、“オー”といった感嘆のため息が聞こえたような気がしたほどである。そしてベルリン・フィルに匹敵するヴィルトゥーオージ・オーケストラの登場を実感したものである。ショルティ65歳の時の奇跡といいたいコンサートだった。」 「衝撃の来日公演~その記録と記憶」より諸石幸生氏による~『レコード芸術』通巻第663号、音楽之友社、2006年)


「正確無比なアンサンブルと輝かしい響きは有無を言わさぬ説得力を有し、アタックの効いた音の立ち上がりは耳に突き刺さんばかり。ショルティのマーラーはレコードで体験していたが、ナマで聴いてみるととても恐ろしいものだと感じ入った次第である。終演後の客席の沸き方はすさまじかった。日本でのショルティの名声が確立された瞬間ではなかっただろうか。」 ショルティ/来日公演の衝撃」より岡本稔氏による~『レコード芸術』通巻第687号より、音楽之友社、2007年)


「終楽章が、終わりに出現するコラールのクライマックスに向けての壮大な行進として構成されているのは、いうまでもないことだ。そのクライマックスの造成で私は、かつてショルティがシカゴ交響楽団を指揮して、東京でこの交響曲をやった時の筆紙につくし難いような盛り上がりを忘れることが出来ない。あの時のは、まるで大洪水の時の川の氾濫みたいに限りなく力強く、どんな抵抗も許さないような圧倒的な勢いでおしよせて来た末、そこから金色に輝く巨大な像が目の前に立ちふさがったみたいにコラールが鳴り響いてきたような演奏だった。」 『世界の指揮者』より、吉田秀和コレクション、筑摩書房、2008年)


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ショルティはインタヴューの中でシカゴ交響楽団について次のように語っている。

「私は、音に対する絶対的なイメージがあって、どこのオーケストラに対してもそれを追求します。音の透明感、バランス、強弱、リズムといったものをとても大切にしていますが、このオーケストラは私のイメージ通りに共鳴してくれるのです。私は音がずれることを嫌います。そういうことを好むオーケストラもありますが、私は明瞭で正確であることを求めます。私たちの関係は、皆、3年もたないだろうと言われてきました。シカゴに3年いたら死んでしまう。ある記者が就任時に私を歓迎する記事を書きました。〈3年契約したその勇気に感服します! ここは指揮者の墓場として有名な町だから〉 でも私は今日までもちこたえました。もう墓場も怖くはありません。」


sv0027g.jpgこの時の公演で関係者を驚かせたのは、各地の公演では事前のリハーサルがなく、ぶっつけ本番で演奏が行われたことだった。7日から24日までの公演で演奏がないのはわずか3日だけ。その間に各地を移動してまわるハードスケジュールだったために事実上練習が出来ず、音響効果の異なった会場で演奏するのはほとんど冒険に等しかった。しかしリハーサルなしに演奏することは、この楽団にとってさほど大きな問題ではなかったらしい。

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東京公演ではチャイコフスキーの《悲愴》交響曲で楽員がその一部を失敗し、あとからショルティに謝罪したしたことが伝えられた。ショルティは「あまり気にしないように」と楽員をやさしく慰めたという。鬼軍曹の風評は単なるウワサに過ぎなかったのだろうか。

「プロの耳で聴けば分かっても一般の人には気がつかないくらいのところで、非常に演奏のむつかしい部分です。私たちは、日本のオーケストラと同じようにアンビシャス(高い水準を目ざしている)なのです。私は、むつかしい曲を演奏するときは、スマイル(微笑)をしてから指揮に入るよう心掛けています。」(ショルティ談)


sv0027h.jpgショルティはオーケストラを建築にたとえ、指揮者の立場から、各パートの均衡と明確な音の表現を第一に考えているという。「それを実現する秘訣はこれですよ」と自分の大きな両耳を指して笑ったと、当時の新聞記事は伝えている。

ショルティ=シカゴ交響楽団は1986年の日本公演でもマーラー交響曲第5番を演奏し、3月26日の東京文化会館でのコンサートのもようはオンエアされたから、こちらの演奏が記憶に残っている人も多いだろう。評論家でマーラー指揮者である金子建志氏がインタヴューで次のように語っている。

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「なんつぅても、ショルティのレコードが完璧ですからね、前回来たときは聴き逃しちゃったんで、生でどれくらいできるのか確かめてみたいですネ。とくにハーゼスがいかにトランペットを完璧に吹くのか楽しみです。それからシルキーな弦も楽しみで、何しろベルリンフィルとトップを争っているオーケストラですから、生で聴いたらどうでしょうか?」


「一番の見モノはショルティの指揮で、彼は“肘で全部ぶちこわす”ってベルリンで批評されているわけ。ところが、シカゴ響はそういうショルティの奇妙な動作に全然反応を示さないんですね。ショルティがいくら暴れても綺麗なレガートで弾いちゃうんで、そのあたりも確かめてみたいです。」


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どういうわけか、ショルティという指揮者は日本ではあまり人気がない。来日公演でもショルティを聴きたいからではなく、シカゴ交響楽団を聴きに来たというファンが圧倒的だ。公演を聴きに来た聴衆からも次のような声が聴かれた。

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「とにかくアメリカのオーケストラが大好きでよく聴きに来るが、シカゴ・シンフォーニーはその中でもピカイチで、もっともパワフルなオーケストラであることが聴きに来た最大の理由。もう1つはショルティはあまり好きな指揮者ではないが、年齢から考えると今回が最後だろうということ、そして演目が一番評判の高いマーラーの5番であること!」

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あまりにも衝撃的だった1977年ショルティ=シカゴ交響楽団の来日公演。37年前の思い出はいくら紙面を費やしても語りつくせるものではないが、筆者にはショッキングな事件ともいうべき生涯忘れ得ぬコンサートだった。

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[ 2014/11/09 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)

朝比奈のマーラー/交響曲第9番

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マーラー/交響曲第9番ニ長調
朝比奈隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
Recording: 1983.2.15 Festival Hall, Osaka (FIREBIRD)
Producer: Motohiko Takawa
Engineer: Hatsuro Takanami
Length: 86:18 (Digital Live)
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キングレコードから発売された〈ベリーベスト・クラシック1000〉と題したシリーズは、ドイツ・シャルプラッテンを中心とした珠玉の名盤が安価で入手出来る嬉しい企画で、中でも朝比奈指揮大阪フィル(ファイアバード・レーベル)の録音が筆者の目をひいた。ここには“3大B”以外の、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、マーラー、ワーグナーといった、朝比奈のいわば“裏レパートリー”が収められている。

sv0021f.jpg80年代初頭の朝比奈は、東京ではまだ一握りの熱烈なブルックナー・ファンに支持されていたに過ぎず、“大阪の田舎侍”と評されたように、一般的にはまだその実力が広く認知されたものとはいえなかった。筆者が東京の友人に「オッサン=大フィル」を自慢げに話すと、なにやら“怪しげなB級指揮者”のイメージを持たれたものである。

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この一連のライヴ・シリーズは、朝比奈特有の重厚で骨の太い“大フィル・サウンド”が完成した時期のもので、大フィルのホーム・グラウンドとして使用してきた大阪フェスティバルホールで収録された録音は、響きがデッドであることや近接マイクによって、弓使いが見えるように生々しく捉えられている。

sv0021j.jpgブルックナー指揮者の朝比奈(以下オッサン)にとって、マーラーの交響曲は意外なプログラムと思われるかもしれないが、1970年代から定期演奏会でマーラーを積極的に取り上げていた。記録によると、第9番は大フィルとは73年、75年、83年と3度演奏されており、この録音はその最後にあたる第190回定期演奏会のライヴ録音である。

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「それにしても朝比奈と大阪フィルの緻密な音造りに驚かされる。 冒頭の第1主題からデリケートで美しい。第2主題の爆発の後の第1主題の再提示は、実に悠々たる足取りだ。展開部中間の頂点は、エンジンがかかるのが遅めだが立派な造形。中間楽章は少しリズムが重い箇所もあるものの、丁寧に彫琢されている。圧巻は終楽章。主題から心のこもった歌でとても美しい。ゴウゴウというバスも朝比奈ならでは。分厚い頂点も聴きもの。」 横原千史氏による月評、KICC3557~8 『レコード芸術』通巻第723号、音楽之友社、2010年)


「音楽の輪郭をくっきりと描き出す朝比奈のタクトには、この巨匠ならではの芸術、独自の世界を形作る力がひしひしと感じられる。第3楽章の木管のグリッサンドなど、朝比奈ならではの解釈ももちろん健在。ライヴということで、いささかのアンサンブルの乱れなどが散見されることは、やむを得ないところだろうが、この時期の朝比奈の充実ぶりの記録としては、録音の意義は大きいとも言えよう。」 岡部真一郎氏による月評より、KICC158~9、『レコード芸術』通巻第535号、音楽之友社、1995年)



第1楽章 アンダンテ・コモド
sv0021b.jpgため息のような第1主題を太い音でしっかりと奏でてゆくところが朝比奈流で、たっぷりと響くホルン、内声に厚味を持たせた3声の主題確保(18小節)、豪快にうねり回す第2主題(29小節)など、早くも炸裂する「朝比奈節」に聴き手はぐいと引き込まれてしまう。ガッシリとシンバルを叩き込み、踏ん張りを入れて第3主題を絶叫する場面(92小節)は、腰は重いが音楽はすこぶる豪快で、野武士的なスタイルといえる。

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暗澹たる気分が戻ってくる展開部(108小節)は、ぶっきら棒なティンパニの強打や低音弦のピッツィカートに度肝を抜かされるが、バスクラリネットの呻り、ホルンのゲシュトップ、チェロの「悲歌」と弦の半音階進行によって、オッサンは死の恐怖を生々しく描き出す。Jシュトラウスのワルツ〈人生を楽しく〉を引用した第1主題(148小節)のシコを踏むような歌わせぶりはいかにもオッサン流。てんこ盛りするチェロの対声や嫋々と奏でるオーボエが“浪花のエレジー”をこってりとつむいでゆく。

sv0021g.jpg聴きどころは、第3主題を展開するアレグロ・リゾルート(174小節)。ティンパニをドカドカと叩き込んで殴り込みをかけるところは“赤穂浪士の討ち入り”のようで、オッサンは錯綜とした管弦の綾を腰を据えてどっしりと捌いてゆく。リズムは甘く、極端におそいテンポに胃がもたれてしまうが、慌てず騒がず、ブルックナー交響曲のように実直に音を積み上げて厚味を増してゆくあたりはオッサンの面目躍如たるところだ。

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急速な下降によって聴き手を奈落の底に叩き込む第3主題や、複雑な内声を練り回すような第2主題の豪快な棒さばきはブルックナーで鍛えた“大フィル・サウンド”が全開。呻き、喘ぐようなトロンボーンに、ホルンが〈告別ソナタ〉(引用)を重ね合わせる場面は慟哭が極まった感があろう。

sv0021c.jpg展開部後半は、息も絶え絶えの死の淵で、オッサンが女学生にモテモテだった若き日を懐かしむかのように、独奏ヴァイオリンの甘い香りで聴き手を包み込む。独奏を受け持つのは1980年にオッサンが名古屋フィルから引き抜いた稲庭達と思われるが、しみじみと奏でる第1主題がじつに感動的だ。しかしオッサンは旧懐の情に溺れない。第3主題を力強く駆け上がり、破局のクライマックスに雄渾に対峙。死がおとずれる場面ではトロンボーンの〈リズム動機〉をぶつけながら、葬列を威勢よく大股で歩んでゆくのがおもしろい。

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第1主題を太く逞しいスタイルによって熱っぽく盛り上げてゆく再現部(347小節)も聴き応えがあり、懐かしいホルンの第3主題(コーダ)によって、あたかも闘いを終えた英雄の回想のような、どこか満足げな気分で締めるあたりは、オッサンの“豪傑ぶり”を伝えてあますところがない。


第2楽章 ゆるやかなレントラー風のテンポで
sv0021d.jpgオッサンは3種の舞曲の小賢しい描き分けなぞ行わず、一筆書きの大きな流れで楽曲を捌いてゆく。レントラー風の楽想は、まさに地でいく野暮ったさで、オーケストラの反応は鈍いが変奏部でチェロとバスが刻むリズム打ち(40小節)が「ズンズン」と腹に響いてくるところに腰を抜かしてしまう。

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テンポを早めたウィーン風のワルツ(第2レントラー)も腰が重く、田舎臭さ丸出しだ。「がつん」とティンパニを叩き込んで猛々しく突進するところが痛快で、対位的なトロンボーンの挿句(148小節)の骨張った威勢の良さもオッサンならでは。第3レントラーも優雅さなど微塵もなく、引きずり回すようなフレージングはかなり乱暴である。

ワルツの再現(261小節)も勇ましい。大きな屁を一発かますようなバス・トロンボーンの一撃(294小節)に仰天するが、ワルツが「死の舞踏」となるテンポⅡ(423小節)にいたっては、「どすこい!」と楽団を駆り立てて突き進むさまは太っ腹の親方そのもの。リズムはぴたりと決まり、トロンボーンの対位を「バリバリ」とぶちかます骨っぷしの強さはオッサンらしい男気に充ち満ちている。


第3楽章 ロンド=ブルレスケ、アレグロ・アッサイ
sv0021e.jpg信号ラッパではじまる道化的な「死の舞踏」はゴツゴツとした感触が全曲を貫き、どっしりとした重みのある音楽が独特の緊張感を孕んでいる。管楽器セクションの踏み込みの脆さや、アンサンブルのキレの甘さなど、このコンビの泣きどころも随所にみられ、〈メリー・ウィドウ〉を引用した副主題(109小節)や2重フゲッタ(209小節)など、もっと“えぐり”を効かせて欲しいところもあるが、誇張やデフォルメを廃してスコアの音を地道に積み上げてゆくのが朝比奈たるゆえんだろう。

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シンバルの一撃とともに天使が舞い降りた気分になる天上のエピソード(347小節)は、コクのある歌わせぶりが特筆モノで、弦の気持ちの悪いグリッサンド(421小節)や、ずっこけたような木管のグリッサンド(497小節)など、不器用なオッサンの繰り出す“迷人芸”にも大拍手。

ストレッタ風になるフィナーレ(617小節)は、まるで畦道に足を取られたように荷馬車が思うように動かず、オッサンが泥にまみれて奮闘するさまが伝わってくる。狂乱のプレストではガス欠のオーケストラがなんとか重い腰をあげるが、急迫感を得られぬまま撃沈して、最後はオッサンの腕力で押し切った木訥豪毅なフィニッシュといえる。


第4楽章 アダージョ
sv0021h.jpg重厚な大フィル・サウンドを堪能させてくれるのがアダージョの音楽だ。ここでは大フィル自慢の弦楽サウンドが、ツボにはまったように豊かに鳴り響く。内声部に深々と弓を入れて厚味をもたせ、低音の底鳴りをくわえて「ぐい」と弾き抜く筆圧の強さは、まさに“一弓入魂”「ガンガン行け!」と叱咤しながら拳を震わせてヴィオラを響かせるオッサンの姿が目に浮かんでくる。

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驚くべきは「ごりごり」と呻りをあげて重低音を轟かせるコントラバス・セクションで、近接マイクによって、目の前で弓を擦っているような生々しさがある。オッサンは弦楽器にも管楽器にも大音量を要求したというが、とくに弦楽器のボウイングにうるさいオッサンは、弓の限界を超えたところで「もっと長く弾け!」と無茶な注文を出すこともしばしばだったという。

「デーやん、バスに音程なんかおまへんで。ただゴーッと鳴っとったらええんや。」 関西のオーケストラから、バスの音程が聴き分けられるようになったのはフィラデルフィア管弦楽団が初来日した頃からである。 出谷啓著『クラシックこの演奏家を聴け!』より、音楽之友社、1996年)


sv0021i.jpgオッサン=大フィルが本領を発揮するのが原調にもどる第3変奏(49小節)から。ここでは入念に練られた極上のサウンドによって、深みとコクを増してくるところが大きな聴きどころで、対位的な重層感を増す第5変奏(モルト・アダージョ)など、オッサンがマーラーの音楽をむんずと鷲掴みにして、ブルックナーの世界に引きずり込むような有無を言わせぬ説得力がある。
ホルンとトロンボーンが回音を絶叫し(70小節)、ホルンが強烈なヴィブラートをかけるウルトラCも飛び出すが、頂点に向かって力強く歩を進めるオッサンの気魄に圧倒されるのは筆者だけではないだろう。

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最大のクライマックスはロンド主題にもどる第8変奏(107小節)。対位的な弦を織り上げながら、がっつりとトロンボーンの回音を轟かせ、高弦のシンコペーションをぶつけて軋むような音を立てる〈リズム動機〉(122小節)の緊迫感は圧巻で、人生の場数を踏んできたオッサンならではの壮絶な“男の闘い”といえる。

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コーダの仕上げも入念で、この世に訣別する湿っぽさなぞ微塵もなく、オッサンはどこか満足げな安堵感すら漂わせて全曲を締め括る。「んん、この曲には不吉な終わりとか不幸せな終わりという感じがしないんじゃ。これは一種のメタモルフォーゼであって、いろんな事があったけど、すべては悠久の調和の中に消えていくという感じを持ったから、聴いている人は暗い感じを受けなかったんじゃろう。(朝比奈談)」 荒削りだが骨っ節のあるスタイルで貫いた朝比奈入魂の一枚だ。


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[ 2014/09/04 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)

プレヴィンのマーラー/交響曲第4番

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マーラー/交響曲第4番ト長調
エリー・アメリング(ソプラノ)
アンドレ・プレヴィン指揮 ピッツバーグ交響楽団
Recording: 1978.5.15/16 Heinz Hall, Pittsburgh
Producer: Suvi Raj Grubb (EMI)
Balance Engineer: Michael Sheady 
Length: 59:31 (Stereo)
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タワレコ企画で復刻されたこのディスクは国内盤としては初出で、わが国ではLP時代には発売されなかったものである。オクラになっていた理由はつまびらかではないが、プレヴィンがセッション録音した唯一のマーラー作品であることから一聴の価値があろう。

ここでは、まるでメンデルスゾーンの劇音楽のように、指揮者が語り部となって童話のようなメルヘンの世界に聴き手を誘っている。そこには喜びの裏にひそむ死の不安や諧謔味には乏しいが、楽想の変転を巧みにさばきつつ、浪漫やファンタジーを十全に紡ぎ出してワクワクさせてくれるのが最大の聴きどころ。

「当時の録音の傾向もあって、音響バランスがスタジオで映画音楽を収録しているみたいで、個々の楽器がクローズ・アップされ過ぎなのは確かだが、プレヴィンはこれが仕事場の常態だったせいか、実に軽やかに振り進んでいく。交響曲から鎧兜を取り去り、ディズニーの世界を先取りしたようなこの野心作は、プレヴィンにとって自分の庭のように思えたのではあるまいか。」 金子建志氏による月評より、『レコード芸術』通巻第730号、音楽之友社、2011年)



第1楽章 ゆったりと急がずに

前打音付きスタッカートのリトネルロ「道化の鈴」からして音楽は楽しげで、陽気に飛び跳ねる道化的な第3句(練習番号2)は、まるで子供が森の中で“おもちゃ箱”を見つけたような新鮮な驚きがある。チェロが伸びやかに歌い上げる第2主題は歌謡的な感興に溢れ、「ここぞ」とばかりにルバートをかける濃密なロマンティシズムに酔わせてくれる。

「道化の鈴」と独奏ヴァイオリンにはじまる展開部(練習番号8)は、童話的な雰囲気が横溢する。森の木霊のようなホルンの叫び(110小節)や4本のフルートが陽気に奏する〈夢のオカリナ〉(練習番号10)は、まるで子供がテーマ・パークでアトラクションに興じるような新鮮な感覚美が示されている。

とくに〈鈴の動機〉による主題展開(練習番号)では、異教的な不気味さは何処へやら、ロマンティックな“夜の森”へとウキウキした気分で歩むところがプレヴィン流。オカルト的な喧噪と混乱は、露店が賑わう夜祭りの気分に置き換えられているのがユニークだ。

その頂点〈小さな叫び声〉の第5交響曲を予示するトランペットの〈葬送ファンファーレ〉は死の恐怖なぞ微塵もなく、第1主題の途中から唐突にはじまる奇妙な再現部(練習番号18)も「あまり難しいことは考えず、楽しく先へ行きましょうや」と肯定的に歩を進めるのがいかにもプレヴィンらしい。


第2楽章 落ち着いたテンポで、慌ただしくなく(スケルツォ)

sv0001b.jpg 「友ハイン(死神)は演奏する」 という戯けた“死の舞踏”をプレヴィンは妙齢のご婦人の手を取って、舞踏会で踊るような朗らかな気分で描いてゆく。死の影は感じさせず、肩肘張らないソフトタッチな音楽運びは純音楽的に練られたものといえる。第2スケルツォでホルンを突出させるバランスもユニークだ。

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トリオはロウ・キイ(軟調)なマエストロ・プレヴィンの独壇場だ。とろけるようなクラリネットと甘美な弦によって、至福のひとときを歌い上げる第1トリオと、まったりとウィーン流に揺れて遊興にふける第2トリオは、ハリウッドで叩き上げたプレヴィンらしいムード・ミュージック的な演出がそこかしこに散りばめられている。

最大の聴きどころはグリッサンドを多様したクライマックス(練習番号11)で、パステル画のような淡く仄かな陽光の中で、“生の歓び”が静かにこみあげてくる心地よさと清新な味わいは特筆モノといえる。

第3楽章 静かに、少しゆるやかに

〈聖ウルスラの笑み〉の二重変奏は、聖女が見まもる揺りかごの中で、甘美な眠りの中に落ちいるような平穏な気分の中で歌われる。 ウルスラ(Sancta Ursulaとは4世紀のブリタニアの王女で、1万1千人の乙女を連れてローマへ巡礼した際にフン族に捕らえられ、ケルンの地で殉教したと伝えられる。

滔々と流れるチェロ、スルDで麗わしく奏でる第2ヴァイオリン、気高く歌い上げるオーボエなど、汚れを知らぬ浄福の境地が音楽に入念に刷り込まれてゆく。すすり泣くようにたなびく高弦の美しさも涙もの。第2主題の悲しみも半端ではなく、深い憂いに沈んだ“嘆きの歌”がウットに交錯する。

変奏部は、楽想の変転を巧みにさばくプレヴィンのツボを押さえた棒さばきが心憎く、アレグレット・スビトからのめまぐるしい曲想の変転は、指揮者が遊園地のジェット・コースーターにのって陽気にはしゃぐ様が浮かんでくる。グロッケンシュピールのリズム打ち(278小節)がオケの猛スピードについてゆけず、完全にズレてしまっているところはご愛敬。


第4楽章 非常に心地よく

〈夢のオカリナ〉主題に基づく4節の歌曲を、アメリングは蜜のような甘さで天上の生活の素晴らしさを歌い上げる。ドイツ語の発音もすこぶる明瞭。きめ細やかにコントロールされた技巧の高さはもとより、天上の歓びに充ち溢れた幸福感と、まったりと逍遙する美声に心ゆくまで酔わせてくれる。1節終わる事に「シャンシャンシャン」と〈鈴の動機〉で場面転換するところは紙芝居を見ているような面白さがある。

「ソプラノはアメリングだ。オン・マイクのせいもあって、美声がよくひびく。発音もくっきりしている。練習番号13からの最後の場面はゆっくりしたテンポが快く、14ではソプラノとヴァイオリンのデュエットになるが、まことに丁寧な仕上がりだ。オーケストラのハープがつねに冴えてものをいう。」宇野功芳氏による月評より、『レコード芸術』通巻第730号、音楽之友社、2011年)


第4節には間奏のあとに、牧歌的な美しい旋律が用意される。ここで伴奏ハープの3連音がギターのような音でボロロンと響かせているのがおもしろく、「天国よいとこ一度はおいで」と猫背の指揮者が手招きしている姿を連想させるではないか。アメリングは「地上には天上の音楽に比べられるものはない」と類い希な美声によって歌い出す。

ここで、聖女の“故事”を引用して高揚する〈ウルスラさま〉の“決めどころ”で、絶妙のグリッサンドを入れるところは“鳥肌モノ”といってよく、「決めてやろう」といった見得をきることなく、ゆたかな肉声で極上のテクニックを開陳する品格の高さに快哉を叫びたくなってしまう。

「聖女チェチーリア様とその一族は類い希な宮廷楽士!」の魅惑的なフレーズにも耳をそば立てずにはいられず、その官能的な歌声は、アメリングが本物の天使になれる希有の歌手であることを伝えてあますところがない。浄化した気分の中で、けだるくたゆたうコールアングレの清楚な味わいも格別である。

音楽マニアには“ボヤけた音”と揶揄されるEMIだが、ここでは以外や、歌唱やヴァイオリン、木管などのソロがオン・マイクによって生々しく捉えられているのも嬉しい不意打ちで、EMIらしからぬ“濃密なサウンド”を堪能出来るのもこの盤のウリといえるだろう。

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[ 2014/02/23 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)