セル=ロンドン響の《水上の音楽》

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ヘンデル/組曲《水上の音楽》(ハーティ&セル編)
ジョージ・セル指揮 
ロンドン交響楽団
Recording: 1961.8 Kingsway Hall, London (DECCA)
Recording Producer: John Culshaw
Engineer: Kenneth Wilkinson
Length: 18:22 (Stereo)
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《水上の音楽》は英国王ジョージ1世(1714~27年在位)が主催したテームズ河の船遊びの際に演奏されたという記録が残っているだけで、作曲者の生前には楽譜が出版されず、自筆譜のほとんどが消失しているために、曲の配列や演奏形態は校訂者や演奏者の判断に委ねられている。

sv0038c.jpgここで演奏されるハーティ版(1922年刊)は、アイルランドの指揮者・作曲家ハミルトン・ハーティ卿が、クリュザンダー版を底本に6曲をチョイス、楽器編成を大幅に増強して近代オーケストラ用に編み直したバージョン。現在では時代遅れのものだがコンパクトに纏められ、フル・オーケストラによる豪奢なサウンドが楽しめる。

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プロデューサーのカルショウは、ヘンデルだから英国のオーケストラを使ったのかどうかは定かでないが、当時のロンドン響はモントゥーが首席指揮者をしていた時代にあたり、世代交代で最良の状態になかったとされる。ここで仕事師セルが起用されたのは“デッカの配剤”といえるもので、セルはハーティ編曲に飽きたらず、自らオブリガートなどを書き加えて改変を行い、演奏効果を高めているのがおもしろい。
 

「昔なつかしいハーティの編曲で(セルの手が若干加わっているが)フル編成のオーケストラによるヘンデルを愉しむことが出来る。セルは相変わらずオケのリズムと響きをすっきりとまとめ上げ、いざとなれば金管をりょうりょうと吹かせて効果満点の指揮ぶりを示す。セルの表現もすばらしい。〈アリア〉〈アンダンテ・エスプレッシーヴォ〉のような、静かでゆっくりとした音楽における豊かな情感はセルとしても異例で、繊細なピアニシモによるロマンティシズムと寂しいニュアンスはまさに抜群、〈アリア〉の遅いテンポなど、現代の指揮者からはもはや決して聴けないものである。」 宇野功芳氏による月評より、SLC8097、『レコード芸術』通巻第346号、音楽之友社、1979年)


「大編成オーケストラがどっしりとしたテンポ、がっしりとした造形で、それこそめいっぱいに鳴り響く、いわば総太字体のヘンデル。近年のピリオド楽器演奏に慣れた耳にこそ、絶対に聴かねばならない音源。70、80年代のヤワな室内オーケストラ演奏よりは数倍もよいし、面白い。編曲版であることを除いても、とても同一の作品とは思えないほどに、解釈が著しく異なるからである。」 安田和信氏による月評より、UCCD7115、『レコード芸術』通巻第620号、音楽之友社、2002年)


第1曲 アレグロ、ヘ長調
4本のホルンと5部の弦が豪快にかけ合う鳴りっぷりの良さに、のっけから度肝を抜かされてしまう。低音弦が地鳴りをあげるように「ずしり」とした腰のある響きは、まぎれもなく“デッカ・サウンド”。ホルンや木管と歯切れ良く呼び交わしながら、ひたひたと押し寄せる弦の生々しい躍動感は比類がない。

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sv0038b.jpg中間部は弦楽アンサンブルを整然と展開するところが聴きどころで、マルカートの8分音符をぐいぐい押し込んで、ジョコーソの弾むような調子の主題を端然と弾きぬくところも“必殺仕事人”セルの面目躍如といえる。

圧巻はホルンが強奏する再現部。「ここぞ」とばかりに音を割ったホルンがフォルティシモで連呼し、弦楽がすさまじい勢いをつけてジョコーソ主題へ駆け上がる頂点は、この曲最大の聴きどころといってよく、管弦の目の覚めるような鮮やかなサウンドが聴き手の耳を刺激する。

リズムの目がぴしゃりと揃ったオーケストラのヴィルトゥオジティにも快哉を叫びたくなってしまう。  amazon  TOWER RECORDS 【SHM-CD】

「セルには、楽員たちと人間的関係を築く理由がなかった。彼は彼の職務を遂行し、彼らは彼らの職務を遂行したというにすぎない。叫んだり怒ったりすることもなく、必要なこと以外は一語も口にされなかった。一人あるいは一つの楽器群があるパッセージをとてもうまく演奏したときでも、その報酬は微笑みがせいぜいだった。セルを前にしたオーケストラがいつもより優れた演奏をしたのは、彼が怖いからではなく、その音楽的才能と没入ぶりに応えたからである。」 ジョン・カルショー著『レコードはまっすぐに』より、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005年)



第2曲「エア」アンダンテ・ウン・ポコ・アレグレット、ヘ短調
sv0038q.jpg“編曲魔”で知られるセルの本領をいかんなく発揮したのがアリア。ここでは付点リズムを弾まず、遅いテンポでウェットにたゆたうロマンティックな語り口に魅せられてしまう。4小節の単調なフレーズの繰り返しに情感をしっとり込める淡きリリシズムが印象的で、詠嘆調の切分音や、すすり泣くようなピアニシモなど、セルらしからぬ奥の手を開陳する。

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ヘ短調の中間部は木管のアンサンブルにチェロがメロディの一部を増強し、フルートと弦楽の後半にはホルンのオブリガートをくわえて、コクのある響きを実現する。「ここは君たちがずいぶんと暇そうだから、仕事をつくってやったんだぞ。感謝してくれたまえ。」ありがた迷惑の楽員をよそに、スカスカの楽譜に眼鏡を光らせるセルの声が聞こえてきそうだ。

「スタジオでのセルは、とても実務的だった。ミスは絶対にしなかったが、潔癖主義でもなかった。ストコフスキーのような恣意的で過激な改変はしなかったけれども、音楽の印象を誤らせる部分は、何だろうとためらうことなく修正した。」 ジョン・カルショー著『レコードはまっすぐに』より、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005年)



第3曲「ブーレ」ヴィヴァーチェ、ヘ長調
sv0038d.jpg寸分の狂いもない緻密なスタッカートで弾む舞曲は弦楽アンサンブルのお手本といってよく、一点一画も忽せにしない厳格なアーティキュレーションは驚異的である! 「ガッ」と弦を噛むようにアウフタクトから突っ込む低音弦の威力も絶大である。

こんな怪物のような“仕置人“がジョージ1世の時代に突然現れたら、舟上で優雅に演奏していた楽士たちはそれこそ生き地獄のようなしごきにあい、首が次々と飛んだばかりか、漕ぎ手までが細かい指示によってこき使われ、屋形舟がローマ時代のガレー船になってしまったに相違ない。
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第4曲「ホーンパイプ」デリカート・マ・ノン・モルト・ブリオ、ヘ長調
sv0038e.jpgオーボエ、クラリネット2部、ファゴットの4重奏と、弦楽にフルート、ピッコロを加えたセットが交互に対峙する軽快な舞曲を、職人セルはメカニックな拍節感で料理する。
「ミスでも犯そうものなら大変なことになる」という奏者のぴりぴりとした緊張感と、奏者の自由を剥奪してリズムの目をキリキリと締め上げる非情な指揮者の姿が伝わってくる。

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第5曲 アンダンテ・エスプレッシーヴォ、ニ短調
ここでは古風なメロディを奏でる木管の妙技に聴き惚れてしまうが、弱音器を付けた弦楽が柔らかなフォルテで滔々と、琴線に触れるように聴き手を酔わせるカンタービレが大きなご馳走で、曲のツボをしっかり押さえる名人セルの采配が心憎い。

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「彼は毒舌で悪名高く、行く手をさえぎる生物はすべて餌食になるという評判があった。ごくわずかな者を除いて、オーケストラの楽員は彼を嫌っていた。しかし名のある演奏者でさえも、芸術面では彼の欠点を見つけることができなかった。指揮台での彼に温情はなかったが、彼のつくる音楽には温情と柔らかさが、確かに存在した。」 ジョン・カルショー著『レコードはまっすぐに』より、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005年)



第6曲 「アラ・ホーンパイプ」アレグロ・デチーソ、ニ長調
sv0038f.jpg4本のホルンに2本のトランペットとティンパニが対になってくわわる壮麗な〈アラ・ホーンパイプ〉は短めのフレージングを実施して、ピリオド奏法を先取りしたような歯切れの良い音楽を展開する。胸のすくようなホルンと華麗なトランペットが左右から喨々と鳴り響き、シャッキリと弦が応答するデッカらしい立体感のあるサウンドがすこぶる爽快だ。

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トランペットがロングトーンでクレッシェンドする見せ場も華やぎに充ち、筋肉質の逞しい音楽で彩られている。骨格のがっしりしたダイナミックな高音質は、この時代の他社のステレオ録音をはるかに凌駕するもので、これは「顕微鏡で覗いて見るような微細なピアニシモまで克明に録る」といわれた名録音技師のケネス・ウィルキンソンの力に負うところが大きい。

スケルツァンドの中間部は「セル室内合奏団」を思わせる緻密なアンサンブルの独壇場だ。こんな高度な演奏を時の王族たちに聴かせたら、ジョージ1世は飛び上がって驚き、作曲者なぞには目もくれず、自分と同名の凄腕指揮者を高給で召しかかえたことだろう。これを同じくハーティ版で演奏したカラヤン指揮ベルリンフィルの演奏と聴き比べてみよう。

ConductorDateLevelsourceⅠ.Ⅱ.Ⅲ.Ⅳ.Ⅴ.Ⅵ.Total
Karajan1959.12EMIAA51062:335:120:440:463:503:2716:32
Szell1961.8DECCAUCCD71152:286:280:490:544:253:1818:22

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「《水上の音楽》はハリウッド並みのゴージャスなエンターテイメントに満ち、極上の娯楽音楽になっている。」 宮下誠著『カラヤンがクラシックを殺した』より、光文社、2008年)


sv0038g.jpgEMIのゆたかな残響をともなって躍動する壮麗なオーケストラ・サウンドはセル盤と双璧だが、レガートで均らしたぬめるようなフレージングはまぎれもなくカラヤン流。流麗かつゴージャスな〈アレグロ〉、重戦車が滑走する〈ブーレ〉、速ワザの〈ホーンパイプ〉など派手な聴き映えのする演奏で、水上ならぬ《氷上の音楽》といえる。

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“カラヤン節”で「とろり」とやる〈エア〉や〈アンダンテ・エスプレッシーヴォ〉は、甘い香りで聴き手を酔わせるカラヤンの手練れた歌わせぶりが鼻に付くが、繊美なアーティキュレーションで彩られた美麗な音のたゆたいは極上のものだ。アンダンテの弱音、磨きぬかれたレガート、流線の揺らぎは“空前絶美”といえる。

sv0038h.jpgオーケストラの威力を誇示するような〈終曲〉の壮大な音楽はカラヤンの面目躍如で、スケルツァンドの中間部を上滑りする弦のドラマチックな音楽はこびで俗耳を惹きつける。カラヤンにとって、この手の小品はオーケストラの名人芸に寄りかかってショーピース的に見映えよく仕上げれば一丁あがり。

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大衆うけを狙った豪華絢爛な大管弦楽によって壮麗に締めるあたりも万事ぬかりはなく、自己の勝利(レコードの売上)を確信したかのように謳い上げている。

「カラヤンの演奏には彼特有の作り物めいたわざとらしさがつきまとう。演出といってもよい。レガートを多用しての、スムーズと言えばこれ以上スムーズなものはないほどの流麗さ、虚飾と自己韜晦、巨大なオーケストラ・サウンドを駆使して聴くものの悟性を破壊する満艦飾のスケール感、大衆へのなくもがなのサーヴィス精神、わかりやすさへの偏執的な拘り。」 宮下誠著『カラヤンがクラシックを殺した』より、光文社、2008年)



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[ 2015/03/18 ] 音楽 ヘンデル | TB(-) | CM(-)