ヨッフム=コンセルトヘボウのモーツァルト/交響曲第38番「プラハ」

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モーツァルト/交響曲第38番ニ長調 K504「プラハ」
オイゲン・ヨッフム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
Recording: 1961.12.11-13 (PHILIPS)
Location: Concertgebouw, Amsterdam
Disc: UCCP3290 (2005年10月)
Length: 27:03 (Stereo)
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ドイツの巨匠オイゲン・ヨッフム(1902~1987年)は、若きハイティンクを補佐するかたちで1961年、オランダの名門コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者に就任した。

ハイティンク&ヨッフムという複数常任制は異例のことで、これは経験と人望の少ないお世継ぎの若君を養育するための、いわば窮余の策の人事であったという。このモーツァルトはちょうどヨッフムが常任指揮者に就任した直後のフリップス録音

「ハイティンクは若くしてコンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者になったんです。メンゲルベルクの後を受けて、後任になったベイヌムが早死にした。そこで、人材がいなかったものだから仕方なくハイティンクを常任にした。オーケストラがオランダ人を指揮者にしたかったんでしょうね、ヨッフムを後見人のようなポジションに任命して、ハイティンクを育てようとしたんだと思います。変なシステムですね、ようするにハイティンクをぜんぜん信用していないんですよ。」 『宇野功芳の白熱のCD談義ウィーンフィルハーモニー』より、ブックマン社、2002年)



sv0101b.jpgヨッフムはこの時、楽団を統率し、若いハイティンクを音楽面でもしっかりサポート出来る超一流のコンサートマスターを探すためにヨーロッパ中を奔走する。

そこで目を付けたのが、地元ハーグのレジデンツィ・オーケストラで弾いていたヘルマン・クレッバース。早速、ヨッフムは書状をしたため、財務部長を伴ってクレッバースを口説きに掛かったという。
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この話は、フルトヴェングラーがシモン・ゴールドベルクを、カラヤンがミシェル・シュヴァルベを、朝比奈が名古屋フィルから稲庭達を引き抜いた話とも重なってくる。機を見るに敏なヨッフムは、芸術家であると同時にマネジメント能力にも長けた実務家でもあったのだ。

「手紙をもらったときから、移籍の話だろうとおよそ察しはついていたんだけど、ヨッフムはオランダの歴史や文化を延々と語りはじめ、コンセルトヘボー管弦楽団の将来はオランダの文化の帰趨に関わるという言い方までして、ぼくに逃げる口実を与えなかった。金銭面での処遇についても財務部長を交渉の席に連れてくるという実務的なやり方でした。ヨッフムは見かけは好々爺ですけど凄腕の交渉力の持ち主で、したたかな爺さんでしたよ。そりゃ、断れる筈はないだろう。なにせ、コンセルトヘボー管弦楽団の第1コンサートマスターといったら、ヴァイオリニストにとって最高の地位ですからね。(ヘルマン・クレッバース)」 中野雄著 『指揮者の役割』より要約、新潮社、2011年)



sv0101c.jpgここに聴くモーツァルトは、バスの声部をしっかりと響かせ、謹厳実直なフレージングによって荘重な響きと深い内面性を宿しているのが特徴。

特筆すべきはコンヘボ管の冴え冴えとしたアンサンブルと、くすみがかった管楽器の音色で、名門楽団が老練の音楽監督の下で水を得た魚のように、清新溌剌とした演奏を展開している。
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歌謡主題を牧歌的な気分で歌い回すあたりはヨッフムらしい南欧的なおおらかさに溢れ、フィナーレで見せる豪放な気風と活力のある棒さばきによって、愉悦感に充ちた管弦楽の妙味を堪能させてくれる。

「亡き巨匠ヨッフムは1961年にコンセルトヘボウ管の常任指揮者となり、この名門オーケストラと深い関係をもったが、このモーツァルトはその頃の録音で、堂々とした重厚な演奏をきかせる。ドイツ風のモーツァルトともいえるが、そのなかにヨッフムの人間的なあたたかさと深い洞察力が示されており、旋律の表情に非常な説得力があるのは、きき逃すことができない。アンサンブルも整然として力強く、造形にはいちぶの狂いもない。心あたたまる、たくましい交響性を表出した演奏である。」 小石忠男氏による月評より、『レコード芸術』通巻第474号、音楽之友社、1990年)



第1楽章 アダージョ-アレグロ
sv0101d.jpg荘重で威厳に満ちた序奏はいかにもドイツ人の巨匠らしい含蓄ゆたかな味わいがあり、神秘の森の中で旋律を探り当てるような神韻縹渺とした趣がある。

半音階パッセージから歌劇《ドン・ジョヴァンニ》風の厳粛な雰囲気が立ち現れる劇的な音楽運びは、まるでオペラの開始のような予感を聴き手にあたえている。

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D音のシンコペーションから8分音符の連打で走り出す主部(第1主題)は気分が爽快で、16分音符を力強く弾き回す副主題(55小節)から、いよいよ名門楽団がシルキーな音色で目の醒めるようなフレージングを展開。

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sv0101e.jpg快活な主題を闊達自在に躍動するところは、ゾクゾクするような興奮を喚起する。

じっくりと練り回す優美な第2主題(97小節)は、ヨッフムの南欧的な大らかさを体現したものといってよく、ファゴットが陰影を付けた主題を清楚な第2句によって美しく洗い清めるあたりは、あの人間離れした長いアゴをぬ~と突き出し、「ぺろっ」と指をなめてスコアをめくる姿からは想像が出来ぬ清廉潔白な味わいがある。 [提示部リピートなし]

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sv0101f.jpg展開部(143小節)は、なめらかで見通しの良い対位法によって、弦楽アンサンブルが副主題のゼクエンツを冴え冴えと展開する。

みずみずしいフレージングとヨッフムの力瘤のない巧緻な棒さばきによって主題を変奏するところは若々しく、弦の澄み切った美しさも特筆される。
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バスのリズムをしっかりと打ち込み、シンフォニックに突き進む再現部(208小節)も南ドイツの野人ヨッフムの真骨頂で、冴えた響きがスケール感を増して、感興ゆたかに締められている。


第2楽章 アンダンテ
sv0101h.jpgやわらかな弓使いで奏する第1主題は、のどかで牧歌的な気分が横溢する。

ほどよく弾むスタッカート主題、微笑みを返すような推移主題、短調で翳りを付けた主題の中でしっとりと歌われる16分音符のモノローグ(26小節)など、さりげない歌の中に、まるでオペラ・アリアのような雰囲気を醸し出すあたりが心憎く、老熟を極めた大ヴェテランの棒さばきといえる。

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sv0101j.jpg軽めに響かせる低音の持続音に乗った第2主題(35小節)も聴き逃せない。慰めの気持ちに満ち溢れ、角張ったところのいささかも感じられぬ醇乎たる味わいに聴き手を酔わせてくれる。
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バスの声部がゆたかに流れるパストラール風のコデッタ主題(55小節)や展開部の転調も絶妙で、くすみのある管楽器が底光りするような色艶を滲ませ、強音でも決して音崩れしない“フィリップス・トーン”が、一服の清涼剤のような爽やかな気分を誘っている。


第3楽章 フィナーレ、プレスト
sv0101k.jpg颯爽と駆け走る快速のテンポに仰天するが、はずむような律動、生き生きとした躍動感、歯切れの良いフレージングで突進するプレストの音楽は、南ドイツの快人ヨーフムの独壇場で、60歳に近いとは思えぬ活力が漲っている。

第2主題も前へ前へと老舗の楽団を駆り立てるような覇気に充ち、バーレスク風の木管が洒落た合いの手を絡めるあたりも表情は愉快である。

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目まぐるしい勢いと猛スピードで弾き飛ばす弦楽セクションの超絶的な弓さばきは数ある音盤の中でも冠絶したもので、中庸のテンポで緊密な合奏美を展開するクリップス盤とはおよそ対照的だ [提示部をリピート]。  

ConductorDateLevelSourceTotal
Jochum1961.12PhilipsUCCP329010:458:547:2427:03
Krips1972.2PhilipsUCCP3456/6112:577:406:0226:39

sv0101i.jpg豪快なトゥッティで突入する展開部(152小節)も力感が満点。高弦と中低弦が交互に、途轍もない勢いをつけたシンコペーションを弾きぬく主題展開(216小節)のフレージングに腰をぬかしてしまう。

主題再現に挿入される和音強奏の“がっつり”と喰らいつく荒々しさも痛快この上なく、「のっしのっし」と大股で意気揚々と歩む第2主題の再現は、まさに“南ドイツの野人”
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sv0101l.jpgここでは、再現部と展開部をスコアに忠実に繰り返して演奏しているが、名門楽団を自在にドライヴする親分肌の腕力が頼もしい。

一気呵勢に畳み掛ける終結部もオーケストラの自発的な勢いに貫かれ、ヨッフムの迷いのない気風としたたかな職人性が自ずと浮かび上がってくる。

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老巨匠の奥義と名門楽団の名技をいかんなく発揮した掘り出し物の一枚だ。


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[ 2017/10/28 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)

ムラヴィンスキーのモククワ・ライヴからモーツァルト/交響曲第39番

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モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調 K.543
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1965.2.23 (SCRIBENDUM)
Location: Grand Hall of the Moscow Conservatoire
Engineer: David Gaklin
Length: 26:25 (Stereo Live)
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ムラヴィンスキー=レニングラードフィルといえば、1975年に「来日記念盤」と銘打って発売されたモスクワ公演の実況録音盤ほど衝撃的なものはなかった。それまでは骨と皮だけのメロディアのモノラル盤に馴染んだ筆者にとって、ステレオで収録されたオーケストラの鮮明な響きと生々しい超絶技に肝をつぶした記憶がある。

sv0057c.jpgこのコンビの半世紀にわたる歴史の中で、その最盛期はフルシチョフ政権下の60年代前半といわれるが、1965年2月、ムラヴィンスキーとレニングラードフィルはモスクワを訪れ、4回のコンサートを行った。

この中には、天下御免の向こう傷で突っ走る〈ルスランとリュドミラ〉序曲を収めた小品集や、バルトークとストラヴィンスキーといった20世紀の諸作品のほか、来日公演の演目だったモーツァルトの交響曲第39番が筆者の印象につよくのこった。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [65年モクスワ公演集]
No.DateSource1-mov.2-mov.3-mov.4-mov.Total
1950MK107810:0910:153:424:5929:05
1965.2.23BVCX40088:018:413:485:2325:53
1972.5.6MK10788:018:313:495:1625:46
1975.6.7ALT0588:048:213:455:1125:21

「1975年6月、第2回目の来日時におけるモーツァルトの39番の演奏を筆で表すとなると容易ではない。極めてユニークでありながら、表面は何事もなく過ぎ去ってゆくモーツァルト。あまりにも混じり気がなく、純粋無垢で、あたかも谷間に咲く一輪の百合を想わせるようなモーツァルト。しかし、その純音学的な表現の中に、何とデリケートなニュアンスがこめられ、そくそくと胸を打つ香りが溢れていたことか。結晶化し、きりりと締まった純潔な響、透明なハーモニー、色彩は白一色に統一されているが、冷たい淡泊さの中に無限の変化がかくされる。まことにそれは、ぼくの考えも及ばぬモーツァルトであった。」 宇野功芳氏によるライナー・ノートより、VIC5066、ビクター音楽産業、1977年)



sv0057e.jpgステレオの初出盤(MKX-2011)は、眉をつり上げて睨みつける強面のムラヴィンスキーを据えたジャケットが強烈で、「鬼の仕業としか思えない」という誇大広告と共に、峻厳な、感傷を寄せつけぬ鋭い眼差しと鋼鉄のような弦楽器で、モーツァルトを冷酷に切り刻むさまを想像させるに十分なインパクトをあたえていた。

なるほど、ここではモーツァルトのダブついた肉をゲッソリと削ぎ落としたようなスリムな響きは特異といえるが、一切のムダを排除し、古典音楽をギリシア彫刻を思わせるような均整の取れたプロポーションに仕上げてゆくさまは、丹念にノミをふるう匠の技を連想させる。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [65&72モスクワ公演集7CD]

sv0057f.jpgしかも楽音はストイックに統制され、その結果として響きは純化され、リスタルのような透明度を増してくるところがこの演奏のすごいところだ。

切れのあるアインザッツと強靱なリズムで突き進むフィナーレの厳しさは、アンサンブルの極限の姿が示されている。とくに1枚に255分を収めたSACDは大変聴き応えのある鮮明な音質である。

Mravinsky Edition Vol. 2 - Mozart: Symphony No. 39, Sibelius: No. 7

「まるで一片の塵も身につけず、ぜい肉を全て完全にそぎ落とし、きき手の生ぬるい音楽の楽しみ方を拒絶する演奏で、ふつう音楽に一般の聴衆が求める楽しさはここには全くない。こういう演奏に接することは、いわば厳しい修験道にでも参加し、一片の妥協容赦もなく叩きのめされることを求めにゆくようなものであろう。モーツァルトの変ホ長調は一段と徹底しており、ムラヴィンスキーの指揮が、より音色がはっきりし、音がみずみずしくきこえるとき、更にいっそうすさまじい潔癖主義をあらわしてくるのは驚くばかりである。」 大木正興氏による月評より、MKX2011、『レコード芸術』通巻297号、音楽之友社、1975年)



第1楽章 アダージョ-アレグロ
sv0057d.jpg歯切れの良いファンファーレ風の序奏動機と固く叩きつけるようなティンパニのリズムからして、楽員と聴衆を睥睨するムラヴィンスキーの世界がある。左右に振り分けたヴァイオリン群のスリムな下降動機が交差する中を、冷ややかなフルートが心機を凛とひきしめるようにたなびくさまは、北国の冷たい空気を運んでくるかのようだ。

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主部は速めのテンポでスッキリと歌われる。《美しく青きドナウ》とよく似た上行アルペジオの“まろやかさ”をきっぱりと拒絶するように、鋭利なフレージングと痩躯な響きによって、清冽なカンタービレを歌い上げるのがムラビン流。
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sv0057g.jpg全管弦楽の強奏は「ここぞ」とばかりにレニングラードフィルが鉄壁のアンサンブルを披露する。ことに弦楽器の上手さは唖然とするほどで、G音から高いEs音へ「チチチチチー」と跳ね上がるところ(61小節)のシャープなフレージングや、めまぐるしく弾き飛ばす分散和音の凄まじさは言語に絶するものだ。

第2主題(98小節)の優美な曲想はロマン的な情趣なぞ無用とばかりに、余情を削ぎ落として整然と進行する潔さ。

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sv0057k.jpg展開部(143小節)は無用に高ぶらず、古典作品としての造形を頑なに崩さぬ北国の巨匠の厳然たる棒ざはきが印象的だ。淡々と歌いはじめる再現部も甘ったるい憧憬やノスタルジーなど微塵もなく、ひたすら冷厳にカンタービレをさばくムラヴィンスキーの高潔な精神と強固な意志が伝わってくる。

あたかも指揮者が左右の二刀流で、モーツァルトの柔肌をスパスパと情け容赦なく切り裂いてゆくさまが痛快で、切れば血の出る鮮やかさで一気呵成に畳み掛けるコーダは、作品の地肌が透けて見えるまでに研磨する究極の職人技といえる。


第2楽章 アンダンテ
sv0057h.jpg虚空を見つめるように無我の境地で歌われる主題は、磨き抜かれた音と透明な抒情美に貫かれている。
ストイックなまでに統制されたアンサンブルを聴かせる第2主題や、木管の美しいカノンと弦が浄化する第3主題の品格の高さも特筆モノ。

閃光が煌めくように先鋭な刃を突きつけるフォルテの鋭さといったら!(96小節fの手前でヴァイオリンが1人飛び出すアクシデントも・・・) 
Shostakovich: Symphony No.8, Mozart: Symphony No.33

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コーダの研ぎ澄まされた繊細な味わいも格別で、虚飾を取り払ったムラヴィンスキーの潔癖さと、そこから紡ぎ出される無限のニュアンスに心打たれるのである。

「まるではがねのような見事な造形を成立させているレニングラード・フィルの、ことに弦楽器の合奏力の唖然とさせられるような達者ぶりが、まるで閃光のようにところどころでひらめいている。それは一般の通念ではモーツァルトの柔らかい肌にメスを突き立てるように受けとられる性質のものかもしれないが、そういうことに一片の妥協も感傷も介入させないのがムラヴィンスキーのゆき方である。しかし、第2楽章の抒情の透徹しきった、悲しいほどの清冽さなどは、やはりそういう指揮以外には絶対に生まれえない表現なのである。」 大木正興氏による月評より、MKX2011、『レコード芸術』通巻297号、音楽之友社、1975年)



第3楽章「メヌエット」 アレグレット
sv0057i.jpg“モーツァルトのメヌエット”として親しまれている快活な舞曲は、整然と統制され、ザクザクと雪中行軍する軍隊のようで、筋の通った芯の強い音楽になるのがムラヴィンスキーらしい。

何か“意地で作り上げた精密さ”という感じがして音楽の楽しさがちっとも伝わってこない、という意見にも一理あろう。トリオの愛想のなさも天下一品で情趣を排した謹厳実直ぶり。   Mravinsky Complete Live 1961
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毅然と回帰するメヌエット主題の明晰なリズムから繰り出す清廉潔白な進行は直裁すぎる感もあるが、モーツァルトが纏った貴族的な衣をすべて剥ぎ取り、素肌と骨格を格調高く示したものといえる。


第4楽章「フィナーレ」 アレグロ
sv0030h.jpg目の醒めるような速ワザで弾き飛ばすフィナーレの無窮動的な舞曲は、“冷血の完璧主義者”ムラヴィンスキーの独壇場だ。めまぐるしい弦のフィギュレーションをいとも鮮やかにさばくアンサンブルの妙味もさることながら、鋼鉄の弦で切り刻むような鋭いフレージングは人間離れした玄人集団の腕の見せどころで、厳めしく張りつめた雰囲気が会場を飲み込んでいるのがすごい。

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ガリガリと弦を削るように突入する展開部もすさまじい。主題の断片を力の限り打ち込むゼクエンツ進行と強圧的に取り回すストレッタ・カノン(125小節)の豪壮さはまぎれもなく「鉄の規則でもって統一された冷徹な荘厳」(吉田秀和氏)。凍てついたロシアの大地に薄明かりが射すような主題再現(153小節)などは、ことさら開放的な歓喜に媚びぬ禁欲的なムラヴィンスキーの慧眼があろう。

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sv0057j.jpgムラヴィンスキー=レニングラードフィルの超絶技は第2主題部に入っても揺るぎがなく、さらなる躍動感を増して攻撃的に突進するところが聴きどころ。

弦の和音打撃を「ザクザク」と打ち込む冷酷さは、モーツァルトの柔らかな肉を決然たる意志をもって削ぎ落としてゆく“鉄血シェフ”を思わせるではないか。入念に研磨された鋭利な刃物を武器に、緻密なアンサンブルとライヴ特有の白熱した勢いで全曲を締め括った必殺の一枚だ。

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[ 2015/11/28 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)

ショルティ=ロンドン響の《プラハ》交響曲

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モーツァルト/交響曲第38番ニ長調 K504「プラハ」
ゲオルク・ショルティ指揮
ロンドン交響楽団
Recording: 1954.4.21,22 Kingsway Hall, London
Producer: James Walker (DECCA)
Engineer: Kenneth Wilkinson
Length: 24:57 (Mono)
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このディスクは、かつて1955年9月に発売されたLP(LLA10073) を復刻した珍しい音源で、血気盛んな若きショルティの“快(怪)演シリーズ”の一枚である。録音はショルティがフランクフルト市立歌劇場の音楽監督を務めていた時代にあたり、指揮者としてのキャリアをスタートした頃の貪欲な姿が刻み込まれている。レトロなオリジナル・ジャケットも魅力的で、ショルティ・ファンならずとも思わずジャケ買いしたくなるCDだ。

sv0043b.jpgショルティはキャリアのスタート時期から、モーツァルトの音楽と深い関わりがある。ザルツブルク音楽祭ではトスカニーニ指揮《魔笛のリハーサルでピアノを弾き、公演ではグロッケンシュピールの演奏を担当した。

トスカニーニから「ベ~ネ!」と褒められた時ほど嬉しいことはなかった、とショルティは述懐している。この時、作品の偉大さを理解したというショルティは、モーツァルトの音楽にこの上ない親近感を抱いたという。

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デッカ初期のショルティの録音を聴いてみると、どれもが粒ぞろいの名演奏で、確固とした主張に貫かれ、男性的でダイナミックな表現が大きな魅力。ここではスコアに俊敏に反応し、前へ前へと突進する若きショルティの気っ風の良い推進力が気持ちよく、エネルギッシュに弾き回す強靱なフレージングはもとより、バスの声部や打楽器の衝撃感を露骨に強調したデッカ・サウンドがモーツァルトのスコアを丸裸にしたような快感を誘っている。

sv0043c.jpg「えい」と鋭角的なスフォルツァンドを打ち込み、「これでもか」と力瘤を入れて突っ走るフィナーレの活力と、目を剥いたような強圧的で筋張ったアンサンブルも冠絶したもので、テンポはさほど変わらないものの、角が取れて音に丸みを帯びた後年のシカゴ盤の円熟したモーツァルトと聴き比べてみるのも一興だろう。

モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」&第39番

OrchestraDateLevelSourceTotal
London so.1954.4DECCAUCCD378110:288:565:3324:57
Chicago so.1983.4DECCAUCCD374610:479:005:5125:38

「当ディスク所収の交響曲は、明快なバランス感覚を基本としながら、直裁なドラマが明滅するショルティのスタイルが、すでに鮮やかに刻印されているのが印象的である。第1楽章の序奏におけるしっとりとした色合いに加え、主部に入ってから、第1主題をきびきびと弾ませていく一方で、展開部や終楽章では、《ドン・ジョヴァンニ》を予告するかのように盛り込まれた緊迫感に富んだ響きや微妙な陰影を、ショルティが鮮やかに描き分けていく手腕が耳に残ることだろう。」 満津岡信育氏によるライナー・ノートより2007年)



第1楽章 アダージョ-アレグロ
sv0043d.jpg序奏の圧力の強い立ち上がりに仰天するが、ガッシリとしたアインザッツで克明に弾き出されるジュピター交響曲風の楽想は威勢がよく、バスの声部を「ズンズン」強調するシンフォニックな響きや木管の明瞭なフレージングは、モノラル録音とは思えぬ音ヌケの良さ。

力まかせに押し込むスフォルツァンドは、厳粛な気分よりも意欲と覇気が横溢する仕事師ショルティの面目躍如といえる。
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D音のシンコペーションから8分音符の連打で走り出す主部(第1主題)は活力が漲り、音楽は元気もりもりと躍動する。16分音符を力強く弾き回す副主題(55小節)は剛腕ショルティの独壇場で、線質のくっきりした強靱なフレージングによって目の醒めるようなゼクエンツを展開するところが聴きどころだ。
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拍節感のあるシンコペーション、「キュッ!キュッ!キュ!」とハネ上げる切れのある8分音符スタッカートバネを効かせたリズム感覚によってアグレッシヴに突進する音楽はすこぶるエネルギュッシュだ。
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sv0043e.jpg優美な弧を織りなす第2主題(97小節)は、オーケストラに歌うスキをあたえない。ファゴットで翳りを付ける転調をさっぱりと吹き流し、ドライな弓で第2句(112小節)やコデッタ主題(130小節)をキリッと弾き上げる潔さは、モーツァルトの柔肌にメスを入れる外科医を連想させる。

2群のヴァイオリンがシャッキリと交互に駆け合うゼクエンツの分離感と明瞭度も抜群で、とてもモノラル録音と思えぬ鮮度の高さがある。 [提示部の繰り返しは行わない]

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展開部(143小節)は、くっきりと眼前にスコアが浮かび上がるように、対位法を明確に解き明かすショルティの職人技が冴えわたる。ぴたりと決まるテンポ感にアクセントを際立たせ、精確かつストレートに直進ところは痛快の極みといえる。驚くべきはロンドン響の弦楽アンサンブルの性能の良さと運動能力の高さで、副主題のゼクエンツを「これでもか」と力瘤を入れて弾き回す強圧的なフレージングには驚くばかり。

sv0043f.jpg切れのある弓さばきを見せる再現部(208小節)は先鋭すぎる感があるが、指揮者はオーケストラを締め上げ、牛刀を振り回すようにモーツァルトの肉を容赦なく切り裂いてゆく。
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優美な歌はどこ吹く風で、「ぎゅんぎゅん」呻りを上げる凄まじいゼクエンツ進行が一網打尽に余情を吹き飛ばしてしまう。リズムをガンガン叩き込み、ぐいぐい押し切る強靱でメリハリのある終結部は、俊英ショルティの若々しい覇気と力業をあますところなく刻印した筋金入りの演奏といえる。


第2楽章 アンダンテ
sv0043g.jpgショルティは楽想の変転を緻密な棒さばきによって、克明に音化する。直角に肘を曲げる指揮者の動きに俊敏に反応するスタッカート処理がユニークで、キリリと引き締めて歌われる接続句や、パストラール風コデッタ主題の「ぴん」と張りつめたクリスタルのような響きも明快である。ここでは翳りを帯びた音の移ろいが、健康的に示されるのがいかにも当時のショルティらしい。

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展開部(59小節)はスタッカート・フォルテに即座に反応するところが即物的で、一体何事がはじまったのかと聴き手を仰天させる不意打ちといえる。右顧左眄することのない雄弁で肯定的な語り口も類例がなく、筆路明快に歌い込んでいく再現部(94小節)は緊密なフレージングと意志の力によって堂々と押し出し、音楽の骨格は揺るぎがない。


第3楽章 「フィナーレ」 プレスト
sv0043h.jpgアウフタクトに素早く反応するプレスト主題は、メカニックな拍節感と踏み込むような力強いリズムが支えとなって、剛腕指揮者が一気呵勢に畳み込む。幸福感に満ちた第2主題や木管のバーレスクはせかせかと歩を進めるが、わき目もふらず、ひたむきに音楽に正面からぶつかっていく職人気質がショルティたるゆえんだろう。[提示部を繰り返す]
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大きな聴きどころは、迷い無く突進する展開部(152小節)。瞬間湯沸かし器のように燃え上がるフォルテの総奏は、ショルティが得意の“エルボー・スマッシュ”を精力的に繰り出して、強力ぶりを発揮する。

sv0043i.jpg「がっつり」と喰らいつく弦のアタック、裏拍から空気を切り裂くように直進する切分奏法(184小節)、再現部の力瘤を入れたフォルテの和音(228小節)など、なよやかな身体を筋力トレーニングによって改造し、肉体の限界に挑戦するスポーツ刈りにした“鉄人モーツァルト”の姿がここにある!

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竹を割ったように明快でストレートに押し切る終結部はショルティが過度に熱くなることなく、統制されたアンサンブルによって引き締まった構成感を打ち出し、全曲をかっちりと締めている。モノラル録音ながら、血気盛んな壮年期ショルティの豪快な気風と、ロンドン響の強靱なアンサンブルを楽しめるユニークな一枚だ。

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歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」     :歌劇「ドン・ジョヴァンニ」


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[ 2015/05/18 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)

クリップスのモーツァルト交響曲第33番

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モーツァルト/交響曲第33番変ロ長調 K319
ヨーゼフ・クリップス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
Recording: 1972.11 (Philips)
Location: Concertgebouw Hall, Amsterdam
CD: UCCP3456/61 (2007/5)
Length: 21:40
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ヨゼフ・クリップス(1902~74年)はワインガルトナーに師事したウィーン生まれの名指揮者で、ウィーンの伝統的なスタイルを継承した数少ない指揮者のひとりである。生粋のウィーン子ならではの情緒と品位を備え、師ゆずりの古き良き時代のウィーンの香気が薫りたつような芸風で知られている。

しかし、同じオーストリア生まれのカラヤン、ベームに比べれば影の薄い存在で、わが国でも一流の指揮者としての認識はうすく、“剥き卵”のようなモッサリした容貌からして華のない指揮者の典型だった。

sv0035a.jpgそんなクリップスが心血を注いだのがモーツァルトの音楽で、「すべての音楽はモーツァルトに通ず」と語るように、モーツァルト以外の作品でもウィーン流の優雅なスタイルにこだわりをみせ、時間をかけたリハーサルで楽員をうんざりさせた。また、作品に対する文学的形容がときに失笑をかい、アメリカのラジオ番組では、その陳腐なコメントが逆に一部のマニアにうけたらしい。

TOWER RECORDS

クリップスの音盤で筆者の目をひいたのが、最晩年の70年代にコンセルトヘボウ管と集中的に録音したモーツァルト交響曲集(20曲)のフィリップス盤だ。これまでごく一部がLPで発売されただけで、そのほとんどが〈20世紀の巨匠シリーズ〉によって初めてCD化されたものである。こんなお宝音源がレコード会社に長らく眠っていたとは・・・

sv0035c.jpgここで取り上げる〈第33番〉は、中庸のテンポから繰り出される楽想の美しさが隅々まで浸透した演奏で、名門コンセルトヘボウ管ならではのみずみずしいサウンドときめ細かなアンサンブルが展開する。くすみ掛かったオランダ特有の音色は、このホールで熟成された“極上のサウンド”といえるもので、シルクのような弦楽器燻し銀の管楽器がホールにしっとりと溶け合う“響きの美しさ”を心ゆくまで堪能させてくれる。

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「モーツァルトの宝石箱だ。どこをとっても最高の音楽、最高の教養がこのセットには溢れている。このセットを座右に置き、すべてのフレーズのイントネーションを調べたり、どんなニュアンスのアクセントが置かれているのかを感じたり、主旋律と対旋律のバランスはどうか、適切なテンポとは何か、緩除楽章とメヌエットのリズム感覚の違いは、等々を研究するだけで、4年間音楽大学に通う以上の知識が得られるに違いない。しかし、そんなことを一切考えず、ただただ美しいモーツァルトの音楽に浸ることは、いっそう幸福なことだろう。」 福島章恭著 『交響曲CD絶対の名盤』より、毎日新聞社、2005年)


「とにかくどの曲を聴いても質が極めて高く、その気品に満ちた美しい佇まいを持った音楽の姿にはため息が漏れるほど。収められた20曲のどれを聴いても、時間を忘れるほどの至福感に満ちている。一般には並の存在としか認知され難いクリップスという指揮者の、ほんとうに優れた手腕を持つ職人としてのすばらしさを再認識させる集成であると同時に、彼のモーツァルト解釈の説得力の大きさをまざまざと感じさせる、クリップス最高の遺産と言っても差し支えない。」 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、音楽之友社、2007年)



第1楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の3拍子
sv0035d.jpg交響曲第33番は生地ザルツブルクで最後に書かれた作品群の1つで、“モーツァルトの田園交響曲”とよばれる牧歌的な愉しい気分に溢れたシンフォニーだ。トリルをふんだんに使った典雅なスタイルの中に、朗らかなメロディーが次々と沸き出る才能の宝庫のような名曲は、ムラヴィンスキーカルロス・クライバーといった名指揮者がコンサートで好んで取り上げる玄人好みの作品といえる。

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さっぱりとしたフォルテの打ち込みで開始する第1主題は、緻密なアンサンブルから紡ぎ出すみずみずしいフレージングが心地よく、こまやかに配したアーティキュレシーションの綾が美しく織り込まれてゆく。精妙なスタッカートが力強いリズムとなって駆け上る頂点は、力瘤を廃した爽やかさが聴き手の耳を捉えて離さない。

聴きどころは優美な歌があらわれる第2主題(55小節)。さりげないフレーズの中にしっとりと艶を込めた弦の歌は光彩陸離たる美しさで、色気のある木管と応答を繰り返すところの蠱惑的な響きは、聴き手を惑わすような妖しい魅力すら備えている。

「これらの演奏に一貫する特徴のひとつに、コンセルトヘボウの弦の美しさが挙げられる。もともとヨーロッパの並み居るオケの中でも、とりわけ高い質を持つオケだが、きめこまやかで目の詰んだ、燻し銀のような光沢と一種独特の色艶を併せ持つこのような響きはめったに耳にできるものではない。コンセルトヘボウと言えども、いつもこのような美しい響きを奏でられるわけではないので、これを引き出したクリップスの並々ならぬ手腕はおのずと了解されるだろう。これらすばらしい弦楽器群をベースに、木管楽器群も実にチャーミングな表情と色を添える。」 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、音楽之友社、2007年)


緻密なトリル、なだらかな8分音符、一気呵成にクレッシェンドする3連音の刻みは解放感に充ち溢れ、オーボエとファゴットがフォルテでくわわるドローン(119小節)は、まるでバグ・パイプが鳴っているような錯覚にとらわれてしまう。どんなに貧しい装置で再生しても、茶の間がコンサートホールと化してしまうフィリップス録音は、肥えた耳のオーディオ・マニアならずともその美しい響きに酔わされてしまうだろう。

sv0011f.jpg展開部(139小節)は「ジュピター動機」(交響曲第41番フィナーレ)の萌芽があらわれる。トリルと交互に応答を重ねる弦、ファゴット、オーボエ、ホルンのしみじみとした情感がたまらない。

弦楽が3連音の刻みで彩る密度の濃さや、第1ヴァイオリンとファゴットがユニゾンで奏でる侘びた風情など、老巨匠は素朴な田園情緒を柔らかなハーモニーによってしっとりと描き出してゆく。

再現部(208小節)は、シンコペーションとトリルを入れた第1主題、5度下げてヴィオラと歌い出す第2主題、ゆたかな弦楽サウンドを聴かせるユニゾン楽節など、器楽合奏の冴えた妙技を堪能させてくれる。コーダに入る直前で翳りを帯びた哀しい眼差しをふと見せる周到さも、老熟したクリップスならではの心憎い“奥の手”といえるだろう。


第2楽章 アンダンテ・モデラート、変ホ長調、4分2拍子
sv0035e.jpg優美な中に温もりを感じさせる2つの主題の間に、さりげなく挿入した愛らしくも哀しい楽想(19~26小節)がこのシンフォニーの最大の聴きどころだ。

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在りし日の恋人の思い出を慈しむように、しみじみと奏でる老匠の語り口は心細やかで、これがわずかに変奏される展開部(58~69小節)では、第1ヴァイオリンが高音部へ飛翔してさらなる哀しみを綴りつつも、仄かな喜びを感じさせる高貴な歌い口はあまりにも感動的だ。展開部はじめの弦の柔らかなフガートや、みじかい管楽器のアンサンブルにも耳をそば立てたい。


第3楽章 メヌエット、変ロ長調、4分の3拍子
ウィーン風のメヌエットは、いかにも宮廷音楽風の雅やかな楽想で、これはもうウィーンの産湯で育ったクリップスの独壇場。シルキーな弦をたっぷり鳴らし、愉悦感のある木管とホルンが典雅に彩ってゆくあたりは水を得た魚のようで、ツボにはまったように上品に歌いまわすトリオの優雅さも格別である。
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 第4楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の2拍子
sv0035f.jpgベートーヴェンが〈第8〉フィナーレのモデルにしたとされる“喜びに沸き立つ村祭り”は、生き生きとした躍動感に溢れんばかり。力感をさっぱり排除し、サクサクと弦を入れたみずみずしいアンサンブルによって、第1主題を跳ねるように変奏する41小節から、いよいよ名門楽団が冴えた腕前を披露する。

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付点音符、装飾音、スタッカートを駆使した難技巧のフレーズを緻密にさばき、伴奏きざみの1音たりともブレることのない精妙なアンサンブルは、もはや器楽演奏の限界を超えたもので、しかも誰ひとりとして荒々しく弾き飛ばすことなく、落ち着きのあるフレージングを配するあたりはクリップスのしたたかさが浮かび上がってくる。

晴朗なカンタービレを聴かせる第2主題(83小節)もこの交響曲の大きなご馳走のひとつで、細やかなアーティキュレーションの妙味には目を見張るばかり。さらに作曲者は村の楽隊を連想させる愉快な第3主題(130小節)を用意する。トリルの入った戯けた木管の主題に応えて弦が朗らかに弾む舞曲は、荒っぽい躍動をむしろ控え、アンサンブルの緊密さによって勝負するところはクリップスの職人ワザといえる。[提示部リピートあり]

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sv0035g.jpg展開部(162小節)は弦の3連音のせわしい中を、オーボエの悲嘆にくれるかのような哀調を帯びた和音が明滅するが、ファゴット、ホルン、低音弦が模倣を繰り返すうちに愉しげな気分が戻ってくる。ユニゾンで大きな弾みをつけて再現部(214小節)へ突入する決めどころは荒ワザを仕掛けることなく、純音楽的な澄み切った新鮮さを提示する。

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5度下げて歌う第2主題のカンタービレや、10度ハネ上がる付点主題の変化を克明につけ、第3主題の田園牧歌を再現する手際の良さも抜群で、みずみずしいリズムから繰り出すコーダの冴えたアンサンブルは、最後まで途切れることなく聴き手に清涼な気分を運んでくれる。コンセルトヘボウ管のみずみずしいアンサンブルと老匠クリップスの職人芸を堪能させてくれる極上のアルバムだ。


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[ 2015/02/12 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)

フルトヴェングラーのモーツァルト/交響曲第40番

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モーツァルト/交響曲第40番ト短調 K550
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウイーンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1948.12.7,8&1949.2.17 Musikvereinsaal
Recording Producer: Walter Legge (EMI)
Balance Engineer: Douglas Larter
Length: 24:29 (Mono) Olsen No.145
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ディスコグラフィによると、フルトヴェングラーによる《第40番》の演奏は4種の録音が存在する(3の米Music & Arts盤は1と同一録音とされる)。これらの音源の中では、ウィーン楽友協会でセッション録音されたウィーンフィルによるEMI盤が、録音条件や演奏の質の高さからいってもまず第1にチョイスすべきもので、フルトヴェングラーの奥義を刻印した格調高いモーツァルト演奏だ。

No.Orch.DateLocationOlsenSource1mov.2mov.3mov.4mov.Total
1VPO1944.6.2,3(L)Wien FURT10155:338:214:454:3423:13
2VPO1948.12.7,8他Wien14590811925:15*8:324:244:3622:47*
3VPO1949.2.8(L) Wien148CD2585:338:214:414:3323:08
4BPO1949.6.10(L)Wiesbaden168FURT10215:519:084:244:4024:03

4つの録音を聴き比べてみると、演奏上の相違点があるのにお気づきの方も多くいらっしゃるだろう。第1楽章のテンポが非常に速いこと以外に、第1楽章提示部を反復、クラリネットのない初版の楽譜を使用、第2楽章第2主題の前打音G(39小節)をFで、第3楽章(13小節)のスラーをスタッカートで演奏している、などである。

Orch.LevelSource使 用
スコア
第1楽章
提示部反復
第2楽章
前打音
第3楽章
13小節
VPOTahraFURT1015第2版×slur
VPOEMI9081192初 版staccato
VPOMusic & ArtsCD258第2版×slur
BPOTahraFURT1021初 版×slur


第1楽章 アレグロ・モルト

「次に控える曲は、フルトヴェングラーにとって例外的に厄介なモーツァルトの交響曲第40番だった。巨匠は背筋を伸ばし、ステージに向かって力強く歩み出した。会場は割れんばかりの拍手が埋めた。顔の前に構えた指揮棒が暫時ためらうよう震えていたが、やがて空を截り、冒頭のヴィオラ群が分散和音の緊迫したさざ波を奏で、すぐにヴァイオリン群がモーツァルトの書いた旋律の中の白眉ともいうべき名旋律を歌い出した。しかし、それはやや咳き込んだように演奏された。(略)この第1楽章から、スタンダールのいう“甘美な憂愁”を描写するつもりは巨匠には毛頭なかった。死の匂いのする寂寥と結晶化された悲哀こそ、この曲の本質であるべきだった。そのためには誰よりも速く疾走しなければならなかった。この涙の追いつけないテンポこそが、壊滅を目前にしたドイツにふさわしい挽歌だった。~1945年1月23日ベルリン、於アドミラル・パラスト」 宇神幸雄著 『ニーベルンクの城』より、講談社、1992年)


せかせかと急き立てるような第1楽章のテンポに仰天するが、前へ前へと進む動的なテンポによって曲のもつ悲劇性がおのずと浮かび上がり、しかも崇高な気分を宿しているところは、まぎれもなく巨匠の音楽である。いたずらに甘ったるい感傷を求めぬ巨匠の厳しくも高潔な精神こそが、この演奏の醍醐味といえる。
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「当時のぼくはモーツァルトの《第40番》、とくにその第1楽章が好きでたまらなかった。ところがどのレコードを聴いても演奏が気に入らない。いずれもテンポが速すぎ、旋律は歌われず、モーツァルトの憂愁は単に素通りされるだけである。フルトヴェングラーのLPが発売されたときには胸をときめかして聴き入ったものだが、何ということだろう。極端に速いテンポで嵐のように吹きすぎてしまった。みごとに肩すかしを喰らったわけで、あのときのいまいましさは現在でも忘れることが出来ない。」 宇野功芳著『モーツァルトとブルックナー』より、星雲社、1984年)


sv0018c.jpg“ため息”の短い強奏(16小節)は、激情の嵐の中に我が身を投ずるような小ドラマを形成する巨匠の気魄が籠もり、弓に勢いをつけて躍動する変ロ長調の総奏(副主題)も力感が漲ってる。生誕125周年を記念して発売されたシェル・ボックス仕様(3CD)の輸入盤はリマスターの音質も良好で、とくに“ため息”の強奏でフルートが突出してきこえてくるところは、とてもSP録音とは思えぬ透明度の高い響きである。

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変ロ長調で奏でる物憂い第2主題(44小節)は、やみくもにテンポを落とさず、深淵で厳粛な気分が漂っている。ウィーンフィルの甘美な弦をほどよく引き締め、深い呼吸で紡いでゆくフレージングはコクがあり、主情を盛り込みながら力強く突き進むコデッタ(提示部結尾)は、巨匠の激しく揺れ動く情感に溢れんばかり(提示部を繰り返す)。

sv0018d.jpg峻厳と打ち込まれる2発の和音打撃で宣言する展開部(101小節)は、めまぐるしい転調の中で声部を交代しながら主題を織り上げるところが大きな聴きどころで、巨匠は錯綜する対位法の綾を明確に、しかも堅固に構築する。ザリザリと張り出す豪壮な低音弦の分散和音も圧巻で、上行と下降を熾烈に繰り返すスフォルツァンド・パッセージのクライマックス(152小節)は、慟哭が極まった感があろう。

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奈落の底に落ちてゆく半音階下降の中から、悲しみ(第1主題)がそこはかとなく現れるように弾き出される再現部(164小節)は、ウィーンフィルがポルタメントをかけてしっとりと歌い出す。妖艶ともいえる豊饒な上行ポルタメント(185小節)から「はっ」とするような転調によって、豊かなニュアンスが迸るあたりは巨匠の秘術といえる。

上昇スタッカートの副主題から拡大する総奏(198小節)は、上行動機の変形と分散和音を「がっつり」と噛み合わせ、いささかの躊躇もなく強いリズムで性急に歩を進める巨匠の力業をとくと堪能させてくれる。淋しげなオーボエとファゴットの対話、強く引き締まった造形、意味深げな終止など、いずれをとっても巨匠の奥義を開陳したものといえる。


第2楽章 アンダンテ
アンダンテの緩除楽章は、哲学的な瞑想にふけるような厳粛な音楽だ。深い響きで織り上げる半音階進行や、休符を挟んだ32音符の副主題は、優しい表情の中に無限の悲しみを湛えつつ、慰めの気分をも宿している。

sv0018e.jpg咽び泣くような第2主題(37小節)は、「天使がすすり泣く」(宇野功芳氏)ような女々しさはなく、深沈としたたたずまいと端然としたフレージングから“神秘の歌”が弾き出されてゆく。ここで39小節の前打音がGではなく1音下げたFであるのが奇妙ではあるが、これはワルター盤でも聴かれる改変で、当時の初版の古いスコアがそうなっていた可能性はないか。

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クライマックスの展開部(54小節)総奏は、同音反復の主題と休符を挟んだ32分音符の主題が、管弦の役割を交代しながら音量を増してゆくところが聴きどころだ。半音ずつ上昇するバスの確固たる歩みにのって、8分音符の同音反復が32音符に収束する場面は、ゴチック建築を思わせる壮麗な響きがいかにも巨匠風。

この第2楽章には複数のテイクが存在するとされ、一度録音されたものが翌年の2月17日に録り直されたという。最初のテイクはカッティング上の問題が生じ、再録音ではテンポを速くすることが要求されたとされ、マトリックス番号 (2VH7112-4、2VH7113-6) の末尾が4と6になっていることから、再録音は難航したであろうことが指摘されている(平林直哉氏による)。


第3楽章 メヌエット-アレグレット
sv0018i.jpgゆったりと心地のよいリズムが躍動するメヌエットは、インブリオで進行するウィーンフィルのフレージングの妙味を堪能させてくれるが、音楽はすこぶる厳粛である。第1メヌエットの終わり(13小節)で4分音符のスラーをスタッカートで弾いているのには驚かされるが、これは他のライヴ盤にはみられない改変である。

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対位法を厳格に織り込む第2メヌエットも低音リズムがゆたかに息づき、2つのトリオで見せる木管の鄙びた味わいや、狩りを思わせるウィンナ・ホルンの素朴なアーチが魅了たっぷりで、牧歌的な気分にあふれんばかり。

尚、第3楽章に関しては、冒頭の音がわずかに欠けていることが以前から指摘されている。これはHMVがSPからLPのマスターに転写する際に犯したミスで、第4楽章にみられる音荒れの問題と同様に、この原盤が世界中に流布されているという(平林直哉氏による)。従って、まったく欠落のない演奏を聴くには、SPから板起こしされたCDを聴くしかない。


第4楽章 「フィナーレ」、アレグロ・アッサイ
sv0018j.jpg音楽が激しく走り出すのは第1主題が8分音符の分散和音で展開する31小節からで、馬車馬に鞭を打って駆り立てるような疾走感はまぎれもなく“フルベン節”。全管弦楽の咆哮とせわしい走句が聴き手をゾクゾクさせる興奮を喚起する。地響きを立てるように迫ってくる力強い低音弦の分散和音もすさまじい。

写真は米Music & Arts盤 (CD-258)

ポルタメントをかけて弦が麗しく歌い出す第2主題(71小節)も大きな聴きどころだ。バスの無い滑らかな声部を詠嘆調のカンタビーレによって、しっとりと悲哀を歌い上げるところがたまらない。これをメリスマで歌い継ぐオーボエが束の間の歓びを語りかけるが、遠くを見つめる作曲者の眼には哀しい涙が浮んでいるのを見逃してはならない。

展開部(125小節)は巨匠の烈しいドラマが燃え上がる。筆圧の強いアインザッツによって、荘厳なユニゾンを突き上げるところはフルベンの面目躍如といってよく、緊密な対位法をがっちりと展開しながら、ストレットで劇性を高めてゆくところはオーケストラが抜群の機動力を発揮する。展開部が終止する1拍半の休止の緊迫感も無類のものだ。

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再現部(206小節)も巨匠の確固たる足取りに揺るぎがない。惜しむらくは、228小節の総奏から音が荒れ出すことで、LPの時から第4楽章の音質が指摘されていた。

その点、英HMVのSPからストレートに板起こしされたオタケン盤(TKC305)は、針音の問題はあるがヴェールを一枚剥ぎ取ったような鮮明なサウンドに驚かされ、音荒れもさほど気にならない。一方、独エレクトローラのSPから復刻したグランドスラム盤(GS2056)は、高域ノイズが極めて少なく、低音のよく入ったやわらかな音が心地よい。

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コーダ(286小節)は疾風怒濤の嵐が吹き荒れる。崩壊の寸前までテンポを速めて破滅へと突っ走り、巨匠が全身全霊でのめり込むところは鳥肌の立つすさまじさで、音楽は激情の炎となって「悲劇の交響曲」をドラマティックに結んでいる。これは、フルトヴェングラーが甘美さを廃し、悲劇のパトスを刻印した究極の《第40番》である。


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[ 2014/08/02 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)

カラヤンのモーツァルト/ディヴェルティメント第15番

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モーツァルト/ディヴェルティメント第15番変ロ長調 K287
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1987.9 Philharmonie, Berlin (DG)
Recording Producer: Michel Glotz
Balance Engineer: Günter Hermanns
Length: 38:30 (Digital)
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このディスクは79歳のカラヤンがDGにデジタルで収録した晩年の録音で、おりしも、この3年前の大阪公演(1984年10月18日)でカラヤンが演奏したのが筆者には懐かしい思い出である。

われわれの記憶に焼き付いているのは、このコンサートでカラヤンが「振り間違い」をおかしたことだ。事件は大きく報道され、朝日放送でも演奏がオン・エアされたので、ご記憶のある方もいらっしゃるだろう。もちろん、放送では問題のシーンはカットされた。

カラヤンは、モーツァルトの次に演奏した《ドン・ファン》を翌日のプログラムのドビュッシーと勘違いした(高関健氏)という話や、あの棒は直前にウォークマンで聴いていたチャイコフスキーの《第5番》だった(ミシェル・シュヴァルベ氏)という証言もある。

前年に頸部脊椎の手術を受けたカラヤンは、右足の麻痺が残って歩行もままならず、エリエッテ夫人に付き添われての来日だった。「主人の行くところへは、何処へでも喜んでまいります」とインタヴューに夫人が答える傍らで夫人の手を握り、お腹の出たジャージ姿のカラヤンの情けない笑顔は、まるで痴呆老人のようであった。

sv0002e.jpgそれでも演奏はすばらしかった。《ドン・ファン》や《ローマの松》では壮麗なオーケストラの響きと凱旋将軍のようなカッコいいカラヤンの指揮ぶりは健在だったが、最もすばらしかったのが《ディヴェルティメント》。こんな美しいモーツァルトを筆者はいまだかつて聴いたことがなかった。

柔らかくしなやかで、適度に肉感があり、じつに艶っぽい。しかも作り物めいたわざとらしさを感じさせず、名人奏者の妙技というよりも、楽団がまるで1つの生き物のように躍動しながら、各パートがしっとり溶け込んで自然なアンサンブルを展開していた。

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この美しさがモーツァルトの本質をついているか否かは別として、その後にデジタル収録されたCDの“極上のサウンド”は、いくら紙面があっても書き尽くせない。

「はじめてきいた時から、このアダージョが気に入った。甘美で極彩色の絵をみるような趣味なのだが、それでいて、ちっとも鼻につく俗悪な臭気をもっていないのである。大ざっぱにいえば、ドラクロワ、いや、ルノワールの絵のような感じである。カラヤンは、もちろんベルリン・フィルの弦楽をフルに動員してひかせているわけではないが、それでもかなり肉づきの良い響きになっているところをみると、各パートが1人か2人といった室内楽に近い少人数の編成にしているはずはない。それでいて、響いてくる音は柔らかくて、~そう、日本産の最上質のビフテキみたいな味がする。」 吉田秀和著『モーツァルトをきく』より、筑摩書房、2008年、『レコード芸術』通巻第467号、音楽之友社、1989年)



第1楽章 アレグロ

フォルテとピアノの短い問答と、軽やかに駆け走るアレグロの音楽はみずみずしく、柔らかなホルンの呼び交わしが感興を大きく高めている。軽微なスタッカート・リズムで躍動しながら、優美なレガートを配するカラヤンの絶妙の手綱さばきは、まさに千里の名馬を意のままに操る伯楽といえる。

蠱惑的な響きと慰撫するようなフレージングで揺れるメヌエット風の第2主題は典雅の極といってよく、第1ヴァイオリンが力強く邁進する3連音や、軽妙なC音を連打する精緻なスピッカートが耳の快感を誘っている。大きく歌いながら迷いなく高音域へ上り詰めて飛翔する高貴な味わいは、カラヤンの底知れぬ音楽性を示してあますところがない。


 第2楽章 「主題と変奏」アンダンテ・グラチオーソ

歌謡的な呈示主題はドイツ民謡《さあ早く、俺はハンスさ、くよくよなんてしない》。気持ちの良い裏拍で舞う第1変奏から、こまねずみのように精密な32分音符で駆けめぐる無窮動的な第6変奏に至るまで、磨きぬかれた精緻なアンサンブルを堪能させてくれる。

「物語はこれでおしまい」と締め括るコーダの語り口の上手さも心憎く、「俺は帝王カラヤンさ、楽員の反逆にもくよくよなんてしない。自分が望む場所で、自分が望む時に、自分が望む方法で音楽をするだけさ。」 カラヤンの独白がきこえてきそうだ。

「話し合いをいっさい禁じる独裁的な態度のために、指揮者としてのカラヤンの人生からは、ほかのあらゆるものが排除されています。そのために彼は偉大になったけれども、1人ぼっちなのです。彼の顔をごらんなさい。年老いた寂しい顔です。年老いた幸せな顔ではありません。世の中を愛そうとせず、権力を握ることのみ考えて生きるつもりなら、そうなります。(指揮者グスタフ・キューン)」 ロジャー・ヴォーン著『カラヤン 帝王の光と影』より、堀内静子訳、時事通信社、1987年)



 第3楽章 メヌエット

メヌエットの聴きどころは後半で、自然に歌いながら、吸い寄せられてしまいそうな香気が立ち込める旋律の美しさに超嘆息するばかり。艶をのせた滑らかなフレージングとエレガントな歌い口に哀しみさえ漂わせながら、柔和な優雅さをたくみに織り込んでゆくところは悪魔的といえる

ナハトムジーク(夜曲)のように、旋律に秘めやかな揺らぎをあたえながら、厳粛な気分を横溢させる崇高なトリオは、帝王が神の領域に足を踏み入れたかのような錯覚にすらとらわれてしまう。名残惜しげに締め括るダ・カーポの味わい深さも格別である。

「2人の指揮者とカラヤンが自分こそ最高の指揮者だと言い、ひとりが言う。〈私は天国に行って、神様におまえが最高だと言われた〉。するとカラヤンが言う。〈はて、私はそんなことを言った覚えはないぞ〉」 ロジャー・ヴォーン著『カラヤン 帝王の光と影』より、堀内静子訳、時事通信社、1987年)



 第4楽章 アダージョ

蜜のような甘さでささやくアダージョは“カラヤン節”が全開だ。「トロリ」とやる妖艶なフレージングの妙味といい、艶をたっぷりのせた高級な絹地のような肌触りは極上のもので、柔らかなトロの刺身に舌鼓を打つような、俗耳を恍惚とさせる美味しさがある。

sv0002c.jpg弱音の細やかな揺らぎをあたえて気高く歌う第2主題(12小節)もたまらない。抜き足差し足で旋律線をなめるように均しながら、すすり泣くような繊美な音のたゆたいで聴き手を酔わせる手口は魔術といってもよく、高らかに飛翔する装飾音をともなったEs音から、いたわるように3オクターブ下降するところの意味深さといったら!。

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厚味のあるオーケストラの響きで転調の翳りをつける展開部(20小節)は、いやらしいほどに美しい。カラヤンのモーツァルトを「厚化粧をした娼婦のような音」と揶揄する人もいるが、水商売でも“高級娼婦”のような芳しく気品のある香りには目が眩みそうだ。

懐かしい第1主題が帰ってくる再現部(26小節)では慰撫するような安らぎをあたえながら、変イ長調、変ホ長調(原調)へと巧みな転調でうつろうメロディアスな心地よさと、汚れを知らぬ崇高な味わいはいかばかりであろう。

さらなる弱音で磨きをかけ、「これでもか」と歌い込む33小節からの繊美なレガートは筆紙に尽くしがたく、光沢を帯びたしなやかな弦の美しさは比類がない。天上の高みへと昇る第2主題部や、終結部のフェルマータの頂点に向かって、もったいぶったようにテンポを落とすカラヤンの手練れた音楽運びは聴き手の琴線に触れるメロドラマといえる。

分け目が目立つ銀行員風の髪型の安永のアインガングに、ぴたりと寄り添うシュピーラーの軽妙な合いの手も芸は細かく、エンディングでみせる儚げな味わいが聴き手を“夢幻の陶酔境”へと誘ってくれる。

 第5楽章 メヌエット

3拍子のメヌエットは、オーストリア生まれのカラヤンらしいウィーンの風味がそこかしこに充溢する。まろやかで耳当たりよく響く上質の音楽は、生来のセンスというよりも、まるでモーツァルトが生きていた時代を知っているかのような宮廷的な気分を醸し出すところがカラヤンの恐ろしいところだ。


 第6楽章 アンダンテ(序奏)-アレグロ・モルト(主部)

主部は陽気なドイツ民謡《百姓娘が猫を逃した》。ここでは高性能の弦楽アンサンブルの独壇場で、目の醒めるようなスピード感あふれる合奏美を開陳する。極めつけは16分音符で上昇するフレーズ(56小節)で、ぐいぐい上り詰めるすさまじい弓さばきに腰をぬかしてしまう。

60小節からへ長調で歌う第2主題も聴きどころ。羽毛のように軽やかに歌い上げるところは、カラヤン美学の極地といえる。磨き抜かれたフレージングに甘いヴィブラートを香水のようにたっぷりかけて、光沢を帯びたような響きを紡ぎ出すところはまさしく“カラヤン・マジック”

一気呵成に畳み掛けるコーダの勢いもすさまじい。美味しいところ(金になる仕事、高い地位、美しい女性)を目ざとく嗅ぎ取り、民謡とは裏腹に猫パンチで素早く獲物を手に入れるしたたかぶりが浮かび上がってくるあたりは、老いてもなお欲深なカラヤンらしい。

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[ 2014/03/08 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)