フルトヴェングラーのベートーヴェン/交響曲第7番(1950年VPO盤)

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ベートーヴェン/交響曲第7番イ長調 作品92
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1950.1.18,19 Musikvereinsaal
Producer: Walter Legge (EMI)
Engineer: Anthony Griffith
Length: 38:48 (Mono) / Olsen No.188
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フルトヴェングラーのベートーヴェン第7番と言えば、ベルリンフィルの実況録音盤(1943年)とウィーンフィルのスタジオ録音盤(1950年)が知られていたが、後者はスタジオ録音にしては音質が悪く、筆者はLP時代から残念に思っていた。これは交響曲全集の中で最初のセッション録音だったが、オリジナルがSP録音だったことが原因と思っていた。

「一連のベートーヴェン交響曲シリーズの中でも、〈第7〉はノイズの多いことでも有名だったという。1950年収録の〈第7〉はSPで録音されている。したがって、LPで発売されても実態はSPである。別して音が悪いゆえんだ。」 『フルトヴェングラー没後50年周記念』より宇神幸男「フルトヴェングラー雑感」、学習研究社、2005年)


フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲第7番には、次の5種の演奏と第2楽章のリハーサルがラインナップされている。

NoOrch.DateLocationFirst IssueOlsen
BPO1943.10.30/31,11/3Berlin,Philharmoniesaal, RRGMelodiyaO_089
SPO1948.11.13Stockholm, Konserthuset,SRDiscpcorpO_142
VPO1950.1.18,19Wien, MusikfereinsaalHMV(EMI)O_188
LFO1948.11.13Luzern, Kunsthaus(2mov.Rehearsal)WF Society(F)O_256.4
BPO1953.4.14Berlin, Titania-Palast,SFBWF Society(G)O_333
VPO1954.8.30Salzburg, Festspielhaus,ÖRFSeven SeasO_424

sv0098g.jpg①は大戦下の実況録音で、ドラマティックな指揮ぶりからこれを採るファンは多いと思われる。この録音は終楽章冒頭の和音が欠落しており、これを修正した盤が流通している。  amazon [TOCE-6514]

筆者が最も期待したライヴ録音④はフルベンの真価を発揮した決定盤とは言い難く、手放しで絶賛するほどではなかった。これに比べ③(当盤)は音質は落ちるものの、スタジオ録音にもかかわらず実演のように完全燃焼した演奏で、フルベン・ファンとしてはこれを押さえたい。

NoOrch.DateLevelSourceⅠmovⅡmovⅢmovⅣmov=Total
BPO1943.10.30,31,11.3DGF20G-2908812:459:498:246:3637:34
SPO1948.11.13WSOZ-7587-BS13:1110:088:237:1939:01
VPO1950.1.18,19EMITOCE-1404412:5810:178:426:5138:48
BPO1953.4.14DG415-662-213:1710:418:357:1639:49
VPO1954.8.30OrfeoC293921B13:359:338:217:3639:05

「圧倒的な力感をもったすばらしい演奏である。生きもののように踊るリズム、奔流のような音の流れ、すべてのものを焼きつくすかのような精神的燃焼、とにかくこれほどディオニソス的な面を強烈に打ちだした演奏というのは、ほかにない。音質は決して良いとはいえないが充実した内容がそれをじゅうぶん補っている。」( 志鳥栄八郎著『世界の名曲とレコード増補改訂版』より、AA8267、誠文堂新光社、1974年)


sv0098h.jpgここで、当録音にはフルベンの音盤には付きものの“ミステリー”がある。それは「第4楽章のはじめに女性の声が聞こえる」というもので、“ベト7の怪”とも呼ばれる。

第4楽章3分28秒(再現部の手前213小節フルートのリフレイン)に、女性が喋っている声と紙をめくるカサカサという音が混入しているのが聴きとれる。鑑賞には支障のない程度だが、些細な事に目を光らせるマニアにとっては聴き捨てならぬ問題。「Yahoo!知恵袋」にその女性が話している内容まで質問をしている人がいた。 
amazon [TOCE-3006]

sv0098i.jpgじつは、当盤のオリジナル録音はラッカー盤にカッティングしたものではなく、SPの盤面に合わせた4分ほどのテイクをテープ収録したものだった。

これを編集してSP用の金属原盤が作られたが(原テープは消去)、その後LPの発売に伴い、1952年に金属原盤からLP用のマスターが作られた経緯がある。
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sv0098j.jpgこの金属原盤(その後廃棄)をスタジオでマイク収録した際に雑音が混入し、これが今日まで流通して“謎の女性の声”が世界中のフルベン愛好家を魅了(?)するに至ったという。

音盤のソースは、LP用マスターを元にした系統(声入り)と金属原盤を元にしたSPからの復刻盤の系統(声なし)とに分かれるが、市販されている音盤は相当な数にのぼるため、どれをチョイスするか、愛好家にとってはさぞかし悩ましいことだろう。
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第1楽章 ポコ・ソステヌート-ヴィヴァーチェ
sv0098k.jpg「ぐい」と抉り取るような序奏の凄まじいアタックはフルベン特有のもので、和音打撃の重厚なパンチ力に聴き手は打ちのめされてしまう。

16分音符で力強く駆け上がる低音弦の威力も絶大! 表情ゆたかに奏するオーボエや弦のトリルは愛嬌たっぷりで、ティンパニのffの鋭い打ち込みにものけぞってしまう。
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [Hybrid]

「冒頭のポコ・ソステヌートは、指揮者の配慮でモルト・ソステヌートに近くなっており(略)、最初の和音群は音価いっぱいに鳴らされ、時に落雷のような激しささえある。和音をたっぷり共鳴させているので、オーボエのソロはまるでその和音が引き起こした結果として、ごく自然にわき起こってくる。」 ジョン・アードイン著『フルトヴェングラー・グレート・レコーディングス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)


「フルトヴェングラーの〈第7〉が発売されたときの音楽ファンの興奮は大変なものだった。録音も当時のハイ・ファイであり、あたかも電気に打たれたうよなショックを受けたのだった。冒頭のすさまじい音、これこそ電気にふれるようなショックである。指揮棒をぶるぶるふるわせて特別な合図をせず、楽員が「今だ」と感じとって弾き始める。そのために貯えられたエネルギーが一時に爆発し、各自の感じとり方に微妙な差があるのでアインザッツがずれ、これらの要素が重なり合ってこんなに見事な音が生まれたのだ。」 宇野功芳氏による「ライナーノート」より、AA8267、東芝EMI)


sv0098l.jpg主部は付点音符にビートを効かせたフルベン・リズムの独壇場。
ダメを押すように引き抜くフェルマータ(88小節)の力ワザもフルベンを強く印象付ける箇所で、ずっしりと重みのある強固なリズム、スケール大きく歌い上げる跳躍的な第2主題(119小節)、小結尾への流れるようなフレージング(162小節のpp)と前へ突き進む推進力など、巨匠の自家薬籠中のワザが満載である!

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 「アレグロのリズムは、生き生きと力強く繰られ、それがまた、音楽の前進駆動を抑えがたく表出する」 ダニエル・ギリス編『フルトヴェングラー頌』より、仙北谷晃一訳、音楽之友社、1969年)


sv0098m.jpg展開部のリズム楽想も巨匠の強固なリズムさばきに揺るぎはない。管弦が激しく掛け合うゼクエンツの強奏(254小節)ではむやみに加速を掛けず、地を踏みしめるような堅牢なリズムと響きで聴き手を魅了する。

「ガツンガツン」とティンパニの固い打ち込みで突き進む再現部の古武士的なスタイルも勇壮な気分に充ちており、いささかも造形を崩さぬ巨匠の芸格の高さを心ゆくまで堪能させてくれる。  amazon [SGR-8002]

sv0098n.jpg最大の聴きどころがバッソ・オスティナートで主題の断片を11回反復するコーダ(401小節)。呻りを上げる低音弦の威力は凄まじく、膨らみのあるヴァイオリンの対旋律が彩りを添えながら、クレッシェンドを重ねて頂点へ雪崩れ込むところは「これぞフルベン!」と膝を打ちたくなる名場面。

「内面から地熱のように湧き上がって爆発する熱い迫力( 飯田昭夫)」に思わずレコードを指揮したい衝動に駆られてしまうのも無理からぬところだ。
TOWER RECORDS  HMVicon [OPK-2068]

「序奏部全体がすばらしい高揚感にあふれているのを誰しも身にしみて感じることだろう。主部はかなりテンポが速く、流れに張りがあり、オーケストラの気迫に満ちた鳴らし方が見事だ。絶えず魂が燃えており、クレッシェンドが内部から湧き上がってくる衝動のように行われる。」 宇野功芳著『フルトヴェングラーの全名演名盤』より、講談社、1998年)



第2楽章 「不滅のアレグレット」
sv0098o.jpg不滅のアレグレットは敬虔な巡礼の行進だ。瞑想的な木管の長い和音が印象的で、巨匠は「Allegretto(やや速く)ではなく、Andante espressivo(表情豊かに歩くぐらいの速度で)で演奏(ジェラール・ジュファン)。

いつ果てることもない変奏部(27小節)のメロディー・オスティナートは、柔らかなアクセントで繰り返し、その上に対旋律をしっとりと重ねて穏やかな表情で歌わせているのが聴きどころ。
TOWER RECORDS [DCCA-0011]
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sv0098p.jpgこの楽章のツボは低音弦に伴奏声部が加わる第2変奏(51小節)で、ウィーンフィルのコクのある弦が「ここぞ」とばかりにクレッシェンドを重ねて纏綿と奏でてゆく。

トゥッティの強奏は重みのある音で悲痛さを極めるが、そこには威圧感はなく、巡礼の行進が厳粛な祈りの音楽に高められているあたりは巨匠の慧眼があろう。
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

「この楽章でフルトヴェングラーは、音楽の内容的意味を探っている。レコードではちょっと類のないことだ。第2主題(変奏)のフレージングは、まさしく心にしみるものがあり、その密度の高さは、ただちに感動をよびおこす。そして、オーケストラは、傑れて美しい演奏をもって、フルトヴェングラーの霊感に答えるのだ。」 ダニエル・ギリス編『フルトヴェングラー頌』より、同上)


sv0098q.jpgリタルダンドで穏やかに転調する中間部(102小節)は、巨匠が「天からの声」と描写するクラリネットのなだらかな旋律や、「堅く」と指示した鋭いスフォルツァンド下降(144小節)、「鐘のように鳴らす」ことを求めた再現部のヴァイオリンの強い分散和音リズム(150小節)、内面の告白のように微かな弱音で密やかに綴るフガート楽想(183小節)など、巨匠の奥義が満載である! 

フィナーレの強音は激しく燃え上がることはなく、深沈と淋しげな表情で消え入るところに胸がいっぱいになってしまう。

「出の管の和音が長く引きのばされるところから他の指揮者とちがうが、弦がクレッシェンドしてフォルテに達するあたりの入魂の音、鳴り切った心の歌は美しさの限りである。中間部のフガートはフルトヴェングラーが振ると、なんだか神がかって聴こえるのだ。セカンド・ヴァンオリンがppでテーマを引き出す超ピアニシモは曲への不満を吹き飛ばしてしまう。」(宇野功芳氏による「ライナーノート」より、OPK2068、オーパス蔵、2007年)



第3楽章 プレスト
sv0098r.jpg開始を遅めに出るスケルツォは、どっしりと構えた力強さと鞭打つような躍動感を併せ持つ演奏だ。

第2部(65小節)からオーボエが吹くテーマのテンポをぐんぐん速めて走り出すところや、低音弦からヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンが順次入っていくところ(82小節)のアッチェレランドがゾクゾクするような興奮を誘っている。

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sv0098s.jpgオーストリアの古い巡礼歌(トリオ)は、一転して遅いテンポとなる。ホルンのまろやかな音によって牧歌的な田園情緒が横溢するところは、ウィーンフィルの特質を知悉した巨匠の成せるワザ。

重量感たっぷりの総奏もフルベンらしさが全開である! 一気に加速をかける終止のプレストも即興的で、フィナーレへの期待感を高めている。
TOWER RECORDS  HMVicon [TKC-375]
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「スケルツォでは第2部でオーボエがテーマを吹き始める部分の猛烈なテンポ・アップが、まさにこうでなくてはならない。胸が弾んで仕方がない。もちろんトリオの前を反復するような馬鹿なことはしていない。そのトリオがまたフルトヴェングラーならではだ。遅いテンポとリズムのための効果、ウィンナ・ホルンの下降音のこくのある音、そしてスケルツォに戻る直前の超スロー・テンポ!」宇野功芳氏による「ライナーノート」より、OPK2068、同上)



第4楽章 アレグロ・コン・ブリオ 「舞踏の聖化
sv0098t.jpg2発の強烈なアタックから開始する狂気乱舞の音楽は、熱き血のたぎりを感じさせるエネルギーの爆発だ。強いアクセントと引き締まったリズムでオーケストラをドライヴする巨匠の勇ましいスタイルが聴き手の興奮を誘ってやまない。

巨匠が仕掛けてくるのが第2主題の断片を弦楽パートがリレー的に模倣を繰り返すところ(92小節)で、加速をかけて小結尾の総奏へ乱入する荒ワザは壮絶としか言いようがない。
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「指揮者の解釈によってまさに疾風怒濤になっており、およそ踊れる音楽ではない。跳ね回るリズムが容赦なく突進していき、最後の2個の和音に到達するころには、ほとんどお祭り騒ぎのように音楽が絶頂に達し、聴く者の精力を奪い尽くす。」 ジョン・アードイン著『フルトヴェングラー・グレート・レコーディングス』より、同上)


sv0098u.jpg低音弦が第1主題を模倣的に打ち返す展開部の豪快なフレージングや、聴き手を鼓舞するように踏み締める行軍リズム、鉄槌のように和音打撃を叩き込む再現部の宣言、杭を打つような〈喜悦のテーマ〉(推移主題)など、霊感を得たフルベンの神業は枚挙にいとまがない。

大きな聴きどころが再現部の終止で、ティンパニの乱打で猛り狂う爆発的な総奏からコーダへ猛進する熱狂の渦は、血湧き肉躍るフルベンのパッションをいかんなく示した名場面。
TOWER RECORDS  amazon [GS-2056]

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「フィナーレのディオニソス的狂乱は、聴く者を圧倒する」 ダニエル・ギリス編)、「燃えるような緊張なもかかわらず、トスカニーニよりも依然として人間的」 ピーター・ピリー)、「不思議にもライヴのような劇性が濃厚に示されている」 小石忠男)、「この踏み外し寸前の情熱、そのアッチェレランド効果の凄まじさ、オケの生々しい鳴らし方はドラマチックな解釈の最高峰といえよう」 宇野功芳)


sv0098v.jpg同じ熱狂でも43年のベルリンフィル盤は勢いにまかせてアンサンブルが雑然としているのに対し、このウィーンフィル盤は熱狂の中にも崩壊寸前のところで踏み止まった確信めいたものを感じさせているのが特徴で、「ごうごう」と呻りを上げるバッソ・オスティナートが熱狂の音楽の土台をしっかりと支えている。

「これでもか」と怒濤のごとくラストスパートをかける巨匠のドライヴは冠絶しており、目眩くような加速で聴き手の魂までも燃え立たせてくれる。
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [GS-2166]

「第4楽章こそフルトヴェングラーだけがよく成し得る嵐のような感動的表現である。実演でこの終楽章を聴いた近衛秀麿の話によると、出だしのffは天井が抜けるかと思うそうだが、オーケストラの最強奏と、気狂いじみたアッチェレランドで盛り上げてゆくコーダの興奮はいかばかりであろう。ベートーヴェンの情熱もかくやと思わせる演奏であり、まことにこうでなくてはならない。」 宇野功芳氏による「ライナーノート」より、AA8267、同上)


フルトヴェングラーがスタジオ録音で完全燃焼した空前絶後の一枚だ。

LevelMediaDisc no.IssueRemark
AngelLPAA-82671968/6ブライトクランク
AngelLPWF-500091984/9リマスターデジタルテープ使用(厚手重量レコード)
独EMILP137290660-31986ダイレクトメタルマスタリング(デジタルリマスター)
EMICDTOCE-6514 1990/10ブライトクランク
EMICDTOCE-140442007/1岡崎リマスター
EMISACD/CDTOGE-110032011/1新リマスター(ハイブリッド盤)
英EMICDCZS-90787822011/1新リマスター(21CD,EMI録音集)
Warner(EU)CD90295975092016/8新リマスター(5CD,ベートーヴェン交響曲全集)
SinseidoCDSGR-80021994/3SP盤起し(英HMV DB21106~10)
OPUS蔵CDOPK-20682007/6SP盤起し(英HMV DB21106~10)
DeltaCDDCCA-00722010/6SP盤起し
DeltaCDDCCA-00722010/6 LP盤起し(LHMV-1008)第2世代復刻
Otaken CDTKC-3142008/7CD用マスター(擬似ガラスCD方式)
Otaken CDTKC-3372011/11LP盤起し(ブライトクランク白レーベル)
Otaken CDTKC-3752016/12LP盤起し(ワイドブライトクランク)
GlandSlamCDGS-20072005/10LP盤起し(仏HMV FALP115)
GlandSlamCDGS-20562010/11SP盤起し(独Electrola DB21106~10)
GlandSlamCDGS-21662017/7オープンリールテープ起し(38cm/s)
FW CenterCD-RFWWC1403-HYM2014/11SP盤起し(英HMV DB9516~20)桧山コレクション

音盤について
当録音の筆者手持ちの音盤を中心にリスト・アップしていくと、よくまぁこれだけ同じ録音が手を変え品を変えて市場に溢れているものだと呆れてしまうが、かくいう筆者も無駄遣いと知りながら手が伸びずにいられないのがフルベン愛好家の悲しき習性といえる。

筆者のお気に入りCDはLPマスター系ではオタケン盤(TKC314)で、解像度が高く生々しい音を楽しめる。オープンリールをソースとするグランドスラム盤(GS2166)も分厚い音で、エネルギー感があるのがうれしい不意打ち。SP盤起しでは復刻盤にみられるチリチリ音のないオーパス蔵盤(OPK2068)を最も好んでおり、中低音のぶ厚い響きによってフルベン特有の重みのあるストロークを体感させてくれる。新星堂盤(SGR8002)やデルタ盤(DCCA0011)は針音が盛大だが、LP盤起しよりも鮮度の高い演奏を鑑賞できる。

EMI系はどんよりとした従来リマスター(TOCE14044)は論外だが、「新発見のテープによる」と銘打った新リマスター盤は高音を持ち上げてスリムになっただけで、女性の声は含まれている。発見されたのは原テープではなく、従来ソースの別コピーだったらしい。ハイブリッド盤(TOGE11003)は女性の声がほとんど聞こえないレベルに修正されており、メリハリ感が増した。ブライトクランク盤(TOCE6514)は音の拡がりが気持ちいい反面、音像がボヤけて響きが薄くなってしまうのが好みの分かれるところだろう。

ブライトクランクLP(AA8267)に針を落とすと、音は固く荒れているがCDよりも迫力のある音に驚かされる。とくに素晴らしいのが1984年にリマスタ-・デジタル・テープからカッティングされた厚手重量LP(WF50009)で、CDとは次元を異にした肉感のある極太のサウンドが楽しめる。筆者は《第5》と組み合わせてCD-Rにしたものを好んで聴いている。

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[ 2017/09/09 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

マタチッチのベートーヴェン/交響曲第3番《英雄》

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ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
チェコフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1959.3.15-17 Rudolfinum, Praha
Producers: Miloslav Kulhan (Supraphon)
Engineer: Miloslav Kulhan, Jiři Očenasek, Havliček
Length: 47:22 (Stereo)
amazon


マタチッチといえば、N響の名誉指揮者としてわが国ではお馴染みの指揮者で、最後に来日した1984年N響定期公演(第926回)を筆者はNHKホールで聴くことが出来た。

sv0091i.jpgマタチッチ作曲「対決の交響曲」とベートーヴェン交響曲第2番という地味なプログラムだったが、歩行すらおぼつかぬ85歳の巨匠は名演奏をやってのけた。これをやさしく見守るように聴き入る聴衆の暖かな雰囲気がとても印象的なラスト・コンサートだった。

1899年クロアチア生まれのマタチッチが最も愛したオーケストラがN響であり、マタチッチを最も温かく迎え入れたのが日本の聴衆であったといわれ、楽団員は 「マタちゃん」 という愛称で呼んでいた。
  TOWER RECORDS  amazon

「芸術家は舞台に出てくれば、その真価は一目瞭然だ。それが分からなかったヨーロッパ人の目は節穴か? マタチッチが東京文化会館とNHKホールで聴かせてくれたハイドン、ベートーヴェン、そしてとりわけブルックナーとワーグナーの名演の数々は、ぼくの一生の宝である。そのスケールの大きさ、その豪快さ、その生々しさ、その内容の深さ、胸をわくわくさせるような人間的な魅力は、疑いもなくベームのライヴを超えていた。彼はN響の名誉指揮者だった。なんと幸せな一時期であったことか!」 宇野功芳著『クラシックCDの名盤・演奏家編』より、文藝春秋、2008年)



sv0091k.jpgマタチッチはその実力に比してレコードの数が少なく、ベートーヴェンの交響曲はライヴ録音がCD化されているものの、セッション録音はチェコフィルとの第3番(当盤)のみで、これはきわめて貴重な録音といえる。

ここで60歳のマタチッチが指揮する演奏は、男性的な力強いスタイルによって貫かれ、古武士のような趣を持つ辛口の《エロイカ》 といえる。

デフォルメはいっさいなし、音楽の造形をいささかも崩さず、キビキビとストレートに押していく演奏が痛快で、そこから滋味溢れる情感が滲み出てくるのがこの演奏のすばらしいところだ。  TOWER RECORDS  amazon

sv0091l.jpg驚くべきはチェコフィルのピシッと整ったアンサンブルの見事さで、全盛期といわれるアンチェル時代の卓越した合奏能力と古風な音色がチェコの国営レーベルによって見事に捉えられている。

とくに “燻し銀” と讃えられた管楽器セクションのくすんだ響きと、弦楽セクションの光沢のある音色が聴きもので、マタチッチの構えの大きな音楽づくりをさらに味わいゆたかなものにしている。
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「冒頭から凄いほどの気迫を表した演奏である。アンサンブルも凝集力が強く、音楽的に純粋である。したがって随所に見事な表情があり、とくに第1楽章はすばらしいが、第2楽章はさらに悠揚とした流れが欲しく、スケルツォも意気込み過ぎた感がないわけではない。これはかなりの長所と短所が併存した演奏である。」 小石忠男氏による月評より、28C374、『レコード芸術』通巻第459号、音楽之友社、1988年)


「アゴーギクが薄めで直線的だが恐るべき推進力を備えた第1楽章はスコアの隅々までがクッキリと鳴って小気味よさすらある。葬送行進曲の前進力もすごい迫力。スケルツォと終楽章の一気呵成に突進する思い切りの良さときたらどうだろう。金管の音型の変更や、コントラバスによる低音の増強、さらにヴァイオリンのピッツィカートからアルコへの変更など、随所にマタチッチらしい豪快さを聴かせているが、ベートーヴェンの音楽は聴き手の胸に猛烈に突き刺さってくる。ベートーヴェンを愛するすべての聴き手の必聴盤。」 松沢憲氏による月評より、COCO70659、『レコード芸術』通巻第644号、音楽之友社、2004年)



第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0091b.jpgこれはまさしく一風格をもった大家の演奏だ。冒頭2発の和音を「びしっ!」と打ち込む力強いアタックからして聴き手の耳を惹きつける。

強靱ともいえるチェコフィルの引き締まったアンサンブルは冠絶しており、どっしりと力強いバロック風リズム(65小節)、緻密でキメの整ったスタッカート、キビキビと打ち込む和音打撃、哀愁が明滅する木管楽器の鄙びた音色など、当時のチェコフィルに備わった個性的な音色と腕の確かさ に仰天してしまう。 
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sv0091c.jpg展開部もオーケストラをぐいぐい躊躇なくドライヴするマタチッチの武骨で力強いスタイルに揺るぎはなく、弓が弦をひっかく荒っぽい音がスピーカーから聴こえてくるのも驚きだ。

弦のスフォルツァンドで変拍子リズムを押し込む決めどころ(260小節)ではトランペットとティンパニを突出させたり、エロイカ動機の再現で打ち込むティンパニのトレモロ(319小節)の暴れるような強打にも腰を抜かしてしまう。
低音弦が変拍子リズムをガツガツ刻んで突き進む攻撃的なスタイルがある種の興奮を誘っている。  TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

sv0091d.jpgホルンの先行シグナルが聴こえると再現部だ。艶やかな弦の切分音とチャーミングなトリル、ほっこりと古風な響きで独特のヴィブラートを発するF管のホルン、オクターヴ上げてエロイカ動機を気持ちよく打ち込むメタリックなトランペット(440小節)など、チェコフィルがその持ち味を存分に発揮しているのも聴きどころだろう。

付点モチーフの音を割ったホルンの強奏(516小節)や、ティンパニのすさまじい連打(520小節)にも驚かされる。
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sv0091g.jpg引っ掛けては伸ばすバロック風主題から頂点に向かって加速をかけるコーダのゾクゾクするような緊迫感がすばらしく、トランペットがストレートに主題を打ち抜くクライマックス(655小節)の胸をすくような解放感に、「これぞエロイカ!」と膝を打ちたくなるのは筆者だけではないだろう。

まさに巨木のごときたたずまいで峻立する“筋金入りの英雄像”を刻印したものといえる。
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第2楽章「葬送行進曲」 アダージオ・アッサイ
sv0091e.jpgここではチェコフィルの古色蒼然とした木管楽器に耳を傾けよう。ひなびた音色のオーボエや、うら淋しいクラリネットやファゴットなど、艶消ししたようなチェコフィル・サウンドに酔わされてしまう。

これを受け止める厚みのある弦楽器も特筆モノで、重量感のある3連リズムや旋律のコクある歌わせぶりがたまらない魅力である。中間部で爆発するクライマックスの迫力も半端ではなく、トランペットが炸裂するセンプレ・フォルテのすさまじい音場に身が震え上がってしまう。
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sv0091f.jpg大きな聴きどころはミノーレ(ハ短調)の3重フーガ。マタチッチは2つの対位をがっつり響かせて、野太いフーガを豪快に織り込んでゆく。要所で打ち込むトランペットや、朗々と発するホルンの反行主題の強奏(155小節)もすこぶる刺激的だ。

静寂を引き裂く〈最後の審判〉 (159小節)もすさまじい。トランペットがつんざく阿鼻叫喚や「ザラリ」と響く低音弦の威力は絶大! 

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重心の低い響きによって素朴な味わいの中にもぴんと張りつめた緊張感に貫かれている。悲痛な音楽から伝わってくる人間的な温もりも剛毅木訥なマタチッチの魅力であり、血の通った肉厚のサウンドを心ゆくまで味わいたい。


第3楽章「スケルツォ」 アレグロ・ヴィヴァーチェ
sv0091h.jpgチェコフィルが鉄壁のアンサンブルを見せるのがスケルツォだ。音符の目をきっちり揃えた緻密なスタッカートと木管との精緻な掛け合いもさることながら、バスの弓を指板に激しくぶつけながら音量を増してゆく豪快なクレッシェンドは、いかにもマタチッチらしい巨像の歩み といえる。

トリオは「ほこほこ」と根太い音で鳴り響く古風なホルンの3重奏が個性的で、大地に根を張ったような燻し銀の味わいを堪能させてくれる。テンポを維持したままアグレッシヴに決めるダイナミックなアラ・ブレーヴェ(2拍子)も即興的だ。

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第4楽章「フィナーレ」 アレグロ・モルト
sv0091j.jpg「ぐい」と怒濤の勢いで突入するフィナーレは力感に富んだものだが、はて、主題提示のピッツィカートを途中(20~27小節)からアルコに変更しているのは何故かしら?(これは慣用的なものではなく裏付けが不明)。

さて、当楽章では45小節から〈プロメテウス主題〉を使った7つの変奏と2つのフーガ展開が始まるが、ここでもチェコフィルのアンサンブルの精度の高さが特筆されよう。

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sv0091m.jpg木質を感じさせる室内楽的な響きと、総奏では質実剛健ともいえるプロメテウス像をマタチッチは一筆書きの雄渾なタッチで描いてゆく。

聴きところはハンガリー行進曲(第5変奏)で、バスをたっぷり響かせた勇ましい前進駆動がマタチッチの芸風とぴたりマッチする。反行形による走句的なフーガⅡ (278小節)も聴き逃せない。早いテンポで溌剌と弾き飛ばし、ひた押しに押してポコ・アンダンテまで一気に突っ走るところに快哉を叫びたくなる。
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sv0091n.jpg夕映えのようにしみじみと奏でるオーボエの回想(第6変奏)や、野太い音で滔々と歌うホルンのメロディ(第7変奏)が感興を大きく高め、ドラマチックでメリハリ感のある巨匠の豪快な棒さばき がじつに感動的だ。

コーダのプレスト(431小節)は、舞曲風にアレンジした〈プロメテウス主題〉を、肉感のあるホルンが「ブギブギブギブギ」と16分音符を力強く打ち込んでいくところが圧巻で、これが耳の快感を誘っている。

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ガツガツと堅牢なリズムを積み上げてゆく巨匠のスタイルは古武士を思わせるが、胸をすくような和音の豪打で全曲をガッチリ締めている。チェコフィル全盛期の燻し銀の響きと、マタチッチの筋金入りの芸風を堪能できる1枚だ。


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[ 2017/05/31 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

フリッチャイのベートーヴェン/交響曲第5番〈運命〉

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ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1961.9.25,26 Jesus-Christus-Kirche, Berlin
Recording Producer: Hans Ritter(DG)
Tonmeister: Günter Hermanns
Length: 38:16 (Stereo)
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フリッチャイがベルリンの楽壇に彗星のごとく現れたのは1948年12月。ソ連によるベルリン封鎖のため出演をキャンセルしたヨッフムの代役として、定期演奏会に登場した。以来、西ベルリンの“希望の星”としてベルリンフィルとは死の直前まで蜜月の関係が続き、モノラルからステレオ録音への移行期のドイツ・グラモフォンに多くのレコードを残している。

「フリッチャイは戦後ドイツ・グラモフォンを背負って立った、第一世代の指揮者だったといえる。日本にデビュー・レコードが出た当時は、フェレンク・フリクサイと表記されていた。」 出谷啓著『クラシックこの演奏家を聴け!』より、音楽之友社、1996年)


sv0076a.jpgこの〈運命〉はフリッチャイ最晩年の録音で、病が悪化して指揮活動を断念した3ヶ月前のセッションにあたる。驚くべきはそのテンポの遅さ。

“最も遅い運命とか“裏名盤”とよばれる演奏だが、おなじオーケストラを振ったこの時代の指揮者たちと演奏時間を比べれば一目瞭然。時期をほぼ同じくしてDGに録音したカラヤン盤とはおよそ対照的だ。 amazon  HMVicon


Comp/CondOrch.DateTrioPrest
Beethoven2=1088=922.=962.=962=84w=112
NikischBPO1913.11847276787690
FurtwänglerBPO1947.5.279070768272110
CluytensBPO1958.3847276767896
FricsayBPO1961.9745464686890
KarajanBPO1972/73(DVD)10076867682100
AbbadoBPO2000.596821008682100
(出典:『200CDベルリンフィル物語』~近藤高顯氏による「巨匠たちのテンポ」より)

「ベートーヴェンの運命交響曲も、テンポの遅いことではフルトヴェングラー以上で、同時代のレコードではライナーのと対をなす両極端に位置していた。したがって30センチのLPだったが、余白には〈エグモント〉序曲1曲しか入らないという、不経済なカップリングになってしまった。筆者は彼の〈運命〉をかけて、一風呂浴びて上がって来たところ、まだ演奏していたのには肝をつぶした記憶がある。」 出谷啓著『クラシックこの演奏家を聴け!』より、音楽之友社、1996年)


sv0076e.jpgトスカニーニ流の早いテンポで颯爽と駆け走り、名人オーケストラを万事ぬかりなく操って、ゴージャスなサウンドによる“見せかけの壮大さ”で大衆におもねるカラヤンに対し、フリッチャイはゆるやかなテンポによって造形を頑なにまもり、大言壮語しない。
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フルトヴェングラーのようなデモーニッシュな劇性や、畳み掛けるような熱狂もここにはなく、あくまで実直に、心で音楽を奏でる音楽は端正で清らかでさえある。

楽曲全篇に貫かれたヒューマンな温かさと真摯に運命に立ち向かう緊張感を内に秘め、それがフィナーレに向かって次第に解放されて、聴き終わった後に快い余韻が残るのもこの演奏の魅力のひとつだろう。

ConductorOrch.DateSourceTotal
NikischBPO1913.11KSHKO156:479:505:349:0131:12
FurtwänglerBPO1947.5.27(L)POCG37888:0411:115:508:0533:10
JochumBPO1951.5UCCP93648:0311:385:508:5634:27
BöhmBPO1953.3UCCG37338:0811:225:578:5134:18
CluytensBPO1958.35099-648307288:249:515:299:0332:47
MaazelBPO1958.5UCCG37117:5610:434:528:3932:10
FricsayBPO1961.9UCCG903559:0913:156:239:2938:16
KarajanBPO1962.3UCCG70767:1810:044:548:5331:09
AbbadoBPO2000.5UCCG50037:169:107:4710:4034:53

「運命のモティーフが重く提示され、楽章全体の運びもとても遅い。一音一音噛みしめるように歩んでゆく演奏で、その結果ベルリン・フィルの重厚な響きを実感させられる。しかしこれは音楽に対するフリッチャイの極めて真摯な姿勢を反映し、これこそベートーヴェンという強固な信念のようなものを感じさせる演奏である。」 根岸一美氏による月評より、POCG3074、『レコード芸術』通巻第520号、音楽之友社、1994年)


「第1楽章の冒頭の動機をどっしりと提示し、一歩一歩踏みしめるように巨大な音楽を構築していく。ベルリン・フィルの重厚な響きを生かした表現だが、フリッチャイの語り口自体は明快で、フルトヴェングラーの神秘性、カラヤンのさらさらと流れる冗舌さとは明確に一線を画している。フィナーレにおける高揚感も申しぶんなく、この作品の筆頭にあげられるべき名盤のひとつと言えよう。」 岡本稔氏による月評より、POCG6033、『レコード芸術』通巻第570号、音楽之友社、1998年)



第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0076b.jpg突撃隊のように突進して「運命の扉」をこじ開け、きついビートを打ち込む“弾丸ライナー”“豪腕ショルティ”“仕事師ドラティ”らの剛力派と比べれば、同じハンガリー出身の指揮者でも、ゆるやかに〈運命主題〉を打ち込むフリッチャイは物腰がすこぶる穏やかだ。

冒頭だけを聴けば、意志の力がいささか稀薄で、どこか“振りクサい”を連想してしまう。  amazon


抜けのよいホルンの宣言とともに、ドルチェの柔らかな第2主題に接続すると、抒情的な歌がしっとりと流れてくるところはフリッチャイの面目が躍如しており、頂点(94小節)もいたずらに力まず、コデッタ(小結尾)をほどよく弾んでシャッキリと締める提示部は音楽が清々しい。特筆すべきはフリッチャイの棒にピタリと反応するベルリンフィルの緻密なアンサンブルで、水も漏らさぬフレージング管弦の冴え冴えとした響きの鮮度は抜群である!

sv0059d.jpg展開部(125小節)もフリッチャイの落ち着きのあるテンポに揺るぎがなく、細やかなフレージングと入念なアーティキュレーションによって、指揮者がスコアの隅々にまで目を配っているのが伝わってくる。

勢いにまかせた劇的効果を排除し、“試練への道のり”を聴き手の心にじわじわと訴えかけてくるのがこの演奏の魅力で、切々と詠嘆調に奏でるオーボエのカデンツァが聴き手の涙を誘っている。
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一歩一歩確かな足取りで歩むコーダ(374小節)はテンポがピタリと決まり、いかにもプロイセンの楽団らしい燻し銀のサウンドと、一分の隙もない強固な合奏能力を指揮者は提示する。力瘤のない正攻法で貫くフリッチャイのスタイルは端正そのもので、しかも万人を受け入れる大らかさがあり、音楽的な純度が極めて高いものといえる。


第2楽章 アンダンテ・コン・モート
sv0059a.jpg大きな呼吸で大らかに歌う第1主題、哀調を帯びた木管が明滅する第2主題など、平静な静けさの中に流れる清新な味わいに心惹かれてしまう。

これを受けとめる威風堂々とした総奏は力感にとみ、フィナーレを予示するトランペットの輝かしいファンファーレは、指揮者が我と我が身を奮い立たせるかのように、ピンと張りつめた緊張感が漂っている。

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sv0022h.jpg大きな聴きどころは変奏部。ヴィオラとチェロの16分音符の分散和音の中から、クラリネットがまったりと浮かび上がる第1変奏、32分音符の分散和音を第1ヴァイオリンが気高く歌い上げる第2変奏など、汚れを知らぬ清らかな楽の音がそこはかとなく流れてゆく。

第3変奏の木管楽器の孤独な風情、第4変奏でヴァイオリンがオクターヴで心のたけを歌いあげる崇高な音楽は“楽聖の精神”を極めた感があろう。

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sv0022c.jpg圧巻は第2変奏が総奏となる114小節(練習番号C)。チェロ・バスがたっぷりと弾きまわすコクのあるフレージングもさることながら、天上へ舞い上がるような上昇フレーズの美しさと、その頂点で「ぐい」と見得を切るように最高音(Es)のフェルマータを決めるクライマックスもフリッチャイの“必殺ワザ”といってよく、この楽章の大きな聴きどころのひとつだろう。

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第3楽章 アレグロ(スケルツォ)
sv0076c.jpg低音弦が意味ありげに問いかけるスケルツォ主題(幽霊の動機)と、それに対峙する〈運命動機〉の行進曲はすこぶる不気味である。

ここでは長めのフレージングと緩やかなテンポから“死に神”が忍び寄るかのような不安な気分が立ち込めているが、厳正なリズム捌きと緻密なアンサンブルによって、清々しい響きが耳あたりよく流れている。
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トリオは、ボリウム感たっぷりの低音弦が闊歩する。フリッチャイは闇雲に荒ワザを仕掛けず、一歩一歩大地を踏みしめるように、ごく自然に立ち振る舞いながら、音楽の密度の濃さで勝負する。
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弦楽フガートのスケール感も無類のもので、決して熱くならず、静かな闘志を内に秘め、コツコツと地道に、しかも着実に、来たる勝利に向かってフリッッチャイは果てしのない旅をつづけてゆく。静謐なリズム打ちは、「ルルドの泉」を訪れる敬虔な巡礼者の足音のように聞こえてくるではないか。


第4楽章 アレグロ
sv0076d.jpgアレグロの1小節手前でティンパニにリタルダンドをかけて突入するフィナーレは、解放感に溢れんばかりで、ねばり気のあるホルンが朗々と発する〈賛歌〉が飛び出すと、翳りを帯びたプロイセン・サウンドが管楽器を中心に次第に明るい輝きを増してくるのが感動的だ。

息長く放射する展開部の〈ファンファーレ動機〉や、全パートがクリアに鳴り渡る総奏(132小節)の濁りのないサウンドに驚かされてしまう。
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頑なにインテンポをまもっていたフリッチャイが動き出すのはコーダ(294小節)。ファゴット、ホルンによって〈結尾主題〉が導き出されると、フィナーレに向かってサクサクと駆けるフットワークが心地よく、ピッコロの澄んだ高音域がシルキーな弦と溶け合うように協働するところは聴き手の耳の快感を誘っている。

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sv0059g.jpgプレスト(362小節)は、フリッチャイは確固たる歩みで突き進む。見せかけの勝ち鬨を上げたり、ガッツ・ポーズを決めたりするような威圧的な演技は微塵もなく、勝利のシンボルともいえるブラスの凱歌を冴えた響きで十全に解き放ち、全曲を輝かしく結んでいる。

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当録音の前日に、フリッチャイはベルリン・ドイツ・オペラのこけら落とし公演で《ドン・ジョヴァンニ》を指揮しており、まさに多忙を極めたスケジュールの中でのセッションだった。この録音の3ヶ月後、再び病に倒れたフリッチャイは 1963年2月、ついに帰らぬ人となった。フリッチャイ最晩年の味わい深い芸風を伝える貴重な一枚だ。


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[ 2016/09/24 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

セルのベートーヴェン/交響曲第3番《英雄》

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ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」
ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団
Recording: 1957.2.22,23
Location: Severance Hall,Cleveland
Producer: Howard H.Scott (SONY)
Disc: SRCR2542 (2000/8) Length: 47:22 (Stereo)
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筆者がベートーヴェンの《エロイカ》交響曲を最初に聴いたのは、トスカニーニ指揮NBC交響楽団の古いレコード(ビクター盤)だった。この演奏は直線的なスタイルによって貫かれていたが、細身だが強靱なフレージングカンタービレの効いた旋律の歌わせ方がたいそう魅力的で、この演奏が筆者の耳に擦り込まれて《エロイカ》の規範として定着してしまったように思われる。

sv0069g.jpgその後、同曲のステレオ録音を選ぶ際に、ワルター盤やカラヤン盤を後目に真っ先に手が伸びたのがセル盤だったのもトスカニーニのような演奏を期待したのかもしれない。

この時買ったCBSソニーのLPはナポレオンの絵のジャケットが印象的だったが、左右のスピーカーから分離してきこえる緻密なアンサンブルに驚いた記憶がある。とくにスケルツォの精緻なリズムトゥッティのダイナミズムは冠絶しており、対位法的な楽想をメカニックに分解し、各パートの動きが透かし彫りのように可視化した演奏は《エロイカ》の理想の演奏に思えた。
(写真はSOCL-33)


sv0069h.jpgトスカニーニとライナーを掛け合わせたようなセルは、楽員に妥協を許さぬ厳しいトレーニングを課したことで知られている。

音楽を細かくパート別に分解し、完璧なアンサンブルを組み上げる緻密さは“外科手術”にもたとえられ、セルがNBC交響楽団に客演した際にリハーサルで非情なメスを入れたとき、あのトスカニーニでさえ「私の音楽を壊さないでくれ!」と悲鳴を上げたほどである。


sv0069q.jpg当盤の初出は〈エピック・レーベル〉で7年かがりで制作されたベートーヴェン全集の中で最も古いものだが、録音は米コロンビアのスタッフが手掛け、かつては左右に広く拡がった「ステレオラマ」という名称で売り出されたという。

LPは固く引き締まったドライな音だったと記憶するが、2000年にDSDリマスタリングを施したCDはクオリティが高く、楽想から細やかな情感すら浮かび上がってくるようで、このコンビ全盛期の“鉄壁のアンサンブル”があますところなく刻まれている。

「この第3番《英雄》はセルのベートーヴェン交響曲シリーズ中、最初に録音されたものであり、また最もセルに合った曲目で、事実、名演の誉れ高い演奏を実現している。第1楽章、主要主題や、多くの副次的モチーフを明確なアーティキュレーションで示し、どの部分においても、特に長大な展開部においてそれは厳しくコントロールされ、表現の分散化を防いでいる。非常に集中度の高い演奏で、決して緊張を弛緩させない。演出的なものはほとんどないが、それゆえ、理屈抜きに感動する部分が多々ある。」 草野次郎氏による月評より、SRCR9849 、『レコード芸術』通巻第540号、音楽之友社、1995年)


「1957年の録音なので、CDでもいささか音の貧しさを感じるが、演奏は自然な流動感をもち、適度の緊張感に裏づけられている。全体としては古典主義的な音楽像だが、あらゆる部分にセルの人間的な息づきが示されており、強い説得力をもった演奏をつくっている。とくに終楽章の生命力ゆたかな表情はすばらしい。」 小石忠男氏による月評より、32DC483 『レコード芸術』通巻第419号、音楽之友社、1985年)



第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0069b.jpg鋭い主和音のアタックからして尋常ではなく、緻密な弦の刻み目や、変拍子的なリズムをタテ割りで厳正に捌いて頂点に駆け上がる整然としたフレージングが気持ちいい。

引っかけては伸ばすバロック風のリズム(65小節)処理もじつに鮮やかで、ザクザクとピンポイントで打ち込む和音打撃が痛快である。

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「セルのオーケストラ・トレーニングの厳しさには定評があった。大阪フェスティバルホールでの《英雄交響曲》のリハーサルの際、冒頭2つの和音の音色やバランスの調整に延々と時間をかけ、聞き手にはもはや完璧な出来だとさえ感じられるにもかかわらず、満足せずに練習を繰り返していたこともあった。「われわれの演奏は、リハーサルだろうと本番だろうと同じことだ。たまたま最後の1回に客が入ってくるに過ぎない」という楽員の言葉は、決して誇張ではなかったのである。」 『世界の指揮者名鑑866』より、東条碩夫氏による、音楽之友社、2010年)


大きな聴きどころは4つの素材を結合した闘争的な主題展開(186小節)。〈エロイカ・モチーフ〉の低音弦にバロック・リズムを織り合わせ、2種の切分音を重ねる手の込んだ楽想の構造をセルは明瞭に解き明かす。あたかも4種の素材を分解し、ネジの弛みを入念にチューニングして再構成したような抜群の分離感で迫ってくる。

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sv0069c.jpgオーボエの下降動機をフガート的に展開するアンサンブルの妙技(235小節)も聴き逃せない。

パズルの目を噛み合わせたような精巧なリズム処理と、〈エロイカ・モチーフ〉の対位的な模倣を反復する中からトランペットが目の覚めるようなアタックを打ち込む決めどころ(276小節)に快哉を叫びたくなる。

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再現部を宣言するトゥッティのダイナミズムや気品のある弦のトリル、モチーフをたっぷりと吹き上げるホルンやトランペットは、“英雄像”を厳正かつストレートに刻印するセルの慧眼があろう。

コーダ(565小節)はクリーヴランド管のアンサンブルが冴え冴えと展開する。木管が〈エロイカ・モチーフ〉を歌い継ぐ中で、弦のフィギュレーションが一分のブレもなく華麗に舞うところが最高の聴きどころ。その頂点(655小節)でツボを押さえたように主題をストレートに打ち込むトランペットのメタリックな高音に「これぞ英雄交響曲!」と心が躍っても無理からぬところだ。



第2楽章「葬送行進曲」アダージオ・アッサイ
sv0069d.jpgセンチメンタルに歌い流さず、寸分の隙や弛みも許さぬ緊張感に満ちた表現が貫ぬかれているが、節度を保って造形をぴしりと決めているのがセルらしい。

大きな聴きところが楽章のクライマックスたるミノーレの3重フーガ(105小節)。ここでは旋律線は控えめに、第2ヴァイオリンの対位を軸に、曲の骨格を剥き出しにしたような固く厳めしいリズムで弔いの音楽をシリアスに歌い上げている。
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変イ音のフォッティシモで立ち上がる〈最後の審判〉の場面(159小節)もすさまじい。地獄でのたうつような凄味のある低音弦と、静寂を引き裂き、断罪するようにつんざくファンファーレに戦慄をおぼえるのは筆者だけではないだろう。伴奏音形の揺らぎを伴った不安げな主題再現や、大きなルバートで纏綿と歌われる第2主題など、整然とした造形の中にもきめ細やかな情感がしっとりと滲み出してくる。



第3楽章「スケルツォ」アレグロ・ヴィヴァーチェ
sv0069e.jpg緻密なスタッカートで駆け走るスケルツォの精確無比なリズム捌きは“ジョルジュ・セル室内合奏団”の独壇場。セルは高度な室内楽的アンサンブルをオーケストラに拡大したような合奏の極限を開陳する。  TOWER RECORDS

ここではピアニシモの繊細な刻みとトゥッティで爆発するオーケストラのダイナミズムとの対比が素晴らしい効果を上げており、8分音符の刻みを活き活きと、精密に演奏するオーケトスラのヴィルトゥオジティに鳥肌が立ってくる。
弦を噛むように弓を入れて決めるスケルツォ終止の解像度の高さにも注目だ。

狩猟の角笛を模したトリオの三重奏は、パリパリと小気味よく吹奏するホルンの乾いた音が個性的で、強いアクセントを入れて音を割った効果を存分に楽しませてくれる。スケルツォの再現で突如拍子が変わる〈アッラ・ブレーヴェ〉(381-384小節)では、杭を打つような2拍子で堅牢な枠の中におさめる統率のとれたアンサンブルで聴き手を魅了する。

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401小節から第2ヴァイオリンの分散和音形にアッチェレランドを仕掛けてコーダに向かって突っ走るのも超絶的で、めくるめくようなスビード感に酔ってしまいそうになる。



第4楽章「フィナーレ」アレグロ・モルト
sv0069j.jpg終曲は室内合奏団が7つの変奏を類い希なアンサンブルで聴き手を魅了する。

軽やかなフットワークで弦楽三重奏を聴かせる第1変奏、瑞々しい3連音をカルテットで奏する第2変奏、〈プロメテウス主題〉がオーボエによって感興ゆたかに導かれる第3変奏(第2主題)、弦のフィギュレーションと装飾的なフルートが華麗に舞う第4変奏、厳正なリズムで捌くハンガリー行進曲風の第5変奏など、名人芸的な練達のワザは枚挙にいとまがなく、古典的な均整を保ちながらも奏者が自由に生き生きと奏するところが聴きとごろ。

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「セルは磨き抜かれたアンサンブルと明快なアーティキュレーションで、19世紀以来ベートーヴェンにまとわりついていたロマンの残滓をきっぱりと洗い流している。明晰な形式の中に力強い高揚感や音楽の生命力を漲らせ、このヴァリエーションの大意的な音の動きをこれほどクリアーに、俊敏に、かつ立体的に示した例はなく、その圧倒的な音楽的美観に聴いていて目頭が熱くなるほどである。」 『クラシック不滅の巨匠100』より芳岡正樹氏による、音楽之友社、2008年)



sv0069f.jpgクリーヴランド管が精密機械のようなメカニックなアンサンブルを展開するのが変奏の中に挿入した2つの〈フーガ〉

颯爽と駆け抜ける走句のみずみずしいフレージングと対位的な綾を緻密に織り上げるアンサンブルは器楽演奏のお手本といってよく、玄人集団はこれ見よがしな名人芸に溺れることなく、一糸乱れぬ端正な造形によって曲の隅々までを整然とまとめている。要所で突出させるホルンやトランペットも刺激的で、情感を込めてしみじみと歌い上げる第6変奏がすこぶる感動的である。  TOWER RECORDS


sv0069k.jpg最後のクライマックスは、〈プロメテウス主題〉が勇壮な姿となって現れる第7変奏(381小節)。「ここぞ」とばかり喨々と吹き上げるホルンの肉感のある音が耳の快感を誘っている。

主題を舞曲風にアレンジしたプレストの躍動感も冠絶しており、16分音符の連呼で炸裂するホルンが凄まじく、音階を力強く駆け上がって切れのある一撃で全曲を締めている。“セル室内合奏団”のアンサンブルの名技をあますところなく刻んだ1枚だ。  TOWER RECORDS

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[ 2016/06/11 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

フルトヴェングラーのベートーヴェン/交響曲第2番

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ベートーヴェン/交響曲第2番ニ長調 作品36
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1948.10.3 Royal Albert Hall, London (Live)
Henning Smidth Olsen No.132.4
Source: BBC
Length: 32:07 (Mono)
TOCE-3720(EMI)


フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲は、〈第2番〉と〈第8番〉がレコーディングされずに終わったことから音楽ファンが待ち望んだものであったことはすでに書いた。その後、〈第8〉はストックホルム録音がくわえられたものの、〈第2番〉については演奏会で取り上げられる機会が極めて少なく、その発掘は困難を極めた。オールセンの「フルトヴェングラー・ディスコグラフィ第2版」(1973)においても〈第2番〉は皆無とされていた。

sv0065e.jpg〈第8〉の海賊盤事件から1年と経たぬ1974年9月、米オリンピックという新興レーベルがベートーヴェン交響曲全集(Olympic8120~7)を発売するという衝撃的なニュースを音楽雑誌が報じた。

わが国では日本フォノグラムが12月5日にこれを発売(SETC-7501~7)、この中に1929年ベルリンフィルの〈第2番〉が含まれていたことが音楽ファンの反響をよび、ここに到ってフルベン熱がピークを迎えた当時を筆者は覚えている。〈幻の第2番〉がついに発見されたのだ!

しかもこの全集には、コンセルトヘボウ管との第1番、ローマ・イタリア放送響との第3、5、6番、ストックホルムフィルとの第9番(以上初出盤)、スウェーデン国立管と表記された第8番(ストックホルムフィルのEMI盤と同一)が含まれ、おまけに1926年のベルリンフィルの《運命》の特典盤まで付くという。

sv0065p.jpgオーケストラや録音年代など種々雑多だが、EMIの「選集」と違って全9曲が揃ったファン垂涎の「全集」だった。学生だった筆者はこれが欲しくてたまらなかったが、1万5千円という高額なセットは買えようはずがなく、レコ芸に掲載されたディスコグラフィを舐めるようにながめたものである。

〈第2〉の録音が存在することは、以前よりフルトヴェングラー協会やマニアの間で噂されていたらしく、ようやくサンフランシスコのフルトヴェングラー研究家が秘蔵していた戦前のベルリン・フィルの放送用録音(おそらくアセテート盤)からレコード化が実現したと、解説に書かれている。


sv0065j.jpgしかしフルベン・ファンの永年の夢が実現したかと思われたのも束の間、この第2番も実はエーリッヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団のSP録音を元にしたものであることが米ハイ・フィデリティ誌の報告によって判明。

「またしてもフォノグラムがやってくれたか・・・」と当時はレコード会社に少なからず怒りをおぼえたものだ。正真正銘の第2番が発掘されるまでには、さらに5年の歳月を待たねばならなかった。

「1929年の放送用録音盤から復刻した世界初の巨匠の〈第2〉というふれこみで登場したが、間もなく非フルトヴェングラーと判明して姿を消した。正体はE・クライバー指揮、ベルリン国立Op.Or.によるSP盤(独Polydor:66905~8)。クライバーはこの録音以外にもブリュッセル・ナショナルso.を指揮したテレフンケン盤があり、国内盤(テレフンケン:33617~20)もあった。」 桧山浩介編「フルトヴェングラー・ディスコグラフィ」より、~『レコード芸術』、音楽之友社、1984~85年)



sv0065g.jpgフルトヴェングラーの“幻の第2番”が発見されたと新聞が報じたのは1979年2月。といっても小さな記事だったから印象は薄かった。音楽ファンにとっては一大ニュースだったが、今まで期待が裏切られてきたために骨董品的な発掘には筆者の興味は失せていた。

独エレクトローラからはフルトヴェングラー没後25周年を記念して、ブラームス〈二重協奏曲〉と共に発売され、わが国ではベートーヴェン交響曲全集(完結版)としてリリースされた。


「ベートーベンの〈2番〉は、フルトベングラーが残した録音の中でもいわく付きの曲。5年前、日本フォノグラムがフルトベングラー指揮の〈ベートーベン交響曲全集〉を発売したとき、1929年にベルリン・フィルを指揮したという〈2番〉が入れられたが、発売後、これはフルトベングラーの指揮ではないのではないか、との疑問が音楽関係者、愛好家などの一部から出た。結局、これに対する明確な反論も出ず、その後廃盤になってしまったので、この事件はウヤムヤ。今回発見された〈2番〉は、フルトベングラーが1948年ウィーン・フィルを率いてロンドンに演奏旅行したとき、ロイヤル・アルバート・ホールで演奏したというもので、音の状態は必ずしもよくない。」


桧山浩介氏(フルトヴェングラー研究家)によると発見された音源は、戦後唯一度だけ行われた巨匠とウィーンフィルによるベートーヴェン交響曲全曲演奏会(1948年9月28、30、10月2、3、6日の5回於ロイヤルアルバートホール)をBBCが放送録音したもので、後に全て消去されたと伝えられていた。ところが最近になってBBCの資料室にディスクに復刻して保存されていたものが発見されたという。

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フルトヴェングラーが〈第2番〉を指揮した回数は非常に少なく、〈第4番〉の半分にも満たず、ベルリンフィルとウィーンフィルの演奏記録によると戦前8回、戦後5回のみで、“幻の第2番”の録音が1点でも残されていたことはほとんど奇跡といえる。 参考:渡辺和彦編「フルトヴェングラー演奏会記録」より~レコード芸術別冊『フルトヴェングラー』、音楽之友社、1984年)

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1948年のウィーンフィルのロンドン公演を聴いたピーター・ピリー(当時30歳)は、没後30周年に次のように雑誌に寄稿している。

「実際の演奏を聴いて、わたしはこの〈第2番〉のフルトヴェングラーの演奏の、きわめてシューベルト的性格に驚いたことを思い出す。これは10月3日の同じ演奏会での〈第1番〉の演奏とは対照的で、こちらの方はハイドン的であると同時に本当のベートーヴェンのようでもあった。〈第2番〉の演奏は暖かく、叙情的で、きわめてウィーン風だった。」 ピーター・J・ピリー 特別寄稿『イギリスで聴いたフルトヴェングラー』より、横山一雄訳、~『レコード芸術』通巻407号、音楽之友社、1984年)


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第1楽章 アダージョ・モルト-アレグロ・コン・ブリオ
アセテート盤から起こしたとされる音質は劣悪で、パチパチという針の音やオリジナルソースに起因するワウフラッターがあり、鑑賞にはいささか忍耐を要するものである。音の潰れや歪みは随所にみられ、カップリングの「ストックホルムの第8」より音質が格段に落ちるので、“音の記録”と言ったほうが良いかも知れない。

sv0065a.jpg序奏部はゆったりと開始されるが、スフォルザンドピアノがノイズでよく聴き取れない。モーツァルト《魔笛》序曲とよく似た開始の提示部(34小節)のテンポは早く、61小節から急き立てるように弦楽器を走らせるところがいかにもフルベン流。第2主題も勢いよく歌われ、88小節の決めどころでは音楽が熱気を帯びてくるあたりは巨匠の面目が躍如している。

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しかし、ベルリンフィルに見られる鋭角的なスフォルザンドや確信を持ったフレージングに比べると、ウィーンフィルの演奏は全体の印象はどこか浮き足立ったような、中途半端な印象をぬぐい得ない。

「音質は劣悪だが、フルトヴェングラー独特のアプローチを知るには充分だ。テンポは猛烈に速く、活気があり(冒頭のアダージョや第2楽章のラルゲットさえも)、指揮者の音楽観も痛烈かつ鮮明に現れている。」 ジョン・アードイン著 『フルトヴェングラー・グレート・レコーディグス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)


「演奏自体はいろいろ問題があるにせよ、さすがと思わせる部分も多い。第1楽章の序奏はかなり遅く、エネルギーとカロリーに満ちたフォルテのひびきがすばらしい。ベートーヴェンが指定したスフォルザンドピアノの指定がすべて生きているのも気持ち良い。主部は速めのテンポとキビキビしたリズムによる若々しくも雄々しい表現で、やはりひびきに力がみなぎっており、コーダでは例によってリズムを焦らせてゆくが、この曲の場合、かえって効果を損なってるのが残念だ。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの全名演名盤』より、講談社、1998年)



第2楽章 ラルゲット
sv0065o.jpg「シューベルト的な夢」とピーター・ピリーが著すように、ウィーン風の温もりのある音楽が聴き手を魅了する。ピアノで歌われるクラリネットのふっくらとした音色に心惹かれるが、ノイズのせいで十分に聞こえてこないのが残念だ。

第2主題のヴァイオリンの優美な調べ再現部の柔和な木管の歌など、もし鮮明な録音で聴けたならば評価は大きく変わるだろう。問題を感じるのは75小節からで、ここまでものものしくリタルダンドしてしまうと、後くモーツァルト風の典雅な楽句が深刻すぎるものにならないだろうか。

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sv0018i.jpg展開部の終わり(154~156小節)の第1ヴァイオリンの上昇音型について、途中から第2ヴァイオリンに合わせてオクターブ低く演奏していると指摘する評論家がいるが、そんな事があり得るだろうか。

154小節の途中 [6:04]から音の歪みのせいで高音が途切れ、156小節がノイズで聴き取りにくいだけで、通常の音域で演奏しているとしか聴こえない。

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「第2楽章はテンポがかなり速く、流れは良いが、ちょっと堪能し切きれないのも事実である。しかし旋律はさすがによく歌われている。独特なのが75、79小節における大きなテンポの動きで、こういう解釈はかつて例を見ないが、大袈裟な身ぶりのわりには意味がなく、古くさい感じがする。また155~6小節における第1ヴァイオリンの上昇音型を、途中から第2ヴァイオリンに合わせてオクターヴ低くするのも解せない。いささか恣意的すぎるようだ。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの全名演名盤』より、講談社、1998年)



第3楽章 「スケルツォ」 アレグロ
sv0065c.jpgフォルティシモのティンパニの打ち込みが生ぬるく、フルベンなら、もっと爆発的なパッションとアインザッツの切れをのぞみたいのは筆者だけではないだろう。

トリオは木管がまったりと、ねばり気味に歌うところはウィーンフィルらしいが、全体に模糊とした手探り状態で進めているような印象をぬぐい得ず、有無を言わせぬ巨匠の手の内を見せるには至っていないようだ。

フルトヴェングラー・ベートーヴェン交響曲全集(紙ジャケBOX)

「疾走する演奏の輝かしさは別にして、最も興味深いのは第3楽章のトリオ部をゆったりと演奏して、息をつかせぬスケルツォと対比されている点だろう。」 ジョン・アードイン著 『フルトヴェングラー・グレート・レコーディグス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)



第4楽章 アレグロ・モルト
sv0065d.jpg終楽章はすばらしい。音楽が生き生きと弾み、弦のトリルやティンパニの打ち込みが冴え渡っている。フガート的な推移主題を《第9》のように重厚に弦楽器を重ね合わせるところはまぎれもなくフルベンの必殺技で、巨匠の貫禄充分。

第2主題はウィーンフィルの木管奏者の独壇場で、寝ぼけたような、まろやかな調べを堪能させてくれる。
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展開部は、いかにもフルベンらしい振幅の大きなデュナーミクと神技のアゴーギクによって迫力を増してゆくところに思わずCDを指揮したい衝動に駆られてしまう。「ここぞ」とばかりにアッチェレランドを仕掛けるコーダのダイナミズムもすさまじい。荒武者的なフェルマータ(335小節)や爆発的な総奏(386小節)は、なり振り構わぬ巨匠の気魄を刻印したもので、豪快かつ壮大なフィナーレに貧しい音のことなど忘れて興奮してしまう(会場の拍手入り)。

「フルトヴェングラーの長所が最も良く出ているのはやはりフィナーレであろう。スケールの雄大さは乏しいが、絶えず先を急ぐようなリズム、大きな身ぶりの間、そして凄まじいフォルティッシモとクレッシェンドで夢中になって突進してゆくコーダなど、彼ならではであるが、その途中で大きくテンポを落としすぎるのは芝居気がすぎるというべく、音楽が完全に指揮者のものとして消化され尽くしていないもどかしさはどうしても残る。」(宇野功芳著 『フルトヴェングラーの全名演名盤』より、講談社、1998年)


「《第2》は録音が芳しくないが、両端楽章の緩急自在な表現はフルトヴェングラー以外誰にもできない離れ業である。スピード感溢れる圧倒的な表現にベートーヴェンの魂が乗り移ったかのようである。」 横原千史氏による月評より、『レコード芸術』通巻第564号、音楽之友社、1997年)


これがもっと良好な音源で残されていたならと悔やまれるが、巨匠真正の〈第2〉が現存していたことは演奏解釈を知る上で存在価値は大きく、珍重されてしかるべき一枚だ。


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[ 2016/04/02 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

フリッチャイのベートーヴェン/交響曲第9番「合唱付」

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ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付」
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリンフィルハーモニー&聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊
Soloist: Seefried, Forrester, Haefliger, Fischer-Dieskau
Executive Producer: Prof. Elsa Schiller (DG)
Recording Producer: Otto Gerdes
Tonmeister: Werner Wolf
Recording: 1957.12.28,1958.1.2&1958.4 Jesus-Christus-Kirche, Berlin / Length: 68:24 (Stereo)
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1957年から58年にかけて、ダーレムのイエス・キリスト教会で録音されたフリッチャイ指揮の《第9》(4日間で6セッション)は、DGがベルリンフィルとおこなった初のステレオ録音で、しかもフィッシャー=ディースカウが参加した唯一の《第9》として注目を集めたレコードである。

sv0059c.jpg“リトル・トスカニーニ”と呼ばれた速いテンポによる厳格なスタイルから、ロマン主義的な巨匠風のスタイルに変貌をとげたフリッチャイだが、雄大でロマンティックな芸風からは、すでに巨匠の片鱗がうかがえる。

ベスト・メンバーで臨んだ声楽陣も秀逸で、ディースカウのみならず、脂がのった30代のヘフリガーの艶美な歌声を聴けるのもうれしい一枚だ。   amazon

「このベートーヴェンには強引なところや無理なところがひとつもない。ベルリン・フィルは柔らかくみずみずしく自然に歌い、この音楽の姿を虚飾なく再現する。特に第3楽章の澄み切った美しさは、その早すぎる晩年にフリッチャイが達した境地を示す最良の例のひとつだ。」 『200CDベルリンフィル物語』より増田良介氏による、UCCG3032、学習研究社、2004年)


「フリッチャイは前半を採りたい。第1楽章は真にドイツ風であり、表面は柔らかいが内部に意味とコクを持った響きがすばらしく、遅めのテンポが立派で、スケールも大きい。再現部冒頭やコーダはまさに精神の嵐である。第2楽章は逆に軽快な足取りの中に、ホルン強奏などの翳の濃さをあたえてゆく。第3楽章は音をたっぷり響かせすぎてデリカシーを欠き、第4楽章は第1楽章を受けるにしてはいかにも小型だ。フィッシャー・ディースカウの巧すぎるほどの巧いバリトンが印象的である。」 宇野功芳著『僕の選んだベトーヴェンの名盤』より、音楽之友社、1982年)



第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
sv0059b.jpg壮大に立ち上がり、勢いよく落下する第1主題のフリッチャイの力強い棒さばきは、開始から巨匠の貫禄十分で、造形はぴしりと決まり、しかもスケール感がある。強音は杭のように打ち込まれ、その緊密なアンサンブルと豪毅なサウンドはフルベン時代のベルリンフイルを彷彿とさせるではないか。


この時期のベルリンフィルは、カラヤンが音楽監督に就いて間もない頃で、コンサートマスターなどの首席奏者の一部はすでに入れ替わっていたものの、フィンケ(チェロ)、二コレ(フルート)、ツィラー(ホルン)といったフルトヴェングラー時代のキイ・プレイヤーがまだ現役で活躍していた。そのサウンドは華美なものになる以前の、ドイツ風のゴツゴツとした渋い響きと、かっちりと引き締まったフレージングが印象的である。

sv0059d.jpg大きな聴きどころは、第2主題への導入動機(74小節ドルチェ主題)。この動機は、第2楽章〈トリオ〉、第3楽章〈第2変奏〉、第4楽章〈歓喜の主題〉を予示する《第9》の“統一動機”もいえる旋律で、清澄な歌によって第2主題へ繋げる絶妙のフレージングと木管のおおらかな歌が聴き手の耳をひきつける。

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展開部(160小節)の主題変奏からフリッチャイは魂を込めて歌い出す。すすり泣くように弦が歌う“フリッチャイ節”は哀切の極みで、しみじみと聴き手の心に訴えかける弦楽フガートは“涙の音楽”。木管とチェロが淋しげに揺れる分散和音(267小節)、右チャンネルから聴こえる密度の濃いチェロのテーマ(279小節)、濡れたような弦のカンタービレ(284小節)など、フリッチャがその奥義を余すところなく伝えている。

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sv0059j.jpg再現部(301小節)は、フリッチャイが「ここぞ」とばかりに荒武者ぶりを発揮する。飾り気のない粗野な響きは質実剛健といえるが、決して荒れ狂ったり威圧的にならないのがフリッチャイの上手いところだ。

ティンパニの最強打を叩き込む“決めどころ”は、まるでフルベンの魂が乗り移ったかのような鬼気迫るタクトにベルリンフィルの面々が必死に喰らい付くさまが伝わってくる。チェロのトレモロ(331小節)が抜群の分離感で迫ってくる音場の生々しさも、この盤の聴きどころのひとつだろう。

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雄大な流れにのって突入するコーダ(427小節)は、悲しみを満面に宿してオーケストラが歌い出す。深沈とした弦にのって木管は悲痛な叫びを繰り返し、両者が掛け合いながら序々にテンポを速めて揺れ動くスタイルは“浪漫の大家”を思わせるもので、入念な分散和音のトレモロから導き出される気宇壮大な終止打撃は、“運命”に真正面から立ち向かっていくフリッチャイの気魄が漲っている。(501小節の第1ヴァイオリンをオクターブ上げ、538小節に32分休符を入れて演奏)
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第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ
sv0059e.jpg贅肉をそぎ落とし、シャッキリと明晰なリズム感覚でフリッチャイはスケルツォを料理する。

切れのよい拍節感とスリムな響きが心地よく、清新溌剌たる躍動感が聴き手の快感を誘っている。副主題(93小節)の旋律にホルンを重ねるのはレトロな巨匠の常套手段(ワーグナー改変版)であり、太い音でたっぷりと歌い出される勇壮なファンファーレが気分を大きく高めている。

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聴きどころはスケルツォの乱舞(272小節)で、フリッチャイはゴツゴツと固いティンパニを杭のように打ち込んで攻めの音楽を展開。ここではフルベン時代の“鉄血サウンド”が全開で、畳み掛けるようにトリオに乱入する無骨な棒さばきは古武士のようである。トリオは滔々と流れるチェロの歌、艶消ししたホルンの響き、小鳥が囀るオーボエの対旋律(カデンツァ)など、密度の濃い名人芸のオンパレードだ。


第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ
sv0059g.jpgアダージョはフリッチャイが心で奏でる崇高な音楽だ。ゆたかな歌が溢れんばかりの第1主題、深沈と祈りを込めて歌われる第2主題など厳粛で気高い気分が流れている。たっぷり注がれる弦楽にのって、清らかに歌い出される木管のハーモニーの美しさといったら!

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変奏部(43小節)はベルリンフィルの弦楽セクションが、フリッチャイの敬虔さに応えるように腕によりをかけて歌い出す。

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ゆったりとしたテンポにのって、装飾的な音型を1音1音、実直に紡ぎ出す真摯な音楽とその味わい深さは比類がなく、何ら虚飾のない清らかなフレージングが聴き手の心を掴んで離さない。クラリネットとホルンが天上のデュエットを奏でる星空の高み(第2変奏)や、極上の音色を聴かせる第3変奏など、美しい楽の音が聴き手を遙かなる高みへと導いてくれる。

sv0059h.jpgしかし、フリッチャイは決して幸福な気分に浸ろうとはしない。〈警告のファンファーレ〉(131小節)で荒々しいまでの気魄を込めて、我とわが身に鋭いムチを当てて最後の闘いに臨まんと決意する。耳が痛くなるようなのブラスの強奏から痛切さがひしひしと伝わってくるが、その解決をフィナーレに委ねるかのようなリタルダンドも印象的だ。

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第4楽章 プレスト-レチタティーヴォ [開始]
“恐怖のファンファーレ”はフルートが明瞭に鳴り響き、低音弦の“レチタティーヴォ”は強固な信念は後退して気分は穏やかである。速いテンポで晴朗に流れる“歓喜の主題”はことさら劇的な起伏は作らずに淀みなく流れ、管楽器が朗唱する《歓喜》の総奏(164小節)も大らかである。

sv0059p.jpg大きな聴きどころは、フィッシャー=ディースカウ(当時32才)のレチタティーヴォ。まるで徳のある高僧か弁者の説法を聴いているかのような知性ゆたかな、しかも説得力のある歌いっぷりは圧巻の一語に尽きるといってよく、「フロイデ!」と大見得をきるあたりは抜群の存在感を示している。

ゼーフリート、フォレスター、ヘフリガーといったの独唱陣もフリッチャイのオペラ・レコーディング・チームのレギュラー・メンバーで、当時の最高のキャスティング。

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最大のクライマックスは《歓喜の主題》がトルコ風の行進曲となるアレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ。オーケストラを鞭打つように速いテンポで突き進むところは実に勇ましく、次第に熱を帯びて苛烈なシンバルを「これでもか」と打ち込んで喧嘩腰で仕掛けるところはフリッチャイの気魄が漲っている。

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sv0059i.jpgこれに負けじとテノールのヘフリガー(当時38才)が、張りのある美声で《太陽賛歌》を轟かせ、勇猛果敢にオーケストラに対峙する。

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ここではヘフリガーがカラヤン盤(1955年)ほどゆとりを持たない。まるで指揮者に鞭で尻を叩かれ、綱渡りをやっているようなスリリングな歌い回しがすさまじく、鬼気迫るような切迫感は尋常ではない!

サクサクと軽快に駆け走る弦楽フガートの緻密な器楽アンサンブルと、精気溌剌とした聖ヘドヴィヒ聖歌隊の《歓喜の合唱》も秀逸だ。落ち着きと深みのある《抱擁の主題》、弦楽合奏に柔らかくとけ込ませた《星空の彼方に》など、その澄み切ったハーモニーと歌詞が明瞭に聴き取れる奥行き感のある音場は特筆モノである。

sv0059f.jpg最後の大見せ場はオペラのフィナーレを思わせる歌唱アンサンブルによるアレグロ・マ・ノン・タント。弦の小走りのフレーズに続いて、独唱陣が絶妙のカデンツァを聴かせてくれる。

〈あなたのやさしい翼の憩うところで〉を独唱が纏綿と歌いまわすところが最高の聴きどころで、女声の歌い方に古臭さを感じさせるところはあるが、年齢のわりにはクールで分別くさいF=ディースカウを後目に、ゼーフリート(当時47才)が気持ちを込めて艶美なカデンツァを決めている。  TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

プレスティシモのコーダは、フリッチャイがフルベン顔負けのアッチェレランドによって聴き手の興奮を喚起する。マエストーソから合唱と管弦楽を雪崩れ込ませ、一気呵成にプレスティシモのフィニッシュに突入する荒武者ぶりが刺激的で、最後にトランペットを突出させて締めるあたりは実演さながらの音のドラマといえる。“フルトヴェングラーの再来”と謳われたフリッチャイがステレオで遺したお宝の一枚だ。


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[ 2015/12/26 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

シェルヘンのベートーヴェン交響曲第6番「田園」

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ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調 Op.68 「田園」
ヘルマン・シェルヘン指揮
ルガーノ放送管弦楽団
Recording: 1965.3.12 Lugano (PLATZ)
Location: Radiotelevisione della Svizzera Italiana
Disc: PLCC729 (1998/10)
Length: 34:41 (Stereo)
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ヘルマン・シェルヘン(1891~1966)のレコードといえば、晩年にスイス・イタリア語放送局にステレオで残された《ベートーヴェン交響曲全集》が名高く、疾風怒濤の表現主義を極めた凄演として異彩を放っている。中でもシェルヘンの唸り声や叫び声が混入した《田園》は、音楽マニアにとくに珍重されているものだ。

sv0037b.jpg演奏はとにかくすさまじい。ここには長閑で牧歌的な田園情緒は何処へやら、せかせかしたテンポでオーケストラを煽るように爆進するさまは、一体何事が始まったのかと思わせるほどである。

フルトヴェングラーもかくやと思わせるアッチェレランドや、楽譜にない盛大なクレッシェンドで楽員をけしかけて熱く燃え上がるさまは、聴き手を興奮させる“ディレッタンティズムの極地”といえる。

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めまぐるしいテンポの変転はもとより、弦をガリガリと削るゼクエンツの強圧的な取り回しや、時には力瘤を入れて荒ワザを仕掛けるあたりも、この演奏、なかなか一筋縄ではいかない。大声でオーケストラを煽りながら爆風のように荒れ狂う〈嵐〉や、激情をぶちまけるようなフィナーレの熱い音楽は、自然賛歌というより“波瀾万丈の人生劇場”の感があろう。

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「ベートーヴェンの交響曲の個性的表現は、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターなどの往年の巨匠たちがやり尽くしてしまい、新しいタイプの演奏は台頭してきた古楽器団体に期待するしかないと思っていた矢先、まさに青天の霹靂のように登場したのがこのシェルヘンのライヴであった。往年の巨匠たちの個性的な表現に慣れていたファンですら、この演奏には仰天した。ベートーヴェンの交響曲録音史上に、これほど爆発的な表現をしたものは今まで皆無だったのではないか。」 オントモムック『クラシックディスク・ファイル』より平林直哉氏による、YMDC1013~7、音楽之友社、1995年)


「異端の指揮者シェルヘンによる異常なライヴ演奏である。足を踏み鳴らし、怒号をあげながらオーケストラを追い立ててゆく。楽員もアマチュア・オーケストラのように弾きまくり、吹きまくる。現今、こんな演奏例は他に皆無だ。みなホットに燃えたぎっている。激情が先に立って仕上げがおろそかになっており、一般的にはお薦めできないが、フルトヴェングラーが警告した、レコード用の演奏がコンサート・ホールにも進出、という物足りなさを実感している人には最も貴重な記録といえよう。」 オントモムック『クラシック名盤大全』より宇野功芳氏による、PLCC685~90、音楽之友社、1998年)



第1楽章〈 田舎に着いたときの愉しい感情の目覚め〉
 アレグロ・マ・ノントロッポ

sv0037c.jpg主題呈示のフェルマータのあとの、大音量で突進する第2ヴァイオリンの攻撃的なフレージングにのっけから仰天するが、せかせかと奏するオーボエにのって、豪快に音量を増してゆく総奏の荒々しい足どりは異様としかいいようがない。

大きく練り回す第2主題もヴィオラとチェロが力まかせにフーガに加わって大立ち回り、その頂点で和音を強引に弾き切るあたりは、音楽が乱暴である。コデッタ(小結尾)に至っては、アンサンブルが破綻するほど荒れ狂い、まるでベートーヴェンが「カッカ」と頭に血をのぼらせて、怒り肩で憤然と歩くさまを連想させる。 [提示部は反復しない]   amazon

sv0037d.jpg展開部はヴィオラとチェロが3連音のリズムを「ガリガリ」と削るゼクエンツはすさまじく、地鳴りをあげる豪快な総奏が「ここぞ」とばかりに燃え上がる。第1主題を歌い上げる〈囀りの動機〉(243小節)など、とっ捕まえて首を締め上げた鳥の悲鳴にすら聴こえてくる。

波の満ち引きを織りなすコーダのクライマックスでは、檄を飛ばす指揮者の大声も飛び出すなど(455小節)、その劇的な音楽運びは熱血漢シェルヘンの独壇場。476小節でテンポを極端に落とすところは「ガクッ」とさせるが(ついでに記せばクラリネットの独奏がちょっと危うい)、念を押すように力を込めて押し込む終止和音も極めて刺激的だ。
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第2楽章〈小川のほとりの情景〉 アンデンテ・モルト・モッソ
sv0037e.jpg小川のせせらぎは、山あり谷あり、時には激流となって狂奔する。第1主題の豪快なクレッシェンドには肝をつぶすが、前のめりに奏するクラリネットは気ぜわしく、第2主題もどこか不安げで嵐の到来すら予感させるではないか。頂点では小川が急流になったような猛スピード過激なデュナーミクで荒れ狂うさまは、やり過ぎとしかいいようがない。

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主題を変奏する展開部は、小鳥たちがひりひりと苦痛を訴えるように聴こえてくるところも傑作だ。再現部もドタバタとあわただしく落ち着かないが、聴きどころはコーダ〈夜鶯の歌〉の2回目(132小節)。遅いテンポと陰鬱な気分でウズラとカッコウが嘆き出す(オーボエのミスあり)。他の木管もこのテンポで歌い継ぐが、待ちきれぬフルートが勢い駆け込み、そそくさと締めるあたりは即興というよりディレッタント的だ。


第3楽章〈田舎の人たちの楽しいつどい〉 アレグロ
sv0037f.jpg元気溌剌とはずむ舞曲はすこぶる陽気で、酔っぱらったように奏でる鄙びたオーボエは、作曲者がイメージした酒場のバンドにピタリとはまる。雑然とした弦楽はもとより、ホルン、クラリネットのソロもアマチュア・レベルだが“ヘタウマ的なノリ”で大健闘。

トリオは弓をバチバチと弦にぶつけて弾き飛ばす荒々しさも半端ではなく、楽員がなりふり構わず〈嵐〉に突進するところは気合い充分である。[ダカーポは削除]

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第4楽章〈雷雨、嵐〉 アレグロ
sv0037g.jpg指揮者の大きなかけ声とともに21小節から爆風が吹き荒れる。「それっ!それっ!」と楽員をけしかけて破天荒に暴れるさまは、まさに八方破れの快(怪)。43、47小節の稲妻をあらわすティンパニの一撃もこれまたすさまじく、皮が破裂したように炸裂する。

指揮者が罵声を張り上げ、力瘤を振り回して荒れ狂う嵐の第2波やクライマックスの“集中豪雨”など、アンサンブルは空転してほとんど崩壊しかけているが、裸の自己をさらけ出し、気でも違ったように大打ちまわるシェルヘンの感情表出には驚くしかない。

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第5楽章〈牧人の歌-嵐のあとの喜びと感謝の気持〉 アレグレット
sv0037h.jpg17小節から第2ヴァイオリンの〈クーライゲン〉が綿々と奏でられると、音楽は俄然盛り上がる。熱い歌心のヴィオラとチェロ、力を込めて不羈奔放に高揚する総奏など、フルベンを彷彿とさせるその白熱ぶりは、標題を超えた熱い共感が噴出する。変奏部はオーケストラの腕の冴えがほしいところだが、アンサンブルが崩れていく一方で、血のたぎった熱情が湧き上がってくるのがこの演奏の不思議な魅力である。

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大きな聴きどころは、ファゴットとチェロが主題を変形してカノン風に展開する第3変奏(177小節)からで、ヴァイオリンが美しいカンタービレを奏でて聴き手を魅了する。指揮者も無我夢中になって我を忘れたのか、何やら喋り出すところは気が狂ったのではないかと思わせるほどの没入ぶり。

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sv0037i.jpgファゴットとチェロがくすんだ分散和音で逍遙する中を、ホルンや木管が一丸となってフーガで盛り上がる第4変奏(206小節)も聴き逃せない。メリハリのある低弦のオクターブ上行を波立たせながら、「えい!えい!」とラジオ体操のような号令で楽員を叱咤激励し、楽譜にない盛大なクレッシェンドで高揚するクライマックスの総奏(219小節)は、熱き血が迸る指揮者の気魄に圧倒されてしまう。

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ソット・ヴォーチェで開始するコーダの音楽は、シェルヘンが波乱に満ちた人生を述懐するかのように情感を込めて奏される。
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低音弦に支えられた重みのある終止和音によって、ドラマチックな“シェルヘン劇場(激情)”が幕を下ろす(スタジオの拍手入り)。これは、爆演マニア垂涎の一枚だ。


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[ 2015/03/07 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

ムラヴィンスキー=レニングラードフィル日本公演の「田園」

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ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調 Op.68 「田園」
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィルハーモニー管弦楽団
Date: 1979.5.21
Location: Tokyo Bunka-kaikan
Disc: ALT064 (Altus)
Length: 41:15 (Stereo Live)
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この《田園》は、ムラヴィンスキー最後の来日となった1979年5月21日 東京文化会館での実況録音盤で、筆者は同じプログラムを 5月28日大阪フェスティバルホールのコンサートを聴いた。ムラヴィンスキーの来日は4度目で、指揮者のアルヴィド・ヤンソンスを伴っての公演。ムラヴィンスキーは7回の演奏会を受けもったが、演目は地味なものだった。

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当時、フェスティバルホールの地下にはSABホールがあって、音が漏れてくと噂されていた。このホールでは「ヤングおー!おー!」(毎日放送)や「パンチ・DE・デート」(関西テレビ)といった人気番組の公開録画がよく行われていて、この日もそれが原因なのかどうかはわからないが、《田園》の演奏中にウォ~ンとなにやら奇妙なエコーが響いてきて演奏に集中出来なかった記憶がある。


筆者が驚いたのはこのオーケストラの配置。ヴァイオリンが左右に分かれ、コントラバスが左手奥にならび、雛壇にのった金管は右手奥にひとかたまりになって、ほとんど横を向いたように陣取ったスタイルは異様に思えた。古典的なヴァイオリンの対抗配置は今でこそ流行っているが、当時としては非常に珍しいことだった。

sv0030c.jpgここで聴く演奏は1本筋の通った毅然としたスタイルの《田園》で、音楽は厳しい眼差しで貫かれ、しかも孤独な味わいがある。

「嵐」の場面で獅子吼する金管に圧倒されるが、終楽章のクリスタルのような弦の輝きにただもう感動するばかりで、天上に昇りつめるような崇高な気分が立ちのぼっている。

ムラヴィンスキー自身も東京で演奏した《田園》は大変満足のいくものだったと夫人によって伝えられている。



「ベートーヴェンとワーグナーは確か大阪のフェスティバルホールで聴いた覚えがあるが、これは東京文化会館での録音である。《田園》はかたちのよく整った演奏で、冒頭からリズムが着実で堅固、そのため情緒の表現よりも交響的な密度の高さが目立つ。当然ながら音楽に堂々とした威風がある。この演奏は終楽章が圧倒的である。その強靱な生命力にみちた音楽は、ただ感動的というほかはない。この楽章だけを採れば最高の演奏と評価してもよい。もちろんあらゆる楽器が内部の力感を解放している。」 小石忠男氏による月評、『レコード芸術』通巻637号、音楽之友社、2003年)


この公演で1つの事件が起こってる。公演中の6月に楽団員の2名(第1ヴァイオリン奏者とトランペット奏者、後者はロシア連邦共和国功労芸術家)が亡命したのである。ソ連の芸術家が海外公演先で亡命するのは珍しいことではなかったが、来日公演のさ中であったことから衝撃的な出来事として新聞にも報じられた。
ソ連当局とムラヴィンスキーとの確執のためか、その後に予定された公演は直前に中止され、大物よび屋で知られた招聘元は多額の負債をかかえて倒産してしまう事態にまで発展したことも記憶にあたらしい。


第1楽章 アレグロ・マ・ノントロッポ
sv0030d.jpg牧歌的な第1主題は、どこか物思いにふけるような深沈とした趣があり、哲学的な省察にみちた孤独な味わいがある。アンサンブルは整然と、1音1音が研ぎ澄まされ、スコアを丹念に彫琢してい‘北国の匠’を思わせる。実演では、もっとそっけない印象をもった気がするが、録音で聴くと記憶にある音よりも柔らかく、贅肉がとれたスリムな響きはこの楽団の特質なのだろう。

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聴きどころは展開部のゼクエンツ進行。第1主題の2小節目の音型を無窮動的に繰り返す場面(スターウォーズ・エピソード1の音楽に似ている)は“反復の快楽”で、クレッシェンドして第1ヴァイオリンが「ス~」と引き延ばされるところは耳の快感といえる。低音弦の強奏反復もすさまじく、再現部冒頭のカデンツ的なトリラー・パッサージュをはじめとするレニングラードフィルの緊密なアンサンブルは一分の隙もない。

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第1主題が回帰して展開する第3部(237小節)は決然と打ち込む総奏の切れ味は抜群で、鍛え抜かれたプロフェッショナルの技を堪能させてくれる。実演では椅子に座って棒をほとんど動かさず、時おり奏者を睨みつけるような老巨匠の鋭い眼光が今でも忘れられないが、巨匠の眼差しはロシアの厳しい自然と対峙するかのようである。

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最大の聴きどころは主題が歯切れ良い調子で進むコーダ(418小節)。ここでは3連音のコデッタ主題を伴奏するロングトーンの弦が、木管の音型と交互に満ち引きを繰り返ながら整然と、美しく高揚する。カデンツ的な妙技を聴かせるクラリネットの腕前も秀逸で、会場録音では目立たないが肉感のある82年盤と同様、この楽団の木管セクションの名人芸にも耳をそば立てたい。

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第2楽章 アンデンテ・モルト・モッソ
sv0030f.jpg小川のほとりの情景は、神経の糸がぴんと張りつめたような、ただならぬ緊張感が漂っている。太い音で響くクラリネットと、細身でスッキリと鳴り響く弦が不思議な調和をもたらしているが、このオーケストラが本領を発揮するのは第2主題(32小節)。ファゴット、ヴィオラ、チェロの艶消ししたような内声部のハーモニーは味わい深く、哀愁を帯びた翳りのある音楽にどこか悲しくなってしまう。

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展開部(54小節)はレニングラードフィルの木管セクションの名人芸が聴きどころ。フルートとオーボエがくすみがかった音色を聴かせる第1変奏のデュエット、肉感のあるクラリネットがたっぷりと歌う第2変奏のカデンツァ、これを弦の分散和音の揺動音型(チェロのソリ)が精密にぴたり寄り添うように支えている。

第3変奏(79小節)でクラリネットとファゴットがうらぶれた気分で歌い継ぐところなどは、指揮者ムラヴィンスキーの孤独感がひしひしと迫ってくる。繊細で清らかな第1ヴァイオリンに導かれて、小鳥たちが淋しげな囀りを繰り返し、名残惜しげに楽章を閉じるさまは、ムラヴィンスキーの胸中たるや、いかなるものだったのだろうか。


第3楽章 アレグロ
sv0030g.jpgスケルツォはレニングラードフィルの緻密なアンサンブルの独壇場で、この楽団の質の高さをが実況録音盤から伝わってくる。精密なホルン信号に歯切れよく掛け合う弦楽器と、シャッキリと打ち込む和音が爽快な気分を誘っている。

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聴きどころは鄙びたオーボエ、まろやかなクラリネットのカデンツァ、艶消ししたホルンが風情ゆたかに歌い回す第2主題で、奏者の個性的な音色によって名人芸を繰り広げている。トリオの陽気な民族舞曲は指揮者の厳しい統制のもとで整然と進行し、堅固なリズムは一分の隙もない。燦然と打ち放つトランペットのフェルマータ、わずかにパウゼを入れて突入するプレストも威勢がある。


第4楽章 アレグロ
sv0030h.jpg「雷雨と嵐」は辛口の音楽だ。雷雨がやってくる練習番号Cは、爆風が唐突に吹き荒れる凄まじさで、つんざくようなトランペットの強奏は凄絶の極みとしかいいようがない。稲妻の打ち込みにも度肝をぬくが、雷鳴が轟くブラスの強烈なアタックは、デッドな響きのホールから生の衝撃音がリアルに伝わってくる。

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嵐の第2波は、緊密な弦の分散和音の中から打って出てくるブラスの直線的な乾いた咆哮がいかにもロシア的といえるが、トランペットの強烈なアクセントも実演ならではのものだ。圧巻はトロンボーンが加わる107小節のクライマックスで、暴力的ともいえる憤怒の勢いで吹きぬいているところに腰を抜かしてしまう。

嵐は過ぎ去り、遠雷の狭間からオーボエの賛歌(コラール)の断片が聴こえてくる。凍てついた大地にうっすらと鈍い陽の光が差し込んでくるような雰囲気は、あたかもシベリウスの音楽を聴いているようで、北欧の情景が浮かび上がってくる。


第5楽章 アレグレット
sv0030i.jpg〈牧人の歌〉のフィナーレは感動的だ。古めかしいホルン信号に導かれた牧人主題が第1ヴァイオリンによって清冽に歌われる。オクターヴ下げた第2ヴァイオリンのメロディーを彩る第1ヴァイオリンの分散和音が、波打つように揺動する美しさは比類がなく、溶け合うような総奏のまろやかさ、思いをこめた第2主題(42小節)、高らかに歌い上げるヨーデルなど、明晰な響きの中から温もりのある音楽が大きくゆたかに広がっている。

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展開部の変奏は高性能の弦楽集団が腕によりをかけて歌い出す。たおやかに牧人主題を歌う第1変奏(64小節)、第1ヴァイオリンが16分音符で装飾する第2変奏(117小節)は、何ら作為のない清らかな心の音楽だ。8分音符の裏打ちの動機がヴィオラのピッツィカートとかけ合いながら勇壮なホルンに引き継がれるところも感動的で、美しいレガートで奏でる第2主題ヨーデルの総奏の美しさに恍惚となってしまう。

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sv0030j.jpgクライマックスは第3変奏(177小節)。チェロとファゴットが主題を変形し、これを第4変奏(206小節)で木管に散りばめられる一方で、弦楽が16分音符で優美に歌い、カノン風に拡大して頂点(219小節)に上りつめるところが最大の聴きどころ。

指揮者の厳しい統制によって管弦の響きは冴えわたり、ベートーヴェンの音楽が天上の音楽となって、優しさと輝きをあますところなく表出している。総奏でトランペットが即興的に大きくクレッシェンドするあたりも実演ならではの高揚感がある。

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sv0030k.jpgコーダの「祈りの音楽」は清らかで美しい。ため息のようなオーボエのせつない調べは聴き手の郷愁を誘い、万感の思いを込めた和音終止が名残り惜しげに響いている。ムラヴィンスキーが、最後の公演で心をこめて演奏した筆者には思い出の深い《田園》である。

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[ 2014/12/11 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

フルトヴェングラーのベートーヴェン/交響曲第8番

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ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 作品93
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1953.4.14 Titania-Palast, Berlin (Live)
Henning Smidth Olsen No.330
Disc: FURT2002-2004 (Tahra)
Length: 25:56 (Mono)
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フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲は、EMIのレコーディング計画において〈第2番〉〈第8番〉が録音されずに終わったことから、ライヴ録音の発掘が音楽ファンの待ち望むところとなっていた。しかし、巨匠は演奏会でこれらの曲を取り上げることが少なく、その発掘には紆余曲折があった。

sv0028m.jpg1972年7月、まず東芝EMIから発売されたストックホルムフィルの〈第8〉は、レオノーレ序曲第3番とリハーサルを組み合わせた1948年のライヴ録音だったが、演奏は巨匠の個性が生々しく刻印されたものではあったものの、録音の貧しさや演奏の質の問題でファンを充分に満足させるまでには到らなかったと記憶する。

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1973年10月、日本フォノグラムのフォンタナレーベル(FCM53)より、1953年4月にベルリンフィルを振った〈第8番〉が発売されて大きな話題になった。この〈第8〉が公式のルートで発売されたのはこの時が初めてだったが、1970年にコペンハーゲンで出版されたオールセンのディスコグラフィには、Non Commercial Discの項No.0028として掲載され、非公式にプレスされた海賊盤(MRF-50、MRF-64、BJR118)によってその存在が知られていた。

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1953年のベルリンフィル定期公演は、ティタニア・パラストで4月12、14日に行われ、14日はラジオの中継放送があり、その録音テープが自由ベルリン放送局(Radio Sender Freies Berlin)のライブラリーに保管されている。ところが、エアチェックされたアナウンス付きの実況録音では、第1楽章提示部の反復が行われているという重大な情報がヨーロッパから持たらされ、海賊盤に対する疑惑がわき起こったという。

提示部の反復はフルトヴェングラーが絶対にやらなかったというエリーザベト夫人の証言によっても裏付けられ、ストックホルムの演奏と比べても第2楽章のリズムとアクセントがまるで別人である点が指摘された。結局のところ、このレコードの正体はクリュイタンス指揮のベルリンフィルのEMI盤で、「非フルトヴェングラー」と判定された。

「これはアンドレ・リュイタンスの演奏である。フルトヴェングラーの“贋作”はいろいろあるが、本物を多少なりとも聴き込んでいれば、明らかにそれと見破れる録音のひとつだろう。全体の特徴はよく似ているが、曲の構成に対するフルトヴェングラーの独特のアプローチ、とくにこの指揮者の署名代わりになっている、11小節の後の短い休止が見られない。さらにこの演奏では第1楽章の繰り返しが行われているし、和声よりも旋律が重視されている。またリタルダンドのかけ方も短く、突然で、スフォルツァンドにきっぱりとした勢いがない。ティンパニも抑制が効きすぎている。」( ジョン・アードイン著 『フルトヴェングラー・グレート・レコーディグス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)</p>


「ベルリン・フィルの〈第8〉ということで話題をまいたレコードだが、クリュイタンス盤と同じではないかという意見が提出され、ぼくもじっくり聴き比べた結果、まったく同一であった。但し、クリュイタンス盤はステレオで音は清澄、フルトヴェングラー盤はモノで音も鈍重、ピッチもやや低い。意識的に変えたのだとしたら悪質である。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの名盤』より、PC4、芸術現代社、1977年)


sv0028l.jpg一方、桧山浩介氏(フルトヴェングラー研究家)によると、米国ではフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの〈第8〉との見解が根強く、BJR118のソースになったテープには、冒頭にフルトヴェングラーとベルリンフィルによるベートーヴェンの〈第8〉という女声アナウンスが入っており(レコードではカット)、これが真正盤とされる理由ではないかと指摘する。


事実、1988年にクラウン・レコードからCD(PAL1026)で再び発売された時「この演奏は今でも米国ではフルトヴェングラーの演奏と広く信じられている」旨の原盤提供者からの回答があったという。(『フルトヴェングラー没後50周年記念』~平林直哉「フルトヴェングラー事件簿」より、学習研究社、2005年)

現在、フルトヴェングラー指揮によるベートヴェン〈第8〉は、3種のライヴ録音が確認されている。これ以外に1932年のベルリンフィルの断片(第2、3楽章)が知られている。

No.OrchestraDateCityLocationOlsen_No
ストックホルムpo1948.11.13StockholmKonserthusO_140
ベルリンpo1953.4.14BerlinTitania PalastO_330
ウィーンpo1954.8.30SalzburgFestspielehausO_422
ベルリンpo1932.12.20BerlinGerman radio archive 

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参考までに上記3種の演奏と、フォノグラム盤(A)、クリュイタンスのEMI盤(B)の演奏タイムを比べてみた。第4楽章に拍手が含まれている場合(*)はそれを表示タイムから除いた時間とした。なお、(B)は(A)に酷似するものの、第1楽章131小節のチェロの一人がピツィカートで演奏するミスがあるためにEMI盤とは別物との異論(桧山説)もあるが、ステレオ盤のCDを聴く限り、そのようなミスは聴き取れなかった。

No.DiscLavel第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章合 計
TOCE-3720EMI8:024:335:517:26*25:52
415 662-2DG8:024:305:367:48 25:56
013.6310Nuova Era8:304:375:477:51*26:45
FCM53Fontana10:373:555:027:42 27:16
50999-6483032EMI10:353:555:017:44 27:15

sv0028h.jpg真正のベルリン盤は、ワルター協会盤(日本コロムビア)OZ7520(1977年)、OZ7585(1984年)として発売されたが音質は劣悪。筆者が購入したのはOZ7585だったが、その後、自由ベルリン放送を音源とする独グラモフォン盤のCD(415 662-2)を買い直したのの、これも期待したほどの音質ではなかった。

今回、仏ターラ盤(FURT2002-2004)に耳を傾けてみると、これが驚きや、鮮明でみずみずしい音に飛び上がって驚いた。強音も音が潰れることなく、木管の息づかいやニュアンス、弦楽器のしっとりとした色艶が感じとれるではないか!

「演奏はさすがと思わせる立派なものである。第1楽章はかなり熱っぽい内面の動きを映し出しており、明暗が大きく波打っている。やや過剰な身振りさえ感じられるが、この楽章全体は見事な統一感のものとすばらしい動的な美しさを内包している。楽員ときき手とを一挙に音楽的気分のなかに引きずりこむ作業であり、しかもそれ自体芸術的完成度の高い指揮である。これに対して次の2つの楽章はたっぷりと、そしてこまやかに吟味しての表現で、第1楽章の劇的な誘導から一転してきき手は微妙の世界へと流し送られる。悠悠たるテンポのメヌエットにもこまやかにニュアンスがあり、トリオのホルンなど録音の粗末さにもかかわらず、非凡な美しさだ。」 大木正興氏の月評より、OZ7520、『レコード芸術』通巻第318号、音楽之友社、1977年)


「ストックホルム盤とほとんど同じ解釈であるが、この方が円熟しており、オーケストラと録音もずっと良い。ともかく、厚味のある意味深い響きが一貫した〈第8〉であり、第1楽章の再現直前のあたりは、その情熱の高まりが最高だ。出来映えもこの楽章がいちばん見事である。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの名盤』、OZ7520、芸術現代社、1977年)



第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ
sv0028i.jpg弦楽器のシャッキリとしたみずみずしい総奏フォルテの開始に驚かされるが、ストックホルム盤と比べると、アンサンブルの質が根本的に異なり、緻密で、まるで次元の違う音楽が鳴っている。付点2分音符の手前(12小節)で大きく“溜め”を入れるのがフルベンの“常套句”「12小節目のルフトパウゼのようなフレーズの強調」と印されるチェック・ポイントだ。ウィーンフィルとの演奏でティーレマンがネタバレ的に、これと似たような事をやっていた。
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素朴な民謡風の第2主題も聴きのがせない。ベルリンフィルの艶やかな弦がうるわしく輝き、木管の透明な音に魅了させられるが、スフォルザンドを深く打ちこんでクレッシェンドしていくのがフルベン流。音型が変わる70小節(再現部268小節)では、角をまるめたレガートで歌わせているのも大きな特徴で、ストックホルムと同様「70小節からの音型でリズムをまったく変える」(宇野功芳氏)と著される。

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sv0028j.jpgここで、展開部へ入る箇所(104小節)で事故が起こる。木管奏者の1人がリピートがあるものと思い誤ってをフォルテで「ひょ~」と飛び出してしまう。ターラ盤ではクラリネットに聴こえるが、「2番フルートだけ戻ってしまっている」(ジョン・アードイン)という異論もある。グラモフォン盤(415 662-2)では、この部分を差し替えて修正の手を入れているが、不自然な継ぎ目は明瞭だ。
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「エリーザベト夫人の指摘どおり巨匠は反復の省略を楽員に指示していたとみられるフシが本項の録音で認められる。つまり第1楽章102小節の次は巨匠の指示では104小節目は1拍目がトゥッティでそのあとはヴィオラだけのpとなるところが本項の録音では104小節目に相当する冒頭の1小節目をクラリネットが吹いている。これは通常、反復演奏される習慣とはフルトヴェングラーの指示が異なっていたため、その指示を奏者がうっかりしてしまったミスと思われる。」 桧山浩介編「フルトヴェングラー・ディスコグラフィ」より、~『レコード芸術』、音楽之友社、1984~85年)


sv0028k.jpg大きな聴きどころは展開部151小節で、第1と第2ヴァイオリンが交互に激しくかけ合いながらスフォルツァンドを急迫的に打ち込んで畳み掛けてゆくところはフルベンの面目躍如たるところで、巨匠はダイナミックに、的確にリズムを打ち込んで突進する。コーダはストックホルムほど力まかせの荒業を仕掛けないのがこの演奏の格調高いところで、ベルリンフィルの高度な演奏技術によって、音楽にゆとりと風格すら感じさせてくれる。
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第2楽章 アレグレット・スケルツァンド
木管のリズムがぴしゃりと決まり、質の高いアンサンブルを堪能させてくれる。第2主題もリズムが活きづき、フォルティシモのすさまじい震音がオケの威力を伝えている。再現部の変奏主題で魅せる優美な歌や、コーダの精密かつ豪快な終止もフルベンらしい必殺ワザといえる。

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第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット
sv0028n.jpg大きくうねる弦の厚い響きによって、巨匠は密度の濃いメヌエットを演奏する。腹に響く低音リズム、艶やかに歌う弦の調べ、第1ヴァイオリンの滑り込むようなスタッカートなど神業の連続で、踏みしめるようなリズムで打ち込む管のテーマも力強い。

カールスバードの郵便馬車信号を模したトリオは、ホルン奏者の独壇場。このすばらしい演奏には、ただもう聴き惚れるばかりで、これを歌い継ぐクラリネットの独奏も冠絶している。これに比べるとストックホルム盤の演奏はいささかお粗末だ。

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第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
フィナーレは堂々たるテンポで落ち着きのある進行が印象的だ。ここでもベルリンフィルの緊密なアンサンブルと優美な歌を堪能させてくれるが表現は抑制され、起伏と迫力にとんだ荒武者的なストックホルム盤に比べれば、どこか演奏にノりきれないうらみがある。

sv0028o.jpgようやくエンジンがかかるのがコーダ345小節の総奏から。切迫感のあるリズムにのせてクレッシェンドとアッチェレランドを重ね、コントラバスの重低音をたっぷり効かせる主題回想や、爆発的な和音終止によって帳尻を合わせた感がある。終楽章にいまひとつ燃焼し切れないもどかしさを残すベルリン実況盤だが、巨匠の奥義と質の高いアンサンブルで魅了させてくれる筆者には思い入れのつよい一枚だ。

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[ 2014/11/20 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

コンヴィチュニーのベートーヴェン/交響曲第6番 「田園」

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ベートーヴェン/交響曲第6番ヘ長調 Op.68 「田園」
フランツ・コンヴィチュニー指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
1960.3 Bethania Kirche, Leipzig (Schallplatten)
Disc(CD): TKCC15311 (2004/3)
Disc(LP): PC5597-93 (1978/6)
Length: 44:53 (Stereo)
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筆者がゲヴァントハウス管弦楽団の演奏を生で接したのは、忘れもしない1975年11月の公演。大阪フェスティバルホールの2階席最後列から身を乗り出すように聴き入ったのが懐かしい思い出である。

この時は、まだ髪の黒かったクルト・マズアがシューマン交響曲第4番とチャイコフスキー交響曲第5番を指揮したが、古めかしい深く沈んだ弦の響き、鉛を絞り出したような金管の迫力、硬いティンパニの音に度肝をぬかされた記憶がある。これこそが、巷で噂されていた“燻し銀”の響きで、中部ドイツで18世紀から培われてきた伝統のサウンドだった。

sv0016b.jpg同じ東ドイツの楽団でも、ドレスデン(シュターツカペレ)のそれは、木管も金管も弦に溶け込んで、全体にはくすみがかったようなマイルドな肌触りがあるが、ゲヴァントハウス管はもっと厳めしく、ゴツゴツとした古武士的な響きが印象的で、これは整然と構築し、がっちりとした手応えを感じさせるベートーヴェンの音楽におあつらえ向きといえないか。


コンヴィチュニーがゲヴァントハウス管と初来日し、東京と大阪でベートーヴェン・ツィクルスを演奏したのは1961年4月のことで、 この交響曲全集&序曲集のCDには詳細なデータが記されていないが、かつてフィリップスから発売されたLP(PC5587~93)によると第1、2、7番が1959年6月、第9番が1959年7月、第3、5、6番が1960年3月、 第4、8番が1960年8月の録音で、巨匠が死の1年前に完成した貴重な音源である。
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全曲の中から筆者が取り上げたいのが第6番《田園》。ここでは近接マイクによる木管が生々しく、まろやかに捉えられており、この楽団の特質である古色蒼然としたサウンドが艶光りしたような光沢を帯びて、しっとりとした色合いを放っているのが大きな魅力。低音を礎にしたフレージングは安定感があり、演奏の水準もずば抜けて高い。楽器の滑らかなキイタッチが聴こえる録音もすこぶる明瞭、弦楽器が対抗配置をとらずに低音楽器を右側に配置する安定感のある音場も成功をおさめている。

「コンヴィチュニー指揮でベートーヴェン交響曲全集が発売されたとき、その蒼古の響きに感嘆したものである。これこそドイツの伝統の響きと解釈であり、すべてが堅固にまとめられている。音楽の骨格を大切にした着実無比の表現だが、その説得力は凄く、いまも第1級の演奏と評価したい。」 オントモムック 『世界のオーケストラ123』より小石忠男氏による、音楽之友社、1993年)


「この演奏はLPの時にも聴いた記憶があるのだが、印象は極めて稀薄だった。廉価版LPの音が悪かったのか、あるいは自分がぼんやり聴いていたのかは不明だが、CDになってあらためて接したら、そのあまりの瑞々しさに驚いてしまった。表現はいたってオーソドックスなのだが、出てくる響きの何と豊かなことであろう。渋くはあるけれど暖かくしっとりした弦楽器、柔らかな音色の管楽器など、これほどのきれいな音はもはや今日の同楽団からは聴くことは不能である。」 オントモムック 『クラシック名曲大全・交響曲篇』より平林直哉氏による、TKCC15044、音楽之友社、1998年)



第1楽章 アレグロ・マ・ノントロッポ、へ長調、4分の2拍子
sv0016c.jpg実直に刻む〈基本動機〉は安定感があり、ヴィオラをたっぷりと響かせて、「ごうごう」とコントラバスを波立たせる深みのあるフレージングは、なるほど、ドイツ流儀のベートーヴェンだ。
喜悦に充ちたオーボエの囀りに呼応するゆたかなオーケストラ・サウンドも心地よく、第2主題をフーガ風に力強く弾き回すバスを土台に、まろやかな木管の唱和をくわえて頂点(93小節)に駆け上がる瑞々しい音楽運びは、このコンビの手の内におさめたものといえる [提示部は繰り返す]。

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展開部(139小節)は、基本リズムのゼクエンツを不断の意志で刻み続ける指揮者の実直な棒さばきがものをいう。決めどころの総奏(175小節)では、フォルティシモのバスが基点となって音楽は逞しく前進するが、いたずらに力瘤を振り回すことなく、整然とした構成感と毅然とした風格を備えているところがコンヴィチュニーたるゆえんだろう。

再現部(279小節)も巨匠はいささかのケレンも踏み外しもなく、ひたすら楽譜に忠実に捌いてゆく。弾むような調子のコーダ(418小節)では、3連音のコデッタ主題が潮の満ち引きとなって、さざ波のように柔らかく揺り返すこなれた弦楽アンサンブルや、カデンツ的な分散和音でまろやかに彩るクラリネットの名人芸など、伝統にはぐくまれたこの楽団の“熟れた味わい”を心ゆくまで堪能させてくれる。


第2楽章 アンデンテ・モルト・モッソ、変ロ長調、12分の8拍子
sv0016d.jpgじっくりと腰の据えた遅いテンポに仰天するが、柔らかなクラリネットが1音1音を丁寧に紡ぎながら揺動する素朴な味わいは格別のものだ。第2主題も高揚することはなく、ファゴット、ヴィオラ、チェロが侘びた風情で幽くたゆたうところは、指揮者が何ひとつ細工することも、美しく装うこともしない。

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展開部(54小節)は、淡くほのかな陽光の中で、鄙びた木管が歌い継ぐところが聴きどころ。フルートとオーボエが琴瑟相和したデュエットを繰り広げる第1変奏や、クラリネットがカデンツ的なアルベジオ(75小節)を“蜜のような甘さ”でささやく第2変奏は大自然の閑雅をこころゆくまで味わわせくれる。〈小鳥たちの囀り〉の古色蒼然とした木管も手作りの味わいがあり、滑らかなキイタッチが明瞭に聴える耳にやさしいフルートのトリルにも耳をそば立てたい。

第3楽章 アレグロ、ヘ長調、4分の3拍子
sv0016e.jpg田舎の舞曲はモッサリした足どりで、愚直といえるほど生真面目にスタッカートを刻んでゆくが、アンサンブルの精度は高く、統制された響きと精確なビートに支えられた階書風の音楽作りがコンヴィチュニー流。

ここでは第2主題を興趣ゆたかに歌い回わすチャーミングなオーボエや、カデンツ的な音階を滑らかに駆け下りるクラリネットの果肉を含んだ名人芸が聴きもので、艶消ししたような古めかしいホルンもローカル・カラーが満載!

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トリオは実直を絵に書いたような、どっしりと恰幅のある音楽だ。コンヴィチュニーは見るからに厳つく気難しそうな風貌とは裏腹に大の酒好きで、いつも好物のウィスキーをポケットにしのばせていたため“コン・ウィスキー”というあだ名で知られた。本番前にもよく一杯ひっかけていたというから、プレストでは酒場のバンドをイメージした音楽に反応するように、足を踏み込んで重量感を増しながら躍動するさまは実に頼もしい。


第4楽章 アレグロ、ヘ短調、4分の4拍子
sv0016f.jpg嵐のフィギュアはバスの重低音にのって、生々しい弦のトレモロが抜群の鮮度で目の前に迫ってくる。「ズン」と打ち込む稲妻の重低音や、「どっしり」とシコを踏むような雷鳴がユニークで、クライマックスの暴風(107小節)など武骨に固い音の塊をぶつけてくるあたりは古武士そのもの。嵐が過ぎ去ってもなお、すさまじいバスの低音が呻りを上げている不気味な情景も個性的だ。

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第5楽章 アレグレット、ヘ長調、8分の6拍子
静謐なカンタービレを聴かせる〈牧人主題〉(クーライゲン)は、音楽が一点の濁りもなく澄み渡っている。第2ヴァイオリンはゆったりと幅広く歌われ、まろやかなホルンの朗唱をくわえて、堂々たる威風に充ちた音楽が流れてゆく。ここでは主題を展開する4つの変奏が聴きどころで、老舗の楽団が地味ながらも絶妙のアンサンブルを繰り広げる。

sv0016i.jpgまったりとクラリネットが舞うクロアチア民謡を挿入した第1変奏、16分音符のゆるやかなフィギュレーションで中庸の美感を淑やかに醸し出す第2変奏、大波のようなオクターブの上行を繰り返す第3変奏などは、これ見よがしな見得や虚飾を廃し、地道に歩む巨匠の奥義を伝えている。ファゴットとチェロがくすんだ音でたゆたいながら、素朴なホルンや木管を絡めてフーガ風に盛り上がる第4変奏も実に感動的である。

コーダ(237小節)は“祈りを捧げる音楽”だ。牧人主題と第1楽章の面影を宿した崇高な主題を、名残惜しげに回想するあたりはコンヴィチュニーの芸の懐が深く、強い低音弦とゲシュトップのホルンによって逞しい生命の息吹を注ぎ込むかのように、“感謝の歌”をたっぷりとした終止和音によって締め括っている。ドイツ正統のスタイルと燻し銀の響きで魅了させてくれる1枚だ。


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[ 2014/07/11 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

ショルティのベートーヴェン/交響曲第5番

sv0012a.jpg
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
ゲオルク・ショルティ指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Location: 1958.9 Sofiensaal, Wien (DECCA)
Producer: John Culshaw
Engineer: James Brown
Length: 32:23 (Stereo)
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この《運命》は、46歳のショルティがジョン・カルショウのプロデュースでセッションを組んだ1曲で、ワーグナーの《ラインの黄金》と平行して録音されたものである。これはショルティの強い要望で実現したもので、この時ショルティはベートーヴェン交響曲全曲のレコーディングに意欲を燃やしていたという。

「ミュンヘン以外ではショルティはほとんど無名で、そこでの治世もあまり幸福とは言えなかった時期から、まだ10年とたっていない。ところが今の彼は、急速に世界に知られ初めていた。彼を前へ前へと駆り立てていたのは、ハンガリー出国以後に無駄にした歳月への後悔である。だから、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲を録音出来るチャンスは、《ラインの黄金》への期待よりも強く、彼を惹きつけたのだ。」ジョン・カルショー著 『レコードはまっすぐに』より、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005年)


sv0012f.jpgしかし、カルショウは同意しなかった。ショルティがベートーヴェンの交響曲を録音するのは時期尚早で、ベートーヴェンは、すでにトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターといった巨匠たちの名盤が存在し、英デッカでもエーリッヒ・クライバーがコンセルトヘボウ管を指揮した《運命》のLPが熱狂的に迎えれていたことから、ショルティの出る幕はなかったという。


カルショウの妥協案として、まず《英雄》《運命》《第7》を録音し、これが成功しなければ全曲録音はあきらめることで落着。結局、これらの録音はよい評判を得ることが出来ず、ショルティが全集を制作する機会は1970年代にシコガ交響楽団と録音するまで待たねばならなかった。

sv0012e.jpg筆者がこのウィーンフィルとの《運命》をはじめて聴いた時、つよい衝撃を受けた記憶がある。これほど挑戦的なスタイルで押し切った演奏も珍しく、強固な意志で老舗の楽団に挑みかかる指揮者の闘争心がスリリングな興奮を呼んでいる。激しい気魄でオーケストラを駆り立るドライヴ感も無類のもので、いつもなら拍をずらせ、まったりと寝ぼけた音を発する老舗の楽団が、この時ばかりは牙をむいて吠えかかっていくのがすごい!

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同じウィーンフィルを指揮したクライバーやラトルも計測上はショルティと互角以上の速度で渡り合っているが、これらはオーケストラの響きがシェイプされて聴こえるのに対し、ショルティの演奏はウィーンフィル特有の重みのあるサウンドがズシリと伝わってくる。歯ごたえのある音で、スコアが見えるように聴こえるところは耳の快感を誘い、オーディオ・マニアにとっても垂涎の録音といえる。

ConductorDateSource1st mov.2nd mov.3rd mov.4th mov.Total
Karajan1948TOCE99297:2410:444:588:4631:52
Solti1958UCCD37667:2811:095:078:3932:23
C.Kleiber1974UCCG20017:229:595:088:51*31:01
Solti1990POCL51517:289:445:119:15*31:28
Rattle2000TOCE553317:219:044:508:30*29:45
Rattle2002TOCE558827:249:074:478:42*30:00
Thielemann2010UNITEL7:1910:375:358:16*31:41

「ショルティ指揮ウィーンフィルのベートーヴェン《第5》は凄いほどの活力と熱気にみちた演奏。第1楽章など比較的はやめのテンポでたたみ込むように運んでいる。現在のショルティとは異なる肩怒らせた筋肉質の演奏だが、深みはないとしても痛快と感じられる。第2楽章もかなり意識的にコントロールされている。やはり個性の濃厚な演奏というべきだろう。」 小石忠男氏による月評より、K15C8053、『レコード芸術』通巻362号、音楽之友社、1980年)


「これもカルショウの仕事である。《第5》の第1楽章では曲とオーケストラの両者に捨身で対決したような緊張感が、実に凄絶ともいえる迫力を生み出している。アンサンブルはあらあらしいが、それが独自の効果をあたえることを計算した結果であろう。第1楽章のコントロールの強い、それでいて大きな起伏をもった演奏も、ショルティらしいが、終曲の堂々とした力感は第1楽章とともにショルティの意図を明快に表出して余すところがない。ショルティという指揮者を理解するために一度はきいてほしい演奏である。」 (小石忠男氏による月評より、F28L28041、『レコード芸術』通巻446号、音楽之友社、1987年)



 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0012b.jpg冒頭の噛みつくような鋭角的なアインザッツは、まるでオーケストラと指揮者がケンカ腰である。にらみ合った両者の怒りが頂点に達したところで音が出たという感じで、これがとてつもない緊迫感を生んでいる。「それみろ、やれば出来るじゃないか!」といわんばかりに強引に押し切る指揮者の豪腕に、老舗の楽隊の面々が「なにくそ」と必死になって喰らいつく。

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「ザリザリ」と凄まじい音をたてる低音弦、「ぐい」と弾ききる運弓は、「こんな若造にナメられてたまるか」と言わんばかりに奏者の怒りすら伝わってくる。8分休符に俊敏に反応して即座に2度目の運命動機を叩き込むところもスリル満点で、フェルマータの2回目をスコアに即して計測したようにプラス1拍でカウントするのもショルティらしい。

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「彼らは、和音は正確に揃わないほうが“温かい”と考えていた。それがとくに顕著に表れたのは、私が出だしの和音を完全に揃えて演奏するように要求したときだ。私に言わせれば、それは“みっともない”ことでしかない。長いあいだウィーン・フィルは、私にたいして“俺たちのほうが上だ”的な態度をとりつづけた。ウィーンを離れるときはいつもほっとしたものだ。」 ( ゲオルク・ショルティ著 『ショルティ自伝』より抜粋、木村博江訳、草思社、1998年)


3連音動機を歌い継ぐ緊密な弦のリレーは名人芸といえるが、鋭角的なスフォルツァンドを打ち込みながら、ぐいぐい急き立てるように駆け上がる力動感も比類がない。第2主題を告げる張りるあるホルンも活力に充ちている。

sv0012c.jpg木管がまろやかに歌い回す第2主題(67小節)はウィーンフィルならではの馥郁たる味わいに魅せられてしまう。大きな流れとゆたかなサウンドでコデッタにのぼり詰める場面はスケール感があり、パリパリと明快に鳴るホルンが耳の快感を誘っている。きっぱりと打ち込む終止打撃もパンチが効いて痛快である。

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強烈なホルンの雄叫びから一気呵成に突入する展開部は、デッカ・サウンドのご馳走が満載だ。ヴィオラとチェロの対声部がもりもりと浮かび上がる音場は抜群のステレオ感で、骨と皮だけの古楽系のモノ・トーンに比べると、果肉をたっぷり含んだ弦がひた走るところは、ジューシーな味わいがある。

和音の豪打で突入する再現部も堅固なリズムは一分の隙もなく、獅子吼するホルンもすさまじい。指揮者に逆らうように嫋々と奏でるオーボエの小カデンツァはウィーンの美学に酔わせてくれるが、すかさず、切り込むように第1主題が走り出し、一気呵成に突進するコーダは途轍もない緊張感が張り巡らされている。歯切れよく打ち込むティンパニの連打も「マジャールの闘士ここに在り!」といわんばかりの気魄に充ち、まるで猛獣を仕留めたような達成感が漲っている。


 第2楽章 アンダンテ・コン・モート
sv0012d.jpg瞑想的な第1主題は、筋肉が付きすぎている嫌いはあるが、たっぷりとした弦のサウンドが心地よく、哀調を帯びた木管の受け応えもウィーンフィルらしいやわらかに明滅するハーモニーが魅力的だ。第2主題の全合奏に入る手前で、低音弦に「ズンッ!」と力瘤を入れるところや、ブラスがどぎつい音で放歌高吟する場面は鮮烈といえる。

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聴きどころは第1変奏(50小節)。弦が16分音符で揺れながら、その上を肉感のあるクラリネットの持続音がまったりと浮かびあがる音場に酔ってしまいそうになる。第2変奏(98小節)は32分音符で波打つヴィオラとチェロの力を抜いた歌い口から、高貴ともいえる憂いが匂い立つ。

圧巻は、この32分音符の分散和音系のメロディーをチェロ・バスが「ザリザリ」と大きく弾き回す114小節で、弓が弦をこする生々しい触感が快感となって迫ってくる。木管の鄙びた味わいも魅力的で、第3変奏の主題再現(185小節)をオクターヴで奏するシルキーなヴァイオリンや、コーダのうらぶれたファゴットの妙味にも耳をそば立てたい。


 第3楽章 アレグロ(スケルツォ)
sv0012g.jpg3拍子のスケルツォは張りのあるホルンにのって、骨格のガッチリした、マッシヴなオーケストラ・サウンドが展開する。明確なリズム打ちにのって、きびきびと進行する音楽は、鬼軍曹が軍隊をシゴくさまを想起させるが、高弦の小刻みの走句と対をなす低音弦のどっぷりとした重みのある節回しによって、音楽が大きくゆたかに流れている。

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トリオは低音弦が躍動感たっぷりと進行する。コントラバスとチェロが弦を削るように激しい音を立て、ヴィオラが弦を噛むように突っ込む迫力のある音場は“デッカ・マジック”に他ならない。痒いところに手が届くような録音の生々しさは比類がなく、ぴしりと整ったリズム感覚にエネルギッシュな力動感がくわわって、パンチの効いたフーガを形成している。フィナーレに向かって、コツコツと刻む精密なリズム打ちも気持ちよく、テンポがぴたりと決まっている。
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 第4楽章 アレグロ
sv0012h.jpgエネルギーをため込んで、強烈な金管を放射するフィナーレは解放感に溢れんばかり。喨々と吹き鳴らすホルンをはじめ、41小節のトロンボーンのロングトーンと低音弦の対声部をやたら強調しているところは録音のあざとさすら感じさせるが、ショルティの鞭が入るのは第2主題(44小節)からで、速いテンポで畳みかけるように展開部に突入するところは音楽がすこぶる健康的である。


展開部もショルティの快速調に揺るぎはない。トロンボーンの痛烈な一撃(112小節)とともに軍隊調の様相を帯びてくるのがユニークで、「運命モチーフ」のリズム打ちは苛烈を極め、オーケストラを力ずくでドライヴしようとする指揮者の気魄が漲っている。その頂点(142小節)で弦がバリバリと弾きとばし、金管が解放的に吹き鳴らされるところは勝ち鬨を上げたかのようである。

コーダ294小節)は第2主題が快調なテンポで走り出す。鋭角的な和音の連続パンチをぶちかますところは剛腕ショルティの面目躍如といえるが、勝利をほのめかすファゴットの〈結尾主題〉が飛び出すと、拍を切り刻むように俊敏にピウ・アレグロとプレストへ突入し、強烈な金管をぶち抜く力ワザには驚くほかはない。剛腕ショルティの格闘技のような演奏をたっぷり楽しめる一枚だ。


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[ 2014/05/28 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

カラヤン=フィルハーモニアのベートーヴェン〈第9〉

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ベートーヴェン/交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱付」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
フィルハーモニア管弦楽団&ウィーン楽友協会合唱団
Soloist: Schwarzkopf, Höffgen, Haefliger, Edelmann
Recording: 1955.7.24,25,28,29 Musikverein, Wien
Producer: Walter Legge (EMI)
Engineer: Dougls Larter
Length: 65:32 (Mono)
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筆者の青春時代はカラヤン=フィルハーモニア盤と共にあったと言っても過言ではない。当時、カラヤンはベルリンフィルの指揮者として飛ぶ鳥を落とすがごとく勢いで楽界の帝王に君臨し、その地位を揺るぎのないものにしていた。しかし、レギュラー価格のベルリンフィル盤(グラモフォン)は学生の筆者には“高値の花”で、名曲が選り取り見取りの組み合わせで安く売っていたフィルハーモニア盤(東芝)に手が伸びて、音楽通を自認する友人たちに白い眼で見られたものだった。

このフィルハーモニアの第9は、40代後半の新進気鋭のカラヤンが指揮した覇気にとんだ演奏で、弦楽器のノーブルな味わいや“ウォルター・レッグのロイヤルフラッシュ”と讃えられた木管楽器のパフォーマンスに魅了される。何よりも素晴らしいのが歌手陣の豪華さ。プロデューサーのレッグの妻でもあったシュヴァルツコップをはじめ、脂ののった30代半ばのヘフリガーの艶美な歌声を味わえるのが大きな魅力で、フルトヴェングラーのバイロイト盤に引けを取らぬ独唱陣の見事な歌唱を堪能させてくれる。

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当時のLPは電気的にステレオに加工した疑似ステレオ盤(当時は“ニセステ”とよばれていた)だったが音の状態は良好で、ステレオの拡がり感も自然なもので満足のいくものだった。ウィーン楽友協会の合唱も秀逸で、モノラル録音ながらホールの残響をたっぷり取り込んだ楽友協会での収録もここでは成功をおさめている。

「音は想像していたよりよほど良い。演奏はさすがに引き締まって覇気がある。音楽に勢いがある。そしてつい先日の最新全集にくらべると、カラヤンの顔ではなくてベートーヴェンの顔が私たちの眼のまえに見える。大胆さと、後にその方向が強まってゆく細心さとが入りまじって起状に富んだ心の動きが開示されている。これはたしかに有望このうえない指揮者であったあったわけだ。この声楽陣はすでにあらゆる機会に言われてきたことだが、本当に充実したものである。」 大木正興氏による月評、『レコード芸術』通巻第328/332号、音楽之友社、1978年)


「内容は期待を裏切らないきわめて丁寧な仕上がりになっている。後年の、ともするとオートマティックに生産されるような無機的な感触はここにはいっさいなく、音ひとつひとつを手作りの丁寧さで磨き上げている。これは壮年期(この頃は40代半ば)のカラヤンの特徴のひとつと言えるだろう。その結果、どの演奏にも生命感溢れる奔流のような勢いがそなわっている。第9番《合唱》は往年の名歌手ショヴァルツコップ、ヘフゲン、ヘフリガー、エーデルマンといった錚々たる顔ぶれ。カラヤン・ファンにとっては貴重なアーカイヴとなるだろう。」 草野次郎氏による月評、『レコード芸術』通巻第692号、2008年)


この第9が録音された1955年のシーズンは劇的な変化が生じ、カラヤンは多忙を極めていた。前年11月にフルトヴェングラーが突然亡くなり、 2月にその代役で米国公演を引き受けてベルリンフィルの首席指揮者に内定して間もない頃で、10月にはフィルハーモニア管との米国ツァーも控えていた。

フランス人の若いモデル、エリエッテ・ムーレ(この時22才で後のカラヤン夫人)との付き合いが密になり、2度目の妻アニータとの離婚を真剣に考えはじめたのもこの頃だ。まさに将来への展望が大きく開かれ、カラヤンが心身共に最も活力が漲っていた時期であった。このような状況のもとで名演奏が生まれぬはずがない。


第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
sv0005b.jpg6連符のトレモロの中から確信を持って立ち上がる音楽は勢いがあり、第1主題が奔流となって湧き出る見通しの良さは抜群である。

第2主題の弦の優美な歌い口や流れるようなフレージングも印象的だが、特筆すべきはA、Dのティンパニのリズム打ち(120小節)で、これが独特の躍動感を生んでいる。リズミカルな木管楽器との掛け合いや、颯爽と前へ進むテンポの良さなど、深遠なフルベンとはおよそ対照的といえる。
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展開部(160小節)は、哀調を帯びた木管と、角張ったところのないみずみずしい弦のフガートによって主題は清冽に流れてゆくが、強音は杭のようにしっかりと打ち込まれているために音楽はいささかの弛緩もない。ポエジーな木管アンサンブルの名技(266小節)、ゆたかな低音弦(279小節)、第2主題部のやわらかなフレージングの妙味(284小節)といい、カラヤンの手の内に収めた聴かせどころは枚挙に暇がない。

嵐のようなクライマックスに突入する再現部(301小節)は、フルベンのように無我夢中に荒れ狂ったものではなく、造形を崩さず、清新溌剌とした筆運びで聴き手を魅了するのがカラヤン流。大きく弾みを付けてすすむコーダ(427小節)は悲劇的な気分を擦り込みながらヒロイックに立ち振る舞う音楽がカッコよく、テンポを早めて頂点へ向かう場面では闘争の精神が自ずと湧き上がってくるのがカラヤンの巧いところだ。

木管が美しく歌い継ぐ中を弦が「ぐい」と力を増して弾ききるところ(488小節)や、早いテンポの分散和音(531小節)から一気呵成に壮大な第1主題を導き出すスケール感も無類のもので、小細工なしの直球勝負でとどめを決めるカラヤンの確固たる自信に充ちた棒さばきに快哉を叫びたくなる。ここでは、501小節の第1ヴァイオリンをオクターブ上げたり、538小節に32分休符を入れることなく楽譜に忠実に演奏している。


第2楽章 モルト・ヴィヴァーチェ-プレスト
sv0005g.jpgスケルツォは絶妙のリズムさばきでキビキビと早いテンポで駆け抜ける。緻密な弦のスピッカートやシャッキリとしたリズムの切れは特筆モノで、副主題のファンファーレ(93小節)を快活に弾んで感興を高めている。

リズムをしっかりと踏みしめる第2スケルツォも躍動感たっぷりで、ストレッタ的に追い込むクライマックスのエネルギッシュな棒さばきは、才気煥発なカラヤンの本領発揮といえる。

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レッグによると、カラヤンはレコーディングの時に他人のレコードをスタジオに持ち込んで、これを聴いては指揮に戻るということをやっていたらしい。このセッションもトスカニーニのレコードを直前まで聴いていたため、レッグはテンポが早くなりすぎないようにコントロールしたという。 参考:井阪紘著『巨匠たちの録音現場』、春秋社、2009年)

トリオ(412小節)はみずみずしい木管の妙技を堪能させてくれる。とくに牧歌的な舞踊主題を軽快に奏でるオーボエのカデンツァや、低音弦からたっぷりと織り込むフガートの心地良さ、ヴィオラとチェロの対旋律を得意のレガートによって際立たせるなど、みずみずしい音楽が淀みなく流れている。


第3楽章 アダージョ・モルト・エ・カンタービレ
アダージョは柔和なカンタービレと歌心あふれるニュアンスの豊かさはお任せあれといったカラヤンの自信に充ちた棒さばきが印象的。情感を込めてたゆたう第1主題と清冽に流れる第2主題は自然に振る舞いながら、柔和で平和な気分が巧まずして導き出してゆく。聴きどころは主題変奏部でフィルハーモニア管の腕利きの奏者たちが心を込めて歌い出す。

sv0005c.jpgメロディアスな分散和音でメランコリックに揺れる第1変奏、管楽器が〈星空の高み〉を奏する詩情味溢れる第2変奏、16分音符に細分化された主題を弦が優美に織り上げる第3変奏など、フレーズを美麗に歌い上げるところはカラヤンの独壇場で、天上にのぼりつめるような気高い気分がそこかしこに流れている。

コーダのファンファーレはいたずらに力まず、適度なまろみを持たせているのも心地よく、女心をくすぐるようなエレガントな風情は、若きエリエッテの姿を夢想するカラヤンのしたたかさが浮かんでくる。

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パリの高級仕立屋のマヌカンとして働いていたエリエッテ・ムーレは、ある時友達に誘われて、シャンゼリゼ劇場にベルリンフィルの演奏を聴きに行った。この時、あこがれのマエストロにサインをもらいに楽屋をたずねたのが運命の出会いだった。サインのペンをゆるめてふとこの美しい娘を見たカラヤンの胸は高鳴った。彼女こそ、心に描いていた理想の女性であったのだ! 参考:福原信夫著「カラヤンこぼれ話」~レコード芸術別冊『指揮者のすべて'77』、音楽之友社、1977年)


第4楽章 プレスト-レチタティーヴォ
sv0005h.jpg雄渾な低音のレチタティーヴォから大きな流れを作って〈歓喜の主題〉へ盛り上げてゆく音楽運びがじつに巧妙で、いたずらに見得を切ったり、うねり回すような巨匠風の演奏とは一線を画したすがすがしい流動感が主題全編を貫いている。精気溌剌とした主題総奏と、一気果敢に雪崩れ込むプレストは若々しい覇気が漲っている。

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エーデルマン(38才)のレチタティーヴォは大きく豊かだ。年齢に似合わず歌に余裕と風格がある。これに対峙するオーケストラの活気に驚かされるが、〈歓喜の頌歌〉はシュヴァルツコップ(40才)、ヘフゲン(34才)、ヘフリガー(36才)といった絶頂期の名歌手たちをカラヤンは巧みに舵を取り、見事に調和させている。ウィーン楽友協会の合唱も秀逸で、「vor Gott!」がホールに息長く響いている音場は、これがモノラル録音とはとても思えない。

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大きな聴きどころがトルコ行進曲のアレグロ・アッサイ・ヴィヴァーチェ。ヘフリガーはフリッチャイ盤にも参加しているが、“テノール殺し”で綱渡りするフリッャイ盤に対し、当盤ではヘフリガーが〈太陽賛歌〉を気持ちよく、ゆとりをもって歌っているのが特徴で、決して気負わず、ヒューマンな温かみが放たれている。とくに後半の朗らかな調子で艶美に歌い回す高揚感がたまらない。「ここぞ」とばかりに急速に駆け込む弦楽フガートもカラヤンならではのカッコよさがあり、〈大合唱〉は溌剌とした躍動感に溢れんばかり。

sv0005f.jpgトロンボーンを加えた男声合唱の力強い〈抱擁の主題〉、天の高みへと清らかに上昇してゆく〈星空の彼方に〉、管弦楽と合唱を交えた壮麗な〈二重フーガ〉を堪能させてくれた後に、いよいよ最後の大見せ場がやってくる。

オペラのフィナーレを思わせるアンサンブルで、「あなたのやさしい翼の憩うところで」をソプラノから順にカデンツァを歌い継ぐところが最高の聴きどころだ。誰一人として突出することなく、カラヤンは4人の歌手を見事に調和させるが、最後に名花シュヴァルツコップが抜群の存在感を示している。

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シュヴァルツコップは来日の折、「あの頃は、カラヤンも忙しくなかったし、充分の日程をとって、みんなで楽しんで録音したものです。」と、当時を懐かしがっていたという。プレスティシモのコーダはまさにカラヤンの活力が演奏者全員に乗り移ったかのような精気溌剌としたフィニッシュで、トスカニーニが“世界最高”と称した万能オーケストラを思う存分に指揮し、真剣勝負で取り組んだ第9であった。筆者には思い入れの強い1枚だ。

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[ 2014/03/21 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)