ショルティのベートーヴェン/交響曲第5番

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ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
ゲオルク・ショルティ指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Location: 1958.9 Sofiensaal, Wien (DECCA)
Producer: John Culshaw
Engineer: James Brown
Length: 32:23 (Stereo)
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この《運命》は、46歳のショルティがジョン・カルショウのプロデュースでセッションを組んだ1曲で、ワーグナーの《ラインの黄金》と平行して録音されたものである。これはショルティの強い要望で実現したもので、この時ショルティはベートーヴェン交響曲全曲のレコーディングに意欲を燃やしていたという。

「ミュンヘン以外ではショルティはほとんど無名で、そこでの治世もあまり幸福とは言えなかった時期から、まだ10年とたっていない。ところが今の彼は、急速に世界に知られ初めていた。彼を前へ前へと駆り立てていたのは、ハンガリー出国以後に無駄にした歳月への後悔である。だから、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲を録音出来るチャンスは、《ラインの黄金》への期待よりも強く、彼を惹きつけたのだ。」ジョン・カルショー著 『レコードはまっすぐに』より、山崎浩太郎訳、学習研究社、2005年)


sv0012f.jpgしかし、カルショウは同意しなかった。ショルティがベートーヴェンの交響曲を録音するのは時期尚早で、ベートーヴェンは、すでにトスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルターといった巨匠たちの名盤が存在し、英デッカでもエーリッヒ・クライバーがコンセルトヘボウ管を指揮した《運命》のLPが熱狂的に迎えれていたことから、ショルティの出る幕はなかったという。


カルショウの妥協案として、まず《英雄》《運命》《第7》を録音し、これが成功しなければ全曲録音はあきらめることで落着。結局、これらの録音はよい評判を得ることが出来ず、ショルティが全集を制作する機会は1970年代にシコガ交響楽団と録音するまで待たねばならなかった。

sv0012e.jpg筆者がこのウィーンフィルとの《運命》をはじめて聴いた時、つよい衝撃を受けた記憶がある。これほど挑戦的なスタイルで押し切った演奏も珍しく、強固な意志で老舗の楽団に挑みかかる指揮者の闘争心がスリリングな興奮を呼んでいる。激しい気魄でオーケストラを駆り立るドライヴ感も無類のもので、いつもなら拍をずらせ、まったりと寝ぼけた音を発する老舗の楽団が、この時ばかりは牙をむいて吠えかかっていくのがすごい!

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同じウィーンフィルを指揮したクライバーやラトルも計測上はショルティと互角以上の速度で渡り合っているが、これらはオーケストラの響きがシェイプされて聴こえるのに対し、ショルティの演奏はウィーンフィル特有の重みのあるサウンドがズシリと伝わってくる。歯ごたえのある音で、スコアが見えるように聴こえるところは耳の快感を誘い、オーディオ・マニアにとっても垂涎の録音といえる。

ConductorDateSource1st mov.2nd mov.3rd mov.4th mov.Total
Karajan1948TOCE99297:2410:444:588:4631:52
Solti1958UCCD37667:2811:095:078:3932:23
C.Kleiber1974UCCG20017:229:595:088:51*31:01
Solti1990POCL51517:289:445:119:15*31:28
Rattle2000TOCE553317:219:044:508:30*29:45
Rattle2002TOCE558827:249:074:478:42*30:00
Thielemann2010UNITEL7:1910:375:358:16*31:41

「ショルティ指揮ウィーンフィルのベートーヴェン《第5》は凄いほどの活力と熱気にみちた演奏。第1楽章など比較的はやめのテンポでたたみ込むように運んでいる。現在のショルティとは異なる肩怒らせた筋肉質の演奏だが、深みはないとしても痛快と感じられる。第2楽章もかなり意識的にコントロールされている。やはり個性の濃厚な演奏というべきだろう。」 小石忠男氏による月評より、K15C8053、『レコード芸術』通巻362号、音楽之友社、1980年)


「これもカルショウの仕事である。《第5》の第1楽章では曲とオーケストラの両者に捨身で対決したような緊張感が、実に凄絶ともいえる迫力を生み出している。アンサンブルはあらあらしいが、それが独自の効果をあたえることを計算した結果であろう。第1楽章のコントロールの強い、それでいて大きな起伏をもった演奏も、ショルティらしいが、終曲の堂々とした力感は第1楽章とともにショルティの意図を明快に表出して余すところがない。ショルティという指揮者を理解するために一度はきいてほしい演奏である。」 (小石忠男氏による月評より、F28L28041、『レコード芸術』通巻446号、音楽之友社、1987年)



 第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0012b.jpg冒頭の噛みつくような鋭角的なアインザッツは、まるでオーケストラと指揮者がケンカ腰である。にらみ合った両者の怒りが頂点に達したところで音が出たという感じで、これがとてつもない緊迫感を生んでいる。「それみろ、やれば出来るじゃないか!」といわんばかりに強引に押し切る指揮者の豪腕に、老舗の楽隊の面々が「なにくそ」と必死になって喰らいつく。

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「ザリザリ」と凄まじい音をたてる低音弦、「ぐい」と弾ききる運弓は、「こんな若造にナメられてたまるか」と言わんばかりに奏者の怒りすら伝わってくる。8分休符に俊敏に反応して即座に2度目の運命動機を叩き込むところもスリル満点で、フェルマータの2回目をスコアに即して計測したようにプラス1拍でカウントするのもショルティらしい。

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「彼らは、和音は正確に揃わないほうが“温かい”と考えていた。それがとくに顕著に表れたのは、私が出だしの和音を完全に揃えて演奏するように要求したときだ。私に言わせれば、それは“みっともない”ことでしかない。長いあいだウィーン・フィルは、私にたいして“俺たちのほうが上だ”的な態度をとりつづけた。ウィーンを離れるときはいつもほっとしたものだ。」 ( ゲオルク・ショルティ著 『ショルティ自伝』より抜粋、木村博江訳、草思社、1998年)


3連音動機を歌い継ぐ緊密な弦のリレーは名人芸といえるが、鋭角的なスフォルツァンドを打ち込みながら、ぐいぐい急き立てるように駆け上がる力動感も比類がない。第2主題を告げる張りるあるホルンも活力に充ちている。

sv0012c.jpg木管がまろやかに歌い回す第2主題(67小節)はウィーンフィルならではの馥郁たる味わいに魅せられてしまう。大きな流れとゆたかなサウンドでコデッタにのぼり詰める場面はスケール感があり、パリパリと明快に鳴るホルンが耳の快感を誘っている。きっぱりと打ち込む終止打撃もパンチが効いて痛快である。

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強烈なホルンの雄叫びから一気呵成に突入する展開部は、デッカ・サウンドのご馳走が満載だ。ヴィオラとチェロの対声部がもりもりと浮かび上がる音場は抜群のステレオ感で、骨と皮だけの古楽系のモノ・トーンに比べると、果肉をたっぷり含んだ弦がひた走るところは、ジューシーな味わいがある。

和音の豪打で突入する再現部も堅固なリズムは一分の隙もなく、獅子吼するホルンもすさまじい。指揮者に逆らうように嫋々と奏でるオーボエの小カデンツァはウィーンの美学に酔わせてくれるが、すかさず、切り込むように第1主題が走り出し、一気呵成に突進するコーダは途轍もない緊張感が張り巡らされている。歯切れよく打ち込むティンパニの連打も「マジャールの闘士ここに在り!」といわんばかりの気魄に充ち、まるで猛獣を仕留めたような達成感が漲っている。


 第2楽章 アンダンテ・コン・モート
sv0012d.jpg瞑想的な第1主題は、筋肉が付きすぎている嫌いはあるが、たっぷりとした弦のサウンドが心地よく、哀調を帯びた木管の受け応えもウィーンフィルらしいやわらかに明滅するハーモニーが魅力的だ。第2主題の全合奏に入る手前で、低音弦に「ズンッ!」と力瘤を入れるところや、ブラスがどぎつい音で放歌高吟する場面は鮮烈といえる。

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聴きどころは第1変奏(50小節)。弦が16分音符で揺れながら、その上を肉感のあるクラリネットの持続音がまったりと浮かびあがる音場に酔ってしまいそうになる。第2変奏(98小節)は32分音符で波打つヴィオラとチェロの力を抜いた歌い口から、高貴ともいえる憂いが匂い立つ。

圧巻は、この32分音符の分散和音系のメロディーをチェロ・バスが「ザリザリ」と大きく弾き回す114小節で、弓が弦をこする生々しい触感が快感となって迫ってくる。木管の鄙びた味わいも魅力的で、第3変奏の主題再現(185小節)をオクターヴで奏するシルキーなヴァイオリンや、コーダのうらぶれたファゴットの妙味にも耳をそば立てたい。


 第3楽章 アレグロ(スケルツォ)
sv0012g.jpg3拍子のスケルツォは張りのあるホルンにのって、骨格のガッチリした、マッシヴなオーケストラ・サウンドが展開する。明確なリズム打ちにのって、きびきびと進行する音楽は、鬼軍曹が軍隊をシゴくさまを想起させるが、高弦の小刻みの走句と対をなす低音弦のどっぷりとした重みのある節回しによって、音楽が大きくゆたかに流れている。

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トリオは低音弦が躍動感たっぷりと進行する。コントラバスとチェロが弦を削るように激しい音を立て、ヴィオラが弦を噛むように突っ込む迫力のある音場は“デッカ・マジック”に他ならない。痒いところに手が届くような録音の生々しさは比類がなく、ぴしりと整ったリズム感覚にエネルギッシュな力動感がくわわって、パンチの効いたフーガを形成している。フィナーレに向かって、コツコツと刻む精密なリズム打ちも気持ちよく、テンポがぴたりと決まっている。
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 第4楽章 アレグロ
sv0012h.jpgエネルギーをため込んで、強烈な金管を放射するフィナーレは解放感に溢れんばかり。喨々と吹き鳴らすホルンをはじめ、41小節のトロンボーンのロングトーンと低音弦の対声部をやたら強調しているところは録音のあざとさすら感じさせるが、ショルティの鞭が入るのは第2主題(44小節)からで、速いテンポで畳みかけるように展開部に突入するところは音楽がすこぶる健康的である。


展開部もショルティの快速調に揺るぎはない。トロンボーンの痛烈な一撃(112小節)とともに軍隊調の様相を帯びてくるのがユニークで、「運命モチーフ」のリズム打ちは苛烈を極め、オーケストラを力ずくでドライヴしようとする指揮者の気魄が漲っている。その頂点(142小節)で弦がバリバリと弾きとばし、金管が解放的に吹き鳴らされるところは勝ち鬨を上げたかのようである。

コーダ294小節)は第2主題が快調なテンポで走り出す。鋭角的な和音の連続パンチをぶちかますところは剛腕ショルティの面目躍如といえるが、勝利をほのめかすファゴットの〈結尾主題〉が飛び出すと、拍を切り刻むように俊敏にピウ・アレグロとプレストへ突入し、強烈な金管をぶち抜く力ワザには驚くほかはない。剛腕ショルティの格闘技のような演奏をたっぷり楽しめる一枚だ。


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[ 2014/05/28 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

コリン・デイヴィスのストラヴィンスキー《春の祭典》

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ストラヴィンスキー/バレエ音楽《春の祭典》
コリン・デイヴィス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
Recording:1976.11.15 (PHILIPS)
Location: Concertgebouw Hall, Amsterdam
Producer: Volker Strauss
Length: 34:53 (Stereo)
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このディスクは、名門コンセルトヘボウ管弦楽団の初録音となる《ハルサイ》で、フィリップスのカリスマ的存在、フォルカー・シュトラウスのプロデュース。シュトラウスはマルチマイク録音の確立者で知られ、その自然な音は「シュトラウス=パケーテ」とよばれる指向性の異なる2本のマイクをシリーズにして録ったものという。

「このLPが登場した時の衝撃は今でも忘れられない。コンセルトヘボウの大ホールを揺るがせにするような超低音から、風が通り抜けるような爽やかな高弦の音まで、こんな音のする録音はそれまでに聴いたことがなかった。名演奏は有能なプロデューサーによって作り出されることを証明した1枚である。」 特集『名録音列伝』~「音の魔術師たち」より、『レコード芸術』通巻第671号、音楽之友社、2006年)


sv0011b.jpgこのディスクは、各楽器をクローズアップした“痒いところに手が届く”録音とは異なり、オーケストラの音がホール全体に溶け合うように響き、各パートがシャープに鳴り切る音場に驚いたものである。しかも、決して騒々しくなく、強音でも音崩れしないフィリップスらしい耳あたりの良い繊細さとパワーが同居した名録音だ。

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特筆すべきは英国人指揮者コリン・デイヴィスの感覚の“鋭さ”だ。燻し銀のオーケストラを駆使して複雑なスコアから最良の音色を選び、それを巧みに紡ぎ出す職人ワザが冴えわたっている。セピア色にたとえられる燻し銀の楽団が、いよいよ第2部から溜め込んだパワーを放射するがごとく、牙を剥いて吠え掛かってくる展開がこの盤の最大の聴きどころだろう。

「デイヴィスの演奏は、大向うをうならせるような派手さこそないが、曲の細部に至るまで入念に磨きあげながら、この曲の持つ原始的でエネルギッシュな特色をあますところなく表出したもので、その熱っぽい迫力には息を呑む。特に、第2部〈いけにえ〉の冒頭の部分のミステリアスな雰囲気の描き方や、それに続く〈いけにえの賛美〉のダイナミックな表現は実に素晴らしい。ここでは、オーケストラの抜群のうまさが光っておりディヴィスの棒に万全に応えている。この名門オーケストラの力量には感嘆のほかはない。」 志鳥栄八郎氏による月評より、20PC2026、『レコード芸術』409号、音楽之友社、1984年)



〈第1部〉大地の礼賛-昼
sv0011c.jpg味わい深い音色を発する木管セクションの妙味が聴き手の耳を引きつける。〈序奏〉のミステリアスなコール・アングレ、甲高い音で叫ぶ小クラリネット、「ぶりぶり」と肉感のあるバス・クラリネットのアルペジオが陰影を克明につけ、デイヴィスは異教徒的な妖しい雰囲気を生々しく演出する。

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弦がフォルテで和音を刻む〈春の兆し〉から、いよいよ《ハルサイ》の音楽が始動する。サクサクと入れる弦の柔らかなアクセントと軽快なフットワークが気持ちよく、抑制された中にもブラスが歯切れ良く咆哮し、ねばっこいホルンのグリッサンドが冴えわたる。「ガツン!」とくる3連打撃の衝撃感は圧巻だが、音崩れしない“フィリップス・トーン”が、どこかゆとりを持って響いている。

原始的な略奪結婚のさまを描く〈誘拐の遊戯〉は名門楽団の精緻な合奏が聴きどころで、くすんだ音色のホルン信号を皮切りに、変拍子のせわしいリズムで駆ける弦楽器、歯切れよく打ち込むブラス、リズミカルな打楽器がみずみずしく繰り出されてゆく。音楽はまるで細密画を見るようにキメ細やかで、どんなフォルテでも音が柔らかくほぐれ、決して刺激的に響かないのが音の職人デイヴィスの上手いところだ。

sv0011d.jpgオーケストラが満を持して爆発するのは〈春のロンド〉の総奏(練習番号53)から。小ぶしを効かせてたっぷり打ち放つブラスのグリッサンドが聴きもので、ゆるやかに引き延ばすフェルマータは奏者がホールの響きの余韻を愉しんでいるかのようだ。ピッコロの絶叫から畳み込むヴィーヴォ(練習番号54)のシャープなリズム感覚や、打楽器の連打で開始する〈敵対する町の遊戯〉の骨力のある打点も特筆モノで、低音弦の3連リズムを「ずんずんずん」と急迫的に追い込んでゆくディヴィスの棒さばきは絶妙の一語に尽きる。

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不気味なテューバの旋律が出る〈賢人の行列〉は、儀式を司る長老たちと賢人のお出ましだ。これがブラス全体の咆哮へと拡大し、大太鼓、銅鑼、ギロといった打楽器群に、スル・ポンティチェロの弦楽器が苛烈に加わる大音響は息を呑む凄まじさ。儀式の前に長老たちが大地にひれ伏す〈祖先の霊の呼び出し〉では、4小節の静寂の中をファゴットの持続和音、低音の刻み、弦の和音が美しくたなびき、これをマイクが明瞭に捉えている。

打楽器の轟音から立ち上がる〈大地の踊り〉は第1部のフィナーレで、大地の目覚めを喜び、乱舞となって熱狂する。統率された一糸乱れぬアンサンブルに加え、大地が胎動する躍動感は比類がなく、とくにトランペットの精密な打ち込みは切れ味抜群! ブラスの咆哮は決して刺激的にならず、その響きは清々しくさえあるのが驚きだ。しかし、コンヘボ管の実力はこんなヤワなものではなく、彼らが目覚め、本気になるのは第2部を待たなければならない。


〈第2部〉生贄の儀式-夜
sv0011e.jpg場面はうら寂しい漆黒の原野。フラジオレットの独奏ヴァイオリンと、弱音器を付けたトランペットの不安げな切分音の〈序奏〉が冷ややかな夜のしじまを演出、太陽神の生け贄となる聖なる乙女を選ぶために若者たちが原野に集ってくる。

〈乙女たちの神秘な集い〉を奏する6部のヴィオラの歌心溢れる旋律や、春の到来を告げるフルートの温もりのある歌が印象的。ホルンが導く第1主題がしっとりと再現されると、さあ、4分の11拍子の叩き込みを合図に、生け贄に選ばれた乙女の喜びの踊りの始まりだ!  amazon

〈選ばれし乙女への賛美〉で、ついに燻し銀オーケストラがその本領をむき出しにする。地鳴りを上げる重低音、絞り出すようなブラスの鮮烈な吹き上げ、シャキリと打ち込む弦の和音が渾然一体となってホールいっぱいに響いている。ブラスのグリッサンドはねばりにねばり、4分の5拍子の土俗的な打楽器のリズムが躍動感たっぷりと叩かれているのが気持ちいい。

sv0011f.jpg生け贄を太陽神に捧げる〈祖先の霊の呼び出し〉のファンファーレに対峙する打楽器群の苛烈な叩き込みや、生け贄の乙女の受け入れを祈る祖先の儀式〉の気味の悪いコールアングレも聴きものだが、弱音器を付けたトランペットが原始宗教的なメロディを吹奏すると緊迫した雰囲気が高まってくる。ベルアップした大音量のホルン(練習番号138)を皮切りに、閃光のごとく打ち込む和音打撃のリズム感覚は抜群で、ぴちぴちとはち切れんばかりの鮮度で鳴り切っているところが凄い!

いよいよフィナーレの〈いけにえの踊り〉は変拍子の切迫したモチーフが展開する。リズムの切れこそ鋭くはないが、楽員は一瞬の気のゆるみも無く全神経を集中させ、“いけにえの苦悶”を鮮明に描き出す。デイヴィスの棒さばきはオーケストラの熱っぽさとは裏腹に、どこか醒めた眼で、念には念を入れ、各パートを顕微鏡で覗くかのように克明に音化し、そのパレットは微細を極めている。

「この部分の王様は疑いもなくデイヴィス盤であろう。すでに〈祖先の儀式〉の終わり( 練習番号138)で最も巨大なエネルギーを発揚させ、凄絶なホルンの最強奏におどろかされたわれわれは、〈いけにえの踊り〉にいたって息づまるような緊張力にほとんど耐え難くなる。何しろゆとりがあるので迫力が本物の底力となるのだ。」 宇野功芳著『オーケストラのたのしみ-僕の名盤聴きくらべ・改訂版』より、共同通信社、1990年)


sv0011g.jpg5連音のヒステリックなマルカート主題(練習番号151)と、それに続く打楽器の激烈な打ち込みは、名門楽団が本腰をいれて吠え掛かかってくる。それまで楽員の体内とホールの余韻の中に溜め込んでいたエネルギーを存分に、ゆとりを持って解き放つ。

全管弦楽の発する音響的な快感に聴き手を浸しながら、楽員が歌い、踊り、猛り狂い、ひた押しに押してゆく展開に、聴き手はただもう固唾を呑んで聴き入るのみだ。

「なんという巨大な迫力だろう。なんというオケの鳴り具合だろう。なんという雄大なスケールであろう。しかも決して絶叫にならない。無機的な響きはいっさい無い。いくらヴォリュームを上げても絶対にうるさくはならない。それはデイヴィスが力ずくでオーケストラを引き廻しているからではなく、オーケストラの楽員の方が燃えに燃え、乗りに乗り、たぎり立っているからであろう。」 宇野功芳氏による月評より、『レコード芸術』通巻第331号、音楽之友社、1978年)


頂点を極める練習番号174では、生け贄の死をしめすモチーフが力の限り吹き上げられ、断末魔のようなブラスの強烈なグリッサンドによって、身も心も吹き飛ばれさてしまいそうになる。音楽は沸き出すように熱く煮えたぎり、デイヴィスは強固なコントロールによって、ひたすら前へ前へと楽員を駆り立ててゆく。

轟きわたる轟音、獅子吼するブラス、湧き起こる律動、襲いかかるモチーフ、しかも、この緊迫感! とどめ打ちの研ぎ澄まされた刃の一突きは鮮烈の一語に尽きる。名門楽団のヴィルトゥオジティと洗練された音の美感に酔わせてくれる《ハルサイ》だ。

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[ 2014/05/17 ] 音楽 ストラヴィンスキー | TB(-) | CM(-)

フルトヴェングラーのハイドン/交響曲第88番 「V字」

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ハイドン/交響曲第88番ト長調 「V字」Hob.Ⅰ-88
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1951.12.5, Jesus-christus-Kirche, Berlin
Recording Producer: Freid Hammel (DG)
Balance Engineer: Heinrich Keilholz
Length: 21:04 (Mono) Olsen No.269
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オールセンによると、現存するフルトヴェングラーによる《V字》の演奏は3種の録音が残されている。その中では、イエス・キリスト教会で収録されたスタジオ録音のベルリンフィル盤が録音条件もよく、オーケストラの質の高さからいっても第1にチョイスすべきもので、格調が高く、崇高さすら漂わせる屈指の名演奏だ。

戦後のドイツ・グラモフォンでは、磁気テープを使った録音が行われていたが、《V字》は当初からセッションの予定が組まれていたものではなく、シューベルト《グレイト》を録り終えて時間が余ったことから、急遽、曲が選ばれ、リハーサルなしのぶっつけ本番で録音されることになったという。

「ドイツ・グラモフォンのために長大な《ハ長調交響曲》を入れた後、時間が余ることになりました。万事順調に運んだ後だったので、気をよくしていた指揮者と楽員たちは、残った時間で何をやろうかということを考えました。といってもすぐに始めるわけにはいかず、楽譜と演奏用のパート譜などをまず取り寄せることが必要でした。そのため練習なしで交響曲は演奏され、録音されました。これもまた幸運の産物でした。このハイドン交響曲こそ名盤の1つとなったのですから。」 エリーザベト・フルトヴェングラー著『回想のフルトヴェングラー』より、仙北谷晃一訳、白水社、1982年)



sv0010b.jpgセッションでは、例によって巨匠が震えるように指揮棒を振り下ろすと、冒頭のフォルテの和音打撃が揃わずにオーケストラが雪崩れ込んだ。すると赤ランプがついて、録音ディレクターが「マエストロ、スタートが揃わなかったのでもう一度お願いします」と、これが繰り返されること3度。

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業を煮やした巨匠は、ディレクターを呼びつけるや一喝、「おまえ、指揮しろ!」。真っ青なディレクターは「め、めっそうもありません・・・」。「ならば貴様に言い渡そう、今から第4楽章までぶっ通しでやるから、十分な録音テープを用意しておくことだ。どんなことがあろうと演奏は止めんぞ。いいか、チャンスは1度きりだ!」

「フルトヴェングラーは、終始、スタジオでは絶対的存在でした。ひたすら、目的に向かって突き進むあの態度は、実に印象的でした。当時はまだ新しかったテープ録音を利用して、一区切りつくまで、小さな間違いは委細かまわず演奏を続けたのです。誰かが思考の連続性を妨げるようなことをしたら最後、彼はもうがまんができませんでした。」 エリーザベト・フルトヴェングラー著『回想のフルトヴェングラー』より、同上)


「テープが発明されてから、録音はこま切れになり、同じところをイヤになるほどやり直すこともあり、そうした録音法にうんざりしていたベルリン・フィルの連中は、このフルトヴェングラーの裁定に、みな胸のつかえを一気に吐き出したような気持ちになった。こうしてハイドンの《V字》シンフォニーは取り直しなしに一気に演奏されて終わりになった。」 石井宏著「ベルリン・フィルで活躍したトップ・プレイヤーたち」より、~『ウィーン・フィル&ベルリン・フィル』、オントモムック、1996年)


sv0010h.jpgこの時のハイドン《V字》こそが、ベルリンフィルの最高の演奏になったと、フルトヴェグラーに請われて入団し、首席フルート奏者(1950~59)をつとめたオーレル・ニコレは述懐している。

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「フルトヴェングラーの古典への姿勢を端的に表した興味深い演奏である。フルトヴェングラーが根っからのロマンティストであったことをうがかわせる陰影の濃い、ロマンな情念を秘めた音楽で、第2楽章はきわめておそいテンポと引きずるようなリズムを基本としているが、それがまた歌のゆたかさにもつながっている。全体が堂々とした風格と格調の高さに支えられた名演である。」 小石忠男氏による月評より、MG6018、『レコード芸術』通巻第356号、音楽之友社、1980年)



第1楽章 アダージョ-アレグロ
sv0010c.jpg数多いハイドンの交響曲の中で、フルトヴェングラーが好んで取り上げたのが《V字》である。戦後の演奏回数が10回、これは《時計》の16回に次いで多く、いわば巨匠のオハコといえる。曲がシンプルで完成度が高く、生き生きとした楽想を器楽的に展開する面白さといった点で、演奏家が触手を伸ばしたくなるシンフォニーだ。


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微妙なズレをともなう粘り気のあるアインザッツは、まぎれもなくフルトヴェングラーの揺れる棒から導き出されるもので、深淵な和音の響きから、厳粛な気分と来たる主部への大きな期待がおのずと湧き出るスケール感は、まさしく巨匠の音楽である。

アレグロの主部は、みずみずしく駆け走るベルリンフィルの緻密なアンサンブルに魅了させられる。機械的にキメが整えられたフレージングとは異なり、うねるような流動感を伴うところはフルベンの面目躍如といってよく、腰の重いウィーンフィルに比べればベルリンフィルは反応がよく、抜群の機動力を備えている。
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分散和音のゼクエンツをぐいぐい弾き回す分厚い弦楽サウンドに、冴えたアーティキュレーションを配する巨匠の棒さばきは絶妙の極みで、スタッカート句16分音符の分散和音が目まぐるしく交錯する小結尾(85小節)の、ツボにはまったような力強い躍動感は圧巻である![提示部の反復あり]

sv0010d.jpg展開部(104小節)は、第1主題の断片を執拗に繰り返して展開する器楽演奏の神髄を堪能させてくれる。フレーズがいとも自然に沸き上がる対位法のなめらかな処理もさることながら、それらが有機的な繋がりを持ち、内声の第2主題を第1主題に緻密に織り重ねるアンサンブルの妙技は、この楽団の自家薬籠中のもので、リハーサルなしでこれほど質の高い演奏をやってのけるところに快哉を叫びたくなる。

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再現部(179小節)は第1主題に高貴なオブリガート・フルートの装飾がくわわって、すべり込むような切分音や切れのある裏打ちの弦が、冴え冴えとしたサウンドを響かせる。コーダ(247小節)は怒りの静まった巨匠が肩の力をぬいたように、管弦がやわらかく呼び交わす終止打撃が気持ちよく響き、芸格の高さを示してあますところがない。


第2楽章 ラルゴ
オーボエとチェロの独奏が奏でるユニゾンの主題は、賛美歌「すべての恵みを垂れ給ふ神を讃える」から採られたものだ。ここでチェロを弾くのは、前シーズンにブラジル交響楽団から移籍した第1ソリストのエーバーハルト・フィンケ(1950~85年在籍)だろうか。巨匠が哲学的な瞑想にふけるかのように、深沈とした弦の響きが印象的である。

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「フルトヴェングラーは技術的なことはうるさく言わなかった。それぞれの楽器グループに任せてしまっていた。そして、ソロの奏者には自由を与えた。オーボエであろうが、チェロであろうが、ソロのパートにはほとんど口を出さなかった。フルトヴェングラーが決定したのは、テンポであり、フレーズのつなぎの部分。満足できないときは、怒ったりせず、〈もっと上手くいったときがあった〉という表現をしていましたね。(フィンケ)」 川口マーン恵美著『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』より、新潮社、2008年)


sv0010e.jpg繰り返し歌われる主題は気分が少し高まるが、心に沁み込むような第2楽句、しっとりと歌うオーボエに弦の合いの手を絡める第1変奏、フルートと第1ヴァイオリンが崇高に歌い上げる第2変奏はもとより、とくにオーボエのメロディーに弦が絶妙の32音符のオブリガートを滑り込ませる第3変奏は神技といえるもので、高貴なファンタジーが滔々と溢れ出る巨匠の霊感は尽きることがない。

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弦の仄暗い響きで転調する第4変奏もすこぶる感動的で、小鳥の模声で彩る第5変奏も気分はウェットである。峻厳と打ち込まれるフォルティシモの闖入は、強音がしっかりと打ち込まれ、暗い淵をのぞき込むように、モーツァルト風の深淵な響きによって聴き手の襟を正す厳粛さをも漂わせている。


第3楽章 メヌエットーアレグレット
どっしりと力強くさばくメヌエットは安定感があり、リズムがしなやかに息づいている。装飾音を弾き切った後にもったりと間延びするウィーンフィルに比べ、べルリンフィルのフレージングにはスピードと切れがある。レントラー風のトリオはト短調で暗い影を付けながら、スタッカート&クレッシェンドで劇的に盛り上げるところがいかにも巨匠風。


第4楽章 フィナーレ、アレグロ・コン・スピーリト
sv0010f.jpg緻密なスタッカートでさばく第1主題は落ち着きのある進行で、力瘤を入れずに楽々と弾んでゆくが、低音弦のつよいリズムが支えになって、次第にダイナミックさを増していくところがフルベン流だ。とくにSACDは、ステレオ録音を思わせるシャッキリと鮮やかな響きで、従来のCDとは格の違いを感じさせてくれる。

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繰り返しをぬけて第1主題が発展する走句(33小節)から、いよいよ巨匠が目覚めたかのように力ワザを開陳する。分散和音をぐいぐい弾きとばす凄腕の弦楽集団に唖然とするが、ニ短調で翳りを付けた後に、「ここぞ」とばかりに躍り出る第2主題の走句(66小節)と猛烈な勢いで畳み込むコデッタ(小結尾)の決めどころの猛々しさは“弾丸ライナー”と双璧で、期待に違わぬフルベンの荒ワザを堪能させてくれる。
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sv0010g.jpg第1主題をフガート変奏する展開部(84小節)は、造形をいささかも崩さぬ巨匠の確固たる信念が伝わってくる。ト短調に転調するや、弦の深いフレージングと律動的なリズムを配して整然と彫琢するさまは、ジュピター交響曲(モーツァルト)を思わせる荘厳さがあり、神韻縹渺たる世界へ聴き手をいざなう巨匠の奥義を堪能させてくれる。

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シャッキリと打ち響く和音打撃のフェルマータ終止のあとに現れる第2主題の再現(195小節)は、強いティンパニの叩き込みに反応するかのようにオーケストラがはっしと走り出す。背筋がゾクゾクするようなアッチェレランドはフルベンならではの“必殺ワザ”で、軋むようなリズミックな分散和音と、コーダ(209小節)の威風堂々たる力強い終止打撃が巨匠の風格を伝えてあますところがない。

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[ 2014/05/06 ] 音楽 ハイドン | TB(-) | CM(-)