ヒラリー・ハーンのバッハ/2つのヴァイオリンのための協奏曲

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バッハ/2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
ヒラリー・ハーン(第1ヴァイオリン)
マーガレット・バトヤー(第2ヴァイオリン)
ジェフリー・カヘイン指揮 ロサンゼルス室内管弦楽団
2002.10 Hervert Zipper Concert Hall, Los Angels (DG)
Recording Producer: Thomas Frost
Balance Engineer: Tom Lazarus
Length: 14:16 (Digital)
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デビュー盤から7年、ドイツ・グラモフォン(DG)への移籍第1弾となった記念すべきアルバムに、ハーンは十八番であるバッハの《協奏曲集》をぶつけてきた。ハーンがソニーからDGに移籍した経緯は詳らかではないが、われわれの目にはDGの戦略と相まって、ハーンが得意とするバッハで勝負を仕掛けたという印象がつよい。しかし、ハーンによると、偶々ソニーの企画をDGが引き継いだだけで、特別な意図はなかったという。

sv0029b.jpgここでは24歳のハーンが、とてつもない速いテンポで颯爽と駆け走るのが特徴で、歌謡的な楽想をそよ風のように清冽に歌い、生き生きと踊る。厳粛で深遠なバッハを求める者にとっては、性急で深みに乏しいと見る向きもあるが、そのスタイルは洗練を極め、聴いた後では爽やかな新鮮味が勝ってしまう。これはきわめてスタイリッシュな感覚で仕上げた現代風のバッハといえないか。

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相方の第2ヴァイオリンを受け持つのは、ロサンゼルス室内管弦楽団のコンサート・マスターをつとめるマーガレット・バトヤー。ここでは対位的な声部をハーンとほどよく調和しながら、目立たぬところでハーンの妙技を引き立たせているところが心憎く、第3楽章では難技巧のパッセージをハーンと互角以上に渡り合い、ソロ奏者としても腕を鳴らした玄人ぶりを発揮しているのは嬉しい不意打ちだろう。

「ハーンらしいセンスが光る溌剌とした演奏である。これはあくまで現在のハーンの解釈というべきだろうが、バッハの協奏曲から自分が読み取ったものを自身をもって奏で、その音楽を存分に味わい楽しんでいるようである。カハーンとロスアンジェルス室内管弦楽団も、少し勢いにかられる感じもあるが、そうしたハーンに若々しい推進力にとんだ演奏で呼応しており、第2ヴァイオリンのバトヤーとオーボエのフォーゲルも、その能力を存分に発揮し、好演している。4曲を聴きつづけてゆくと、緩急の変化が少々型にはまった感じがしないでもないし、時にはもう少し深い翳りのある表現も聴きたいところもあるが、颯爽とした生気あふれる演奏は、これらの協奏曲にとても新鮮な光を当てている。」 歌崎和彦氏による月評より、『レコード芸術』通巻第638号、音楽之友社、2003年)



第1楽章 ヴィヴァーチェ
sv0029c.jpgトゥッティの颯爽とした音楽運びに仰天するが、ニ短調に完全終止したあとにはじまる10度跳躍のソロ主題(22小節)を、第1ヴァイオリンのハーンがフレッシュな感覚で弾きあげる。清楚で気品があり、しかも力強さを感じさせる弓さばきは闊達自在の一語に尽きるといってよく、歌い回しの巧さや、スタッカートの歯切れ良さなど、冴え冴えとした技巧に思わず膝を打ってしまう。   amazon
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4小節あとに模倣するバトヤーの第2ヴァイオリンは、ハーンに聴き劣りするのは否めない。とくに2度目の模倣(38小節)ではバトヤーの弓の切れがあまく、16音符の仕上げに粗さすら感じさせるのが残念で、ハーンの精緻なボウイングと麗しく照り輝く高音を目の当たりにされてはバトヤーも出る幕はなく「これはちょっとヤバい」と焦ったはずだ。

sv0029d.jpg聴きどころは、トゥッティ主題の繰り返しのあとに、ソロ主題を華麗に展開する50小節。独奏パートは8分音符と16分音符の分散和音を交互に織り上げてゆくが、トゥッティを挟んで交代する58小節など、どちらが第1でどちらが第2かまったくわからぬ緊密ぶりで、互いが絶妙の呼吸でピタリと寄り添いながら主題を紡いでゆくところの高度でプロフェッショナルな技に思わず唸ってしまう。

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16分音符の筆勢の強さではバトヤーがハーンに勝るとも劣らぬ弓さばきで主張しつつも、ここ一番でさりげなく脇役にまわり、ハーンの細やかなニュアンスに彩られたなめらかな高音を下の声部でしっかりと支えて調和させているあたりは芸格の高さを感じさせる。ソロ主題の再現は、調子の上がってきたバトヤーが、ハーンの独奏を意図的に模倣するかのようなフレージングによって、抜群の存在感を示している。


第2楽章 ラルゴ・マ・ノン・トロッポ
sv0029e.jpgラルゴは、バッハの創作した最も美しい楽章のひとつに数えられ、「この切々と胸を打つ名旋律は、一度耳にしたら生涯忘れることは出来ないであろう。」(志鳥栄八郎氏による)

この名旋律を、ハーンは歌謡性をたっぷり生かして微風のように清冽に歌い上げる。伸びやかに澄んだ気高い歌の美しさはハーンならではの魅力といってよく、いつ果てるとも知れぬ綿々とした流れの中に哀愁をしっとりと漂わせているところは、ハーンの底知れぬ音楽性を示してあますところがない。
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やや低い声部を模倣的に受け持つバトヤーの第2ヴァイオリンは、いくぶん潤いには欠けるが、ほどよきバランスでハーンと調和しながら、しっとりと対話を重ねるように歌い込んでゆくところが聴きどころだろう。主題の再現(10小節)から、ハーンが16分音符の分散和音に艶をのせて麗しく歌い回すところの美しさといったら! 

sv0029f.jpg最高音にリテヌートをかけて、濡れたように歌い上げる“ヒラリー節”のテンポのこまやかな揺らぎもたまらない魅力で、エピソード的に挿入される間奏風の旋律(16小節)の低音部の深味のある音や、第2主題(17小節)の熟れた官能の臭いが立ちこめるような温もりのある歌と、高音部の磨き抜かれた美音もハーンの真骨頂。

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中間部(24小節)は、16分音符の綾を交互に織り上げる中を飛翔するフレーズの稟とした味わいも格別で、音に溺れることなく、適度に抑制されたヴィブラートを用いて、バッハの核心に真摯に迫ろうとするハーンの楽の音は詩的な情緒に溢れんばかり。これ見よがしにヴィブラートを多用し、甘い香りをまき散らすキザなハイフェッツ盤を聴き慣れた耳には汚れのない清新な味わいがあり、そこはかとない哀しみが淑やかに綴られる結尾も涙ものである。


第3楽章 アレグロ
sv0029g.jpg独奏ヴァイオリンの妙技を心ゆくまで堪能させてくれるのがアレグロの音楽だ。ストレッタされたカノン形式によって、2台の独奏楽器が目まぐるしい勢いで、追いつ追われつの強奏展開をするところは聴き手をゾクゾクさせてくれる。

ここではハイフェッツのテンポを遙かに凌ぐハーンの鋭い踏み込みに驚かされるが、均整のとれた造形をいささかも踏み外すことなく、「こんなものは屁のカッパ」といわんばかりに、「つん」とすまして裏拍から飛び出すフレーズをクールに決めるハーンの演奏を、あの世でハイフェッツが聴いたら地団駄を踏んで悔しがるに違いない。
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sv0029h.jpg第1、第2楽章ではハーンの妙技の影で脇役に甘んじていたバトヤーだが、ここでは一転して「こんな小娘に負けてたまるか」といわんばかりに、女の意地とプライドをかけて弾き飛ばすさまがスリリングの極みで、両者のとてつもない緊迫感が張り巡らされている。といっても殺伐とした女の闘いを繰り広げるわけではなく、ピタリと息の合った呼吸と冴えたテクニックによって、両者が生き生きと弾むように駆けるところは感興たっぷりだ。

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大きな聴きどころは、独奏パートの音型が完全に合一する41小節(および127小節)。7小節にわたって重音奏法で激しく和声を打ち続けるところは、いたずらに強圧的にならず、強弱をつけながら2人の独奏者が協調する中を、下の声部で第1主題をどっしりと聴かせるところは指揮者カヘインの腕の見せどころだろう。

sv0029i.jpg再現とトゥッティの後に、大バッハはもうひとつのご馳走を用意する。第1ヴァイオリンが16音符の分散和音で揺れ動く中から 第3主題ともいうべき伸びやかな旋律が第2ヴァイオリンによって歌われるが、これをバトヤーとハーンが交互に歌い合い、一方が華麗な分散和音で闊達に舞うところの溌剌としたリズム感覚が聴き手の耳を刺激する。

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「このアルバムを聴きながら、みなさんもゆっくりとした楽章では旋律を口ずさみ、速い楽章では爪先で床を鳴らし、曲に合わせて踊っていただけたら、(もちろん自分の家で、ですが)、幸いです。どうぞ、私たちとご一緒に! きっとバッハも喜ぶと思います。」(ヒラリー・ハーン)


ストレッタの第1主題のあとに現れる3連音を絡めた楽節を、いささかの迷いもなく勢いよく上り詰め、力強い全合奏で全曲を爽やかに締め括っている。一点の濁りもない精緻なポリフォニーを堪能させてくれるスタイリッシュな《ドッペル》だ。


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[ 2014/11/30 ] 音楽 J.S.バッハ | TB(-) | CM(-)

フルトヴェングラーのベートーヴェン/交響曲第8番

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ベートーヴェン/交響曲第8番へ長調 作品93
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1953.4.14 Titania-Palast, Berlin (Live)
Henning Smidth Olsen No.330
Disc: FURT2002-2004 (Tahra)
Length: 25:56 (Mono)
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フルトヴェングラーのベートーヴェン交響曲は、EMIのレコーディング計画において〈第2番〉〈第8番〉が録音されずに終わったことから、ライヴ録音の発掘が音楽ファンの待ち望むところとなっていた。しかし、巨匠は演奏会でこれらの曲を取り上げることが少なく、その発掘には紆余曲折があった。

sv0028m.jpg1972年7月、まず東芝EMIから発売されたストックホルムフィルの〈第8〉は、レオノーレ序曲第3番とリハーサルを組み合わせた1948年のライヴ録音だったが、演奏は巨匠の個性が生々しく刻印されたものではあったものの、録音の貧しさや演奏の質の問題でファンを充分に満足させるまでには到らなかったと記憶する。

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1973年10月、日本フォノグラムのフォンタナレーベル(FCM53)より、1953年4月にベルリンフィルを振った〈第8番〉が発売されて大きな話題になった。この〈第8〉が公式のルートで発売されたのはこの時が初めてだったが、1970年にコペンハーゲンで出版されたオールセンのディスコグラフィには、Non Commercial Discの項No.0028として掲載され、非公式にプレスされた海賊盤(MRF-50、MRF-64、BJR118)によってその存在が知られていた。

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1953年のベルリンフィル定期公演は、ティタニア・パラストで4月12、14日に行われ、14日はラジオの中継放送があり、その録音テープが自由ベルリン放送局(Radio Sender Freies Berlin)のライブラリーに保管されている。ところが、エアチェックされたアナウンス付きの実況録音では、第1楽章提示部の反復が行われているという重大な情報がヨーロッパから持たらされ、海賊盤に対する疑惑がわき起こったという。

提示部の反復はフルトヴェングラーが絶対にやらなかったというエリーザベト夫人の証言によっても裏付けられ、ストックホルムの演奏と比べても第2楽章のリズムとアクセントがまるで別人である点が指摘された。結局のところ、このレコードの正体はクリュイタンス指揮のベルリンフィルのEMI盤で、「非フルトヴェングラー」と判定された。

「これはアンドレ・リュイタンスの演奏である。フルトヴェングラーの“贋作”はいろいろあるが、本物を多少なりとも聴き込んでいれば、明らかにそれと見破れる録音のひとつだろう。全体の特徴はよく似ているが、曲の構成に対するフルトヴェングラーの独特のアプローチ、とくにこの指揮者の署名代わりになっている、11小節の後の短い休止が見られない。さらにこの演奏では第1楽章の繰り返しが行われているし、和声よりも旋律が重視されている。またリタルダンドのかけ方も短く、突然で、スフォルツァンドにきっぱりとした勢いがない。ティンパニも抑制が効きすぎている。」( ジョン・アードイン著 『フルトヴェングラー・グレート・レコーディグス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)</p>


「ベルリン・フィルの〈第8〉ということで話題をまいたレコードだが、クリュイタンス盤と同じではないかという意見が提出され、ぼくもじっくり聴き比べた結果、まったく同一であった。但し、クリュイタンス盤はステレオで音は清澄、フルトヴェングラー盤はモノで音も鈍重、ピッチもやや低い。意識的に変えたのだとしたら悪質である。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの名盤』より、PC4、芸術現代社、1977年)


sv0028l.jpg一方、桧山浩介氏(フルトヴェングラー研究家)によると、米国ではフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルの〈第8〉との見解が根強く、BJR118のソースになったテープには、冒頭にフルトヴェングラーとベルリンフィルによるベートーヴェンの〈第8〉という女声アナウンスが入っており(レコードではカット)、これが真正盤とされる理由ではないかと指摘する。


事実、1988年にクラウン・レコードからCD(PAL1026)で再び発売された時「この演奏は今でも米国ではフルトヴェングラーの演奏と広く信じられている」旨の原盤提供者からの回答があったという。(『フルトヴェングラー没後50周年記念』~平林直哉「フルトヴェングラー事件簿」より、学習研究社、2005年)

現在、フルトヴェングラー指揮によるベートヴェン〈第8〉は、3種のライヴ録音が確認されている。これ以外に1932年のベルリンフィルの断片(第2、3楽章)が知られている。

No.OrchestraDateCityLocationOlsen_No
ストックホルムpo1948.11.13StockholmKonserthusO_140
ベルリンpo1953.4.14BerlinTitania PalastO_330
ウィーンpo1954.8.30SalzburgFestspielehausO_422
ベルリンpo1932.12.20BerlinGerman radio archive 

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参考までに上記3種の演奏と、フォノグラム盤(A)、クリュイタンスのEMI盤(B)の演奏タイムを比べてみた。第4楽章に拍手が含まれている場合(*)はそれを表示タイムから除いた時間とした。なお、(B)は(A)に酷似するものの、第1楽章131小節のチェロの一人がピツィカートで演奏するミスがあるためにEMI盤とは別物との異論(桧山説)もあるが、ステレオ盤のCDを聴く限り、そのようなミスは聴き取れなかった。

No.DiscLavel第1楽章第2楽章第3楽章第4楽章合 計
TOCE-3720EMI8:024:335:517:26*25:52
415 662-2DG8:024:305:367:48 25:56
013.6310Nuova Era8:304:375:477:51*26:45
FCM53Fontana10:373:555:027:42 27:16
50999-6483032EMI10:353:555:017:44 27:15

sv0028h.jpg真正のベルリン盤は、ワルター協会盤(日本コロムビア)OZ7520(1977年)、OZ7585(1984年)として発売されたが音質は劣悪。筆者が購入したのはOZ7585だったが、その後、自由ベルリン放送を音源とする独グラモフォン盤のCD(415 662-2)を買い直したのの、これも期待したほどの音質ではなかった。

今回、仏ターラ盤(FURT2002-2004)に耳を傾けてみると、これが驚きや、鮮明でみずみずしい音に飛び上がって驚いた。強音も音が潰れることなく、木管の息づかいやニュアンス、弦楽器のしっとりとした色艶が感じとれるではないか!

「演奏はさすがと思わせる立派なものである。第1楽章はかなり熱っぽい内面の動きを映し出しており、明暗が大きく波打っている。やや過剰な身振りさえ感じられるが、この楽章全体は見事な統一感のものとすばらしい動的な美しさを内包している。楽員ときき手とを一挙に音楽的気分のなかに引きずりこむ作業であり、しかもそれ自体芸術的完成度の高い指揮である。これに対して次の2つの楽章はたっぷりと、そしてこまやかに吟味しての表現で、第1楽章の劇的な誘導から一転してきき手は微妙の世界へと流し送られる。悠悠たるテンポのメヌエットにもこまやかにニュアンスがあり、トリオのホルンなど録音の粗末さにもかかわらず、非凡な美しさだ。」 大木正興氏の月評より、OZ7520、『レコード芸術』通巻第318号、音楽之友社、1977年)


「ストックホルム盤とほとんど同じ解釈であるが、この方が円熟しており、オーケストラと録音もずっと良い。ともかく、厚味のある意味深い響きが一貫した〈第8〉であり、第1楽章の再現直前のあたりは、その情熱の高まりが最高だ。出来映えもこの楽章がいちばん見事である。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの名盤』、OZ7520、芸術現代社、1977年)



第1楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・コン・ブリオ
sv0028i.jpg弦楽器のシャッキリとしたみずみずしい総奏フォルテの開始に驚かされるが、ストックホルム盤と比べると、アンサンブルの質が根本的に異なり、緻密で、まるで次元の違う音楽が鳴っている。付点2分音符の手前(12小節)で大きく“溜め”を入れるのがフルベンの“常套句”「12小節目のルフトパウゼのようなフレーズの強調」と印されるチェック・ポイントだ。ウィーンフィルとの演奏でティーレマンがネタバレ的に、これと似たような事をやっていた。
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素朴な民謡風の第2主題も聴きのがせない。ベルリンフィルの艶やかな弦がうるわしく輝き、木管の透明な音に魅了させられるが、スフォルザンドを深く打ちこんでクレッシェンドしていくのがフルベン流。音型が変わる70小節(再現部268小節)では、角をまるめたレガートで歌わせているのも大きな特徴で、ストックホルムと同様「70小節からの音型でリズムをまったく変える」(宇野功芳氏)と著される。

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sv0028j.jpgここで、展開部へ入る箇所(104小節)で事故が起こる。木管奏者の1人がリピートがあるものと思い誤ってをフォルテで「ひょ~」と飛び出してしまう。ターラ盤ではクラリネットに聴こえるが、「2番フルートだけ戻ってしまっている」(ジョン・アードイン)という異論もある。グラモフォン盤(415 662-2)では、この部分を差し替えて修正の手を入れているが、不自然な継ぎ目は明瞭だ。
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「エリーザベト夫人の指摘どおり巨匠は反復の省略を楽員に指示していたとみられるフシが本項の録音で認められる。つまり第1楽章102小節の次は巨匠の指示では104小節目は1拍目がトゥッティでそのあとはヴィオラだけのpとなるところが本項の録音では104小節目に相当する冒頭の1小節目をクラリネットが吹いている。これは通常、反復演奏される習慣とはフルトヴェングラーの指示が異なっていたため、その指示を奏者がうっかりしてしまったミスと思われる。」 桧山浩介編「フルトヴェングラー・ディスコグラフィ」より、~『レコード芸術』、音楽之友社、1984~85年)


sv0028k.jpg大きな聴きどころは展開部151小節で、第1と第2ヴァイオリンが交互に激しくかけ合いながらスフォルツァンドを急迫的に打ち込んで畳み掛けてゆくところはフルベンの面目躍如たるところで、巨匠はダイナミックに、的確にリズムを打ち込んで突進する。コーダはストックホルムほど力まかせの荒業を仕掛けないのがこの演奏の格調高いところで、ベルリンフィルの高度な演奏技術によって、音楽にゆとりと風格すら感じさせてくれる。
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第2楽章 アレグレット・スケルツァンド
木管のリズムがぴしゃりと決まり、質の高いアンサンブルを堪能させてくれる。第2主題もリズムが活きづき、フォルティシモのすさまじい震音がオケの威力を伝えている。再現部の変奏主題で魅せる優美な歌や、コーダの精密かつ豪快な終止もフルベンらしい必殺ワザといえる。

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第3楽章 テンポ・ディ・メヌエット
sv0028n.jpg大きくうねる弦の厚い響きによって、巨匠は密度の濃いメヌエットを演奏する。腹に響く低音リズム、艶やかに歌う弦の調べ、第1ヴァイオリンの滑り込むようなスタッカートなど神業の連続で、踏みしめるようなリズムで打ち込む管のテーマも力強い。

カールスバードの郵便馬車信号を模したトリオは、ホルン奏者の独壇場。このすばらしい演奏には、ただもう聴き惚れるばかりで、これを歌い継ぐクラリネットの独奏も冠絶している。これに比べるとストックホルム盤の演奏はいささかお粗末だ。

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第4楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
フィナーレは堂々たるテンポで落ち着きのある進行が印象的だ。ここでもベルリンフィルの緊密なアンサンブルと優美な歌を堪能させてくれるが表現は抑制され、起伏と迫力にとんだ荒武者的なストックホルム盤に比べれば、どこか演奏にノりきれないうらみがある。

sv0028o.jpgようやくエンジンがかかるのがコーダ345小節の総奏から。切迫感のあるリズムにのせてクレッシェンドとアッチェレランドを重ね、コントラバスの重低音をたっぷり効かせる主題回想や、爆発的な和音終止によって帳尻を合わせた感がある。終楽章にいまひとつ燃焼し切れないもどかしさを残すベルリン実況盤だが、巨匠の奥義と質の高いアンサンブルで魅了させてくれる筆者には思い入れのつよい一枚だ。

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[ 2014/11/20 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)

ショルティ=シカゴ響1977年来日公演のマーラー交響曲第5番

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マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調
ゲオルク・ショルティ指揮
シカゴ交響楽団
Sir Georg Solti, conductor
Chicago Symphony Orchestra
Date: 1977.6.20 19:00
Concert Venue: 0saka Festival Hall
Seat : Floor-1 Row-Z3 No-62


筆者がもっとも強い衝撃を受けたコンサートといえば、1977年のシカゴ交響楽団の初来日公演での演奏だ。忘れもしない6月20日、大阪フェスティバルホールで聴いた演目は、前半にモーツァルト《ジュピター》、後半にマーラーの交響曲の中でも難曲として知られる交響曲第5番だった。マーラー交響曲第5番は、ショルティがシカゴ響の音楽監督に就任した最初のシーズン(1969年11月)の定期公演プログラムに取り上げた作品で、このコンビのいわば看板曲。

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レコーディングはこの直後に行われたが、その真価を問うニューヨーク公演(1970年1月)でも《第5番》が取り上げられ、ニューヨーカーの度肝を抜かしたという。この時の演奏は後生の語りぐさになるほど衝撃的で、定期演奏会を社交儀礼の場から音楽的体験の場に変えた一大事件であったことが伝えられている。終演後は聴衆全員が起立して喝采を送り続けたという。

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「始めてツアーをおこなったとき、ニューヨークのカーネギーホールで演奏したのもこの作品だった。私たちはまだ未知数の存在だったから、ニューヨーカーがどう反応するかいささか不安だった。終楽章を演奏し終えたとき、聴衆は総立ちになり、まるでロック・コンサートのような叫び声があがった。喝采は果てしなくつづいた。私たちの演奏が彼らを虜にしたのだ。あれほどの熱狂ぶりはそれまで経験したことがなかったし、今後もないだろう。」 ゲオルク・ショルティ著『ショルティ自伝』、木村博江訳、草思社、1998年)


「シカゴ交響楽団はすばらしいオーケストラである。暖かく輝くばかりの音を持ち、信じがたいほど柔軟で、しかもバランスがよい。フィラデルフィア管弦楽団の逸楽的なほどの豊麗さとクリーヴランド管弦楽団のぜい肉のとれた効率との中間をゆく音だ。低弦の豊かさがアンサンブルをよく支え、金管部門も最高である。この伝統ある楽団がふたたび実力を発揮したのも、すべてショルティの功績にほかならない。ショルティは今や世界第一級の指揮者の1人にのし上がろうとしている。わたしは、なぜ最近シカゴの批評家がニコニコしているか、その理由が今わかった。」 『ミュージカル・アメリカ』誌、P.J.スミス氏の評)


「バーンスタインやブーレーズの下での、いわばヨーロッパふうの柔軟なNYフィルをきき慣れているニューヨーカーの耳に、堅固な鉄壁のようなシカゴ響とショルティはさぞすばらしくきこえたであろう。たしかに聴こえ栄えのする奏法であり、そのことが、ショルティをレコードの賞をもっとも多く取得している指揮者にさせてもいるのだと思う。急速の楽章のみごとさは言わずもがなだが、むしろ、〈アダージェット〉の弦のフレージング、その大きな息づかいに、ワルター以来のマーラー像を見る思いがした。」 柴田南雄著 『名演奏家のディスコロジー曲がりかどの音楽家』より、音楽之友社、1978年)


sv0027e.jpg大阪での演奏は単に「すごい」といえる次元のものとは異なり、およそ信じられないような驚異的ともいうべきシカゴ交響楽団の圧倒的なサウンドに、「これがオーケストラというものか!」と筆者は驚嘆した。会場に居合わせた3千人足らずの聴衆は固唾を呑んで演奏を聴き、筆者も五感を総動員して、この想像を絶する音楽体験を逃すまいと身を乗り出して、舞台にむしゃぶりつくように聴き入った。

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看板奏者の発するトランペットのファンファーレからロンド・フィナーレまでの65分というもの、筆者は体中に電流が走ったように震え続けていた。威厳に充ち、壮麗なブラスと大砲の砲撃のような打楽器が轟く第1楽章の葬送行進曲、肉厚の弦がうねるように躍動する第2楽章、透明な弦の響きとオバケのようなホルンの音に腰を抜かした第3楽章を経て、「ずしり」と重量感のあるアダージェットが纏綿と奏でられると筆者の興奮と感動は頂点に達した。


sv0027f.jpgそして終楽章のロンド・フィナーレ。肉体的な興奮を喚起するようなショルティの活力のある指揮ぶりは圧巻で、筋肉質で強靱な音塊が襲い掛かってくるような急迫的な結びの一撃のあとに、静寂を突きやぶる「お~~~~~」という歓声が瞬時にフェスティバルホールにあがった時は信じられなかった。一瞬、何事かと思ったほどで、同じ年に聴いたベルリンフィルやレニングラードフィルでは見られなかった異常な光景だった。聴衆の誰もが完璧すぎる演奏と音響の凄まじさに絶句し、放心状態で会場をあとにしたことだろう。

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何よりも驚いたのは、会場で聴いたマーラーの音楽は、レコードと寸分違わぬ音で鳴っていたことだった。セッションで仕上げた録音と同じに聴こえるはずはないのだが、各声部がレコードのように、明瞭に浮き立って聴こえてくる歯ごたえのある音楽は、まるでスコアを克明に音化したような輝かしい機能美にあふれていた。

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後に、コンサートもレコーディングも基本的なコンセプトに変わりはないとするショルティの言に“わが意を得たり”と膝を打ったものだった。これまで、レコードでしか聴けなかったシカゴ交響楽団がヴェールを脱いだまさにその瞬間に居わせることが出来たことは、筆者にとって貴重な体験だった。

「マーラーこそままさに青天の霹靂であり、全曲演奏が終わった時、拍手と歓声以前に、“オー”といった感嘆のため息が聞こえたような気がしたほどである。そしてベルリン・フィルに匹敵するヴィルトゥーオージ・オーケストラの登場を実感したものである。ショルティ65歳の時の奇跡といいたいコンサートだった。」 「衝撃の来日公演~その記録と記憶」より諸石幸生氏による~『レコード芸術』通巻第663号、音楽之友社、2006年)


「正確無比なアンサンブルと輝かしい響きは有無を言わさぬ説得力を有し、アタックの効いた音の立ち上がりは耳に突き刺さんばかり。ショルティのマーラーはレコードで体験していたが、ナマで聴いてみるととても恐ろしいものだと感じ入った次第である。終演後の客席の沸き方はすさまじかった。日本でのショルティの名声が確立された瞬間ではなかっただろうか。」 ショルティ/来日公演の衝撃」より岡本稔氏による~『レコード芸術』通巻第687号より、音楽之友社、2007年)


「終楽章が、終わりに出現するコラールのクライマックスに向けての壮大な行進として構成されているのは、いうまでもないことだ。そのクライマックスの造成で私は、かつてショルティがシカゴ交響楽団を指揮して、東京でこの交響曲をやった時の筆紙につくし難いような盛り上がりを忘れることが出来ない。あの時のは、まるで大洪水の時の川の氾濫みたいに限りなく力強く、どんな抵抗も許さないような圧倒的な勢いでおしよせて来た末、そこから金色に輝く巨大な像が目の前に立ちふさがったみたいにコラールが鳴り響いてきたような演奏だった。」 『世界の指揮者』より、吉田秀和コレクション、筑摩書房、2008年)


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ショルティはインタヴューの中でシカゴ交響楽団について次のように語っている。

「私は、音に対する絶対的なイメージがあって、どこのオーケストラに対してもそれを追求します。音の透明感、バランス、強弱、リズムといったものをとても大切にしていますが、このオーケストラは私のイメージ通りに共鳴してくれるのです。私は音がずれることを嫌います。そういうことを好むオーケストラもありますが、私は明瞭で正確であることを求めます。私たちの関係は、皆、3年もたないだろうと言われてきました。シカゴに3年いたら死んでしまう。ある記者が就任時に私を歓迎する記事を書きました。〈3年契約したその勇気に感服します! ここは指揮者の墓場として有名な町だから〉 でも私は今日までもちこたえました。もう墓場も怖くはありません。」


sv0027g.jpgこの時の公演で関係者を驚かせたのは、各地の公演では事前のリハーサルがなく、ぶっつけ本番で演奏が行われたことだった。7日から24日までの公演で演奏がないのはわずか3日だけ。その間に各地を移動してまわるハードスケジュールだったために事実上練習が出来ず、音響効果の異なった会場で演奏するのはほとんど冒険に等しかった。しかしリハーサルなしに演奏することは、この楽団にとってさほど大きな問題ではなかったらしい。

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東京公演ではチャイコフスキーの《悲愴》交響曲で楽員がその一部を失敗し、あとからショルティに謝罪したしたことが伝えられた。ショルティは「あまり気にしないように」と楽員をやさしく慰めたという。鬼軍曹の風評は単なるウワサに過ぎなかったのだろうか。

「プロの耳で聴けば分かっても一般の人には気がつかないくらいのところで、非常に演奏のむつかしい部分です。私たちは、日本のオーケストラと同じようにアンビシャス(高い水準を目ざしている)なのです。私は、むつかしい曲を演奏するときは、スマイル(微笑)をしてから指揮に入るよう心掛けています。」(ショルティ談)


sv0027h.jpgショルティはオーケストラを建築にたとえ、指揮者の立場から、各パートの均衡と明確な音の表現を第一に考えているという。「それを実現する秘訣はこれですよ」と自分の大きな両耳を指して笑ったと、当時の新聞記事は伝えている。

ショルティ=シカゴ交響楽団は1986年の日本公演でもマーラー交響曲第5番を演奏し、3月26日の東京文化会館でのコンサートのもようはオンエアされたから、こちらの演奏が記憶に残っている人も多いだろう。評論家でマーラー指揮者である金子建志氏がインタヴューで次のように語っている。

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「なんつぅても、ショルティのレコードが完璧ですからね、前回来たときは聴き逃しちゃったんで、生でどれくらいできるのか確かめてみたいですネ。とくにハーゼスがいかにトランペットを完璧に吹くのか楽しみです。それからシルキーな弦も楽しみで、何しろベルリンフィルとトップを争っているオーケストラですから、生で聴いたらどうでしょうか?」


「一番の見モノはショルティの指揮で、彼は“肘で全部ぶちこわす”ってベルリンで批評されているわけ。ところが、シカゴ響はそういうショルティの奇妙な動作に全然反応を示さないんですね。ショルティがいくら暴れても綺麗なレガートで弾いちゃうんで、そのあたりも確かめてみたいです。」


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どういうわけか、ショルティという指揮者は日本ではあまり人気がない。来日公演でもショルティを聴きたいからではなく、シカゴ交響楽団を聴きに来たというファンが圧倒的だ。公演を聴きに来た聴衆からも次のような声が聴かれた。

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「とにかくアメリカのオーケストラが大好きでよく聴きに来るが、シカゴ・シンフォーニーはその中でもピカイチで、もっともパワフルなオーケストラであることが聴きに来た最大の理由。もう1つはショルティはあまり好きな指揮者ではないが、年齢から考えると今回が最後だろうということ、そして演目が一番評判の高いマーラーの5番であること!」

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あまりにも衝撃的だった1977年ショルティ=シカゴ交響楽団の来日公演。37年前の思い出はいくら紙面を費やしても語りつくせるものではないが、筆者にはショッキングな事件ともいうべき生涯忘れ得ぬコンサートだった。

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[ 2014/11/09 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)