ジュリーニのシューマン/交響曲第3番「ライン」

sv0048a.jpg
シューマン/交響曲第3番変ホ調調 作品97「ライン」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1980.12.1 Shrine Auditorium, Los Angeles
Recording Producer: Günther Breest (DG)
Recording Engineer: Hans-Peter Schweikman
Length:34:02 (Digital)
amazon  TOWER RECORDS  HMVicon


1978年、ジュリーニのロスフィル音楽監督就任は楽壇を震撼させた。1シーズンに8~9のプログラムに限定して指揮し、音楽以外のマネジメントや資金集め等の義務を追わないことを条件に合意に到ったとされるが、蓋をあけてみればジュリーニはロスでの仕事を精力的にこなし、リハーサルでは楽員の信頼も厚かった。

sv0048k.jpgかつてメータの時代に色彩感鮮やかなデッカの名録音で一世を風靡したロスフィルだが、この楽団が名実ともに世界的な名声を得たのはジュリーニの時代とされる。楽員はイタリアの巨匠のもとで音楽を深めていくことを知り、オーケストラにウーンフィルのような“まろやかな響き”深い表現力が備わった。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

静かな暮らしを好み、内省的で深い芸術性をそなえたジュリーニにとって、世間ではこの組み合わせは長くは続くまいとの憶測が乱れ飛んだが、大方の予想を覆して契約は延長され、ドイツ・グラモフォンに一連のレコーデングが始まった。ジュリーニの残したロスフィルとの録音(13点)の中でも出色の一枚が《ライン》である。

sv0048b.jpgシューマンの管弦楽書法は弦楽器と管楽器を重ねすぎることから、指揮者によってオーケストレーションに手を加えられる場合が少なくないが、その代表的なものがマーラー編曲版で、ジュリーニはEMI盤と同様にこれを採用。たとえば第2楽章では、管楽器を大幅にカットしているのが聴いてとれるだろう。  amazon

ここでは、一点の濁りもなく晴朗に鳴り響く質の高いオーケストラ・サウンドが展開する。中間楽章では、しっとりとした抒情性と敬虔な表情を入念に刷り込りこんでいくあたりはジュリーニの真骨頂で、ホルンの斉奏が朗々と鳴り響く第1楽章フィナーレのツボを押さえた名録音もこの盤の大きな魅力といえる。

 sv0048ls.jpg  sv0048m.jpg

「この〈ライン〉交響曲は本当に美しい。オーケストラのすばらしい響きが滔々と溢れるように鳴り、流れているが、少しも饒舌の感がない。それはいつものジュリーニの指揮と同様、楽器間のバランスと各声部の音色が磨きぬかれた精度をもっているからである。リズムと旋律の歌い方の明快明澄なことも特筆に価する。それはまるで湧き出る生命感そのものの呼吸のようにいきいきとしている。音色も全体として明るく、すべてが人生肯定的な色調に彩られている。」 大木正興氏による月評より、『レコード芸術』通巻第381号、音楽之友社、1982年)


「ロサンゼルス・フィルのアンサンブルもすばらしい。あらゆるパートが有機的に結ばれ、弦群のやわらかさとあたたかさ、そして管弦の融合の自然さは、アメリカの楽団では滅多ときけない美感をつくっている。ジュリーニはすでにこのオーケストラを完全に手中に収めている。第1楽章の明快さ、第3楽章の洗練の極ともいえるデリカシーの表出とふくよかな表情、第5楽章の細密画を見るようなきめこまかさのなかに、なおも認められるゆとりと生気は、これこそジュリーニの芸術的資質を示したものといえる。」 小石忠男氏による月評より、『レコード芸術』通巻第381号、音楽之友社、1982年)



第1楽章 生き生きと、4分の3拍子
sv0048c.jpg
力瘤のない澄明爽快な総奏が心地よく、付点音符を長めにとって、シューマン特有のシンコペート・リズムをレガートで歌わせる手口はなるほど、ジュリーニ流。

哀愁を帯びた木管による抒情味あふれる第2主題(95小節)は聴き手の心に染み入るようで、これが晴朗なフレージングの弦に受け継がれて、音楽は滔々と淀みなく流れてゆく。驚くべきはヌケの良いホルンの音で、カノン風に模倣する主題展開(改変)の肉感のある響きが聴き手の耳に快い。

amazom  TOWER RECORDS  HMVicon

展開部は、たっぷりと謡う第1主題、清冽なカンタービレを聴かせる第2主題など、ジュリーニの長いアームスから繰り出される振幅運動によって、音楽が大きくしなやかに息づいている。主題を変奏しながら、翳りを付ける味わい深さも特筆モノで、繊細なフレージングによって響きが厚ぼったくならないところがジュニーニの上手いところだ。

sv0048d.jpg大きな聴きどころは展開部終わりにマルカートで奏するホルンの斉奏(367小節)。ラインの伝説的な英雄像をシンボル的に吹奏する名場面で、清澄なホルンが朗々とした響きで高揚し、弦楽のさざ波の中から小節をまたいで抜け出す切分音が抜群の臨場感で迫ってくる。

華やぎのあるファンファーレもくわわって、力強く再現部へ導くジュリーニの絶妙の棒さばきにゾクゾクしてしまう。

sv0048n.jpg
sv0048o.jpg
amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

弦のトレモロを歌うように弾かせ、楽想の変転を絶妙のレガートによって継ぎ目なく流れる再現部は、“歌の指揮者”ジュリーニの独壇場。切分音型の第1主題が舞曲風に変奏されると、いやがおうにも祝典的な気分が盛り上がってくる。コーダは活き活きとした躍動感に充ち溢れ、澄み渡った青空に一点の濁りもなく鳴り響くホルンと、柔らかに打ち放つファンファーレが感興を大きく高めている。


第2楽章 スケルツォ、きわめておだやかに、4分の3拍子
sv0048e.jpg「ラインの朝」と名付けられた旋律は、ドイツ民謡〈ラインヴァインラント〉に由来する。ヴィオラとチェロが奏でる名旋律は滔々と流れ、大河に身をゆだねるように淀みなく歌われるのが心地よい。中間部で3連符の新たな主題がホルンによって情感ゆたかに導かれると、木管のレガートが明滅しながら彩りを添える。

amazob  TOWER RECORDS  HMVicon
sv0048p.jpg

第1主題の再現も雄大な流れに揺るぎは無く、リハリを効かせたホルンが音楽に深みをあたえている。コーダは厚ぼったくなりがちなオーケストレーションをジュリーニは巧みに操り、立体感をつけて奥行きに富んだ演奏を聴かせてくれる。ゆたかな響きのホルンの斉奏(115小節)は、中世のドイツ・ロマンが香り立つような気分に溢れんばかり。


第3楽章 速くなく、4分の4拍子
sv0048f.jpg弦と木管とホルンのみによる穏やかな緩除楽章は、まったりとしたクラリネットの調べから抒情的な表情を紡ぎ出し、しっとりと哀感をしのばせる手口がジュリーニ流。5小節目から16分音符ではじまる推移主題は弦が中心に歌われるが、木管と溶け合ったハーモニーの美しさにも耳をそば立てたい。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

聴きどころは中間部(18小節)でファゴットとヴィオラによって歌われる下降音型の副主題。くすみがかった内声の歌わせ方は、かつてヴィオラ奏者として腕を鳴らしたジュリーニの面目躍如たるところで、中音部の旋律に翳りを帯びた表情をレガートで謳い、手の込んだ味わいを見せている。再現部手前(35小節)のリタルダンドも印象的で、ラインで生活する人々の内面からこみ上げてくるような情感にあふれている。

ジュリーニの時代にヴィオラの首席奏者をつとめていたのは大山平一郎で、アメリカのトップメージャー・オーケストラ史上、東洋人として初めての首席奏者となり、その後アンドレ・プレヴィンの時代まで13年間にわたってロスフィルで活躍している。


第4楽章 荘厳に、4分の4拍子
sv0048g.jpg作曲者がケルンの壮麗な大寺院で見た大司教の枢機卿昇進の祝典の情景の主要主題は、厳粛な気分に貫かれている。6小節から登場する弦の荘重な主題が対位法的に重ね合わされるところの緊迫感に身がすくむ思いである。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

2つの主題が結び合わされる第2部(23小節)は、各パートがカノン風に織り重ねられてゆくところが感動的で、旋律を重畳的に奏でて敬虔な表情を深めているのが聴きどころ。重厚なトロンボーが加わると壮麗さがさらに増してくるが、フィナーレのテーマを予感させる骨の太いファンファーレや、結びの力強い和音も印象的だ。


第5楽章 フィナーレ、生き生きと、2分の2拍子
sv0048h.jpg民衆の祭りをあらわす舞曲調の第1主題はリズミカルだ。しなるような弦のフレージングやわらかなレガート奏法に支えられて、ホルンが朗々と発するところは気分爽快。

スタッカート・リズム(57小節)に変わってもしなやかな音楽に揺るぎはなく、ホルンが突き抜けるように立ち上がる総奏の鮮度の高さも抜群である! リズミカルな弦の装飾音やトランペットのファンファーレが加わると祝典的な気分が大きく盛り上がってくる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

ここでは、弱拍にアクセントを置いたシューマン独特のリズムを難なく捌いて精密なアンサンブルを聴かせるロスフィルの腕の確かさに驚くばかり。ホルンが新たな主題を朗唱し(展開部130小節)全管が声を張りあげる場面は圧巻で、弦のトレモロをエネルギッシュに走らせて(再現部154小節)、総奏でホルンを強奏させる颯爽とした立ち振る舞いもジュリーニの絶好調ぶりを伝えている。
sv0048q.jpg

sv0048i.jpgコーダ(245小節)の音楽は力強い。大きく朗唱するコラールは活力に充ち、ジュリーニが精気溌剌とオーケストラをドライヴする。極めつけは271小節(練習番号L)の総奏の一撃で、トロンボーンが4分音符の楔を「バリッ!」と一発ぶち込んでオーケストラに火をつける場面はジュリーニのアグレッシヴな即興に快哉を叫びたくなる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

シュネッラー(299小節)はホルンが「ここぞ」とばかりに豪快な3連音で炸裂。振幅をともなう加速はジュリーニ・リズムの典型で、爆発的な躍動感が聴き手の興奮を喚起する。弦楽器を走らせながら管の打撃をビシビシ打ち込むところは生気に溢れんばかりで、管弦の突き抜けるような冴えた響きが聴き手を最後まで魅了してやまない。良い音楽を聴いたという充実感のつよい1枚だ。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします
このエントリーをはてなブックマークに追加

[ 2015/08/29 ] 音楽 シューマン | TB(-) | CM(-)

芥川也寸志/映画音楽組曲「八つ墓村」より

sv0050a.jpg
芥川也寸志/映画音楽組曲「八つ墓村」(甲田潤編)
本名徹次 指揮
オーケストラ・ニッポニカ
Recording: 2009.11.15 Kioi Hall,Tokyo
Recording Producer: Tomayoshi Ezaki
Balance Engineer: Yoshihiko Mazda
Length : 19:12 (Digital Live)   OVCL-00415
amazon  TOWER RECORDS  HMVicon
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「たたりじゃ、八つ墓明神のたたりじゃ!」 1977年秋、日本列島を震撼させた松竹映画《八つ墓村》は、筆者には思い出の深い作品である。「八つ墓村」は、巧妙なトリックの面白さと耽美的なロマンの世界が融和した横溝正史の代表作のひとつで、70年代の横溝ブームにのって野村芳太郎(監督)と橋本忍(脚本)が映画化、7億円の制作費と2年3ヶ月の歳月をかけた大作だ。

sv0050b.jpg映画では原作をアレンジし、財産横領をもくろみ、八つ墓明神の祟りを利用した殺人事件と設定する一方で、 その奥底にひそむ当事者すらまったく知らない400年前の落武者の怨念に纏わる“本当の祟り”があるとする。封切り当時は「これを見た子どもが怖がり、夜寝られなくて困っている」と抗議が寄せられたほどで、「ちょっと怖がらせ過ぎちゃったかなあ」と野村芳太郎監督は語っている。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

音楽は芥川也寸志(1925~89)が作曲し、同年に公開された《八甲田山》とともに第1回日本アカデミー音楽賞(1978年)を受賞。野村芳太郎監督とコンビを組み、《砂の器》など野村映画をサウンド面で支えてきた芥川作品は、小ぶしをきかせた抒情的な旋律を特徴とし、“芥川節”として知られている。

sv0050e.jpg次々と殺人が起こる洞窟の中を主人公が尼子一族の血をひく美女と手を携え、自分の生まれた秘密の場所(竜のアギト)を探し求める“道行”が最大のクライマックス。

ここに流れる〈青い鬼火の淵〉(道行のテーマ)は、ラヴェル《ラ・ヴァルス》の日本版ともいえる名旋律だ。男女の感情の高まりをあらわすように、次第にテンポが早まって高揚する“死出のワルツ”、そこには、怪奇と妖気、さらに官能的ともいえる男女の情念が織り込まれ、幻想的でロマンティックな情景が余すところなく描かれている。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

「〈八つ墓村〉は、私の数多くの映画音楽の中で、抒情的なもの、心理的なもの、官能的なものなもの、象徴的なものなど、手法上のあらゆる要素がふくまれていて、私の映画音楽の集大成です。」 芥川也寸志氏)


「〈八つ墓村〉の音楽は、初めはサスペンスの音楽を考えていたんです。しかし、撮影をすすめて、ラッシュをみていくうちに、芥川さんと相談しましてね、そういったものではなく、〈五弁の椿〉のときの音楽のように、ふしぎな雰囲気をもったテーマ曲を画面にぶつけていこうではないか、というようになったんです。」 野村芳太郎監督~秋山邦彦氏による『〈八つ墓村〉の映画音楽へのひとつのドキュメント』より)


sv0050p.jpg《八つ墓村》は映画音楽として埋もれてしまうには惜しい作品で、これを組曲という形の管弦楽作品として編曲出来ないか、と考えていた筆者の永年の夢が叶ったようなCDが登場した。それは、オーケストラ・ニッポニカによる「芥川也寸志・管弦楽作品連続演奏会」(2009年11月15日、紀尾井ホール)のライヴCDで、演奏には甲田潤氏によってサウンド・トラックから新たに採譜された。

これは、映画で使用したオリジナル譜が消失したためだが、シングル・バージョンを収録した新日フィルのライブラリにも保管されていなかったのかしら。

ここでは6曲(1.呪われた血の終焉、2.メイン・タイトル、3.惨劇!32人殺し、4.青い鬼火の淵、5.竜の顎(アギト)、6.落武者のテーマ)が演奏されているが、エンディングの〈呪われた血の終焉〉が冒頭に置かれ、映画では使用されなかった〈落武者のテーマ〉が最後に置かれるという選曲と配列に問題を感じ、映画の進行に従って聴いてみたい。 (サウンドトラック盤UPCY-6422/3では、《道行のテーマ》が《道化のテーマ》になっているので、これには失笑するしかない。)

  sv0050m.jpg sv0050n.jpg

 メイン・タイトル[サウンド・トラック盤1]
尼子一族の落武者が中国地方の山深い谷間を、最後の力をふりしぼってのぼっている。あるものは力つきて、谷底へと落ちてゆく。永禄9年7月6日(1566年)、雲州富田城主尼子義久が、毛利元就に降って月山城を明け渡したとき、義孝は近習を従えて落ちのびた。山を越え、千辛万苦の末、たどり着いた場所は鳥取と岡山の境の四方を山に囲まれた小さな村。地元ではここを「八つ墓村」とよぶ。

sv0050fs.jpg

芥川節による日本情緒ゆたかなメロディーが、峠から見渡す中国地方の山間に気持ちよく鳴り響く。ホルンが大きくこだまするところは、《アルプス交響曲》を彷彿とさせ、木管の甘美な旋律にハープの合いの手を絡める手法も絶妙。これを受けて弦が「これでもか」と旋律を美麗に歌いまわす手口はいかにも芥川流だ。

sv0050c.jpg411年後の現代、8人の落武者が立った同じ場所(明地峠)に、寺田辰弥(萩原健一)と森美也子(小川真由美)が立っている。多治見家の跡取りにするために、新聞の尋ね人で辰弥を探し出し、分家である森家の美也子が辰弥を連れて帰ってきた。美也子はこの村の出身者ではなく、この村に嫁いできてその後未亡人となった女性。

「はじめてここに立った時ね、わたし、一生この村に住み着くことになるんじゃないかと、その時ふと思ったのよ。」と美也子の運命(さだめ)が暗示される。      amazon HMVicon

ここで、峠にたたずむ小川真由美の白い巻きスカートがひらひらと風に揺らぐシーンが大きな見どころで、これをとらえる川又昂の絶妙のアングルが心憎く、映画を見たとき、その美しい足下に目が釘付けになったのを思い出すのは、筆者だけではないだろう。


落ち武者のテーマ[サウンド・トラック盤24]
村に住み着いた8人の落武者は、はじめは村人に怖がられていたが、農民に姿をやつして畑を耕し、炭焼きなどをはじめて村の生活にとけ込んでいった。ところが毛利の詮議の手がこの山奥までのびてきたことから、村人は多大な褒賞に目が眩らみ、落武者を村祭りに招待すると偽って毒を盛り、山刀、竹槍をふるって無防備な落武者全員を惨殺してしまう。

sv0050gs.jpg

サウンドトラック盤ではシングル・バージョンとして収録されたナンバーで、どの映画シーンを想定して書かれたものかは詳らかではないが、古武士的な厳つい曲想がユニークだ。同じ旋律をオスティナート的に繰り返しながら次第に声部を増やし、この盤では最後に強烈な金管のグリッサンドをぶちかまして決めるあたりは《ボレロ》を思わせる。

血みどろになった落武者の大将は、「おのれ、卑怯な・・・七生までこの村に祟って祟って祟ってやるゾ~!」と叫び続けて息絶えた。その後、村の長であった多治見正左衛門は発狂して村人7人を斬り殺し、あげくは自分で自分の首をはねてしまう恐ろしい出来事がおこった。祟りを恐れた村人たちは野ざらしになっていた落武者の遺体を手厚く葬り、村の守り神とした。これが「八つ墓明神」の言い伝えである。


惨劇・32人殺し[サウンド・トラック盤9]
28年前のある夜、久弥、春代の父親で多治見家の当主・要蔵(山崎努、二役)が突然発狂して村人32人を惨殺するという戦慄する事件が起こった。原因は愛人である辰弥の母・鶴子が辰弥を連れて突然姿を消したことに因る。

sv0050hs.jpg

多治見家では正左衛門以来、代々狂疾の遺伝があった。要蔵は詰め襟服に兵児帯を締め、脚絆を巻いた奇妙ないでたちで、白い鉢巻きには懐中電灯2本を角のように結びつけ、死神か鬼のような形相。妻を斬り殺した後は民家に飛び込んでは住民を切り殺し、猟銃で狙撃して殺戮、村中を恐怖のどん底に陥れた。

sv0050d.jpg弾むような弦楽の刻みのオスティナート・リズムにのって、行進曲調のダイナミックな音楽が日本刀と猟銃を持って疾走する要蔵の奇行を描写する。ホルンをはじめとするブラスが浮遊する不気味な旋律から、村人の戦慄の悲鳴が聴こえてくるかのようだ。シロホンと鍵盤が立ち上がるとリズムがシャッキリと引き締まり、凄絶な殺戮シーンを歯切れ良く演出。メイン・テーマの断片がホルンによって回想されて夜明けを告げる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

山へ逃げ込んだ要蔵は消息不明と言い伝えられていたが、鍾乳洞の中に逃げ込み、死蝋化して鎧を着たミニラになり果てていた。双子の大叔母たちはこれを隠し、おそろいの道行きを着て、夜中に地下室の抜け道を通って密かにお参りをしていたのだ。


青い鬼火の淵(道行のテーマ)[サウンド・トラック盤16、23]
sv0050o.jpgこの映画のクライマックスともいうべき場面で、甘美なワルツ風の音楽にのって、辰弥は人知れぬ鍾乳洞のなかを、母親から聞かされた自分の生まれた場所である「竜のアギト」を美也子と一緒に探して歩く幻想的なシーンが展開する。

すでに祖父丑松、兄久弥、工藤校長、濃茶の尼、大叔母の小梅、親族の久野医師と、6人の犠牲者が出ている。要蔵のミイラ、小梅の死骸が浮かぶ鬼火の淵、久野医師が刺殺された場所をやり過ごし、2人は鍾乳洞の奥深くへと過去を遡る旅をする。

黒い皮の上着とパンツを身に纏い、首にスカーフを巻いた小川真由美の洒落たコスチュームに目を見張るが、「これは死の道行きね、私たち」という美也子の言葉に「ぐっ」ときたのは、筆者だけではないはずだ。

sv0050is.jpg

オーケストラの奏でるワルツの調べは美しい。この世にこんな美しく哀しい音楽があったのかと思うほどで、オーボエの切ない序奏の調べに、たっぷりと弓を入れた低音弦とハープの装飾音を絡めた神秘的な情景の美しさにため息が出てしまう。主部のワルツはチェロが滔々と流れ、これをヴァイオリンが引き継いで、しっとりと艶をのせて歌い込んでゆく。

sv0050q.jpg

中間部のオーボエ独奏によるモノローグ的な第2句の間奏もたまらない。時空を超えたロマンと、わが身の運命(さだめ)を悲哀をこめて切々と紡ぎ出す。とろけるようなハープの合いの手が絡むところは聴き手の涙を誘っている。これに応える弦楽の重厚な響きが重ね合わされるところの妖しくも悲劇的な雰囲気といったら! 

sv0050r.jpg

クライマックスの主題再現は、チェレスタを加えた艶美なワルツを高弦が歌い、ロマンティックに揺れながら次第にテンポを早めて高揚するところはラヴェルの《ラ・ヴァルス》を彷彿とさせるではないか。ワルツの頂点の総奏で、ついに2人は洞窟の果てに美しい乳白色に彩られた幻想的な鍾乳洞の一角を発見する。「ここであなたは生まれたのね。」

「《八墓村》で描かれる男女の恋は、恐ろしく宿命的であり、神秘に満ちている。青く美しい鬼火の淵。何億年の歳月が作り上げた地底の鍾乳洞。壁には夜行苔が息づき、天井からは数百の蝙蝠の眼が光る闇の世界。その中で展開する愛と死の恐ろしくも美しい葛藤。400年前の落武者惨殺の恨みと血が呪いとなって受け継がれた男と女の予期せぬ愛の燃焼。此こそ、《八墓村》の愛のロマンの世界なのだ。」 野村芳太郎監督による「テーマ曲によせて」、ビクター音楽産業、1977年)



竜の顎(アギト)[サウンド・トラック盤17]
鶴子のテーマといえる甘酸っぱくも切ない「愛の場面」の音楽。ここでは母・鶴子が亀井洋一と密会する回想シーンと、辰弥と美也子の感情の高まりが重ね合わされる。温もりのある弦楽の調べによって、鶴子と美也子の官能的な悦楽が描き出され、ツボを押さえたように道行の間奏テーマが艶を込めてたっぷりと再現し、高揚するところが感動的だ。

sv0050ks.jpg


呪われた血の終焉 [サウンド・トラック盤21]
親密な仲になった辰弥は、美也子の傷ついた指を見て仰天する。それは7人目の犠牲になった姉の春代が噛んだ傷跡だった。その時、洞窟の中に強い風が吹き込み、美也子が般若のような落武者の悪霊と化し、その正体をあらわす。青白い顔、赤く光る目からは血の涙が滴っている。恐ろしい形相の悪霊は喘ぎながら、逃げまわる辰弥を執拗に追い続ける。

突然、洞窟にコウモリの群れが現れると崖崩れが起こり、美也子は岩の下敷きになり絶命、洞窟から出たコモウリの群れはまっすぐ多治見家へ向かっている。空は真っ赤だ! コウモリは、蝋燭を灯してお経を唱えている大叔母・小竹のいる部屋を直撃するや、あっという間に火の手があがり、多治見家は炎に包まれてしまう。かくして小竹が8人目の犠牲者となって、悲劇のドラマがここに完結する。

sv0050ls.jpg

八つ墓村の不吉なテーマが低音の鍵盤と弦によってなみなみと再現する。ここでは弦楽が織りなす重畳的な響きが聴きどころで、尼子の怨念をあらわす古風な旋律弦楽フガートによって、ねっとりと重ね合わされてゆく。
sv0050s.jpg
多治見家の炎上を山の上から見届ける落武者たちの亡霊。笛の音や太鼓の合いの手を入れて声部を増やし、落武者の怨念が悲劇のクライマックスを描き出す。呪われた多治見家をあざ笑うかのように「ニヤリ」と笑む尼子の大将(夏八木勲)の表情は大人が見ても怖ろしく、背筋が凍りついた記憶がある。

「この映画のどこが恐いかっていうと、最後に舞台となる多治見家が燃えて、炎につつまれているその家を、山頂に8人の落武者の幻影が現れて、それを見おろしながら、ニヤッと笑う、そこのところが、一番恐くないと、この映画は駄目だと思うんですよね。霊のような士(さむらい)が、にやっと笑うその恐ろしさ。」 芥川也寸志~「〈八つ墓村〉の映画音楽へのひとつのドキュメント」より)


一連の殺人は多治見家の財産をねらったを美也子の犯行であることが明かされるが、美也子自身もまったく知らない恐ろしい事実があった。尼子義孝は雲州富田から播磨へ妻子を落とし、但馬、生野、丹波篠山へと流れた尼子一族の24代直系の子孫が美也子で、辰弥の父親で要蔵を発狂させる遠因となった亀井洋一なる人物もまた、雲州富田の出であった。

sv0050js.jpg

すなわち、この一連の事件は、尼子の血を引く美也子と、その重臣である亀井氏の流れを汲む辰弥が運命の糸に手繰られるようにこの村にやって来て、まったく意識しないところで協力し、多治見家一族を根絶やしにして復讐を果たしたことになる。怪奇と幻想につつまれた美しくも哀しい芥川を代表する音楽作品だ。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします

このエントリーをはてなブックマークに追加

[ 2015/08/14 ] 音楽 芥川 也寸志 | TB(-) | CM(-)

ミュンシュ=ボストン響白熱の《ボレロ》

sv0049a.jpg
ラヴェル/ボレロ
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団
Recording:1956.1.23 Symphony Hall, Boston (RCA)
Producer: Richard Mohr
Recording Engineer: Lewis Layton
Length: 13:49 (2track Stereo)
amazon  TOWER RECORDS


クーセヴィツキーの後を継いでボストン響の首席指揮者となったシャルル・ミュンシュは、アルザス出身のドイツ系フランス人指揮者で、勇退する1962年まで14年間にわたって同楽団のシェフとして君臨し、RCAに数多くの名録音を残した。これらの中でも極めつけがラヴェルやドビュッシーをはじめとした“フランスもの”であることは言うまでもない。

sv0049b.jpgSACDで甦ったこのディスクは、「リビング・ステレオ」(生き生きとした生演奏のようなステレオ)というコンセプトを売り物にしたステレオ初期のRCAの高音質録音のシリーズの一枚で、オリジナルの持つ輝かしい音質はおよそLPの比ではない。

amazon  TOWER RECORDS

途轍もないダイナミック・レンジ、シルクのようにふっくらと響くキメ細やかな弦楽器、みずみずしく冴えた響きの木管、目の覚めるようなシャープなブラスなど、クオリティの高いボストン・サウンドが目の前に鮮やかに展開する。何よりもすばらしいのは《ボレロ》のソロ・パートを受け持つボストン響の奏者の音色の美しさだ! 名人たちの繰り出す管楽器の煌びやかな音が大きな魅力で、オーボエ・ダモーレやピッコロの生々しい音場は驚異的といえる。

演奏はいかにも全盛期のミュンシュらしく、喧嘩腰でオーケストラを煽って爆発する総奏のダイナミズムは冠絶しており、ともすれば一本調子になりがちな単調なリズムが熱気を帯びて盛り上がり、格闘技のごとくエキサイトするのが聴きどころ。楽員もミュンシュの乱暴ともいえる棒に必死に喰らい付いていくさまが、実演のように生々しく刻まれている。

「ミュンシュのラヴェル演奏は太い音楽的支柱を軸として、洗練された感性がうまく融合したものと言えるだろう。《ボレロ》は各楽器の音色やフレーズの抑揚をテンポよく鮮やかに描き出している。《ラ・ヴァルス》ではしっかりとした3拍子の底流の上に、少々速めだが旋律の表情を濃厚、かつしなやかにコントロールしている。」 草野次郎氏による月評より、BVCC38462、『レコード芸術』通巻677号、音楽之友社、2007年)


「ミュンシュのフランス物は定評があるとはいうものの、いわゆるデリケートなフランス流儀ではなく、まことに独自なものなのである。特にボストン交響楽団を振ったレコードは、オーケストラの厚味も手伝ってミュンシュ色濃厚であり、好き嫌いを生じやすい。レコードを求める人は、ここのところを充分に認識する必要があると思う。いずれも一体に速いテンポで、直線的にぐいぐい運んでいく。集中力が強く、色彩感も旋律線もあくまで鮮明、ダイナミックはむしろ男性的、さながら“フランスのトスカニーニ”といえよう。」 宇野功芳氏による月評より、RGC7601~20、『レコード芸術』通巻311号、音楽之友社、1976年)



第1曲~4曲(5~76小節)
《ボレロ》はラヴェルの最後を飾る管弦楽作品で、主題Aとそれに応答する副主題BAABBの順に4曲を1セットとしてこれを4回反復し、最後はA、Bが1回ずつ合計18曲が演奏される。それぞれの主題は第1楽句と第2楽句が8小節ずつの計16小節から成、各主題の間には2小節のリズム伴奏がはさまれる、という構成だ。

sv0049h.jpg

小太鼓のリズム打ちは速めのテンポで溌剌としている。13分49秒というミュンシュの演奏タイムは、マゼールの13分06秒を例外としても、パレーの13分24秒に次ぐ快速ぶりで、ふっくらとした柔らかなフルート(A1)の音色はもとより、太い音でたっぷり鳴らすクラリネットの主題(A2)は、楽器の“鳴りっぷりの良さ”に度肝を抜されてしまう。

鼻に掛かったような独特の味わいのあるファゴットのB主題(B1)は、ねばっこいテヌートを効かせた味付けがすこぶる濃厚。「ひょい」と戯けたように奏する小クラリネット(B2)の道化的な表情も個性的だ。

sv0049c.jpgここで、3種の演奏テンポを比べてみると、録音年代によって基本テンポの違いこそあれ、全体の音楽運びは共通している。#3までほぼイン・テンポで演奏し、#4のサックスのB主題ではルバートを多用するのが基本。

中間地点の#5(A5/6)がほぼ平均タイムになっているところも3種に共通している部分で、#9の総奏で満を持して加速をかけて爆発、一気呵成に畳み掛ける、というのがミュンシュの基本コンセプトといえる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon
NoRecordingOrchestraLevelTimeAverage(A)Average(B)Average(Total)
1956Boston soRCA13:490:43:330:44:000:43:47
1962Boston soRCA14:590:47:530:47:200:47:37
1968Paris oEMI17:040:54:070:54:200:54:13

sv0049d.jpg ただし、62年盤については、シンコペーションや3連符を含んだB主題をむしろ速いテンポで演奏しているために、やや窮屈な印象を与えている。

またA4以降は48秒前後で一直線に推移しているためか、メリハリが少なく単調に聴こえてしまう。最後は早くもB8のところでオーケストラをけしかけ、アクセルを踏み込む即興的な激烈ぶりが面白く、こちらの方が熱っぽく(粗っぽく)感じる向きもあるだろう。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon   [SACD]

第5曲~8曲(77~148小節)
sv0049e.jpgこの演奏の最大の聴きどころは、2回目のA主題を奏でるオーボエ・ダモーレ(A3)だ。まるでバグパイプのように「ぶりぶり」と聴こえてくる肉感のある音色は大きな耳のご馳走で、能天気に朗々と鳴り響く豊かな音場に仰天してしまう。明るく歌謡調に打ち放つトランペット(A4)が聴こえてくると感興が大きく高まってくる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

B主題は、テナー・サックス(B3)が大きくルバートをかけて歌い出す。テヌートをてんこ盛りにして、哀愁たっぷりとたゆたう歌い口に酔ってしまいそうになる。野太いタッチで健康的に鳴り響かせるところは、まぎれもなくミュンシュのスタイルにほかならない。ソプラニーノ・サックス(B4)の高音の澄んだ音にも魅せられるが、低音域で歌い継ぐソプラノ・サックスの腹に響く鳴りっぷりがたまらない。


第9曲~12曲(149~220小節)
ト長調(下)とホ長調(上)の2本のピッコロの和声が加わる3回目のA主題(A5)は、これがホルン、チェレスタと溶け合うメタリッックな響きが印象的だ。ミュンシュは157小節からホ長調を明瞭に打ち出して最上部のピッコロを分離したように聴かせているが、決してあざとさを感じさせず、いとも自然にやってのけている。
sv0049l.jpg

sv0049i.jpg

A6のメロディーはボストン響の明るい音でカラっと爽やかに歌うこの楽団の管楽器のアンサンブルがその持ち味を存分に発揮する。トランペットが「ぺっ!」と吐き捨てるように切れのあるリズムを打ち込むのが個性的で、これがいかにもラテン的。小太鼓のリズム打ちは次第に歯切れ良さが増してくる。

sv0049f.jpgB主題を歌うトロンボーン(B5)はかなり苦しい。ここは、機能的に演奏の困難さを感じさせるところだが、ミュンシュはB3B4のサックス(46秒)とは打って変わって綱を引き締めて早いテンポ(43秒)で料理する。「バンバン」と元気よく叩く小太鼓に振り落とされまいと、必死になってついてゆく気の毒なトロンボーン奏者。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon
sv0049k.jpg

「奏者に情けは無用!」とばかりにミュンシュはわき目もふらず、一直線に突き進む。フォルテの木管の合奏(B6)はシャッキリと爽やかさが際立ってくると、「ピシッ!」とオーケストラに鞭を入れ、パンチを効かせて精力的に盛り上げてゆく。


第13曲~16曲(221~292小節)
sv0049g.jpg「待ってました」とばかりに弦のオクターヴのA主題が加わるA7がこの曲最高の聴きどころだ。「サラサラ」と流麗闊達に歌うボストン響のストリングスは開放的で、その瀟洒な味わいを堪能させてくれる。

何よりも軽やかなフレージングが特筆もので、決して重たい音にならないところは弦楽器出身のフランス人指揮者によって培われたこの楽団の伝統なのだろう。A8の合奏もサラっと味付け、ミュンシュはまだまだ攻撃の手をくわえない。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

力強く応答するB主題はトランペットの華麗なメロディー(B7)が加わるが、決して突出させず、柔らかく溶け合うように響かせるあたりが心憎くく、ヴィオラ、チェロが加わった流れるような美しい弦楽アンサンブル(B8)の妙味にも耳をそばだてたい。

ミュンシュが「ここぞ」とばかりに仕掛けるのは、B8直後の291小節のリズム伴奏から。何を思ったのか、突如、活火山が大噴火するがごとく、灼熱の迫力が噴出する場面に腰を抜かしてしまう。弦楽器のピッチッカートなど、バチバチと指板がすさまじい音を立てているのも驚きだ! 


第17~18曲(293~340小節)
sv0049j.jpgA9の大総奏は、指揮者がオーケストラをやおら駆り立ててダイナミックに爆発する。音楽はパッションだ! 驚くべきは半ばヤケクソになって打ち込むトランペット編隊の強奏で、突撃隊のラッパのような打ち込みに仰天するが、さらに300小節のクレッシェンドでは、ほとんど常軌を逸したかのように力の限り吹きぬいている。

全楽器が躍動するダイナミズムはもはや極限まで拡大し、「ニヤリ」と悪魔の笑みを浮かべるミュンシュの顔が思わず目に浮かんでくる。演奏タイムはA9が最速で41秒をたたき出している。B主題のトランペットの打ち込み(B9)も苛烈を極め、強烈なリズムを執拗に叩き込んで、指揮官は攻撃の手をいささかも緩めない。

コーダはトランペットが高らかに放歌高吟し、パンチの効いた打楽器群が炸裂。今や、ラテン的な開放感を通り越し、音楽は灼熱地獄の釜ゆでのように沸々と煮え上がる。格闘技のごとく暴れて畳み込むフィニッシュの力ワザには、ただもう驚くほかはない。ミュンシュ全盛期の力業を堪能できる一枚だ。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします
このエントリーをはてなブックマークに追加

[ 2015/08/02 ] 音楽 ラヴェル | TB(-) | CM(-)