ベーム=ウィーンフィル来日公演のブラームス/交響曲第1番

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ブラームス/交響曲第1番ハ短調 作品68
カール・ベーム指揮 
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
1975.3.17 NHK Hall, Tokyo (DG)
CD: UCCG-4487 (2013/2)
DVD: NSDS-9483 (2006/10)
Length: 45:30 (Stereo Live)
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戦後のわが国のクラシック音楽史上、最も注目を集めた演奏会が、忘れもしない、カール・ベームが指揮した1975年のウィーンフィル日本公演だ。この時、ベーム=ウィーンフィルが聴かせた“世紀の名演奏”は、音楽ファンを熱狂の渦に巻き込んだのが記憶に新しい。

sv0109g.jpg筆者もNHKホールからFMの生中継(この当時は東京-大阪はステレオ回線が通じておらず、モノラル音声だった)のある日には、晩ご飯もろくすっぽ食べずにモジュラー・ステレオの前にかじりつき、オープンリールのテープレコーダー(19センチ2トラック)をまわしながら、我を忘れて聴き入ったのを懐かしく思い出す。

ウィンナ・ホルンのナマの音に飛び上がって驚いたのもこの時がはじめてだ。べームはウィーンフィルに絶大なる信頼を寄せ、ウィーンフィルの秘密は「友情」にあり、正しいピッチも「友情」から生まれると解く。
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ボスコフスキー、ウェラーのあとに旧ユーゴ出身で、お気に入りのヘッツェルをコンサート・マスターに据えたのは、ほかならぬベームとされる。来日公演のシューベルトの演奏の後に、岩城宏之(指揮者)は楽団員にベームのことをたずねている。

「あのジイさんの棒の通りに弾いたらえらいことになるんやで。すっかりモウロクしてるからテンポは延び放題やし、手なんかぶるぶる震えっぱなし。何がなんやら、わからへん。せやけど、とにかくエライ指揮者なんやし、いや、偉大な人やったんやから、お客さんの期待と感動に水を差さんよう、わてらがカバーしてやってるんや。苦労するでホンマに。ショウバイ、ショウバイや。」 岩城宏之著『フィルハーモニーの風景』より、引用文を筆者が大阪弁に翻訳、岩波書店、1990年)


sv0109j.jpg本番前のリーハサルでは、1番ホルンがいない、ステージの照明が熱い、指揮台が高すぎる、トランペット奏者の位置がわるいなどと文句を言って、気むずかしい頑固爺ぶりを発揮していたが、演奏が終わると聴衆の反応にすっかりご満悦。

買い物好きのテア夫人はリハーサルの間に銀座でショッピングを楽しみ、その後2回の日本公演は、夫人がしぶるベームの尻を叩いて死期を早めてしまったという人もいる。  amazon

公演の中でとくに印象のつよい演奏が、3月17日の《ブラ1》であることに異論はないだろう。今もクラシック音楽ファンの語りぐさになっている空前絶後の名演奏だ。
コンサート・マスターのゲルハルト・ヘッツェルの甘美な独奏ヴァイオリンには思わず涙が溢れたが、第4楽章の〈アルペン動機〉で炸裂するウィンナ・ホルンの根太い音に腰を抜かし、体の震えがとまらなかった。

sv0109m.jpgとくにすごいと思ったのが、第4章再現部の頂点の手前、1拍の終止からウラ拍のつよい弦のリズムが切れ込む場面(257小節)。

ベームが何かに取り憑かれたように、やおら気合いを込め、楽員もそれに反応して尋常ならざる緊迫感が漂う中、フィナーレに向かって楽員が一丸となって突き進むさまは鬼気迫り来るものがあった。

筆者はまるで金縛りにあったように終止和音にいたるまで緊張が解けず、興奮と感動をないまぜに、息を凝らして中継を聴き入ったのを昨日のことのように思い出す。

「まさにあの演奏会で体験したように、音楽的に同じ言葉を話すウィーンフィルがインスピレーションをあたえられた時、彼らは本来の姿よりもはるかに偉大なことをやり遂げるのです。おそよ考え得る限りのすばらしいことを実現します。あの演奏はどのような要求も完全に満たされていました。」(ベーム談)


sv0109l.jpgDVDの映像は曲によってクオリティにバラつきがあるが、《ブラ1》に関してはブレた〈ベト7〉の映像とは比較にならぬクオリティの高いもので、FM放送用に38センチ2トラックで収録したステレオ音声が映像と正確な同期をとって収められているのも嬉しい。

NHK教育でオンエアされたアーカイブ集『思い出の名演集・伝説の名演』(2011年2月5日)も同一ソースと思われる。

「カール・ベームとウィーン・フィルによる初来日は、日本の音楽史上で1つのエポック・メンキングな事件だった。あれほど本気モードのウィーン・フィル日本公演は滅多にない。ブラームスの交響曲でヘッツェルのソロを聴いて、思わず鳥肌が立ったのを昨日のことのように覚えている。それを記録したDVDがリリースされて、狂喜乱舞した。過ぎ去った時代の貴重な記録である。」 『クラシックCD・20世紀の遺産』~〈1970年代の栄華〉より岡本稔氏、音楽之友社、2011年)



第1楽章 ウン・ポコ・ソステヌート
sv0109b.jpg映像は楽員の登場からはじまり、チューニングの様子も収められていて、コンサート・マスターのヘッツェルのサイドには、若きキュッヒルがすわる。

威風堂々たる序奏は、いかにもドイツのカペルマイスターといった風体で、ゴツゴツした固いサウンドは田舎臭さ丸出しだ。鄙びたオーボエもローカル・カラーがあり、どこか懐かしさを感じさせてくれる。  amazon


主部はガッシリと力強く、構成感のある足取りで頂点へのぼり詰めるが、時おり屈み込んで指示を出すベーム翁に、楽員の面々は慎重に構えて演奏する様子が伝わってくる。

sv0109c.jpg第2主題もガチガチのフレームの中で木管楽器が歌っているようで、いささか堅苦しい嫌いがあるが、展開部に突き進む古武士のような骨格の逞しさは“闘う男の音楽”といえる。

コラール〈元気を出せ、わが弱い心〉が導き出されて高揚する場面(232小節)はウィーンフィルならではの、しなるような弓さばきに酔わせてくれるが、聴きどころは反抗の精神が高まる闘争の頂点(320小節)にやってくる。
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管の反抗動機と弦の下降動機が激しく掛け合う中を、ウィンナ・ホルンが基本動機をねばっこく吹き放ち、力を振り絞って再現部(339小節)に突き進むベーム翁の荒武者ぶりに鳥肌が立ってくる。
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sv0109n.jpg付点リズムにギア・チェンジするコーダ(459小節)の熱弁ぶりも聴きころのひとつで、ティンパニと裏打ちの弦のアタックでクレッシェンドしていく“決めどころ”の気魄に充ちた棒さばきは圧巻! 

閻魔大王のように口を真一文字に結んだベームの凄まじい形相がクローズアップされる絶妙のショットは後生に語り継がれる名場面といえるだろう。


第2楽章 アンダンテ・ソステヌート
sv0109d.jpg遅めのテンポによる素朴なたたずまいの中から、ウィーンフィルらしい濃厚なロマンの香りがしっとりと溢れ出る。

第1主題が発展して纏綿と上り詰める弦の美しさは比類がなく、第2主題を長閑に奏でるレーマイヤーのオーボエ、コロラチュラ風の中間主題をまったりと歌い継ぐプリンツのクラリネットなど、名手が奏でる古き良き時代のウィーンの馥郁たる香りがしっとりと漂っている。
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聴きどころは、第1主題が変奏風に再現する67小節。夢から目覚めるように歌い出す弦の蠱惑的な音色が聴き手を魅了する。ホルン、オーボエと協調しながら、ヘッツェルの甘美な独奏ヴァイオリンが艶をのせて纏綿と綴る名場面(90小節)に恍惚となってしまう。

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ホルンの旋律に絡む艶美な独奏のオブリガートは、しっとりと熟れた官能の臭いを込めているかのようで、70~80年代の楽団を支えた名手ならではの味わいがあろう。


第3楽章 ウン・ポコ・アレグレット・エ・グラチオーソ
sv0109e.jpgインテルメッツォ風の典雅な音楽は、プリンツ(クラリネット)、トリップ(フルート)、レーマイヤー(オーボエ)といった木管の名手たちの独壇場。

ウィーンフィルのまろやかな木管のハーモニーが大きくものをいう。温もりのある弦楽サウンドも心地よく、無骨なベームの指揮から、たおやかな音楽が自然と弾き出されてゆく。トリオのベームの実直な棒さばきも印象的で、堅固なサウンドは一分の隙もない。
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第4楽章 アダージオ(序奏部)
sv0109k.jpgがっしりとティンパニを叩き込む力強い序奏部は、自らを鼓舞するかのようにベームの気合いが漲っている。

ギュンター・ヘーグナー率いるアルペン・ホルンの主題が、朗々とホールいっぱいに響きわたるところは大きな音のご馳走で、所々に音の不安定な箇所があるが、肉感のある太い音の威力は絶大である!  amazon


〈歓喜の主題〉は快調なテンポで走り出す。いささかの迷いもなく、大地をしっかりと踏みしめて奏でる音楽は、気骨のある“男の歌”に溢れんばかり。音楽の輪郭は明確に、しかも内部に強い緊張感を漲らせ、力強い打撃をくわえてゆくベームの棒さばきは確信に充ちたものだ。

第2主題の弦の厚い歌や、絶妙に歌いまわすオーボエの第2句も極上のもので、展開部の頂点でホルンの3連音が炸裂するところは聴き手も思わず力がこもる!
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sv0109f.jpg深い呼吸ではじまる再現部(185小節)は、徐々にテンポを早めてゆくところが即興的で、第1主題を木管に復唱させる212小節でテンポを大きく落とすのも個性的だ。

ベームの指揮に力が入るのは、220小節の総奏からで、身をかがめて全身全霊でオーケストラをドライヴする荒武者ぶりがじつに感動的である。切れのあるリズムで応える楽員も燃えに燃え、ホルンが雄叫びを連発するところは音楽がたぎり立っている。
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最頂点(285小節)で〈アルペン動機〉を叩きつけるベームの凄まじいまでの気魄はこの日のコンサートの最大の見せ場といってよく、我を忘れて没入する頑固親爺の覇気と筆圧のつよい表現力が聴き手を圧倒。

sv0109p.jpg第2主題(再現)に緊迫感を張り巡らせ、厳しい眼差しでフィナーレに向かって勇ましく突き進んでゆく。一糸乱れぬアンサンブルでオーケストラを統制するヘッツェルのリーダーシップぶりも驚嘆に値しよう。

大きく見得を切るように突入するコーダ(367小節)はスリリングの極みで、緩急自在のテンポで第1主題を交互に織り合わせ、シンコペーションを練り回して7連打に収斂する“必殺ワザ”はとても80歳の老人とは思えぬ鋭気に充ちている。
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ピウ・アレグロの行進(ストレッタ)で指揮者みずからが雄叫びをあげて、楽員を鼓舞しながら走り出すところは“神がかり的”としか言いようがない。

sv0109o.jpgプロ、アマに関係なく、ごくまれに、とてつもない事が起こっているのではないかという予感めいたものが、演奏の最中に突然立ち現れる瞬間がある。普段とは何か違う、霊感が与えられたような特別な雰囲気をウィーンフィルの面々は直感的に感じ取ったのだろう。

儀礼的な殻を突き破り、なりふり構わず一丸となって突き進む“本気モード”の彼らに火をつけたのは、ベームの気魄にほかならない。

〈A-As-Fis-G賛歌〉(431小節)の強烈な連打を叩き込み、「これでもか」と渾身の力を込めて切るようにタクトを振り下ろす凄絶極まる老人の荒ワザに、聴衆はただもう目を釘付けにするばかり。

筆者には思い出深い青春の一コマであり、生涯忘れることの出来ない空前絶後の《ブラ1》である。


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[ 2018/02/25 ] 音楽 ブラームス | TB(-) | CM(-)