バルビローリのマーラー/交響曲第9番ニ長調

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マーラー/交響曲第9番ニ長調
ジョン・バルビローリ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1964.1.10,11,14,18 Jesus-Christus-Kirche
Producer: Ronald Kinloch Anderson (EMI)
Engineer: Andrew Walter
Length: 78:22 (Stereo)
LP: EAC85035~36


マーラー交響曲第9番はベルリンフィルにとって曰く付きの曲で、1963年1月にバルビローリが客演で同曲を指揮してベルリンの聴衆を感動の坩堝に巻き込んだ際、楽団員全員の希望によるレコーディングがインテンダントに申し入れられて実現したのが当ディスクである。「フルトヴェングラー以来、我々はこのような人間的暖みと優れた音楽性とを持つ演奏を聴いたことがなかった。」 

sv0132l.jpgバルビローリがエジンバラ音楽祭ではじめてベルリンフィルを振った1949年以来、両者は相思相愛の関係にあり、1960年から70年の死までの10年間で70回もの演奏会を指揮。

バルビローリは「もっともビューティフルなサウンドを持つ真にラヴリーなオーケストラ」と褒めちぎり、ベルリンフィルもまた、バルビローリの高い音楽性とプロフェッショナリズムを絶賛し、自分たちをマーラー・ファンにしてくれたことに感謝の意を伝えたという。

レコーディングはベルリン近郊のダーレムにあるイエズス・キリスト教会で行われ、寒い1月に4日間のセッションが組まれたが、当時、ドイツ・グラモフォン専属のベルリンフィルがEMIに録音するのは異例のことで、英国人指揮者がベルリンフィルと録音するのは1937年のビーチャム指揮の《魔笛》以来のことだったという。

ConductorOrch.DateLevelTotal
BarbirolliBPO1964.1.10,11,14,18EMI26:5014:5213:3923:2178:42
BernsteinBPO1979.10.4(L)DG27:3715:5412:0526:1181:47
KarajanBPO1979.11,1980.2,9DG29:0716:4413:1726:4985:57
KarajanBPO1982.9.20-30(L)DG28:1016:3812:4526:4984:22
AbbadoBPO1999.9.6,7(L)DG25:5214:5612:2125:5679:05
RattleBPO2007.10.24-27(L)EMI28:5615:5612:3726:0483:33

「バルビローリを登用したのは冒険だとは思っていたが、マーラーの《9番》で、これほどの名演をしようとは、私も正直のところ知らなかった」 楽団長シュトレーゼマンの話では、聴衆はもちろん、楽員たちがまず感心してしまって、相当の古い人たちの間でさえ、「これほどのマーラー振りが、今日生きていようとは」ということになったらしい。それだけに、練習を重ねることに、演奏はますます熱を加え、密度を増した、という。このレコードは、実演があまり評判がよく、また楽員たちも、熱心に要望したので、実現したそうだが、そういった自発的な喜びは、このレコードを聴いても、感じられる。」 吉田秀和著『マーラー』より、河出書房新社、2011年)


sv0132w.jpgこのバルビローリ盤は筆者が学生時代から格別の思い入れを込めて擦ってきたレコードで、東芝EMIの2枚組LPは1面に1楽章ずつカッティングした贅沢なものだった。

グラモフォン盤に聴くゴツゴツと固い音のベルリンフィルから“溜め”のある独特のフレージングによって、コクのある響きが滔々と流れ出てくるのに驚いた。何よりも感動したのが音楽を慈しむようなバルビローリの指揮ぶりで、“死の暗いテーマ”を超えたヒューマンな情感が楽節から溢れ出てくるのがこの盤の最大の魅力といえる。
TOWER RECORDS  HMV [LP]

「バルビローリ指揮の演奏にいまさらのように驚かされるのは、きいてこれは面白くないというものがほとんど皆無であるということだ。オーケストラの質で断然彼の棒が生きている点ではやはりマーラーの第9番である。指揮者の感じているもの、思っているものが盛り上がってきこえる。抒情の表現が明暗多様で、それが少しも不自然な作りものでないことと、押しつけふうな解説的口調でない微妙な語り口で生きているせいであろう。そして音楽の底が深い。」 大木正興氏による月評より、EAC85035/6、『レコード芸術』通巻313号、音楽之友社、1976年)


「これは、ワルターの指揮した何枚かのマーラーのものと並んで、およそありとあらゆるマーラーのレコードの中、迫力といい、魅力といい、最もすばらしいものというほかないものである。密度も濃くて、空虚なところがまったくない。〈完全に燃焼しつくした〉演奏の記録にほかならない。私には、正直、バルビローリは、何といってもマーラーがよく、あとは、言ってみればもうおまけでしかないのである。」 『世界の指揮者』より吉田秀和コレクション、筑摩書房、2008年)


「1963年の客演に大きな感銘を受けたベルリンフィルの総意によって切望された伝説的録音である。さすがにベルリンフィルが望んだだけのことはある演奏だ。ベルリン・フィルの剛毅で重量感溢れるサウンドとバルビローリの歌心が高い次元で融合して、この世の奇跡とも思われる美が展開される。ことに、夕日に照り映え金色に耀く麦畑のように美しいフィナーレが感動的である。ここは、死の恐怖というよりは、死への甘いあこがれすら感じられるのではないか。」 福島章恭著『交響曲CD絶対の名盤』、毎日新聞社、2005年)



第1楽章 アンダンテ・コモド
sv0132v.jpg途切れ途切れに奏する“告別の動機”はレトロな気分に充ち満ちており、神秘的なハープの伴奏にのってロマンティックにたゆたうフレージングと、透明度の高いコール・アングレの音色に魅せられてしまう。

3声の対位法で溶け合うようにしっとりと弾き進める主題確保、重量感のある弓さばきでねっとりと奏する第2主題、トランペットのファンファーレでのぼり詰める頂点の高揚感など、ベルリンフィルに備わった“極上のサウンド”を一度でも耳にすれば病みつきになってしまう。  TOCE3039

主題展開(47小節)は詠嘆調で余韻嫋々と奏でる“バルビローリ節”が全開。生への執着の叫びや、どろどろとした葛藤が渦巻くというよりは、生の歓びを満面に歌い上げるところはバルビローリの真骨頂。切れのあるトロンボーンをバリバリ打ち込んで畳みかける第3主題の絶唱は指揮者が情熱の限りを尽くして謳い上げ、「ここぞ」とばかりにオーケストラのダイナミズムが炸裂するところがすごい!

sv0132n.jpg展開部(108小節)は気味悪く低回するバスクラ、ゲシュトップのホルン、瞑想的なチェロの〈悲歌〉といった暗鬱な葬送の情景の中で、巨匠は躊躇いがちに揺れる弦の半音階進行をしみじみとした語り口で奏でてゆく。

大きな聴きどころは、J.シュトラウスのワルツ《人生を楽しく》の引用(148小節)。ここでは世紀末的な芳香をそこはかとなく漂わせながら、第1と第2ヴァイオリンが交互にたゆたう“愛の歌”が涙モノで、憧憬を湛えたオーボエのひと節が浪漫的な気分を高めている。
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ティンパニの連打で立ち上がるアレグロ・リゾルート(174小節)はホルンの雄叫びや、第2主題を変形した錯綜とした内声進行、《告別ソナタ》を引用したホルンの吹奏など、オーケストラが底力を発揮するが、独奏ヴァイオリンが奏でる〈おお、過ぎ去りし若き日々よ、消え去りし愛よ〉の切ないまでの歌い口はいかばかりだろう。これを振り払うように、巨匠は第3主題を「これでもか」と絶叫しながら暗黒の破滅に向かってまっしぐらに突き進んでゆく。

sv0132m.jpg第3の頂点たるペザンテ(308小節)は「最大のゲヴァルトで」と記される金管と打楽器の強奏が刺激的で、黒装束を身にまとった不死隊(イモータルズ)の行軍ラッパにシャッキリと呼応する弦楽フレーズ(331小節)[18:33] の妖しいまでの美しさといったら! 

葬列の鐘が聞こえたあとに、羽毛のような弓使いで歌われる主題再現(347小節)も聴き逃せない。
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ここではチェリスト出身の指揮者らしくチェロの対声を太い線でたっぷりと歌い、これを際立たせているのが特徴的で、大きな起伏をつけて複雑に絡む声部を太い流れに収斂し、スケールゆたかに歌い込んでゆくところが実に感動的である。

恋人との別れを惜しむかのような結尾の甘美な独奏ヴァイオリンは、“愛の名匠”の賛辞を不動のものにしたマエストロの面目が躍如している。

「典型的な横に振るタイプなので曲の縦の構造が見えにくいと批判する人もいるがバロビローリの場合、隠れている内声の旋律線を浮かび上がらせることによって曲の構造が一層鮮明な形を取るのであり、その意味では彼の演奏は、横のみならず、縦にも歌っている。たった数小節のフレーズでも、漫然と演奏するのではなく、そこに山と谷をつくり、音の1つ1つ、休符の1つ1つを、慈しむかのように演奏する。そこにあるのは、万人向けの安手のセンチメンタリズムではなく、一歩間違えば毒ともなり得るくらい、濃縮されたロマンティシズムなのである。」 「黄金時代のカリスマ指揮者たち」(オントモムック)より深水黎一郎氏による、音楽之友社、2012年)


sv0132o.jpg当演奏は、当時のベルリンフィルがマーラー演奏に不慣れだったことに起因するアンサンブルの綻びや縦線のズレ、なまぬるく迫力不足の管弦楽などがしばしば指摘される。

しかし、これは現在の機能的な演奏に比べてのことで当盤の演奏技術云々には筆者は賛同し難い。このことは従来CDのリマスター(art)のピントが甘く、輪郭がボヤけた音になっていることにも関係しているのではないだろうか。
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その点、2011年にオリジナル・マスターから起こされたハイブリッド盤は音に厚みと張りが加わり、とくに金管の切り立った迫力あるサウンドが堪能できるので、これを耳にすれば当盤の評価はさらに上がるに違いない。


第2楽章 ゆったりとしたレントラーのテンポで
sv0132p.jpgバルビローリは3つのウィーン風ワルツを興趣ゆたかに歌い込む。素朴な語り口で主役を変えながら楽しい気分が横溢する第1レントラー、イキのよい調子でダイナミックに弾む第2レントラー、古きよき時代のノスタルジーを感じさせるロマンティックな第3レントラー。

諧謔性や狂気には乏しいが、いずれもが人間的な息遣いに溢れており、繊細なニュアンスを込めながら音楽は自然に流れ、全篇あたたかみが漂うのが大きな魅力といえる。
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大きな見せ場は太鼓の叩き込みを合図に開始する〈死の舞踏〉(423小節)。土俗的なリズムにのってオーケストラが躍動感あふれる音楽を展開。対位的に打ち込むトロンボーンの骨の太い挿句も聴き応えがあり、おおらかで鯱張らない音楽が快い。
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ビールとシガレットと珈琲を愛するロンドンの下町育ちのバルビローリは、温もりのあるカンタービレをオーケレストラに求めたというが、指揮者はこれを“バーガンディー・サウンド”と呼ぶ。


第3楽章 ロンド=ブルレスケ アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に
sv0132q.jpg信号ラッパで開始するロンド主題は、後にベルリンフィルで同曲を振ったバーンスタインなどに比べてテンポが遅く、とくにコーダはストレッタ的な疾走感に乏しい。

〈パンの主題〉(287小節)や6度跳躍動機(311小節)を吹奏するホルンが力弱いことや、リズムの切れが甘いのも気になるところだが、ゴツゴツとした荒削りなサウンドによって重量感のある音楽運びが曲想にマッチする。低音弦の3連リズムを引きずるように弾かせていることや、2重フゲッタのトロンボーンをがっつりと強調しているのも聴きどころだろう。
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sv0132r.jpgバルビローリがつよく個性を発揮するのがシンバルの一撃とともに天使が舞い降りる〈天上のエピソード〉(347小節)。ターン音型による弱音の調べは、巨匠が愛を込めて気高く歌い上げてゆくところがすこぶる感動的だ。

バルビローリはリハーサルでいつも楽員に「その音符を愛してください。愛がそこから湧き出るように」と呼びかけたというが、ゆったりと紡ぎだされる安らぎの音楽は滋味溢れる癒しに充ちたもので、バルビローリの人間性が存分に映し出されたものといえる。
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第4楽章 アダージョ
sv0132s.jpg聴き手を深い感動の渦の中へ引き込んでゆくのがアダージョの音楽だ。ここでは滔々と大きくゆたかに歌う旋律が聴き手の耳を捉えて離さない。

弦楽6部を重ね合わせたコクのある音は冠絶しており、チェリスト出身の指揮者らしく弦楽器の繊細で雄大な歌わせ方は群を抜いている。

ホルンの主題吹奏や「ぐい」と溜めを入れて装飾音をハネ上げるフレージングの妙味はもとより、エピソードの滋味深いヴィオラ、とろけるような独奏ヴァイオリンなど、聴き手を恍惚とさせる純度の高いパフォーマンスは枚挙にいとまがない。
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大きな感動は原調に戻ったモルト・アダージオ・スビト(49小節)にやってくる。ホルンが導入するロンド主題は、大河の流れのごとく聴き手を包み込むようにして奏者全員が心を込めて歌いぬく。
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sv0132t.jpgヴィオラとチェロの内声を響かせてトロミのあるブレンド感を醸し出しているところが大きな耳のご馳走で、ラング・ゲツォーゲンのクライマックス(56小節)でチェロが8分音符を大きく歌い返すコクのある音楽は聴き手を夢幻の桃源郷へと誘っている。

ア・テンポの弦楽器の対位的な重層感とねっとりとした美感、大きく高揚するホルンの吹奏、夜のしじまで祈りを捧げるように奏する敬虔なオーボエと独奏ヴァイオリンの2重奏など、“よよと泣き崩れる男泣き”のような情感のゆたかさは他の追随を許さない。
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バルビローリは「こういう音楽は昼の光の中で行うべきではない」として、フィナーレは夜に録音を行うことを主張してゆずらなかったという。

「この黄金色に輝く豊饒なサウンドを聴こう。天に祝福されたとしか思えない奇跡の音、至福の音。愛に溢れたバルビローリ固有の音色と、剛毅で重量感のあるベルリン・フィルのかくも幸せな融合だ。音楽は終始、恋人との最後の逢瀬に臨むがごとく、慈しむように、愛撫するように進行する。生きていることの美しさを高らかに歌い、現世への終着を絶唱する。感傷の涙なき笑顔の別れ。技を尽くし合った男達の友情は、本当に素晴らしい。ワルター/ウィーン・フィルのライヴ盤に並ぶレコード史の偉業である。」 『新盤クラシックCDの名盤』より福島章恭氏による、文藝春秋、2008年)


sv0132u.jpg最後のクライマックスはロンド主題の再現部(118小節)。巨匠は混沌とした中から絶妙のタイミングでトロンボーンのターン音型をぶつけ、弦のシンコペーションで軋むように引き裂くところの緊迫感は無類のもので、火照るような熱情にヒューマンな温かみを織り交ぜて、遅めのテンポで威風堂々と歌い上げるところはバルビローリの懐の深さを物語っている。

「バルビローリは、いわば心のたけ、思いのたけを綿々として綴った告白のようにきこえてくる。」(吉田秀和)
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訣別を告げるアダージッシモも甘い香りを絶やすことがなく、しっとりと生を慈しむように詠嘆調のカンタービレで全曲が結ばれる。“愛の名匠”バルビローリが心の限りに歌い上げたレコード史上に遺る永遠の一枚だ。


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[ 2019/03/30 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)