フリッチャイのチャイコフスキー「悲愴」

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チャイコフスキー/交響曲第6番ロ短調 作品74「悲愴」
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリン放送交響楽団
Recording: 1959.9.17-23 Jesus-Christus-Kirche, Berlin
Recordihg Producer: Otto Gerdes (DG)
Recording Engineer: Günter Hermanns
Length: 50:38 (Stereo)
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このCDは1963年、48歳の若さで白血病で夭逝したフリッチャイが晩年に残したステレオ初期の録音だが、第1楽章の一部取り直しが果たせぬまま世を去ったことから“幻の録音”となったもので、1996年に音楽的および歴史的見地からフリッチャイ協会が発売に同意してようやく陽の目を見た貴重な音盤である。

フリッチャイが2度の大手術のすえにベルリン放送響の音楽監督に復帰したのは1959年9月。この直後にイエス・キリスト教会でレコーディングされたのが、バルトークのピアノ協奏曲第2番&第3番(ピアノはケザ・アンダ)とチャイコフスキー《悲愴》だった。かつて“リトル・トスカニーニ”と呼ばれたテンポの速い厳格なスタイルからロマン主義的なものへと変貌を遂げて“フルトヴェングラーの再来”と評されたフリッチャイだが、この《悲愴》においても旧録音と比して演奏時間がトータルで10分ほど長くなっている。

OrchestraDate1st mov.2nd mov.3rd mov.4th mov.Total
Berlin po1953.716:407:337:358:5240:40
Berlin Radio so1959.921:309:208:5511:0350:38
 Difference4:501:471:202:119:58

sv0022b2.jpgここでは、切々と奏でる“フリッチャイ節”が聴き手の涙を誘うとともに、生の喜びと死への恐怖とが隣り合わせとなった壮絶な音楽のドラマが展開する。行進曲で見せるリタルダンドや、コーダの破天荒のアッチェレランドは崖っぷちで死にもの狂いで闘うフリッチャイの姿が克明に刻み込まれている。ステレオ初期とは思えぬクオリティの高い録音にも驚きで、左右にたっぷりと音が広がるステレオ感と鮮度の高さは抜群である!  amazon

「1959年のスタジオ録音だが、こんな超名演が96年になって忽然と出現した。音質も現在のデジタルに比べても少しも劣らず、どの一部、どの楽器をとっても無意味な音は皆無、音楽がどんどん心に入ってくるのだ。これこそ、本物の音楽、本物の芸術といえるだろう。フリッチャイの棒の下、オーケストラは全精神を傾けて夢中になって弾き切り、吹き抜く。したがって、第1楽章の主部がpの指定なのにfで始まったり、第2主題が青白くすすり泣いたり、再現部冒頭にもすごいテヌートがかかったり、第3楽章終結のフルトヴェングラー顔負けの加速や、フィナーレ、コーダの止まってしまいそうなテンポなど、そのすべてが真実の感動につながるのだ。」 (『クラシック名盤大全交響曲編』より宇野功芳氏による、音楽之友社、1998年)



第1楽章 アダージオ-アレグロ・マ・ノン・トロッポ
sv0022c.jpg低音ファゴットやヴィオラの調べからして肉体が病魔に蝕まれていくような恐怖感が漂い、これを払いのけるようにトランペットがつんざくウン・ポコ・アニマンドの総奏が切迫するように走り出す。アンダンテ(89小節)で、フリッチャイが一音一音を噛みしめるようなルバートによって、深い悲しみを綿々と織り上げてゆくのが聴きどころだ。


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さめざめと咽び泣くような“フリッチャイ節”と息の長いフレージングがすこぶる個性的で、チェロの大胆なリテヌートによって奇跡的な生還をはたした指揮者の不屈の精神をも垣間見せている。モデラート・モッソの夢想的な楽想は、フリッチャイが決して微笑もうとはせず、深い悲しみと内面の苦悩がしみじみと語られてゆく。

sv0022d.jpgアレグロ・ヴィーヴォの展開部(161小節)は、決然と打ち込む和音打撃を皮切りにオーケストラが怒涛の勢いで荒れ狂う。射るようなトランペット、G線に「ガッ」と喰らいつく第1ヴァイオリン、「ザリザリ」と削る低音弦、襲いかかるようなブラスのモチーフが聴く者を圧倒。16分音符の分散和音弦が狂騒し、その中からトランペットが痛烈に吹き切るところは直球一本槍で勝負するフリッチャイの気魄が漲っている。

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トロンボーンの悲痛な“パニヒーダ”(201小節)から弦のシンコペーション主題、ホルンの切分音リズムにいたるまでの箇所は、異様に遅いテンポに緊張の糸が緩んで音楽が間伸びしてしまうのが惜しまれるところだが、再現部(245小節)へ突入する局面でフリッチャイは大見得をきるようなリタルダンドによって、スリルと興奮を呼び覚ます。

sv0022e.jpgフルトヴェングラーもかくやと思わせる即興的な離れワザをやってのけるところはフリッチャイの面目躍如たるところで、強烈な3連音リズムを打ち込んで獅子奮迅の勢いで総奏(263小節)へ突進する。ティンパニの壮絶なクレッシェンド(277小節)や、肺腑をえぐるトロンボーンの一撃(285小節)は慟哭の表情を生々しく伝えたもので、渾身の力をこめて叩き込むティンパニの震音に鳥肌が立ってくるのは筆者だけではないだろう。

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アンダンテ・コン・プリマの第2主題も深い悲しみに貫かれているが、その頂点でホルンがねばっこく吼え掛かって高揚し、弦が強靭に歌いぬくところは、病魔に打ち勝たんとする指揮者の強い意志が込められている。アンダンテ・モッソのコーダは、死神の影を思わせるブラスの重苦しい響きと、諦念にも似た淋しげな表情が象徴的だ。


第2楽章 アレグロ・コン・グラツィア
sv0022f.jpg実直なフレージングによる5拍子の変速ワルツは、いかにもドイツ流儀の重厚なスタイルで、そこには情念の炎が揺らめいている。小手先のルバートや細やかなアーティキュレーションなど無用とばかりに、チェロがコクのある音によって感興ゆたかに歌いまわすところはロマンの香りが充溢し、指揮者のスケールの大きさを物語っている。

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主題変奏の弦の揺れはどこか悲しげで、優美な旋律線の中にも暗い影が付き纏う。弦のピッツィカート・リズムはどこか不安げで、木管のメロディーは小鳥たちの悲嘆にくれた囀りのように聞こえてくる。一縷の望みを託してかすかな希望を見いだそうと模索するが、暗雲がとめどもなく楽想に立ち込めてくる。

中間部はバスとティンパニで刻まれるD音の固いリズムが心臓の鼓動のように胸底に響き、これが強迫観念となって、不安な表情がなおいっそう色濃くつむぎ出されてゆく。第2楽句の物憂げな弦の調べは、かすかな喜びもつかの間、暗い魔の手が忍び寄るような不吉な予感にとらわれてしまい、甘い感傷など寄せつけない。

sv0022h.jpg中間部の終わりにフリッチャイは奥の手を見せる。95小節で再現部へ回帰するための「序のひと節」を、消え入るようにリタルダンドするところだ。音を切らずにそっと再現部の第1主題へ繋げるところは、あまりにも切なく、これは神ワザとしかいいようがない。時が永遠にとまったかのような錯覚すらあたえる瞬間の美しさといったら!

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フリッチャイの胸に、この時いかなる思いがよぎったのかは想像するしかないが、第1主題へ帰ることを躊躇うかのような深沈とした語り口は、「もはや自分には明日はないのかもしれない」という諦念のようにも感じられ、終結部でチェロが主題の断片を差し挟むところ(160小節)は、“哀悼歌”のように聴こえてくるではないか。


第3楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ[スケルツォと行進曲]
sv0022g.jpgスケルツォは、実直なリズムさばきによって音楽は一分の隙もなく、ベルリン放送響が強固なアンサンブルを見せている。8分音符の精密な弦のスピッカートから繰り出すダイナミックな躍動感も比類がなく、弦がクレッシェンドしながら走り出すところにゾクゾクしてしまう。大太鼓が気魄を込めて打ち込む“頂点”の一撃もすさまじい。

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行進曲は表情ゆたかなクラリネットが音楽をリードする。リズムに切れが増すのは、ティンパニを合図に行進曲の断片を執拗に繰り返す小結尾(196小節)からで、鋭角的なブラスの咆哮、シャッキリと歯切れ良く刻む弦、ザリザリと音を立てる低音弦(204小節)が音場を生々しく支配する。大きく打ちよせては返す弦の“さざ波”を豪快に捌いてフリッチャイは行進曲の総奏に突入する。
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sv0022i.jpg行進曲はベルリン放送響が鉄壁のアンサンブルを開陳する。渾朴豪気にマーチの断片を打ち返すところは身を奮い立たせるような緊張感が漲っている。

2度目の行進曲のファンファーレ(281小節)で、メンゲルベルク、フルトヴェングラー、アーベントロートといったレトロな巨匠たちの常套手段である一発必中のリタルダンドをフリッチャイは敢行する。旧録音でも披露した“必殺ワザ”だが、大きく減速して打楽器をどんぴゃと入れるところは絶妙の極というほかはない。289小節からア・テンポに復帰するも、これで終わらないのがフリッチャイの凄いところだ。

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さらにアクセルを踏み込んで加速をかけてゆくところに仰天するが、突如生起するテンポの変転と意外性に富んだ“捨て身の業”に快哉を叫びたくなってしまう。韋駄天の如く一気呵成に畳み掛けるコーダは、フリッチャイのなりふり構わぬ気魄がオーケストラに乗り移ったかのようで、フルトヴェングラー顔負けの疾風怒濤のアッチェレランドによって闘いの場を締め括る。豪放な力動感と激しい情熱を極限まで示した渾身のマーチといえる。


第4楽章 フィナーレ、アダージオ・ラメントーソ
sv0022m.jpg和音を重ねた弦の寒々とした響きから、悲哀の色合いがねっとりと滲み出し、悲嘆にくれる情景を生々しく描き出す。聴きどころは、アンダンテ(中間部、37小節)で歌われる第2主題。3連符で縁取るホルンの切分音にのせて、指揮者は名旋律を心を込めて歌いぬく。「試練はまさに正しい時にやってきました」とフリッチャイは語り、その心境を次のように述べている。

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「健康の危機という形で、自分が人間としてまた芸術家としてどう生きてきたのか、そして、その両方において何が私にとって意味をもちうるのかを考えるために、私は数ヶ月という時間を持ったのです・・・つまり音楽における表現という問いに答えるために。」 「きわめて人間的なそして切実なまでの純粋さと美しさをもった凝縮した世界」より歌崎和彦氏による、~『レコード芸術』通巻第548号、音楽之友社、1996年)


甘美な旋律からは、かすかな望みも見え隠れするが、それも所詮はつかの間の夢に過ぎぬ。涙ながらに高揚する“フリッチャイ節”によって、張り裂けそうな悲しみが71小節でその頂点をむかえる。身を切るような弦の凄まじいテヌート下降と管の3連切分音の嵐が一縷の望みをもうち砕き、和音打撃が“絶望の刃”となって打ち込まれる場面(81小節)は慟哭が極まった感があろう。

sv0022j.jpg怒涛のごとく盛り上がる主部の再現は、感情振幅の激しい大時代的なスタイルといえるが、肺腑を抉るような悲痛さによって激情の嵐が吹き荒れる。

弦の激しいトレモロ、力の限り吹きぬくトロンボーン、トランペットの突き刺す最高音は、苦しみを味わった者のみが表わし得るナマの悽愴さといえるが、もはや死を覚悟したフリッチャイの情念の炎が最後の瞬間に燃え上がったようでもある。強いアクセントを盛りつけ、フレーズを強靱な緊張感のうちに歌わせるところは、壮絶な“音の闘い”としかいいようがない。

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銅鑼の暗い響きが運命の最終宣告を轟かせるとき、煉獄への扉が開かれる。鉛のようなトロンボーンの重音の響きが、寒々とした非情な弦が、身悶えするようなチェロの喘ぎが、あたかも病魔と闘う指揮者の苦しみの独白であるかのように、音楽はついに息果てる。晩年のフリッチャイが遺した金字塔ともいうべき録音で、大切に聴きつづけたい一枚だ。


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[ 2014/09/15 ] 音楽 チャイコフスキー | TB(-) | CM(-)