カラヤンのモーツァルト/ディヴェルティメント第15番

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モーツァルト/ディヴェルティメント第15番変ロ長調 K287
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1987.9 Philharmonie, Berlin (DG)
Recording Producer: Michel Glotz
Balance Engineer: Günter Hermanns
Length: 38:30 (Digital)
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このディスクは79歳のカラヤンがDGにデジタルで収録した晩年の録音で、おりしも、この3年前の大阪公演(1984年10月18日)でカラヤンが演奏したのが筆者には懐かしい思い出である。

われわれの記憶に焼き付いているのは、このコンサートでカラヤンが「振り間違い」をおかしたことだ。事件は大きく報道され、朝日放送でも演奏がオン・エアされたので、ご記憶のある方もいらっしゃるだろう。もちろん、放送では問題のシーンはカットされた。

カラヤンは、モーツァルトの次に演奏した《ドン・ファン》を翌日のプログラムのドビュッシーと勘違いした(高関健氏)という話や、あの棒は直前にウォークマンで聴いていたチャイコフスキーの《第5番》だった(ミシェル・シュヴァルベ氏)という証言もある。

前年に頸部脊椎の手術を受けたカラヤンは、右足の麻痺が残って歩行もままならず、エリエッテ夫人に付き添われての来日だった。「主人の行くところへは、何処へでも喜んでまいります」とインタヴューに夫人が答える傍らで夫人の手を握り、お腹の出たジャージ姿のカラヤンの情けない笑顔は、まるで痴呆老人のようであった。

sv0002e.jpgそれでも演奏はすばらしかった。《ドン・ファン》や《ローマの松》では壮麗なオーケストラの響きと凱旋将軍のようなカッコいいカラヤンの指揮ぶりは健在だったが、最もすばらしかったのが《ディヴェルティメント》。こんな美しいモーツァルトを筆者はいまだかつて聴いたことがなかった。

柔らかくしなやかで、適度に肉感があり、じつに艶っぽい。しかも作り物めいたわざとらしさを感じさせず、名人奏者の妙技というよりも、楽団がまるで1つの生き物のように躍動しながら、各パートがしっとり溶け込んで自然なアンサンブルを展開していた。

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この美しさがモーツァルトの本質をついているか否かは別として、その後にデジタル収録されたCDの“極上のサウンド”は、いくら紙面があっても書き尽くせない。

「はじめてきいた時から、このアダージョが気に入った。甘美で極彩色の絵をみるような趣味なのだが、それでいて、ちっとも鼻につく俗悪な臭気をもっていないのである。大ざっぱにいえば、ドラクロワ、いや、ルノワールの絵のような感じである。カラヤンは、もちろんベルリン・フィルの弦楽をフルに動員してひかせているわけではないが、それでもかなり肉づきの良い響きになっているところをみると、各パートが1人か2人といった室内楽に近い少人数の編成にしているはずはない。それでいて、響いてくる音は柔らかくて、~そう、日本産の最上質のビフテキみたいな味がする。」 吉田秀和著『モーツァルトをきく』より、筑摩書房、2008年、『レコード芸術』通巻第467号、音楽之友社、1989年)



第1楽章 アレグロ

フォルテとピアノの短い問答と、軽やかに駆け走るアレグロの音楽はみずみずしく、柔らかなホルンの呼び交わしが感興を大きく高めている。軽微なスタッカート・リズムで躍動しながら、優美なレガートを配するカラヤンの絶妙の手綱さばきは、まさに千里の名馬を意のままに操る伯楽といえる。

蠱惑的な響きと慰撫するようなフレージングで揺れるメヌエット風の第2主題は典雅の極といってよく、第1ヴァイオリンが力強く邁進する3連音や、軽妙なC音を連打する精緻なスピッカートが耳の快感を誘っている。大きく歌いながら迷いなく高音域へ上り詰めて飛翔する高貴な味わいは、カラヤンの底知れぬ音楽性を示してあますところがない。


 第2楽章 「主題と変奏」アンダンテ・グラチオーソ

歌謡的な呈示主題はドイツ民謡《さあ早く、俺はハンスさ、くよくよなんてしない》。気持ちの良い裏拍で舞う第1変奏から、こまねずみのように精密な32分音符で駆けめぐる無窮動的な第6変奏に至るまで、磨きぬかれた精緻なアンサンブルを堪能させてくれる。

「物語はこれでおしまい」と締め括るコーダの語り口の上手さも心憎く、「俺は帝王カラヤンさ、楽員の反逆にもくよくよなんてしない。自分が望む場所で、自分が望む時に、自分が望む方法で音楽をするだけさ。」 カラヤンの独白がきこえてきそうだ。

「話し合いをいっさい禁じる独裁的な態度のために、指揮者としてのカラヤンの人生からは、ほかのあらゆるものが排除されています。そのために彼は偉大になったけれども、1人ぼっちなのです。彼の顔をごらんなさい。年老いた寂しい顔です。年老いた幸せな顔ではありません。世の中を愛そうとせず、権力を握ることのみ考えて生きるつもりなら、そうなります。(指揮者グスタフ・キューン)」 ロジャー・ヴォーン著『カラヤン 帝王の光と影』より、堀内静子訳、時事通信社、1987年)



 第3楽章 メヌエット

メヌエットの聴きどころは後半で、自然に歌いながら、吸い寄せられてしまいそうな香気が立ち込める旋律の美しさに超嘆息するばかり。艶をのせた滑らかなフレージングとエレガントな歌い口に哀しみさえ漂わせながら、柔和な優雅さをたくみに織り込んでゆくところは悪魔的といえる

ナハトムジーク(夜曲)のように、旋律に秘めやかな揺らぎをあたえながら、厳粛な気分を横溢させる崇高なトリオは、帝王が神の領域に足を踏み入れたかのような錯覚にすらとらわれてしまう。名残惜しげに締め括るダ・カーポの味わい深さも格別である。

「2人の指揮者とカラヤンが自分こそ最高の指揮者だと言い、ひとりが言う。〈私は天国に行って、神様におまえが最高だと言われた〉。するとカラヤンが言う。〈はて、私はそんなことを言った覚えはないぞ〉」 ロジャー・ヴォーン著『カラヤン 帝王の光と影』より、堀内静子訳、時事通信社、1987年)



 第4楽章 アダージョ

蜜のような甘さでささやくアダージョは“カラヤン節”が全開だ。「トロリ」とやる妖艶なフレージングの妙味といい、艶をたっぷりのせた高級な絹地のような肌触りは極上のもので、柔らかなトロの刺身に舌鼓を打つような、俗耳を恍惚とさせる美味しさがある。

sv0002c.jpg弱音の細やかな揺らぎをあたえて気高く歌う第2主題(12小節)もたまらない。抜き足差し足で旋律線をなめるように均しながら、すすり泣くような繊美な音のたゆたいで聴き手を酔わせる手口は魔術といってもよく、高らかに飛翔する装飾音をともなったEs音から、いたわるように3オクターブ下降するところの意味深さといったら!。

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厚味のあるオーケストラの響きで転調の翳りをつける展開部(20小節)は、いやらしいほどに美しい。カラヤンのモーツァルトを「厚化粧をした娼婦のような音」と揶揄する人もいるが、水商売でも“高級娼婦”のような芳しく気品のある香りには目が眩みそうだ。

懐かしい第1主題が帰ってくる再現部(26小節)では慰撫するような安らぎをあたえながら、変イ長調、変ホ長調(原調)へと巧みな転調でうつろうメロディアスな心地よさと、汚れを知らぬ崇高な味わいはいかばかりであろう。

さらなる弱音で磨きをかけ、「これでもか」と歌い込む33小節からの繊美なレガートは筆紙に尽くしがたく、光沢を帯びたしなやかな弦の美しさは比類がない。天上の高みへと昇る第2主題部や、終結部のフェルマータの頂点に向かって、もったいぶったようにテンポを落とすカラヤンの手練れた音楽運びは聴き手の琴線に触れるメロドラマといえる。

分け目が目立つ銀行員風の髪型の安永のアインガングに、ぴたりと寄り添うシュピーラーの軽妙な合いの手も芸は細かく、エンディングでみせる儚げな味わいが聴き手を“夢幻の陶酔境”へと誘ってくれる。

 第5楽章 メヌエット

3拍子のメヌエットは、オーストリア生まれのカラヤンらしいウィーンの風味がそこかしこに充溢する。まろやかで耳当たりよく響く上質の音楽は、生来のセンスというよりも、まるでモーツァルトが生きていた時代を知っているかのような宮廷的な気分を醸し出すところがカラヤンの恐ろしいところだ。


 第6楽章 アンダンテ(序奏)-アレグロ・モルト(主部)

主部は陽気なドイツ民謡《百姓娘が猫を逃した》。ここでは高性能の弦楽アンサンブルの独壇場で、目の醒めるようなスピード感あふれる合奏美を開陳する。極めつけは16分音符で上昇するフレーズ(56小節)で、ぐいぐい上り詰めるすさまじい弓さばきに腰をぬかしてしまう。

60小節からへ長調で歌う第2主題も聴きどころ。羽毛のように軽やかに歌い上げるところは、カラヤン美学の極地といえる。磨き抜かれたフレージングに甘いヴィブラートを香水のようにたっぷりかけて、光沢を帯びたような響きを紡ぎ出すところはまさしく“カラヤン・マジック”

一気呵成に畳み掛けるコーダの勢いもすさまじい。美味しいところ(金になる仕事、高い地位、美しい女性)を目ざとく嗅ぎ取り、民謡とは裏腹に猫パンチで素早く獲物を手に入れるしたたかぶりが浮かび上がってくるあたりは、老いてもなお欲深なカラヤンらしい。

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[ 2014/03/08 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)