フルトヴェングラーのシューベルト《グレイト》

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シューベルト/交響曲第9番ハ長調 D944「ザ・グレイト」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1942.12.6-8 Philharmonie,Berlin
Recording Engineer: Dr.Friedrich Schnapp
Source: Reichs-Rundfunk-Gesellschaft (SFB)
Henning Smidth Olsen No.70 (Mono Live) 
Disc: Delta/DCCA-00004/5 (2004/12) 50:21
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この《グレイト》は、かつてフルトヴェングラー・オデッセイ(Furtwängler Odyssee)と呼ばれた大戦中の録音の1つで、1945年4月ベルリン陥落後、ソ連の文化担当将校団が放送会館で発見し、接収した帝国放送局の収録した一連のテープの中にフルトヴェングラーの指揮した30曲以上の実況録音のマスターテープが含まれていた。これらは戦利品としてモスクワに持ち去られ、その存在は噂されるも“幻の演奏”となった。

sv0033bs.jpg録音はAEGによって開発されたマグネットフォン(Magnetofon)を使ったもので、この時期すでにナチスではテープ録音を放送で実用化していた。フリードリヒ・シュナップ博士によって旧フィルハーモニーの定期公演がメインマイク1本のみによって忠実に収録され、フルトヴェングラーはこれを随分気に入っていたという。



1966年11月、ソ連を訪れた旅行者がソ連国内でこのテープを用いたフルトヴェングラーのLPが発売されていることを発見し、〈ハイフィデリティ〉誌に読者(ペンシルバニア州在住のダニエル・ギリス氏)の投稿で紹介され、西側諸国の音楽ファンに一大センセーショナルを巻き起こした。7枚はいずれも粗末な薄紙ジャケットに入ったもので、これを入手した英国ユニコーン社がダビングして発売に踏み切った。日本コロムビア盤や東芝EMI盤の原盤になったのがこのユニコーンで、筆者はこれを学生時代に夢中になって聴いた。

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「サーモンピンク色のレーベルは国内発売専用の門外不出盤で、何年頃発売されたのかいまだに不明だが、演奏はいずれも大戦中の1942-5年のライヴ録音で、いずれをとっても熱のこもった迫力ある演奏ばかりである。メロディアはレコード番号を片面ごとに附するので、2連続番号は両面にまたがることを示す。〈33D-010033/4 シューベルト交響曲第7(9)盤 1942年録音〉は、ベルリン・フィルハーモニーにおける録音だが、6月のものか12月のものかは定かではない。米ではターナバウト社より1970年10月TV4364にて、日本では1971年3月DXM109にてコロムビアより発売された。」 岡田又彦編『フルトヴェングラー・カラー・ライブラリー』より~『レコード芸術』通巻407号、音楽之友社、1984年)



sv0033h.jpgオリジナルテープは鉄のカーテンの彼方で幻となっていたが、1987年10月、思わぬ形で出現した。自由ベルリン放送局(SFB)のクラウス・ラング博士が中心になってソ連と交渉を重ねた末、22本の録音テープのコピーが返還され、これをもとにSFBが「Furtwängler Odyssee」と題して1988年4月にオンエアし、DGから10枚のCDか発売された。これはわが国でも大きな反響を呼び、翌年3月と8月にNHK-FMでもオン・エア(桧山浩介氏の解説)され、筆者も機を逃さずレコード店に走ったものだ。

ところが、返還された22本のテープはオリジナル録音からのマスターコピーではなく、モスクワ放送局でオンエアする時にコピーされ、すでに相当使い古した複製からのデジタル・コピーであることが判明。しかも返還されたテープは残響が付加され、技術的に除去することが出来ずそのままの形でDGが18本をCDで発売した経緯があった。

これまで一連の録音は門外不出とされ、ライセンス契約はおろか輸出まで頑なに拒否していたメロディア社だが、1990年秋、日本向けに新たにカッティングしたLP(全23巻)の発売を予告した時は驚いた。12月に1巻~11巻(レニングラード市街のイラストによる新デザインの黒レーベルを使用)が新世界レコード社から発売され、12巻~23巻はLPの原材料の不足というロシアの経済事情で発売が1992年12月に延期されたものの、筆者は目の色を変えて輸入レコード店にオーダーし、到着を首を長くして待ったのを思い出す。

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今回、あらたに耳にしたのが板起しのデルタ盤(DCCA-00004/5)。これは「青色大聖火盤ガスト56」からの復刻盤で、“ガスト”とは「全ソ国家規格」のこと。2桁の数字は1956年に改訂された国家規格に準拠し、LP化は56~61年を示す。産業五又は七ヵ年計画によって61、68、73年規格(ピンクレーベル)、80年規格(白レーベル)と続き、66年に西側に知られたサーモン・ピンクのレーベルは再プレス盤(ガスト61)で、これ以前の50年代末に聖火(青トーチ)、灯台、VSGなどの“初期プレス”がソ連に存在していたという。

sv0033g.jpgこの青トーチ盤やVSG盤がマニアの間で珍重され、ことに後者がコレクターの間で神品扱いされているのは、これらの初期メロディア盤が新鮮なテープからストレートにLP化されていることに他ならない。

青トーチから復刻したデルタ盤は、針音を軽減するフィルターを使用せずにノイズを軽減したというCDで、ヴェールを1枚剥ぎ取ったような鮮明な音に驚かされ、特に第2、3楽章は音像がくっきりしている。

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エコーで音像がボヤけたDG盤を聴き慣れた耳にはシャッキリと歯応えのある響きが魅力的。同じく青トーチから板起しされたオーパス蔵盤(OPK7010)は低音がよく入り、音の情報量が多い。現存するフルトヴェングラー指揮の《グレイト》は6種の録音が確認されている。

NoOrch.DateLocationFirst IssueOlsen
BPO1942.5.31-6.1or12.6-8Philharmonie, BerlinMelodiyaO_ 70
VPO1943.5.12Konzerthus, StokholmDiscocrpO_ 81
BPO1950.6.18Titania Palast, BerlinJapan ATO_204
BPO1951.11.27,28,12.2.4Jesus-Christus, BerlinDGO_270
VPO1953.8.30Festspielhaus, SalzburgRCAO_363
BPO1953.9.15Titania Palast, BerlinFonit CetraO_369

sv0033p.jpg粒ぞろいの《グレイト》の中で、定評のある演奏がベルリンフィルを指揮した①と④で、スタジオ録音の④に対して当盤①(オールセン番号70)はライヴ録音であることからテンポの変転の激しい白熱した演奏であることは疑う余地がなく、数あるフルトヴェングラーの録音の中でも屈指の演奏として絶賛されている。

演奏日に関しては、これまで特定されていなかったが、同じ日のH.シューベルトの録音が1992年にメロディアからレコード化されたことによって12月6-8日にほぼ確定したとみられる。

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「一般には1951年のスタジオ録音の評判が良いが、僕はこの1942年のライヴ録音の方を好む。それはあまりにもフルトヴェングラー的であり、彼がこれほどまで自己の感情を赤裸々に爆発させた演奏も少ないからである。」 宇野功芳著 「フルトヴェングラーの何が偉大なのか」より~文藝別冊『フルトヴェングラー至高の指揮者』、河出書房新社、2011年)


「フルトヴェングラーの臭いがプンプンする、きわめて個性的な演奏だ。デュナーミクの表情が濃厚にシューベルトを語り、特に第2楽章が美しい。またこの指揮者らしく、テンポの伸び縮みもきわめて意志的で、それが作る表情の振幅も非常に大きい。ファンには嬉しいだろうが、普遍的な表現かどうかは疑問に思う聴き手も多いに違いない。当盤の音質は従来のディスクよりもさらに鮮明でリアルなサウンドだ。LP盤をトレースする針音も残っているが、鑑賞にはまったく支障ない。」 松沢憲氏による、DCCA-00004/5、『レコード芸術』通巻第653号、音楽之友社、2005年)



第1楽章 アンダンテ-アレグロ・マ・ノン・トロッポ
sv0033j.jpgパイプ椅子の軋みや、ホルンのこだまがデルタ盤から明瞭に聴き取れるのが驚きで、神秘の泉から湧き上がるチェロの肉厚の旋律と、重厚な総奏はまぎれもなくフルベン流。3連音リズムが現れると、巨匠は早くも74小節から倍速のアッチェレランドで我武者羅に突っ走る。

爆発的なダイナミズムでオケを煽りながら、頂点の主部へ乱入する荒武者ぶりは何度聴いても鳥肌が立つ場面で、巨匠は熱き血が脈打つパッションによって聴き手を長大なシンフォニーに引き込む力業を開陳する。

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苛烈な3連音リズムを打ち込んで躍進する第1主題、大減速して悲しみを綴るラヴェンダー売りの娘の唄(第2主題)、厳粛な気分で朗唱するトロンボーンのソリ(第3主題)など、めくるめく楽想の変転をあたかも劇音楽のように、ドラマチック捌いてゆくところは巨匠の独壇場。「彼岸的なものの証言」と巨匠が語るトロンボーンの旋律(199小節)の2分音符をタイのように伸ばして歌わせるのはベルリンフィルで使う“奥の手”で、《第9》に似た〈歓喜の頌歌〉のモチーフ(228小節)で熱狂するところは、身を奮い立たせるような雄渾な気分が漲っている。
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sv0033l.jpg提示部を締める5音の連続強打やトロンボーン主題を「バリバリ」とぶちかます展開部の豪快な気風もこの盤の大きな魅力で、3連音の豪打が炸裂する決めどころ(316小節)の阿修羅のごとき荒ワザはフルベンの面目が躍如する。

コーダ手前の568小節から、すごい加速をかけて狂ったようにヒートアップするところもこの盤の大きな聴きどころで、許容の限界を超えたテンポの生成と生の感情が噴出するような烈しく燃え上がるドラマ性が聴く者を圧倒。見得を切るような終止の豪打も巨匠らしい風格に充ちている。

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「フルトヴェングラーでも、これだけ感情を生に爆発させた例は珍しいほどだ。第1楽章の主部をこんなに速いテンポで、これほど燃え上がるような迫力で指揮した人をぼくは知らない。テンポの極端な変動も自在に行われ、提示部と展開部のそれぞれの終わりの部分や、コーダなどのアッチェレランドは気違いじみており、時には唐突である。展開部の終りで大きくテンポを落としたまま、再現部でア・テンポに戻らず、そのまま進行するのも即興的だ。展開部の最後におけるホルンとティンパニの最強奏など、いったい何事がはじまったのかと思うほどだし、コーダの決め方もさすがだ。」 宇野功芳著 『フルトヴェングラーの名盤』より、芸術現代社、1977年)



第2楽章 アンダンテ・コン・モート
sv0033k.jpg「鉄槌を振り下ろすようなスフォルザンド」(ジョン・アードイン)と著されるティンパニを叩きつける強烈な一撃には思わず仰天するが、弦楽器が大きなボウイングで弾みを付け、行進メロディを切り裂くように弾き切るフレージングがすさまじい。一撃の衝撃感ではデルタ盤が勝り、次いでメロディアLP、ドリームライフのSACDを採ろう。

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大きな聴きどころは、優しい響きが天から降りてくる第2主題(93小節)。アダージョ風にしっとりと奏でる弦と、柔和な木管が歌い継ぐ旋律の美しさと崇高さはいかばかりだろう。静寂の中から“天の使い”のホルン(シューマン)が降りてきて、弦のリテヌートで想いを込めながら第1主題へ帰るところの寂漠とした風情に恍惚となってしまう。

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sv0033m.jpg最大の山場はフォルティシモが炸裂する第1主題の強奏展開(248小節)。鉄血サウンドを全開した後に“断罪的な総休止”が出現する。淋しげなピッツィカートとチェロのモノローグ、第2主題の変奏メロディーを繰り出す木管パートの味わい深さも巨匠の奥義を伝えたものだ。

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フルトヴェングラーはこの休止を長く取ることで知られているが、メロディアLPではここで裏面に変わるために正確な“間”が不明で(メロディアCDは僅か1秒)、ユニコーン原盤の東芝LP4秒、デルタ盤7秒、オーパス盤9秒、ドリームライフ盤4秒、返還テープのDG盤は9秒である。

LevelDisc no.MediaⅠmovⅡmovⅢmovⅣmov=TotalⅡ-250bar休止
東芝EMIWF60050LP13:1516:049:1810:1648:530:04
MelodiyaM10-10033-007LP13:4316:419:3410:3150:290:04
MelodiyaMELCD-1001108CD13:3116:229:2510:1949:370:01
DGF20G-29094CD13:3516:379:2710:2750:060:09
DeltaDCCA-00004/5CD13:3916:409:3310:2950:210:07
Opus蔵OPK7010CD13:4016:419:3210:3050:230:09
DreamlifeDLCA7010CD13:4116:409:3310:2950:230:04


第3楽章 スケルツォ、アレグロ・ヴィヴァーチェ
sv0033n.jpg音楽が凄みを増してくるのは、低音弦が唸りを上げて「ガシガシ」と打撃を打ち込む展開部の総奏(105小節)からで、第2旋律を大波のようにうねり回し、これが次第に熱狂の嵐となって聴き手の興奮の坩堝に巻き込んでゆくところがすごい。再現部の緻密なアンサンブルや、第2トリオの転調によるニュアンスのうつろいも聴きどころのひとつだろう。
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楽章最後の和音がフェードアウトして途切れるのは青トーチ盤自体の問題と思われるが、エコーがないのが何よりも嬉しい。残響が「オワ~ン」と歪む返還テープのDG盤や、90年プレスのメロディアLPにもエコーが認められる。ドリームライフのSACDもエコーが付加されたのか、ゴウゴウと響いて気持ち悪く、逆にユニコーン系LPはピッチが不正確だが忠実にコピーしたのか、聴き比べてみると以外にしっかりした音で鳴っているのに驚かされる。


第4楽章 フィナーレ、アレグロ・ヴィヴァーチェ
sv0033o.jpg大見得を切るような遅い開始はフルベンのみに許される幕開きで、疾風のように第1主題とエピソードを駆け走り、84小節の総奏で限界点に達するが、これをものともせず一気呵成に進軍ラッパ(143小節)を打ち込むところに快哉を叫びたくなる。

歌謡風の第2主題もビートを効かせた熱い“フルベン節”が全開。ともすれば聴き手を退屈させる単調なリズムの反復は激しく揺れ動き、巨匠は熱狂の渦の中へ聴き手を駆り立ててゆく。
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「1942年の《グレイト》は、フルトヴェングラーの全録音の中でも極めつけのひとつである。何しろこれだけテンポが激変し、繊細な弱音から凶暴とも言える強音までの幅広いダイナミックは空前であろう。私も初めてこの演奏を聴いた時、それこそいても立ってもいられぬ気持ちになったことを鮮明に覚えている。第4楽章冒頭は物々しいほど主題を遅く奏し、そのあとみるみるアッチェレランドして興奮をあおるところなども、フルトヴェングラー以外にはなし得ぬ表現である。」 平林直哉著 「フルトヴェングラーの後期ロマン派」より~文藝別冊 『フルトヴェングラー至高の指揮者』、河出書房新社、2011年)


「終楽章は、1942年のレコーディングのほうが、あとのほうよりは速く、フルトヴェングラーの第二次世界大戦中の演奏会と関連してすさまじい。1951年盤の終楽章の結尾が偉大なるクライマックスであるとすれば、1942年盤の、足を力いっぱい踏みならすような野生的なリズムには、聴き手をぞっとさせるような迫力がある。」 ピーター・ピリー著 『レコードのフルトヴェングラー』より、横山一雄訳、音楽之友社、1983年)


sv0033q.jpg〈歓喜の主題〉を思わせる新たな旋律を軸に荒れ狂う展開部(386小節)は、トロンボーンが第2主題を打ち込む疾風怒涛のカノンに酔わせてくれるが、英雄的なエピソードを展開して熱狂する再現部もすさまじく、734~41小節にティンパニのトレモロ追加して、751小節の終止にも一発入れる改変が即興的で、神がかり的なものといえる。

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最後のクライマックスは第1主題の断片で呼びかけるコーダ(974小節)にやってくる。第2主題のフォルティシモの4連打を「これでもか」と打ち込む頂点の力ワザ(1058小節)は圧巻で、馬車馬を鞭打つようにビートを打ち、限界点ギリギリまで加速をかけで炎のように燃え上がる。トランペットと弦楽器は力を込めて踏み鳴らし、ティンパニの強打を轟かせて締め括る。巨匠が大戦下のベルリンで完全燃焼した渾身の一枚だ。


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[ 2015/01/14 ] 音楽 シューベルト | TB(-) | CM(-)