クリップスのモーツァルト交響曲第33番

sv0035b.jpg
モーツァルト/交響曲第33番変ロ長調 K319
ヨーゼフ・クリップス指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
Recording: 1972.11 (Philips)
Location: Concertgebouw Hall, Amsterdam
CD: UCCP3456/61 (2007/5)
Length: 21:40
amazon


ヨゼフ・クリップス(1902~74年)はワインガルトナーに師事したウィーン生まれの名指揮者で、ウィーンの伝統的なスタイルを継承した数少ない指揮者のひとりである。生粋のウィーン子ならではの情緒と品位を備え、師ゆずりの古き良き時代のウィーンの香気が薫りたつような芸風で知られている。

しかし、同じオーストリア生まれのカラヤン、ベームに比べれば影の薄い存在で、わが国でも一流の指揮者としての認識はうすく、“剥き卵”のようなモッサリした容貌からして華のない指揮者の典型だった。

sv0035a.jpgそんなクリップスが心血を注いだのがモーツァルトの音楽で、「すべての音楽はモーツァルトに通ず」と語るように、モーツァルト以外の作品でもウィーン流の優雅なスタイルにこだわりをみせ、時間をかけたリハーサルで楽員をうんざりさせた。また、作品に対する文学的形容がときに失笑をかい、アメリカのラジオ番組では、その陳腐なコメントが逆に一部のマニアにうけたらしい。

TOWER RECORDS

クリップスの音盤で筆者の目をひいたのが、最晩年の70年代にコンセルトヘボウ管と集中的に録音したモーツァルト交響曲集(20曲)のフィリップス盤だ。これまでごく一部がLPで発売されただけで、そのほとんどが〈20世紀の巨匠シリーズ〉によって初めてCD化されたものである。こんなお宝音源がレコード会社に長らく眠っていたとは・・・

sv0035c.jpgここで取り上げる〈第33番〉は、中庸のテンポから繰り出される楽想の美しさが隅々まで浸透した演奏で、名門コンセルトヘボウ管ならではのみずみずしいサウンドときめ細かなアンサンブルが展開する。くすみ掛かったオランダ特有の音色は、このホールで熟成された“極上のサウンド”といえるもので、シルクのような弦楽器燻し銀の管楽器がホールにしっとりと溶け合う“響きの美しさ”を心ゆくまで堪能させてくれる。

amazon TOWER RECORDS  HMVicon

「モーツァルトの宝石箱だ。どこをとっても最高の音楽、最高の教養がこのセットには溢れている。このセットを座右に置き、すべてのフレーズのイントネーションを調べたり、どんなニュアンスのアクセントが置かれているのかを感じたり、主旋律と対旋律のバランスはどうか、適切なテンポとは何か、緩除楽章とメヌエットのリズム感覚の違いは、等々を研究するだけで、4年間音楽大学に通う以上の知識が得られるに違いない。しかし、そんなことを一切考えず、ただただ美しいモーツァルトの音楽に浸ることは、いっそう幸福なことだろう。」 福島章恭著 『交響曲CD絶対の名盤』より、毎日新聞社、2005年)


「とにかくどの曲を聴いても質が極めて高く、その気品に満ちた美しい佇まいを持った音楽の姿にはため息が漏れるほど。収められた20曲のどれを聴いても、時間を忘れるほどの至福感に満ちている。一般には並の存在としか認知され難いクリップスという指揮者の、ほんとうに優れた手腕を持つ職人としてのすばらしさを再認識させる集成であると同時に、彼のモーツァルト解釈の説得力の大きさをまざまざと感じさせる、クリップス最高の遺産と言っても差し支えない。」 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、音楽之友社、2007年)



第1楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の3拍子
sv0035d.jpg交響曲第33番は生地ザルツブルクで最後に書かれた作品群の1つで、“モーツァルトの田園交響曲”とよばれる牧歌的な愉しい気分に溢れたシンフォニーだ。トリルをふんだんに使った典雅なスタイルの中に、朗らかなメロディーが次々と沸き出る才能の宝庫のような名曲は、ムラヴィンスキーカルロス・クライバーといった名指揮者がコンサートで好んで取り上げる玄人好みの作品といえる。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

さっぱりとしたフォルテの打ち込みで開始する第1主題は、緻密なアンサンブルから紡ぎ出すみずみずしいフレージングが心地よく、こまやかに配したアーティキュレシーションの綾が美しく織り込まれてゆく。精妙なスタッカートが力強いリズムとなって駆け上る頂点は、力瘤を廃した爽やかさが聴き手の耳を捉えて離さない。

聴きどころは優美な歌があらわれる第2主題(55小節)。さりげないフレーズの中にしっとりと艶を込めた弦の歌は光彩陸離たる美しさで、色気のある木管と応答を繰り返すところの蠱惑的な響きは、聴き手を惑わすような妖しい魅力すら備えている。

「これらの演奏に一貫する特徴のひとつに、コンセルトヘボウの弦の美しさが挙げられる。もともとヨーロッパの並み居るオケの中でも、とりわけ高い質を持つオケだが、きめこまやかで目の詰んだ、燻し銀のような光沢と一種独特の色艶を併せ持つこのような響きはめったに耳にできるものではない。コンセルトヘボウと言えども、いつもこのような美しい響きを奏でられるわけではないので、これを引き出したクリップスの並々ならぬ手腕はおのずと了解されるだろう。これらすばらしい弦楽器群をベースに、木管楽器群も実にチャーミングな表情と色を添える。」 中村孝義氏による月評より、『レコード芸術』通巻第682号、音楽之友社、2007年)


緻密なトリル、なだらかな8分音符、一気呵成にクレッシェンドする3連音の刻みは解放感に充ち溢れ、オーボエとファゴットがフォルテでくわわるドローン(119小節)は、まるでバグ・パイプが鳴っているような錯覚にとらわれてしまう。どんなに貧しい装置で再生しても、茶の間がコンサートホールと化してしまうフィリップス録音は、肥えた耳のオーディオ・マニアならずともその美しい響きに酔わされてしまうだろう。

sv0011f.jpg展開部(139小節)は「ジュピター動機」(交響曲第41番フィナーレ)の萌芽があらわれる。トリルと交互に応答を重ねる弦、ファゴット、オーボエ、ホルンのしみじみとした情感がたまらない。

弦楽が3連音の刻みで彩る密度の濃さや、第1ヴァイオリンとファゴットがユニゾンで奏でる侘びた風情など、老巨匠は素朴な田園情緒を柔らかなハーモニーによってしっとりと描き出してゆく。

再現部(208小節)は、シンコペーションとトリルを入れた第1主題、5度下げてヴィオラと歌い出す第2主題、ゆたかな弦楽サウンドを聴かせるユニゾン楽節など、器楽合奏の冴えた妙技を堪能させてくれる。コーダに入る直前で翳りを帯びた哀しい眼差しをふと見せる周到さも、老熟したクリップスならではの心憎い“奥の手”といえるだろう。


第2楽章 アンダンテ・モデラート、変ホ長調、4分2拍子
sv0035e.jpg優美な中に温もりを感じさせる2つの主題の間に、さりげなく挿入した愛らしくも哀しい楽想(19~26小節)がこのシンフォニーの最大の聴きどころだ。

amazon  TOWER RECORDS

在りし日の恋人の思い出を慈しむように、しみじみと奏でる老匠の語り口は心細やかで、これがわずかに変奏される展開部(58~69小節)では、第1ヴァイオリンが高音部へ飛翔してさらなる哀しみを綴りつつも、仄かな喜びを感じさせる高貴な歌い口はあまりにも感動的だ。展開部はじめの弦の柔らかなフガートや、みじかい管楽器のアンサンブルにも耳をそば立てたい。


第3楽章 メヌエット、変ロ長調、4分の3拍子
ウィーン風のメヌエットは、いかにも宮廷音楽風の雅やかな楽想で、これはもうウィーンの産湯で育ったクリップスの独壇場。シルキーな弦をたっぷり鳴らし、愉悦感のある木管とホルンが典雅に彩ってゆくあたりは水を得た魚のようで、ツボにはまったように上品に歌いまわすトリオの優雅さも格別である。
sv0035h.jpg


 第4楽章 アレグロ・アッサイ、変ロ長調、4分の2拍子
sv0035f.jpgベートーヴェンが〈第8〉フィナーレのモデルにしたとされる“喜びに沸き立つ村祭り”は、生き生きとした躍動感に溢れんばかり。力感をさっぱり排除し、サクサクと弦を入れたみずみずしいアンサンブルによって、第1主題を跳ねるように変奏する41小節から、いよいよ名門楽団が冴えた腕前を披露する。

amazon

付点音符、装飾音、スタッカートを駆使した難技巧のフレーズを緻密にさばき、伴奏きざみの1音たりともブレることのない精妙なアンサンブルは、もはや器楽演奏の限界を超えたもので、しかも誰ひとりとして荒々しく弾き飛ばすことなく、落ち着きのあるフレージングを配するあたりはクリップスのしたたかさが浮かび上がってくる。

晴朗なカンタービレを聴かせる第2主題(83小節)もこの交響曲の大きなご馳走のひとつで、細やかなアーティキュレーションの妙味には目を見張るばかり。さらに作曲者は村の楽隊を連想させる愉快な第3主題(130小節)を用意する。トリルの入った戯けた木管の主題に応えて弦が朗らかに弾む舞曲は、荒っぽい躍動をむしろ控え、アンサンブルの緊密さによって勝負するところはクリップスの職人ワザといえる。[提示部リピートあり]

sv0035i.jpg

sv0035g.jpg展開部(162小節)は弦の3連音のせわしい中を、オーボエの悲嘆にくれるかのような哀調を帯びた和音が明滅するが、ファゴット、ホルン、低音弦が模倣を繰り返すうちに愉しげな気分が戻ってくる。ユニゾンで大きな弾みをつけて再現部(214小節)へ突入する決めどころは荒ワザを仕掛けることなく、純音楽的な澄み切った新鮮さを提示する。

amazon  TOWER RECORDS  HMVicon

5度下げて歌う第2主題のカンタービレや、10度ハネ上がる付点主題の変化を克明につけ、第3主題の田園牧歌を再現する手際の良さも抜群で、みずみずしいリズムから繰り出すコーダの冴えたアンサンブルは、最後まで途切れることなく聴き手に清涼な気分を運んでくれる。コンセルトヘボウ管のみずみずしいアンサンブルと老匠クリップスの職人芸を堪能させてくれる極上のアルバムだ。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします
このエントリーをはてなブックマークに追加

[ 2015/02/12 ] 音楽 モーツァルト | TB(-) | CM(-)