フルトヴェングラーのドヴォルザーク/交響曲第9番《新世界》

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ドヴォルザーク/交響曲第9番ホ短調 作品95「新世界から」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1941.11.30, Philharmony, Berlin
Origin: Relief RL813
LP: Relief 27PC-84(M)
Length: 36:21 (Mono)
CD: 30CD3036  amazon

年の瀬が押し迫った1982年、音楽雑誌に何気なく目を通していると、日本フォノグラムの発売予告の記事に筆者の目が釘付けになった。何と、フルトヴェングラーが大戦中にベルリンフィルを指揮した《新世界》の実況録音が発掘されたという。これはリヒテンシュタインのレリーフという新興レーベルから発売されたREL813を原盤とするもので、音楽ファンには衝撃的なニュースだった。

sv0070j.jpgこれまで、個人のエアチェックやダビングをソースとする海賊系レーベルから、「新発見!」「まだあった!」という“殺し文句”によって、巨匠のライヴ録音が劣悪な音質によって続々と掘り起こされてきたが、もはや音源は枯渇し、愛好家の過熱がピークを過ぎたと思われた時期に《新世界》が忽然と現れたのだから、マニアには涎の出るものだった。


いつもは、この手の新譜にはおよび腰の筆者も、この時ばかりは発売を首を長くして待った記憶がある。嘗てベトーヴェンの第2や第8で“前科二犯”の日本フォノグラムだが、このワイヤー録音は、当時ベルリンフィルの首席ホルン奏者のマルティン・ツィラー氏(1935~73年在籍、2009年96歳で死去)が証言したことから、疑う余地はなかった。

「ここ数年、この録音の出現ほど世界中のフルトヴェングラー愛好家に大きなショックを与えたものはない。オリジナルのワイヤー録音はH.ハフナーがドイツで発見したとしか伝えられていないが、当時のベルリンフィルのホルン奏者M.ジラーの証言が決め手となって愛好家の前に登場した。オリジナルのワイヤーは相当な修復が必要だったらしく、作業はフランス・パテ社の技術者によって行われたむねスイス・フ協会報が報じている。」 桧山浩介編『フルトヴェングラー・ディスコグラフィ』~「レコード芸術」1984年、音楽之友社)


「この演奏に関しては信憑性を疑う向きもあるが、録音が行われた当時ベルリンフィルのホルン奏者だったマルティン・ツィラーは、本物であると主張した。またレリーフ盤にライナーノーツを書いたウルス・ヴェーバーも、フィルハーモニーの音響はバイロイト祝祭劇場に並ぶ独特のものであり、この演奏はまぎれもなくフィルハーモニーで録音されていると考えている。」 ジョン・アードイン著『フルトヴェングラー・グレート・レコーディングス』より、藤井留美訳、音楽之友社、2000年)


sv0065e.jpg演奏記録によると、フルトヴェングラーが《新世界》をベルリンフィルの定期公演で取り上げたのは、1925年10月18、19日と、1941年11月29、30、12月1日の5回のみで、戦後ベルリンフィルに復帰してからは一度も指揮していない。

桧山浩介氏によれば、1948年にアルゼンチンのコンロン劇場オーケストラに客演した際に、予定曲目として《新世界》が予告されたが結局、演奏されなかったという。


演奏は期待に違わず、すさまじいものだ。第1楽章コーダでは無我夢中に荒れ狂い、一気呵成に畳み込む気魄に充ちた棒さばきは尋常ではなく、悲痛なラルゴ、嵐のようなスケルツォ、ドラマチックに完全燃焼したフィナーレなど、「これぞ、まさしくフルベン!」と筆者は舌鼓を打ち、快哉を叫んだものである。モコモコと揺れる音もなんのその、音の芯が潰れていることや、第2楽章終わりの2小節が欠落しているなんぞ気に留めることもなく、むしゃぶりつくように聴き入った。

sv0028l.jpg「こんな埃にまみれたキナ臭い代物に、 2,700円も出して買う馬鹿がいるのか」とフルベン愛好家をせせら笑う友人の言を後目に、「まあ、いっぺん聴いてみろい」と筆者は優越感に浸ってほくそ笑んだものだ。

今思えば、「むしろ薄明かりの中で、ゆらぐ燈明に照らし出される本尊はよけい聖化される」(柴田南雄氏)というのも、なるほど、真理を衝いているかも知れない。


ところが、この演奏、じつはオスヴァルト・カバスタ指揮、ミュンヘンフィル (1944年7月14日)の演奏と判明した。またしても夢は幻と化したわけだが、演奏がすばらしいだけに満足感が勝り、一杯食わされたという気はしない。この録音が発売されるに至った経緯は平林直哉氏による「フルトヴェングラー事件簿」 『フルトヴェングラー没後50周年記念』、学習研究社、2005年)に詳しい。

sv0070b.jpg同書によれば、1952年にロワイヤル(ROYALE)というレーベルから、カール・リスト指揮ベルリン交響楽団という怪しげな名前で大量に発売されたものが初出とされる。

これと同じソースの録音テープが1970年頃のドイツの蚤の市で売られ、演奏者不明であったことから、いつしかフルトヴェングラーのものではないかと噂されるようになったという。


真偽についてはレリーフ盤発売当初から疑問視されており、英フルトヴェングラー協会報にはR.スミッソン氏が非フルトヴェングラーの見解を明らかにし、エリーザベト夫人の回想録(フランス語版)に付属するH.J.テスタス編ディスコグラフィでも、この演奏
は“authenticite incertain”の扱いとされていた(桧山浩介編ディスコグラフィ参考)。

sv0070c.jpg1990年、ドイツの研究家エルンスト・ルンペ氏は、オスヴァルト・カバスタが同じ曲を演奏したテープをバイエルン放送協会のアーカイブから発見した。

演奏時間がレリーフ盤と秒単位まで同じで、第2楽章の終わりのコントラバスの和音が2つ欠落していることが決定的な証拠として、この謎を解き明かしたのである ジョン・アードイン著『グレート・レコーディングス』より)


オスヴァルト・カバスタ(Oswald Kabasta)なる指揮者は一体何者なのか。カバスタは1896年オーストリア生まれの指揮者で、「忘れえぬ指揮者」( 『レコード芸術』通巻525号)によると、ブルックナーの演奏にかけては定評をもつとされる。バーデン市立歌劇場やグラーツ歌劇場の音楽監督をつとめ、ウィーン交響楽団、ミュンヘンフィルの首席指揮者を歴任。熱心なナチ党員だったかどで戦後は一切の演奏活動を禁止され、50歳の時に服毒自殺によって生涯を終えた悲劇の指揮者である。


第1楽章 アダージョ~アレグロ・モルト
瞑想的な旋律が神秘の泉から湧き上がるように、コクのある弦楽器や根太いホルンなど、浪漫の気分が横溢する序奏は気分充分である。警告的な弦の打撃はかなり暴力的だが、狂ったように頂点に駆け上がる指揮者の気魄に充ちた力ワザに、のっけからゾクゾクしてしまう。

「ワイヤー録音といわれ、大きなレベル変動や細かな速度ムラなどによる聴きにくいところはあるが、全曲を通して意外なほど雑音が少なく、Fレンジが狭いなりに耳をあまり刺激しないバランスになっており、貧しい音ながら聴き手に熱気が伝わり、しばし時がたつのも忘れてしまう。」 三井啓氏による録音評より、30CD3036 、 『レコード芸術』通巻第428号、音楽之友社、1986年)


sv0070d.jpg主部は速いテンポで急き立てるように進行する。小結尾(149小節)のフルートフルートがト長調で歌うコデッタ主題(第3主題)でテンポを少し落とすが、落ち着く間もなく加速を掛けて勇猛果敢に展開部に突進するところなど、音楽は覇気に充ち、きわめて情熱的である。

展開部はホルンのコデッタ主題とトロンボーンの第1主題を交互に、がっつりと吹き上げる男性的な逞しさは無類のもので、堅固なたたずまいと明確な構成感はいかにもドイツ風だ。
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再現部はテンポが絶えず揺れ動き、不安な気分と不断の闘争精神が交錯する楽想の変転がスリルを喚起する。低音弦を礎に、しっかりと支えられた安定感のある音楽は、まさしくドイツの巨匠を思わせるもので、フルートがしみじみと情感を込めて歌い上げる第2主題(312小節)のフルートもすこぶる感動的だ。
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sv0070e.jpgコーダは覇気満々、熱っぽい表現によって一気呵成に畳み込む。トランペット(コデッタ主題)とトロンボーン(第1主題)を峻烈に重ね、聴き手を嵐の渦の中に引き込むようなクライマックスに肌が粟立ってくる。
Kabasta Conducts Mozart/Schubert

420小節から「これでもか」と猛烈なアッチェレランドを仕掛け、その手をいささかも緩めぬ凄絶なフィニッシュは音楽が破綻寸前で、これぞフルベンのみが成せる“必殺ワザ”と、心が躍っても無理からぬところだ。

「とくに第1楽章は凄い。その緩急自在のテンポは独自のデュナーミクと組み合わされ、大胆この上ない表情の起伏、嵐のような熱狂の表情をつくるが、それがきわめて音楽的であり、不自然さはまったくないのである。私はいまだかつて、これほど凄絶な〈新世界より〉をきいたことがない。しかも劇性がたんに空転することはない。楽想の性格と表情がぴたりと一致しており、2つの主題の対比はもちろんのこと、ソナタ形式の構造が実にわかりやすく表出されているのである。」 小石忠男氏による月評より、27PC84 、 『レコード芸術』通巻第390号、音楽之友社、1983年)


「この快活な第9番を、フルトヴェングラーの演奏ではないと判断する手がかりはここにはないが、全体にフルトヴェングラーのものと言ってもおかしくない音楽的な手がかりはいくつか存在する。第1楽章の幕開けがぎりぎりまで謎めいた雰囲気を保ち、9小節目で宙に漂うような間が入った後に、弦楽器が突然熱を帯びてアクセントをきかせる。これはすでにお馴染みの手法である。速度がくっきりと変化したり、旋律に特別なはずみがついてアーチを描くように進むのも、フルトヴェングラー独特の特徴だろう。」 ジョン・アードイン著『フルトヴェングラー・グレート・レコーディングス』より)



第2楽章 ラルゴ
sv0070f.jpg「家路」の主題を奏でる鄙びたコールアングレが味わい深く、絶妙のテンポ・ルバートと心のこもった切ない歌がじつに感動的で、和音の爆発的なクレッシェンドはいかにもフルベンを思わせる。

小結尾(42小節)の1、2番ホルンの2重奏が不安定なのが気になるところで、ツィラーほどの名手が、これが本当に自分たちの演奏だと思ったのだろうか。
Kabasta Conducts Bruckner Symphony 7

中間部で歌われる第2主題(副主題)で、悲哀感をしっとりと紡ぐクラリネットの副旋律や身を切るようなメノ・モッソの弦が、深い悲しみを刻印しているのが聴きどころだろう。第1楽章の主題を峻厳と打ちこむトロンボーン、テューバは音が潰れるほどの強音で、汚い音に聴こえるのは貧しい録音のせいもあるだろう。
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第3楽章 スケルツォ-モルト・ヴィヴァーチェ
sv0070g.jpgスケルツォの音楽は、まさにフルベン節が全開といってよく、30小節からクレッシェンド・モルトによる切迫した追い込み方や、終止で見せるアッチェレランドの手綱さばきにゾクゾクしてしまう。
Kabasta - 1943/44 Broadcasts

トリオの歌い回しの上手さも特筆モノで、第1トリオ(“カールおじさん”の主題)の滔々と歌うコクのあるチェロや、第2トリオ(舞曲)のテンポの流動感とデュナーミクの高揚感も絶妙の極といえる。

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スケルツォの再現で見せる爆発的な総奏など何事かと思わせる力業で、ゲネラル・パウゼの後に“固い一撃”を迷いなくぶち込む終止和音も壮絶の一語に尽きる。


第4楽章 アレグロ・コン・フォーコ
sv0070h.jpg威風堂々とインテンポで突き進むどっしりとした行進曲は、プロイセン風の堅固なスタイルだ。ガンガン叩き込む和音打撃の力強さは圧巻で、霧の中からクラリネットの第2主題が浮かび上がるところは、〈魔弾の射手〉(ウェーバー)を思わせるではないか。  Kabasta Bruckner

これが喜びの音楽となって上り詰める意気揚々とした高揚感も比類がなく、熱い歌心が脈打っている。
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大きなリタルダンドを配する展開部は表現がものものしい。第1楽章の主題を使った低音弦の応答や、ヴィオラの刻む堅実なリズム打ちが音楽をしっかりと支え、第2楽章の主題を金管が爆発的に打ち込むところは聴き手も力がこもる! みるみるテンポを速めて再現部へ突入するドラマチックな音楽作りも指揮者の熱き血潮が噴出するかのようで、大見得をきるような行進テーマの再現もじつにドラマチックだ。

コーダは指揮者が手綱をいささかも緩めることなく、八方破れに突き進む。力瘤を振り回し、とてつもない迫力で盛り上がるメノのユニゾンは、指揮者の血のたぎりすら感じさせる凄味のあるもので、指揮者のパッションに応えるように、力を振り絞るオーケストラの怒号が名曲を力強く結んでいる。幻とはいえ、束の間の夢を見させてくれた筆者には思い出の深い一枚だ。


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[ 2016/06/30 ] 音楽 ドヴォルザーク | TB(-) | CM(-)