デュ・プレのエルガー/チェロ協奏曲

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エルガー/チェロ協奏曲ホ短調 作品85
ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ独奏)
ジョン・バルビローリ指揮 ロンドン交響楽団
Recording: 1965.8.19 Kingsway hall, London
Producer: Ronaldo Kinloch-Anderson (EMI)
Balance Engineer: Chiristopher Parker
Length: 30:07 (Stereo)
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エルガーのチェロ協奏曲は、デュ・プレにとって“人生の音楽”と言える名刺代わりの曲で、13歳のときに師のウィリアム・プリースから譜面を渡され、わずか4日で暗譜して完璧に弾きこなしたという。1962年(17歳)には、ロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでこの曲をはじめてフル・オーケストラと共演して国際的なキャリアがスタートした。

sv0073b.jpg当録音は、1965年5月にBBC交響楽団のアメリカ公演で演奏し「最盛期のカザルスに匹敵する」と評論家から絶賛された直後にEMIの企画でセッションが組まれたもので、デュ・プレの名を世界に知らしめた記念すべきレコーディング・デビュー盤。

伴奏を受け持ったバルビローリもまた、1919年の同曲の初演時にオーケストラのチェロ奏者として参加していることから、デュ・プレにとって願ったりかなったりのサポートだったと思われる。
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sv0073j.jpgデュ・プレを映画化した『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』 (Hilary and Jackie、1998年、アナンド・タッカー監督)では同曲がテーマ音楽として使用されているが、映画ファンの中にはこの曲がエルガーの作品とは知らず、映画のためのオリジナル音楽と思われていたらしい。

映画ではエミリー・ワトソンがデュ・プレ役を好演しているが、傑作なのが婚約者として登場する若きバレンボイム役の青年(ジェームズ・フレイン)で、わざとらしいパンチ・パーマの気弱そうなキャラに思わす吹き出してしまう。
Hilary and Jackie [DVD] [Import]

「映画《ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ》の中で最初から最後までテーマ音楽のように流れ続けるのが、彼女の最も愛したエルガーのチェロ協奏曲なのだ(演奏も彼女自身)。イギリス人デュ・プレにとって、同国の作曲家エルガーの作品が身近なものであったのは当然としても、この人生の秋を思わせるような憂愁を湛えた、しみじみとした感慨が、なんとジャッキーに相応しいことだろう。」 『宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版』より、講談社、2007年)



sv0073c.jpg〈憂いの顔の騎士〉と称される同作品は、20世紀初頭に書かれたとは思えないロマン的な雰囲気をもち、“晩秋の夕映え”を思わせる哀愁が全編に漂う屈指の名曲だ。

初演の評判は芳しくかったが、女流チェリスト、ビアトリス・ハリソンの演奏によって世に認められ、デュ・プレの当録音によって不動の評価を得たことから、この曲には“女流チェリストによってしか成功しない”というジンクスがつきまとっている。
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NoConductorOrchestraDateTotal
SargentBBC so1964.9.37:164:244:5110:5827:29
BarbirolliLondon so1965.8.198:004:345:1412:1930:07
BarbirolliBBC so1967.1.37:514:155:2212:1229:40
BarenboimNew Philharmonia1967 (DVD)8:224:115:1511:5829:46
BarenboimPhiladelphia1970.11.27/288:414:345:5012:0531:10


sv0073d.jpgデュ・プレのエルガーはライヴ盤を含めて数種出ているが、音質が良く最も条件が整っているのがEMI盤。同じバルビローリ指揮でBBC響のプラハ公演を収めたテスタメント盤もすばらしい演奏だがマイクが遠くオケが弱い。

バレンボイム指揮フィラデルフィア管のソニー盤もオケの響きが薄く伴奏がカラ回りしていることや、独奏のキメが粗くデフォルメがきつい。同じバレンボイムの伴奏でも婚約直後にニューフィルハーモニア管と収録した映像はEMI盤と演奏スタイルが似ており、完成度が高いと思われる(モノラル)。
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「デュ・プレの楽壇デビューを飾った曲であるが、気合いも入っており、キズのない技巧を駆使して危な気のないみごとな演奏を展開している。とくにみごとなのが第1楽章と第3楽章で、その間のとり方のうまさといい、熟した表現といい、まだ20歳にもならないうちにこれだけのものを持っていたとはまったく驚くべき才能である。バルビローリの品のよい充実した棒さばきも特筆に値する。この1枚はデュ・プレのレコード全部を通じての最高傑作の1つにあげてよかろう。」 志鳥栄八郎氏による月評、『レコード芸術』通巻第321号、音楽之友社、1977年)


「憂いを含んだ主題を、雄渾に歌い上げていく表現力には脱帽するほかはない。この録音をめぐる熱い筆致の文章を数多くの執筆者が残しており、音楽ファンに英国音楽の魅力を強力にアピールした名盤である。主情的に歌い込み、体当たりするような迫力に満ちていることもあって、デュ・プレのちょっとした音程のブレなどを、この演奏で刷り込まれてしまうと、他の奏者による整った演奏を耳にしても、物足りなさを感じてしまう。名匠バルビローリが、包容力に富んだバックアップを繰り広げながら、エルガーの醍醐味を巧みに打ち出している点も魅力的だ。」 満津岡信育氏による「選定世界遺産ディスク」~『レコード芸術』通巻第695号、音楽之友社、2008年)


「デュ・プレと言えばエルガーとでも言うべき、彼女の代名詞となった大名演。〈エルガーは男性が弾くと失敗する〉と揶揄されるほど、男性奏者にとって鬼門となってしまったのも、この演奏の影響大である。“正しい音程”や“きれいな”音色よりも、情念の迸りを優先させるこのような表現は、最近の奏者からはめったに聴かれなくなったが、作品の本質をえぐり出しているという点で、この録音は永遠の価値を持つ。」 西村祐氏による「栄光の1960年代」~『レコード芸術』通巻第694号、音楽之友社、2008年)



第1楽章 アダージョ~モデラート
sv0073m.jpg〈ノビルメンテ〉と記される高貴なフォルティシモではじまる冒頭の悲劇的なカデンツァは、重音をたっぷりと弾き込んで深い悲しみが語られる。

肺腑をえぐるように決めるグリッサンドは悲嘆の吐息のようで、暗雲がたちこめる荘重なレチタティーヴォ(叙唱)が聴き手の心に重くのしかかり、デュ・プレ(以下ジャッキー)の悲劇的な運命を予告するかのように聴こえてくるではないか。  amazon  HMVicon

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sv0073g.jpg8分の9拍子にかわるモデラートは、ヴィオラが“晩秋の詩情”をすすり泣くように奏で、これに独奏チェロが悲しみの対位を織り重ねてゆくところが大きな聴きどころだ。

低音が震えるようなコクのあるフレージングは冠絶しており、アラルガンドの16分音符で音階を駆け上がる“涙のクライマックス”は慟哭が極まった感があろう。
BBC Legends(1962, 1964)
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最高潮で強奏する管弦楽の総奏も指揮者がツボを心得えており、トロンボーンがアクセントを入れて加わると、音楽は重厚さを増して“悲劇の情景”があますところなく展開されてゆく。


sv0073e.jpg木管で導かれる付点を伴った第2主題も悲しみを引きずっているが、ホ長調に転じる〈エピソード〉では晩秋の陽光が沈鬱な雲間からあらわれるように、やわらかに明滅しながら独奏がしみじみと聴き手に語りかけてくれる。

弦楽の伴奏は夢心地のような安らぎと気品を湛え、バルビローリがまるで父親のように暖かく見守りながらジャッキーの独奏に寄り添っているのが伝わってくる。

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独奏の激情的なテヌートで高潮する主題再現もすこぶる濃厚で、ティンパニの強打や、フォルテの痛烈な和音打撃で対峙するバルビローリのウェットで熱っぽい指揮ぶりも聴きどころだろう。


第2楽章 レント~アレグロ・モルト
sv0073i.jpg「バチン」と弾くカデンツァ和音と管弦の鋭い打ち込みに仰天するが、小刻みの16音符でせわしく走るペルペトゥーム・モビーレ(無窮動)はジャッキーの超絶技の独壇場。

物憂い表情を湛えつつ、針の穴に糸を通すような弱音の精密なスピッカートと、抉りの効いた弓さばきによって管弦の爆発を誘うダイナミックな第2主題の対比が鮮やかで、高音のフラジョレットから低音の刻みまで管弦楽と目まぐるしく掛け合う音楽は変幻自在。
Jacquelin Du Pre: In Portrait [DVD] [Import]

快適に弾き飛ばすコーダも超絶的で、倒けつ転びつ駆け込むピッツィカート終止も即興的だ。
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第3楽章 アダージョ
sv0073h.jpg独奏チェロが間断なく朗唱するアダーショをジャッキーは密度の濃い弓さばきで弾き上げる。ここでは前年に後援者のイスメナ・ホーランドから贈られ、短い生涯を共にした銘器“ダヴィドフ”(1713年製ストラディヴァリウス)によって紡がれるイギリス風の嘆き節が聴き手の胸を締めつける。

ジャッキーは甘くほろ苦い思い出を胸に秘めつつ、ロマンティックに、しかも情熱的に綿々と歌い込んでゆくところがこの曲のキモといえる。絶望の淵へ突き落とされながらも、かすかな希望と安らぎを願う20歳の女性の慈愛に充ちた歌い口に涙がこみ上げてくるのは筆者だけではないはずだ。

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第4楽章 アレグロ~モデラート~アレグロ・マ・ノン・トロッポ
sv0073f.jpg〈レチタティーヴォ〉の重厚な語りとカデンツァの豪快な重音の弾きっぷりはロストロポーヴィチを彷彿させる大家風の弓さばきで、32分音符を決然と駆け上がるところは運命と対決するジャッキーの強固な意志が込められている。

主部のロンド主題激しい戦いの音楽だ。闊歩するような男性顔負けの雄渾なフレージングによってオーケストラと丁々発止と渡り合い、闘争劇を繰り広げるところが痛快で、根太い音でゆさぶる第2主題と16音符の上下運動や、主題の断片を目まぐるしく打ち込む管弦楽に負けじとばかりに、ギシギシと弦を擦るアルペジオもすこぶる力強い。  TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

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大股で牛車を引きずるような、重々しくダイナミックな主題変奏(練習番号59)もジャッキーの個性が生々しく刻印されている。


sv0073k.jpg最後のクライマックスは瞑想的なムードに包まれるアダージョ(練習番号66)で、静謐な抒情美がロマンティックに歌われる。

とくにストリンジェンドからしっとりと歌い込みながらオーケストラと繰り返し高揚するところが感動的で、過去の甘い記憶(第3楽章)を追想するかのように再帰するレント主題[10:32]の“切ない歌”に胸がいっぱいになってしまう。
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sv0073l.jpg美しい想い出を残酷に断ち切る〈悲痛なレチタティーヴォ〉の緊迫感も無類のもので、律動的な対位でオーケストラに体当たりで喰らい付き、激烈な慟哭の一撃で全曲を締め括っている。いつまでも大切に聴き続けたいデュ・プレ入魂の一枚だ。
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[ 2016/08/13 ] 音楽 エルガー | TB(-) | CM(-)