フリッチャイのベートーヴェン/交響曲第5番〈運命〉

sv0059e.jpg
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調 作品67「運命」
フェレンツ・フリッチャイ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1961.9.25,26 Jesus-Christus-Kirche, Berlin
Recording Producer: Hans Ritter(DG)
Tonmeister: Günter Hermanns
Length: 38:16 (Stereo)
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon


フリッチャイがベルリンの楽壇に彗星のごとく現れたのは1948年12月。ソ連によるベルリン封鎖のため出演をキャンセルしたヨッフムの代役として、定期演奏会に登場した。以来、西ベルリンの“希望の星”としてベルリンフィルとは死の直前まで蜜月の関係が続き、モノラルからステレオ録音への移行期のドイツ・グラモフォンに多くのレコードを残している。

「フリッチャイは戦後ドイツ・グラモフォンを背負って立った、第一世代の指揮者だったといえる。日本にデビュー・レコードが出た当時は、フェレンク・フリクサイと表記されていた。」 出谷啓著『クラシックこの演奏家を聴け!』より、音楽之友社、1996年)


sv0076a.jpgこの〈運命〉はフリッチャイ最晩年の録音で、病が悪化して指揮活動を断念した3ヶ月前のセッションにあたる。驚くべきはそのテンポの遅さ。

“最も遅い運命とか“裏名盤”とよばれる演奏だが、おなじオーケストラを振ったこの時代の指揮者たちと演奏時間を比べれば一目瞭然。時期をほぼ同じくしてDGに録音したカラヤン盤とはおよそ対照的だ。 amazon  HMVicon


Comp/CondOrch.DateTrioPrest
Beethoven2=1088=922.=962.=962=84w=112
NikischBPO1913.11847276787690
FurtwänglerBPO1947.5.279070768272110
CluytensBPO1958.3847276767896
FricsayBPO1961.9745464686890
KarajanBPO1972/73(DVD)10076867682100
AbbadoBPO2000.596821008682100
(出典:『200CDベルリンフィル物語』~近藤高顯氏による「巨匠たちのテンポ」より)

「ベートーヴェンの運命交響曲も、テンポの遅いことではフルトヴェングラー以上で、同時代のレコードではライナーのと対をなす両極端に位置していた。したがって30センチのLPだったが、余白には〈エグモント〉序曲1曲しか入らないという、不経済なカップリングになってしまった。筆者は彼の〈運命〉をかけて、一風呂浴びて上がって来たところ、まだ演奏していたのには肝をつぶした記憶がある。」 出谷啓著『クラシックこの演奏家を聴け!』より、音楽之友社、1996年)


sv0076e.jpgトスカニーニ流の早いテンポで颯爽と駆け走り、名人オーケストラを万事ぬかりなく操って、ゴージャスなサウンドによる“見せかけの壮大さ”で大衆におもねるカラヤンに対し、フリッチャイはゆるやかなテンポによって造形を頑なにまもり、大言壮語しない。
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

フルトヴェングラーのようなデモーニッシュな劇性や、畳み掛けるような熱狂もここにはなく、あくまで実直に、心で音楽を奏でる音楽は端正で清らかでさえある。

楽曲全篇に貫かれたヒューマンな温かさと真摯に運命に立ち向かう緊張感を内に秘め、それがフィナーレに向かって次第に解放されて、聴き終わった後に快い余韻が残るのもこの演奏の魅力のひとつだろう。

ConductorOrch.DateSourceTotal
NikischBPO1913.11KSHKO156:479:505:349:0131:12
FurtwänglerBPO1947.5.27(L)POCG37888:0411:115:508:0533:10
JochumBPO1951.5UCCP93648:0311:385:508:5634:27
BöhmBPO1953.3UCCG37338:0811:225:578:5134:18
CluytensBPO1958.35099-648307288:249:515:299:0332:47
MaazelBPO1958.5UCCG37117:5610:434:528:3932:10
FricsayBPO1961.9UCCG903559:0913:156:239:2938:16
KarajanBPO1962.3UCCG70767:1810:044:548:5331:09
AbbadoBPO2000.5UCCG50037:169:107:4710:4034:53

「運命のモティーフが重く提示され、楽章全体の運びもとても遅い。一音一音噛みしめるように歩んでゆく演奏で、その結果ベルリン・フィルの重厚な響きを実感させられる。しかしこれは音楽に対するフリッチャイの極めて真摯な姿勢を反映し、これこそベートーヴェンという強固な信念のようなものを感じさせる演奏である。」 根岸一美氏による月評より、POCG3074、『レコード芸術』通巻第520号、音楽之友社、1994年)


「第1楽章の冒頭の動機をどっしりと提示し、一歩一歩踏みしめるように巨大な音楽を構築していく。ベルリン・フィルの重厚な響きを生かした表現だが、フリッチャイの語り口自体は明快で、フルトヴェングラーの神秘性、カラヤンのさらさらと流れる冗舌さとは明確に一線を画している。フィナーレにおける高揚感も申しぶんなく、この作品の筆頭にあげられるべき名盤のひとつと言えよう。」 岡本稔氏による月評より、POCG6033、『レコード芸術』通巻第570号、音楽之友社、1998年)



第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
sv0076b.jpg突撃隊のように突進して「運命の扉」をこじ開け、きついビートを打ち込む“弾丸ライナー”“豪腕ショルティ”“仕事師ドラティ”らの剛力派と比べれば、同じハンガリー出身の指揮者でも、ゆるやかに〈運命主題〉を打ち込むフリッチャイは物腰がすこぶる穏やかだ。

冒頭だけを聴けば、意志の力がいささか稀薄で、どこか“振りクサい”を連想してしまう。  amazon


抜けのよいホルンの宣言とともに、ドルチェの柔らかな第2主題に接続すると、抒情的な歌がしっとりと流れてくるところはフリッチャイの面目が躍如しており、頂点(94小節)もいたずらに力まず、コデッタ(小結尾)をほどよく弾んでシャッキリと締める提示部は音楽が清々しい。特筆すべきはフリッチャイの棒にピタリと反応するベルリンフィルの緻密なアンサンブルで、水も漏らさぬフレージング管弦の冴え冴えとした響きの鮮度は抜群である!

sv0059d.jpg展開部(125小節)もフリッチャイの落ち着きのあるテンポに揺るぎがなく、細やかなフレージングと入念なアーティキュレーションによって、指揮者がスコアの隅々にまで目を配っているのが伝わってくる。

勢いにまかせた劇的効果を排除し、“試練への道のり”を聴き手の心にじわじわと訴えかけてくるのがこの演奏の魅力で、切々と詠嘆調に奏でるオーボエのカデンツァが聴き手の涙を誘っている。
TOWER RECORDS  amazon

一歩一歩確かな足取りで歩むコーダ(374小節)はテンポがピタリと決まり、いかにもプロイセンの楽団らしい燻し銀のサウンドと、一分の隙もない強固な合奏能力を指揮者は提示する。力瘤のない正攻法で貫くフリッチャイのスタイルは端正そのもので、しかも万人を受け入れる大らかさがあり、音楽的な純度が極めて高いものといえる。


第2楽章 アンダンテ・コン・モート
sv0059a.jpg大きな呼吸で大らかに歌う第1主題、哀調を帯びた木管が明滅する第2主題など、平静な静けさの中に流れる清新な味わいに心惹かれてしまう。

これを受けとめる威風堂々とした総奏は力感にとみ、フィナーレを予示するトランペットの輝かしいファンファーレは、指揮者が我と我が身を奮い立たせるかのように、ピンと張りつめた緊張感が漂っている。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

sv0022h.jpg大きな聴きどころは変奏部。ヴィオラとチェロの16分音符の分散和音の中から、クラリネットがまったりと浮かび上がる第1変奏、32分音符の分散和音を第1ヴァイオリンが気高く歌い上げる第2変奏など、汚れを知らぬ清らかな楽の音がそこはかとなく流れてゆく。

第3変奏の木管楽器の孤独な風情、第4変奏でヴァイオリンがオクターヴで心のたけを歌いあげる崇高な音楽は“楽聖の精神”を極めた感があろう。

sv0076f.jpg
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [輸入CD]
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [Blu-ray Audio国内盤]
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [Blu-ray Audio輸入盤]

sv0022c.jpg圧巻は第2変奏が総奏となる114小節(練習番号C)。チェロ・バスがたっぷりと弾きまわすコクのあるフレージングもさることながら、天上へ舞い上がるような上昇フレーズの美しさと、その頂点で「ぐい」と見得を切るように最高音(Es)のフェルマータを決めるクライマックスもフリッチャイの“必殺ワザ”といってよく、この楽章の大きな聴きどころのひとつだろう。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon[SHM-CD]
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon[SACD]


第3楽章 アレグロ(スケルツォ)
sv0076c.jpg低音弦が意味ありげに問いかけるスケルツォ主題(幽霊の動機)と、それに対峙する〈運命動機〉の行進曲はすこぶる不気味である。

ここでは長めのフレージングと緩やかなテンポから“死に神”が忍び寄るかのような不安な気分が立ち込めているが、厳正なリズム捌きと緻密なアンサンブルによって、清々しい響きが耳あたりよく流れている。
TOWER RECORDS  amazon

トリオは、ボリウム感たっぷりの低音弦が闊歩する。フリッチャイは闇雲に荒ワザを仕掛けず、一歩一歩大地を踏みしめるように、ごく自然に立ち振る舞いながら、音楽の密度の濃さで勝負する。
sv0076g.jpg
弦楽フガートのスケール感も無類のもので、決して熱くならず、静かな闘志を内に秘め、コツコツと地道に、しかも着実に、来たる勝利に向かってフリッッチャイは果てしのない旅をつづけてゆく。静謐なリズム打ちは、「ルルドの泉」を訪れる敬虔な巡礼者の足音のように聞こえてくるではないか。


第4楽章 アレグロ
sv0076d.jpgアレグロの1小節手前でティンパニにリタルダンドをかけて突入するフィナーレは、解放感に溢れんばかりで、ねばり気のあるホルンが朗々と発する〈賛歌〉が飛び出すと、翳りを帯びたプロイセン・サウンドが管楽器を中心に次第に明るい輝きを増してくるのが感動的だ。

息長く放射する展開部の〈ファンファーレ動機〉や、全パートがクリアに鳴り渡る総奏(132小節)の濁りのないサウンドに驚かされてしまう。
TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

頑なにインテンポをまもっていたフリッチャイが動き出すのはコーダ(294小節)。ファゴット、ホルンによって〈結尾主題〉が導き出されると、フィナーレに向かってサクサクと駆けるフットワークが心地よく、ピッコロの澄んだ高音域がシルキーな弦と溶け合うように協働するところは聴き手の耳の快感を誘っている。

sv0076h.jpg

sv0059g.jpgプレスト(362小節)は、フリッチャイは確固たる歩みで突き進む。見せかけの勝ち鬨を上げたり、ガッツ・ポーズを決めたりするような威圧的な演技は微塵もなく、勝利のシンボルともいえるブラスの凱歌を冴えた響きで十全に解き放ち、全曲を輝かしく結んでいる。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

当録音の前日に、フリッチャイはベルリン・ドイツ・オペラのこけら落とし公演で《ドン・ジョヴァンニ》を指揮しており、まさに多忙を極めたスケジュールの中でのセッションだった。この録音の3ヶ月後、再び病に倒れたフリッチャイは 1963年2月、ついに帰らぬ人となった。フリッチャイ最晩年の味わい深い芸風を伝える貴重な一枚だ。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします

ブログランキング・にほんブログ村へ

[ 2016/09/24 ] 音楽 ベートーヴェン | TB(-) | CM(-)