ワルター=ウィーンフィルのマーラー/交響曲第9番

sv0081a.jpg
マーラー/交響曲第9番ニ長調
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
Recording: 1938.1.16 Musikvereinsaal, Wien
Producer: Fred Gaisberg (HMV)
Engineer: Charles Gregory
Disc: Dutton CDBP9708 (69:43/Mono Live)
amazon


当演奏は、マーラーの直弟子で、交響曲第9番の初演者でもあるワルターが、ナチスの台頭によってウィーンを脱出する直前の1938年1月に録音されたSPからの復刻盤で、ワルターのウィーン黄金時代の最後を飾る記念碑的な録音。同時に、ナチスの足音が間近に迫っていた当時の緊迫した雰囲気を伝える“歴史的ドキュメント”でもある。

sv0081b.jpg1938年1月15日と16日、ワルターはウィーンフィルを指揮して《プラハ》とマーラー〈第9番〉を指揮、2月19日と20日には《真夏の夜の夢》序曲とブルックナー《ロマンティック》ほかを指揮し、これがワルターの戦前のウィーンでの最後の演奏会となった。

ブルーノ・ワルターの芸術ウィーン・フィル編 TOCE7761/74 [1992年]

当録音は1月16日(日曜日)の午前中に楽友協会で行われたコンサートを収録したもので、当時HMVのプロデューサーであったフレッド・ガイスバーグの提案で行われた。ガイスバーグの回想録によれば、ライヴ録音は資金面の都合よるもので、マイクロフォンの調整のために5回のリハーサルが組まれた。

sv0081c.jpgコンサート当日は2台のカッティング・マシーンが会場に持ち込まれ、ティンパニの横に陣取ったガイスバーグからの合図によって、エンジニアが機械を交互に動かして針を下したとされる。  TOCE7827 [1992年]

エンジニアのチャールズ・グレゴリーは傍らでスコアを追う音楽家から打楽器の強打やピアニシモの箇所を示してもらい、演奏終了後は拍手が入る前に操作を止めるタイミングをはかった(拍手はわずかに入っている)という。

原盤は英国に直送されて10枚組のSPアルバムとして世界各国で発売されたが、ワルターはこの録音について「すこぶる不満足な結果」と書き記し、後年「このレコードだけは破棄したい」ともらしていたらしい。

「マーラーの〈第9〉をヨーロッパで最後に演奏したのは、ヒトラーのウィーン進入直前でした。レコード録音は当時の演奏会その場でなされて、破局を迎える間に幸いにも私は契約していたオランダへ移動していました。当時はロッテ(長女)のことでたいへん心配していて必要な注意を録音に向けられず、それゆえ、これはすこぶる不満足な結果になったのです。」 『ブルーノ・ワルターの手紙』土田修代訳より一部筆者改訳、白水社)


しかし、亡命先のパリでガイスバーグが録音を聴かせた時、ふだんは思慮深いワルターが顔を輝かせて喜んだ、という話も残されている。

「このレコードのマーラー〈第9〉は、1936年以来、ワルターがウィーン国立オペラの監督として果たしてき生涯でもっとも実りの豊かだった一連の仕事が、とつぜん理不尽な理由で断ち切られる直前の記録なのである。その一連の掉尾に、ワルターが親しく師事し、敬愛してやまなかったマーラーの最後の交響曲がとり上げられ、しかもライヴ録音が残されたということに、たんなる偶然以上のものを感じるのである。60歳に達し円熟の絶頂にあった、また良き時代の最後の段階である1938年のこの〈第9〉にこそ、純粋にマーラー=ヴィーン・フィルのまじり気のない熱い血の噴出が見られると思う。歌という主役のいない〈第9〉で、ワルターがより想う存分マーラーの世界に浸って独自のマーラー観を描き切っていることはいうまでもない。」 柴田南雄著『レコードつれづれぐさ』より、音楽之友社、1976年)


sv0081d.jpg当コンサートの2ヶ月後、ナチスはオーストリアを併合し、アムステルダムでリハーサルを行っていたワルターは辛くも暗殺を企てたナチスの手を逃れたが、ウィーンでの地位、国籍、財産のすべてを没収され、長女ロッテは逮捕、8月には次女グレーテルがチューリヒで夫に射殺されるというショッキングな出来事が続いた。  TOCE9097 [1996年]

10月31日、妻エルザと救出された長女を伴い、失意と傷心のなかでワルターは米国へ亡命していった・・・

ConductorOrch.DateLevelTotal
WalterVPO1938.1.16(L)EMI24:4715:3511:1318:0869:43
KlempererVPO1968.6.9(L) Testament27:2517:2714:1124:4683:49
BernsteinVPO1971.3(L) DVDDG28:1616:1711:4326:4382:59
MaazelVPO1984.4.13,14,16SONY29:4716:0413:0325:2184:15
AbbadoVPO1987.5(L) DG27:2215:2712:3924:3380:01
RattleVPO1993.12.4,5(L) EMI27:4715:2712:5524:4380:52


「モノラル録音で音も決して万全とは言えないが、この演奏には切迫した時代の雰囲気とともにワルター自身の万感の想いが込められており、第1楽章から濃厚なテンポ・ルバートの嵐が吹き荒れる。極端に激しい喜怒哀楽の落差はマーラーの指揮もかくやと思わせるほど。甘美な歌の中にも刺々しい苛立ちが混じり、この焦燥感が聴き手をフィナーレの終わりまで一気呵成に引っ張ってゆく。時代の貴重な記録でもあるこの演奏は、作曲者直伝の解釈を色濃くにじませた壮絶な至演である。」 文藝別冊『マーラー』没後100年記念より吉村渓氏による、河出書房新社、2011年)


「ワルターの亡命直前の異様な雰囲気が刻み込まれている《第9》は冒頭からとても美しい。第2主題でかなりテンポを速め、展開部の頂点で大見得を切ったり、中間楽章のコーダで加速したりするところは後年のワルターにない若々しい迫真の表現である。しかしなんといっても終楽章が独特の美しさをたたえている。じっくりと歌う主題も内声もよく聴こえてくる。録音の古さがまったく気にならない。ウィーンとの訣別の想いだろうか、ある種の思い入れが演奏からひしひしと伝わってくる。聴き終わったあとに重くどっしりとしたもの心に残る。不朽の名演である。」 横原千史氏による月評より、TOCE9097、『レコード芸術』通巻552号、音楽之友社、1996年)



第1楽章 アンダンテ・コモド
sv0081e.jpg冒頭から緊迫した異様な雰囲気が漂っているが、〈告別の動機〉に思いをたっぷり込めて奏する第2ヴァイオリンの密度の濃いフレージングからして尋常ではない。

まるで1938年のウィーンへタイムスリップし、会場に居合わせた錯覚すら聴き手に抱かせてしまう不思議な魅力がこの盤にあり、聴き進めるにつれて我を忘れて音楽の中に引き込まれてしまう。
TOCE3556 [2001年]

コンサートはナチスの妨害の中で敢行され、会場の一部に陣取ったナチス兵隊の足音とともに始まったとされるが、これは1曲目の《プラハ》のことと推察され、マーラーでは形振り構わぬワルターと楽員の没入ぶりがナチスの存在など消し去ってしまったように思われる。思い躊躇うようなリタルダンド、粘っこく、嫋々と奏でる耽美的な弦など、当時のウィーンフィルが備えていた音の魅力が、モノラル録音からもたっぷりと伝わってくる。

sv0081f.jpg音楽が動き出すのは、第2主題がにわかに悲劇的様相を帯びる80小節から。

速いテンポで荒れ狂うようにファンファーレをぶつけるところや、展開部に入ると、ドカドカ叩き込むティンパニの強打、異常に強いリズムを刻むトランペット、重々しく奏する沈鬱なチェロの悲歌、忍び寄る魔の手におののくような第2ヴァイオリンの呻き・・・
TOCE15003 [2005年]

「オーストリアでは国家に敵意を抱くナチズムがますます遠慮なく頭をもたげ、ドイツからの威嚇の響きが伝わって来た」とワルターが書いているように、迫り来るナチスの影に怯え、その恐怖をワルターは描き出す。J.シュトラウスのワルツ《人生を楽しく》の引用もどこか落ち着きがなく、ウィンナ・オーボエが悲しげに奏しているのが象徴的だろう。

sv0081p.jpg

情熱的に第2主題を変形する錯綜とした内声進行(211小節)もすさまじい。身をよじるように楽節をうねり回し、生の感情をぶつけてワルターは混沌の中でもがき、苦しみ、のたうちまわる。

sv0081o.jpg断末魔のような金管のあえぎと、告別を告げるホルンが聞こえると、〈おお、過ぎ去りし若き日々よ、消え去りし愛よ〉のロマンティックな一節が独奏ヴァイオリンで奏される。

結尾の独奏とともに、ポルタメントをかけて、したたるような音色を聴かせるウィーンフィルの甘美な弦に酔わされてしまうのは筆者だけではないだろう。独奏をつとめるのは、コンサート・マスターのアルノルト・ロゼ(1881~1938年在籍)。

ロゼもまた数名の楽員と共に演奏会の後にウィーンを脱出したが、その娘アルマ・ロゼ(母はマーラーの妹ユスティーネで名前はアルマ・マーラーに由来)はアウシュビッツ収容所に送られた。大作曲家の姪で、ヴァイオリニストだったことから収容所では女性オーケストラを結成して演奏していたが、病に倒れてその生涯を終える。

sv0081g.jpg「最大のゲヴァルトで」と記されるペザンテ(308小節)の頂点も聴きどころだ。

ここでは管弦の爆発的な強奏がすさまじく、トロンボーンの絶叫、地を揺るがすティンパニの最強打、えぐるような金管のリズムの中を、死神が進軍ラッパを轟かす。

TOWER RECORDS  amazon

肉を切り裂くような弦の呼応も悪魔的で、ナチス軍の虐殺の恐怖におののきながらもワルターは勇気を振り絞り、強い意志を込めて主題再現を歌い上げるところが感動的である。熱っぽく演奏する器楽的カデンツァも表現主義の塊といってよく、巨木のような歩みに激情をまじえ、ワルターとオーケストラが一丸となって演奏するさまは圧巻である。


第2楽章 ゆったりとしたレントラーのテンポで
sv0081h.jpg第1レントラーは遅いテンポではじまるが、弓の根本から喰らい付く奏法や、低音をガンガン響かせて武骨に歌うのがワルター流。一転して第2レントラーは速いテンポで走り出す。  TOCE16294 [2013年]

リズムは切れ、金管も雄弁でゾクゾクするような疾走感に加え、狂気性もアグレッシヴに打ち出している。ウィーンの典雅な気分を湛える第3レントラーも聴き逃せない。木管のエレガントなトリルやニュアンスを込めたリタルダンドが心憎く、ワルター=ウィーンフィルの妙諦を開陳したものといえる。

sv0081i.jpgクライマックスの〈死の舞踏〉(423小節)は気違いじみたテンポで荒れ狂う。

土俗的なリズムを叩き込み、アンサンブルの乱れもなんのその、狂ったように歌い、踊り、叫ぶさまは驚異的で、皮肉どころかナチスを軽蔑し、唾を吐いてあざ笑う。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon
sv0081q.jpg

ガイスバーグによると録音時、ワルターはあまり自信がないように見えたし、演奏が終わった後、ウィーンフィルの弦楽器奏者のひとりがやって来て「ワルターはダメだ。レントラーのところで彼は何も出来ず、ただオーケストラについてきただけだ」と言ったという。オーケストラがここまで指揮者のケツを叩いて暴れさせたのなら大したものだ。


第3楽章 ロンド=ブルレスケ、アレグロ・アッサイ きわめて反抗的に
sv0081j.jpg道化的なスケルツォは気魄に充ち満ちている。つんざくようなピッコロの軋み、調子っぱずれのクラリネット、目まぐるしく狂奔する〈メリー・ウィドウ〉など、前のめりになって突進する切迫感は、ヨーロッパの崩壊という地獄へまっしぐらに向かってゆくかのようだ。

突撃隊のような2重フゲッタや急迫的な〈パンの動機〉もテンポが落ち着かずアンサンブルが半ば崩壊しているが、6度跳躍動機(311小節)で炸裂するウィンナ・ホルンの野太い音が大きくものをいう。  amazon  HMVicon [Naxos 8.110852]

sv0081r.jpg

sv0081k.jpg強烈なシンバルの一撃によって悪魔を蹴散らす〈天上のエピソード〉も殺気だっており、キリリと引き締まったカンタービレでドラマチックに歌い上げている。

コーダはワルターが「ここぞ」とばかりに荒ワザを仕掛けて、猛烈にオーケストラを駆り立てる。ピウ・ストレットからプレストへアクセルを踏み込む“決めどころ”はいきり立つように指揮者の熱き血が噴出。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon [オーパス蔵 OPK2060]

「いかにも若き日のワルターらしく、実演のせいもあって、フルトヴェングラーも顔負けといえよう」(宇野功芳氏)。惜しむらくは、テンポ・プリモ・スビトの538小節からアッテネータがかかり音量レベルが突然下がるためにオーケストラが遠くなり、実在感が薄れてしまうことである(東芝盤はこの落差が少ない)。


第4楽章 アダージョ
sv0081l.jpgこの演奏のキモは間違いなく終楽章にあろう。18分という極めて速いテンポで奏者全員が心の底から祈りにも似た歌を弦楽を主体に耽美的に、しかも力強く歌い上げてゆく。

特筆すべきは全盛期のウィーンフィルのもつ弦の美しさで、とろっとした厚みのある豊饒な音が録音を通り越して聴き手の耳を捉えて離さない。

TOWER RECORDS  amazon  HMVicon

アインザッツのずれや、コクのあるフレージングの妙味はもとより、弓に圧力をかけ、前のめりになって「ぐいぐい」弾き進めるところは、切羽詰まった緊迫感が生々しく伝わってくる。もってりと、甘い香りを漂わせるロゼの独奏ヴァイオリン(40小節)は、崩壊が間近に迫った世紀末的な脆さすら感じさせるではないか。
sv0089s.jpg

「ワルターはあくまで耽美的に、嫋々と旋律を歌い上げる。旋律の段落におけるいわゆる“absetzen”(瞬間的に音をとめ、間をつくること)の絶妙さはため息がでるほどで、それはワルターといえどもこの時期のヴィーン・フィルとの協演においてのみ、かくも成功のうちになしとげることのできた演出法ではあるまいか。オーケストラはほとんど1人の声楽家のように息を吸い、止め、静かにあるいは強く吐く。このような指揮法がもはや今日の感覚ではないけれども、ワルターがこういうスタイルの奥義をきわめた人であることはたしかで、とくに〈第9〉と〈第5〉のアダージェットにその典型が聞かれる想いがする。」 柴田南雄著『レコードつれづれぐさ』より、音楽之友社、1976年)


sv0081n.jpg原調にもどるモルト・アダージオ・スビト(49小節)もコクのある弦楽の重量感に揺るぎはなく、旧時代的な「こてこて」の表現主義のもと、ワルターは浪漫の香りに強固な意志を込めながら、“奇跡の熱演”が繰り広げられてゆく。  TOWER RECORDS  HMVicon

“惜別の涙”ともいうべきオーボエと独奏ヴァイオリンのデュエット、ホルンの寂しげなエコー、感傷的なエピソードの味わいも格別で、「そこに一種のあきらめに似た感情、絶望的とかペシミズムといっては消極的に過ぎるとしても、どこか悲しげで淋しげな感情が底に流れている。」(柴田南雄氏)


sv0081m.jpg最後のクライマックスはロンド主題の再現部にやってくる。第1と第2ヴァイオリンが高いユニゾンでぶつけるシンコペーションの決めどころ(122小節)は生への希求を刻印した“魂の叫び”といえるもので、シンバルを力の限り叩き込み、強烈なグリッサンドを付けて綿々と歌い上げるさまはバーンスタイン顔負けの激情が迸る。

TOWER RECORDS  HMVicon [KSHKO-52]

ホルンを抑え気味に、トランペットを突出させて高揚するところや、「死に絶えるように」のエンディングをppではなくpで奏するあたりも、諦念の境地というよりは、生への痛切な願いが込められている。「彼はこの世に訣別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けいる白雲のようである。」(ブルーノ・ワルター)

ワルター黄金時代の記念碑で「惜別の歌」ともいうべき、いつまでも大切に聴きたい永遠の一枚だ。

《付記》 音盤について
SPはかつて日蓄(ニッチク)から戦時中に発売(1943年7月)されたが、この日本プレスは原材料の不足による粗末な盤質で、しかも外盤のSPからのダビングだったという。1973年にGRの復刻LP(GR2255/6)が東芝から発売されるに至って高い評価を得たことは、柴田南雄氏や「ワルターが遺したすべてのレコードに冠絶する名盤中の名盤」「第9のすべてのディスクの中でも飛び抜けてすぐれた傑作で、これさえあれば他の盤は要らない」とまで言わしめた宇野功芳氏の著作によって知ることが出来る。

筆者は復刻CDをいくつか買い漁ってみたところ、リマスターの違いによって音が微妙に違うことがわかったが、オーパス蔵盤、ナクソス盤、ダットン盤など、本家以外からも復刻CDが発売されるに及んで、どの盤をチョイスすべきか、愛好家にとって悩ましいところだろう。筆者が一番聴きやすいと思ったのが巷の評判が高いダットン盤。ノイズがほとんどなく音に自然な拡がりと伸びがあり、しかも生々しく次元の異なる音である。

アメリカ・プレスのSP盤から復刻したオーパス蔵盤も捨てがたく、針音はあるがヴェールが取れたように鮮明で生々しい音に驚かされる。1943年発売のニッチクSP(未通針)から起こされたKSHKO-52はノイズがほとんどなく盤質がきわめて良好。掘り出し物は東芝盤のTOCE7828で、音が太くしっかり聴き取れて残響も自然で心地よく聴ける。ワーナー盤(新着マスターによるart処理)は音が丸くなって高音の粗さがあまり気にならない。また、TOCE番号の東芝盤は第3楽章終わりの音量レベルの低下が顕著に感じられない。


人気ブログランキングへ この記事を面白いと思った方はクリックをお願いします

にほんブログ村 クラシックブログ クラシックCD鑑賞へ
にほんブログ村

このエントリーをはてなブックマークに追加

[ 2016/12/10 ] 音楽 マーラー | TB(-) | CM(-)